四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
ロフルたちが暮らしていた村。
その中央にある泉の近くで、司祭と村長が並んで立っていた。
「一か月を過ぎた……だが、誰も帰ってこないのう」
村長は杖に体重を預けながら、静かに泉の向こうを眺める。
そこは、一か月前。
今年十歳になった子供たちが《洗礼の試練》によって姿を消した場所だった。
「かれこれ五年以上、誰一人として帰還しておりませんからな」
司祭はそう答えながら、胸の前で両手を組んだ。
「それでも、信じて待つしかありません」
「そうじゃのう……」
十歳になった子供は、例外なく最下層へ送られる。
そして二輪《リターン》を覚えた者だけが、ここへ帰ってくる。
だが。
帰還者など滅多に現れない。
この村では、もう五年以上も一人として帰ってきていなかった。
それでも司祭は毎日、子供たちが転送された場所を訪れ、祈りを捧げていた。
「今日も頼むぞ」
「もちろんです」
司祭が静かに目を閉じる。
どうか。
一人でも。
無事に帰ってきますように。
そう願いながら祈っていた、そのときだった。
シュウウウ……。
「……ん?」
村長が顔を上げた。
「司祭殿」
「はい?」
「何か、光っておらんか?」
「まさか……」
二人が同時に転送場所を見る。
淡い光。
最初は小さかったそれが、次第に強くなっていく。
「こ、これは……!」
司祭が目を見開いた。
光の中へ、人影が現れる。
一人。
二人。
そして――。
「四人……!?」
光が消えた。
その場には、四人の子供たちが立っていた。
「ただいま!」
「村長と司祭様がいるよ!」
聞き慣れた村の言葉。
間違いない。
本当に。
帰ってきた。
「ひ……」
村長の杖が手から落ちる。
「ひゃぁぁぁぁあああっ!?」
「村長!?」
その場へ尻餅をついた。
「四人!? よ、四人おるぞ!?」
「見れば分かります!」
司祭自身も驚きで声が裏返っていた。
「信じられません……!」
帰還者が一人。
それだけでも奇跡と呼ばれる。
それなのに。
同じ年に。
同じ村から。
四人。
「皆さん! よく……よく無事で!」
司祭は興奮を隠すこともなく、子供たちのもとへ駆け寄った。
「怪我はありませんか? 具合の悪いところは?」
「大丈夫です!」
「僕も!」
「お腹は空いた!」
「それは後でいくらでも食べさせてもらいなさい!」
司祭は泣きそうな顔で笑った。
「まずは帰還の儀式です! すぐに教会へ向かいましょう!」
「いやはや……」
村長もようやく立ち上がる。
目元には、はっきりと涙が浮かんでいた。
「わしが生きている間に、こんな光景を見られるとは思わなんだ……」
「久しぶりの帰還者です。それも四人!」
司祭は何度見ても信じられないように、子供たちを順番に見た。
「村の未来にも、ようやく光が差しましたね」
「そうじゃのう……本当に、そうじゃ」
「さあ、村長も儀式に立ち会ってください」
「ふぉっふぉっ!」
村長が笑う。
「久しぶりすぎて、何をするのか忘れたのう!」
「忘れないでください!」
「冗談じゃよ」
「今の村長なら本当に忘れていそうで怖いのです!」
そんな会話をしながら。
二人と四人の子供たちは、村の教会へ向かった。
・・・
・・
・
帰還の儀式が終わった頃。
ロフルの家に、ノックの音が響いた。
コンコン。
「……!」
家の奥にいた母親が、勢いよく顔を上げる。
村の外が騒がしい。
先ほどから、何人もの声が聞こえていた。
帰還者が出た。
それも複数。
そんな話まで耳に入っている。
「ハナ……?」
椅子から立ち上がる。
「ハナなのかい!?」
期待を抑えきれず、玄関へ駆ける。
扉を開けた。
「ハナ!」
だが。
そこに立っていたのは、別の少年だった。
「あ……」
「すいません」
少年が少し申し訳なさそうに頭を下げる。
「向かいの家の、フィリアンドです」
「……そう」
一瞬だけ。
母親の表情が落ちる。
だが、すぐに笑顔を作った。
「フィリアンド!」
両手を伸ばす。
「おかえりなさい! 本当によく生きて帰ったわね!」
「はい!」
「すごいことよ。あなたたちが帰ってきたなら、村の未来もきっと明るくなるわ」
心からそう思っている。
ハナではなかった。
それでも。
知っている子供が無事に帰ってきたことは、本当に嬉しかった。
「ありがとうございます」
フィリアンドは丁寧に頭を下げる。
そして。
「あの」
「どうしたの?」
「伝言を預かってるんです」
「伝言?」
「はい」
フィリアンドは真っすぐ母親を見る。
「ロフルさんからです」
「……!」
母親の表情が変わった。
「ロフルから……?」
「はい」
何年も。
何年も聞きたかった名前。
その名前が。
帰還した子供の口から出てきた。
「ロフルさんは、生きています」
「……」
母親の唇が震える。
「ハナも生きています」
「……え?」
「二人とも、最下層で無事です」
「……」
一瞬。
意味を理解できなかった。
次の瞬間。
「……っ!」
両手で口元を押さえる。
目から大粒の涙がこぼれた。
「二人とも……?」
「はい」
「ロフルも……ハナも……?」
「生きています」
フィリアンドはもう一度、はっきり答えた。
「ロフルさんは、ハナと来年落とされるサンクを助けるために残っています」
「……ああ」
涙が止まらない。
「なんて……」
ずっと。
帰ってこなかった。
だから。
考えたくなくても。
どこかで覚悟していた。
もう生きてはいないのかもしれないと。
それが。
二人とも生きている。
「なんて素晴らしい伝言なの……!」
母親は泣きながら笑った。
「二人とも……生きてるなんて……!」
「はい」
「フィリアンド」
母親は少年の肩を抱き、そのまま強く抱きしめた。
「本当にありがとう。伝えてくれて……本当にありがとう……!」
「いえ」
フィリアンドは少し驚きながらも、静かに答える。
「お礼を言うのは、僕の方です」
「……?」
「ロフルさんがいなかったら」
フィリアンドの声が少し震えた。
「僕は、絶対に帰ってこられませんでした」
最下層へ落ちた直後。
泣いていた子供たちを助け。
安全な場所へ連れていき。
食べ物を用意し。
魔法を教え。
二輪を覚えるまで守ってくれた。
「僕だけじゃありません」
今日帰ってきた四人も。
他の村へ帰った子供たちも。
「みんな、ロフルさんに助けてもらいました」
「……あの子が」
母親は涙を拭う。
「そんなことを……」
「だから」
フィリアンドは深く頭を下げた。
「僕たちの方こそ、本当にありがとうございました」
「……」
母親は何も言えなかった。
ただ。
胸の奥に。
大きな誇らしさが広がっていく。
「それと」
フィリアンドが顔を上げる。
「もう一つ伝言があります」
「何?」
「来年、サンクを助けたら戻るって」
「……!」
「それから、サンクには大きめの服を持たせてほしいって言ってました」
「服?」
「ロフルさんが着るみたいです」
「あの子……」
少しだけ笑ってしまう。
「それと」
フィリアンドが妙に真剣な顔になった。
「煎餅を、持てるだけ持たせてほしいそうです」
「……煎餅?」
「すごく大事って言ってました」
「……ふふっ」
今度こそ。
母親は声を出して笑った。
涙を流しながら。
「分かったわ」
「お願いします!」
「服も煎餅も、持てるだけ持たせる」
「ありがとうございます!」
フィリアンドは満足そうに頷いた。
「じゃあ、僕は帰ります」
「ええ。本当にありがとう」
「はい!」
もう一度丁寧に頭を下げ。
フィリアンドは家を後にした。
・・・
・・
・
「お母さん?」
家の奥から、小さな声がした。
振り返る。
サンクが、不思議そうな顔でこちらを見ている。
「なんで泣いてるの?」
「ああ、サンク」
母親はしゃがみ、サンクの肩へ手を置いた。
「とても嬉しい知らせが入ったのよ」
「ふーん?」
よく分かっていないらしい。
「お兄ちゃん?」
「そうよ」
「ロフル兄ちゃん?」
「ロフルも、ハナも生きてるって」
「……本当?」
「本当よ」
サンクの顔が、一気に明るくなる。
「じゃあ帰ってくる!?」
「来年」
母親は笑った。
「あなたを迎えに行った後にね」
「……?」
意味が分からないのか、首を傾げている。
母親はそんなサンクを見つめながら。
ふと。
先ほどの伝言を思い出した。
「サンク!」
「なに?」
「今日から、しっかり体力をつけておきなさい!」
「え?」
「来年は大荷物を持たないといけないわ!」
「大荷物?」
「服と――」
母親は笑顔で続ける。
「煎餅よ!」
「なんで!?」
久しぶりに。
ロフルの家へ。
明るい笑い声が響いていた。