四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
「う……」
沈んでいた意識が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
最初に戻ってきたのは感覚だった。
後頭部に、柔らかいものが触れている。
地面ではない。
身体の下にも、戦闘後の痛みはほとんど残っていなかった。
「……ん」
重い瞼を開く。
視界がぼやけている。
黒い世界。
無数に浮かぶ、小さな光。
間違いない。
まだ《開眼の試練》の中だ。
「俺……」
生きてる……?
「おー。やっと起きたか!」
「……!」
「寝坊助じゃのう」
すぐ近くから聞き覚えのある声がした。
一瞬で意識が覚醒する。
俺は反射的に身体を起こし、声から距離を取った。
「なっ……!」
フォルチナ。
傷一つない姿で、こちらを見ている。
「どういうことだ……!?」
俺は完全に負けた。
最後に見たのは、《リジェネレーション》によって胸の傷を完全に治したフォルチナの姿。
その後、俺は意識を失った。
負ければ食われる。
そう言われていたはずだ。
なのに。
生きている。
「……ん?」
そこで、もう一つの異変に気づいた。
「俺の服は!?」
戦闘前まで着ていた服がない。
慌ててその場にしゃがみ込み、近くに落ちていた布を腰へ巻きつける。
「なんでこんな状態なんだよ!」
「服なら、ほとんど使い物にならなくなっておったぞ」
フォルチナが、少し離れた場所を指さした。
そこには、黒く焦げ、裂けた布の残骸がまとめて置かれている。
「あ……」
《シャドウブラスト》。
それに加えて、《エンハンス》の出力を無理やり上げた。
よく考えれば、服だけ無事な方がおかしい。
「てっきり殺されると思ってたんだけど……」
「そのつもりじゃった」
「やっぱりかよ!」
「最初はな」
フォルチナは楽しそうに笑う。
「じゃが、気が変わった」
「……気が変わった?」
「うむ」
フォルチナが俺へ近づいてくる。
反射的に身構える。
だが、彼女に戦う意思は感じられなかった。
「おぬしが眠っている間、少し調べさせてもらったぞ」
「調べた?」
「身体の損傷と、魔力の流れじゃ」
フォルチナは自分の目元を指さす。
「特にあの妙な《エンハンス》の使い方が気になってのう。手足へ流れる魔力を随分と細かくいじっておる」
「……《制御》のことか」
「おそらく、それがおぬしの特殊な力なのじゃろうな」
なるほど。
てっきり何をされたのかと思ったが、魔力の状態を確認していたらしい。
「それで?」
「我は、おぬしが気に入った」
「……は?」
あまりにも予想外の言葉だった。
「力になってやろう」
「え……?」
間の抜けた声が出る。
さっきまで本気で殺し合っていた相手だ。
胸を貫いた俺を《リジェネレーション》で絶望させた魔王が、突然味方になると言っている。
「何を企んでる?」
「警戒するのは良いことじゃ」
フォルチナは笑ったまま答えた。
「まあ、すぐにどうこうできる話ではない。相当な時間がかかるじゃろう」
「何に?」
「おぬしが強くなるまでじゃ」
フォルチナの表情が少しだけ真剣になる。
「おぬしなら――いずれ我を助けられるかもしれん」
「助ける?」
「そうじゃ」
黒い翼を静かに畳む。
「将来、現魔王を倒し、我が本体を檻から解放してほしい」
「……現魔王?」
聞き慣れない言葉に眉をひそめる。
「待て」
俺はフォルチナを指さした。
「お前も魔王なんだろ?」
「我は太古の魔王じゃ」
「つまり……」
少し考える。
「元魔王で、今は別の奴が魔王ってことか?」
「ぐぬぬ……」
露骨に嫌そうな顔をした。
「まあ……そうとも言うのう」
「そこは認めるんだな」
「言い方が気に入らんだけじゃ!」
フォルチナは腕を組んだ。
「簡単に言えば、我は現魔王との戦いに敗れた」
「魔王同士で戦ったのか?」
「いろいろあったのじゃ」
明らかに省略された。
「その結果、我の本体は檻へ封じられた」
「今も?」
「今もじゃ」
フォルチナの声から、先ほどまでの軽さが少し消える。
「ただ閉じ込められているだけではない。現在の我は、魔王城へ魔力を供給するためだけの存在として利用されておる」
「魔力を……?」
「我から力を吸い上げ、それを城へ流しておるのじゃ」
「それはまた……」
想像していたより酷い。
「ずっとか?」
「長いぞ」
フォルチナは遠い場所を見るように目を細めた。
「そこで我も、ただ黙って捕まっていたわけではない」
「何かしたのか?」
「長い年月をかけて、この分身を作った」
自分の身体を指す。
「これが分身なのか?」
「そうじゃ。我の本体は今も檻の中じゃ」
目の前のフォルチナですら、あれほど強かった。
それが分身。
本体は一体どれほどの力を持っているのだろう。
「ようやく分身を外へ出し、脱出への一歩を踏み出した……はずじゃった」
「はず?」
「突然、足元に見たこともない魔法陣が現れての」
「……」
「気づけば、ここへ転送されておった」
「また捕まったのか」
「また捕まったのじゃ!」
フォルチナが悔しそうに叫ぶ。
「それから何百年じゃ! たまにこうして試練とやらで呼び出されるだけ!」
「なんか……大変だったんだな」
「もっと同情せい!」
「いや、さっきまで俺を殺そうとしてた奴にそこまで同情できないって」
「それもそうじゃな」
納得するのか。
「じゃあ、現魔王はどこにいる?」
「分からぬ」
「……え?」
「分からぬ」
「倒してほしいんだよな?」
「うむ」
「場所は?」
「分からぬ」
「無茶苦茶じゃないか!」
「仕方なかろう!」
フォルチナが頬を膨らませる。
「再びこの場所へ捕らえられてから、本体とのつながりがほとんど遮断されたのじゃ」
「本体の場所も?」
「感じ取れぬ」
「魔王城も?」
「分からぬ」
「現魔王も?」
「分からぬ」
「情報ゼロじゃねーか!」
「これから探せばよい!」
随分と壮大な話になってきた。
俺は頭を掻く。
魔王。
魔王城。
フォルチナの本体。
ここまでの俺にとって、存在すら知らなかったものばかりだ。
「まあ、そんな話はおいおいでいいじゃろう!」
フォルチナが急に明るい声へ戻った。
「それよりどうじゃ?」
「何が?」
「我に協力するか?」
「……」
考える。
とはいえ。
選択肢は、ほとんど決まっていた。
「協力する」
「ほう?」
「ただし」
俺は指を立てた。
「すぐには行けないぞ」
「……」
「俺にはやることがある」
ハナ。
サンク。
最下層へ来る子供たち。
俺がここへ残った理由。
それを投げ出すつもりはない。
「まず妹と弟を助ける。そのためにもっと強くなる」
「……」
「それが終わるまで、魔王探しなんてできない」
フォルチナはしばらく俺を見つめた後。
「ぶははははっ!」
突然笑い始めた。
「な、なんだよ」
「安心せい!」
腹を抱える。
「今のおぬしが『すぐ行く』などと言ったら、我が止めておるわ!」
「……そんなに?」
「そんな雑魚状態で現魔王の前へ行けば、即死じゃ!」
「雑魚……」
結構傷つく。
自分ではかなり強くなったと思っていたのだが。
「最低でも、今とは比べ物にならぬほど強くなってもらわねば困る」
「じゃあ、急がなくていいんだな」
「好きにせい」
フォルチナは肩をすくめた。
「我にとって、何百年待つも何十年待つも大差ない」
「スケールが違うな……」
「それに」
フォルチナが自分の胸へ手を当てた。
「まずは、この分身だけでもここから出られる」
「出られる?」
「おぬしを利用すればな」
「……嫌な言い方だな」
「事実じゃ」
だが。
フォルチナが外へ出られる。
俺にとってもメリットは大きい。
十輪まで魔法を扱う存在。
魔力についても、俺より遥かに詳しい。
「分かった」
俺は頷いた。
「なら協力しよう」
「いい選択じゃ」
フォルチナが満足そうに笑う。
「よろしくな」
そう言って手を差し出そうとした。
だが。
「では、契約じゃ」
「契約?」
フォルチナの身体が、突然揺らいだ。
「え?」
銀色の髪。
黒い翼。
角。
身体の輪郭すべてが、黒い霧のように崩れ始める。
「ちょっと待て!」
「動くな」
「いや、説明を――」
霧となったフォルチナが、一気にこちらへ迫った。
「うわっ!」
避ける暇もない。
黒い霧は俺の顔へ集中し。
右目へ――。
「ぐあっ!?」
一気に入り込んできた。
「痛っ……!」
反射的に右目を押さえる。
「なんだこれ……!」
激痛というほどではない。
だが。
目薬を何十滴も連続で差し続けられているような、強烈な刺激が止まらない。
目の奥が熱い。
涙が勝手に流れ出す。
「フォルチナ!」
『騒ぐでない』
「頭の中から……!?」
声が直接聞こえる。
「何をしたんだ!」
『契約じゃ』
「先に説明しろよ!」
『説明しておったら警戒するじゃろ』
「当たり前だ!」
右目の奥へ。
何かが根を張っていくような感覚。
それと同時に。
全身から少しずつ力が抜けていく。
「また……意識が……」
視界が霞む。
黒い世界と無数の光が、ゆっくり溶けていく。
『期待しておるぞ』
フォルチナの声。
『少年――いや』
少しだけ楽しそうに。
『ロフル』
「名前……いつ……」
最後まで言葉にできなかった。
目を開けていることすらできなくなる。
『いずれ我を、ここから連れ出してもらう』
その声を最後に。
俺は再び――意識を失った。