四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
「……ん」
次に目を開けたとき。
真っ黒な星空のような世界は、もう消えていた。
視界に映るのは、翼を広げた女神像。
白い大理石。
見慣れた《開眼の祭壇》だった。
「戻って……きた?」
「ロフルさん!」
「うおっ!?」
声が聞こえた直後。
フーチェが勢いよく飛びついてきた。
全身には《エンハンス》を纏っており、赤い炎が揺らめいている。
「フーチェ!?」
「よかったです! 本当に……!」
抱きついたまま離れない。
そこで。
「……あれ?」
妙なことに気づいた。
「熱くない」
「え?」
以前なら、フーチェの《エンハンス》へ近づくだけでもかなりの熱を感じた。
ましてや、今は直接触れられている。
それなのに。
温かさは感じても、火傷するような熱さがまったくない。
「す、すいませんロフルさん! 私また……!」
「いや、大丈夫だ」
炎に包まれたフーチェの頭へ、試しに手を置いてみる。
「やっぱり熱くないな」
そのまま軽く頭を撫でる。
「《エンハンス》が強くなったのかな……?」
開眼の試練。
フォルチナ。
契約。
右目へ入ってきた黒い霧。
何が原因なのか分からない。
「もう……」
フーチェが少し照れたように目を逸らす。
「撫でられると少し恥ずかしいです……」
「そうだな」
俺は手を離した。
「でも、そのまま飛びついてくる方が色々危ないから、一回離れてな」
「……あっ」
フーチェはようやく自分が《エンハンス》を発動したままだったことに気づいたらしい。
「そ、そうですね……!」
慌てて離れ、《エンハンス》を解除する。
炎が消えると、用意してあった布をいつものように羽織った。
「まったく」
その様子を見ていたマグが口を開く。
「一週間待った」
「……え?」
俺はマグを見る。
「今、なんて?」
「ロフル、一週間戻ってこなかった」
「一週間!?」
思わず立ち上がった。
「俺、そんなに向こうにいたのか!?」
感覚では、せいぜい半日程度だった。
フォルチナとの戦闘。
気絶。
目覚めて話をした。
そして契約。
それだけだ。
「七日です」
フーチェが頷く。
「本当に心配したんですよ」
「そんなに時間の流れが違ったのか……?」
神輪の試練では、ここまでの差は感じなかった。
開眼の試練だけが特殊なのか。
それとも。
フォルチナと関係があるのか。
「ロフルさん」
フーチェが俺の顔をじっと見つめる。
「今度はなんだ?」
「右目」
「右目?」
「色が赤くなってますね」
「……え?」
思わず右目へ触れる。
「赤?」
「はい。右目だけです」
マグも覗き込んでくる。
「右目だけ、マグと一緒」
「いや、私とも一緒です!」
フーチェがなぜか張り合った。
「多分どっちとも一緒だろ……」
二人とも赤い瞳なのだから。
だが。
俺には目の色が変わった感覚などまったくない。
見え方も以前と同じだ。
「開眼……」
祭壇の名前を思い出す。
やはり、この赤い目が試練の結果なのだろうか。
それともフォルチナとの契約の影響なのか。
「……まあ、それより!」
もっと重要なことを思い出した。
「こんなことしてる場合じゃない!」
「?」
「試練を突破したんだぞ!」
神輪の試練。
そして開眼の試練。
二つとも終わった。
「六輪になれるんじゃないか!?」
「あ!」
「行きましょう!」
・・・
・・
・
俺たちはそのまま神輪の祭壇へ戻った。
青い台座の前へ立つと、迷わず右腕を差し込む。
肩まで吸い込まれ。
いつもの冷たい感覚が腕を走った。
続いて表示に従い、左腕も祭壇へ入れる。
黒い石板が光った。
――――――――――
試練達成……
レベル六に上昇。
六輪《バースト》を習得。
六輪《キーキューブ》を習得。
次のレベルまで〇・九。
レベル七情報。
七輪《エアリジェクション》
――――――――――
「おお……!」
右腕を見る。
五つだった魔法輪。
その上に、新たな一輪が刻まれている。
「六輪……!」
そして。
「こっちにも」
左の掌。
そこにはマグたちと同じ、小さな魔法陣が浮かび上がっていた。
「一つは腕で、一つは掌か」
改めて見比べる。
「どっちがどっちの魔法なんだ?」
「左の掌が《キーキューブ》です!」
フーチェが即答した。
「腕の六輪が《バースト》ですね!」
「おお」
俺はフーチェを見る。
「さすがに一週間もあっただけあって、色々試したんだな」
「もちろんです!」
「マグもいっぱい試した」
「それは助かる」
何も知らない状態から手探りするより、かなり楽になる。
「じゃあ、とりあえずざっくり教えてくれ」
「分かりました!」
フーチェが嬉しそうに左手を出した。
「まず《キーキューブ》ですが、左掌の魔法陣へ右手の五本の指で触れると五本とも光りまして、それぞれが別々の倉庫を開く鍵になっています。つまり倉庫は合計五つありまして、親指と人差し指の倉庫は一つの物しか収納できない代わりに瞬時に出し入れできるため武器の収納などに適していて、残りの指は――」
「ま、待ってフーチェ!」
「はい?」
「早口すぎ!」
「え? そうでした?」
本気で気づいていなかったらしい。
こういう興味のある話になると、一気に喋るタイプなのか。
「一個ずつ頼む」
「分かりました……」
少し残念そうだ。
俺は笑いながら左掌を見る。
仕組みを簡単にまとめると。
《キーキューブ》には、五つの次元倉庫があるらしい。
右手の指それぞれが、一つずつ倉庫を開く鍵になっている。
特に親指と人差し指の二つは、一個しか物を収納できない代わりに出し入れが非常に速い。
「剣を入れておけば」
俺は腰の剣を見る。
「必要なときだけ一瞬で取り出せるってことか」
「そうです!」
「便利だな……!」
残りの倉庫は少し使い方が違う。
光った指で反対側の掌へ触れる。
試しに中指を使ってみると。
「おっ」
手の甲から、小さな立方体が浮かび上がった。
掌に乗る程度の大きさ。
「これがキューブか」
「触ってみてください」
「ああ」
指先で触れる。
すると。
ボンッ。
「うおっ!?」
目の前に、幅も高さも五十センチほどある箱が現れた。
「でかくなった!」
「そこへ物を入れられます」
「容量は?」
「個人差があるみたいですが、見たまま全部入ります」
「十分すぎるだろ」
俺は持ってきていた食料を試しに入れてみる。
肉。
木の実。
火岩を入れている容器。
次々と収納しても問題ない。
「閉じるときは?」
「左右から両手で押してください」
言われた通り。
箱を両側からぐっと押す。
すると箱は縮み、再び掌ほどのキューブへ戻った。
そのまま俺の近くでふわりと浮いている。
「……これ、他の人にも見えてる?」
「見えてません」
「本当に?」
「今ロフルさんが何を見ているのか分かりません」
マグも頷く。
「何もない」
「すげえな……」
解除すればキューブも消える。
必要なときだけ呼び出せる。
「何これ、便利すぎないか?」
食料。
水。
素材。
寝具。
今まで背負っていた大量の荷物を、ほぼ全部ここへ移せる。
ただ。
「……あ」
一つ気になった。
「中に食料を入れてても、普通に腐るのか?」
前世の物語でよく見る収納空間なら、内部の時間が止まっていることも多かった。
だが、現実にそんな都合よくいくだろうか。
「一応……腐ると思います」
「そうか……」
少し残念だ。
さすがにそこまで便利では――。
「ただ」
「ん?」
「中は、限りなく時間の流れが遅いと思います」
「……何?」
「試しに燃えている木を入れて、二日ほど放置したんです」
「そんな危ない実験したのか?」
「安全でしたよ!」
本当だろうか。
「二日後に取り出したら、入れたときとほとんど同じ状態でした」
「……」
俺は一瞬考える。
「つまり」
「完全に時間が停止しているわけではないと思います」
「でも限りなく遅い」
「はい」
「……いや」
十分だろ。
「それなら十分すぎるだろ!!」
「ですよね!」
肉だって。
果物だって。
ほとんど劣化しない。
遠出するときの保存食問題が、一気に解決する。
「これ、一番いい魔法まであるぞ……」
戦闘力は上がらない。
だが、この最下層で生活するなら便利さが桁違いだ。
「荷物、全部こっちに移そう」
「親指か人差し指には武器がおすすめです」
「じゃあ剣を入れてみるか」
抜刀。
収納。
呼び出す。
すぐに手元へ戻ってきた。
「……最高だな」
これなら剣を持ったまま生活する必要すらない。
「次に《バースト》ですが!」
「お、頼む」
再びフーチェの説明が始まる。
今度はゆっくり。
《バースト》。
自分の前方へ魔力を一気に炸裂させる攻撃魔法。
射出する《ブラスト》とは違い、近距離の一定範囲を吹き飛ばす。
「大木なら?」
「木っ端みじんです」
「……相当だな」
「《エンハンス》を使っていない人に当たれば……多分、ほとんど残りません」
「怖っ」
かなり危険な魔法だ。
その分。
一度使えば、約三十秒。
《ブラスト》の十五秒より長いインターバルが発生するらしい。
「当然、特性も乗ります」
フーチェが言う。
「私の場合は――」
「炎だろ?」
「はい!」
フーチェの《バースト》は。
魔力の炸裂と同時に、超高温の炎が爆発的に広がる。
ただでさえ高威力な《バースト》に《炎上》が乗るため、まともに受ければ非常に危険だという。
「マグは?」
「灰色」
「磁力か」
「うん」
見た目だけなら通常の《バースト》と大きな違いはない。
だが。
近くに鉄が存在すると、炸裂そのものが鉄へ吸い寄せられる。
「鉄に当たるとすごく強い」
「どれくらい?」
「穴開いた」
「……硬いデッドマンティスに?」
「うん」
「やっぱマグ、あいつら相手にはめちゃくちゃ強いな」
「マグは特別」
いつもの返答だった。
「じゃあ、俺は……」
六輪へ触れる。
「《バースト》」
掌の前に魔力を集め。
安全のため、祭壇の外へ向けて小さく発動する。
ドンッ!
空気そのものが破裂したような衝撃が広がる。
「……普通だな」
「普通ですね」
「灰色でも赤でもない」
無属性。
今のところは、それだけに見える。
「《制御》で炸裂を動かせないかな」
射出する《ブラスト》や《バインド》なら、発動後に操作できる。
だが。
《バースト》は違う。
出現した瞬間に炸裂する。
発生してから《制御》をかけるまでの時間がない。
「今は無理そうだな」
「ロフルさんなら、そのうち何かやりそうですけど」
「俺もそう思う」
「自分で言います?」
練習すれば。
炸裂の方向。
範囲。
威力の集中。
そういったものまで制御できる可能性はある。
ただ、今すぐ試すのは危険だ。
また何時間も気絶するのは勘弁してほしい。
「二人とも、ありがとう」
「どういたしまして!」
「うん」
「一週間でかなり調べてくれたんだな」
俺一人なら、ここまで把握するだけでも何日かかっていたか分からない。
しばらく新しい魔法を試した後。
俺は荷物を《キーキューブ》へ収納した。
「さて……」
マグとフーチェを見る。
「本当に世話になったな」
「?」
「俺、一旦戻るよ」
「もう戻るんですか?」
フーチェが少し驚いた顔をする。
「もう少しくらい休んでも……」
「ありがとう」
正直。
ここは居心地がいい。
話せる相手もいる。
食事も以前より豊か。
柔らかい寝床まである。
だが。
「次の洗礼の試練まで、もう三か月を切ってる」
「……」
「そろそろ拠点の整備に集中しないと」
去年。
俺は一人の少年を助け。
そして、自分の知識不足で守れなかった。
同じことを繰り返したくない。
今度こそ。
本当に安全な場所を用意する。
「それなら!」
フーチェが一歩前へ出る。
「私たちも手伝いますよ!」
「ありがとう」
素直に嬉しい。
だが。
「二人には、アミナがいるだろ?」
「……」
「今年ここへ来たばかりだ」
三輪まで覚えた。
それでも。
戦い方。
食料の集め方。
危険な魔物。
覚えることは山ほどある。
「まずはアミナが、一人でも安心して生き残れるように教えてあげた方がいい」
フーチェがアミナを見る。
マグも少し考えてから頷いた。
「それに」
俺は自分の胸を軽く叩く。
「俺も、ここまで強くなった」
六輪。
《エンハンス》。
《バインド》。
《ブラスト》。
《バースト》。
そして《制御》。
右目が赤くなったことで、何が変わったのかはまだ分からない。
それでも。
「去年みたいにデッドマンティスに囲まれても、もうやられる気はしないよ」
あの頃とは違う。
逃げることしかできなかった少年ではない。
「そうですか……」
フーチェは少し心配そうだった。
マグも俺をじっと見つめる。
「ロフル」
「ん?」
「気をつけて」
「ああ」
「無茶すると、すぐ気絶するから」
「それは……気をつける」
最近、気絶しすぎている。
「アミナが一人前になったら」
マグが続ける。
「マグも遊びに行く」
「おお」
俺は笑った。
「楽しみにしてる」
「私も行きますからね!」
「もちろん」
「お兄ちゃん、また来てね!」
「今度は俺からも遊びに来るよ」
アミナへ手を振る。
フーチェ。
マグ。
アミナ。
三人と別れ。
俺は、自分の神輪の祭壇へ向かって歩き出した。
背負っていた荷物はない。
すべて《キーキューブ》の中。
「軽いな……」
身体だけではない。
以前よりずっと強くなった。
六輪まで到達し。
新たな仲間もできた。
そして……
右目の奥には――太古の魔王までいる。
「……フォルチナ」
試しに小さく呼んでみる。
返事はない。
「寝てるのか?」
まあいい。
聞きたいことなら、これからいくらでもある。
今は。
三か月後。
次の洗礼の試練へ備える。
「今度こそ……」
一人でも多く助ける。
そのために。
俺は《エンハンス》を纏い、懐かしく感じ始めた自分の拠点へ向かって速度を上げた。