四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
一年後――。
洗礼の試練が始まる、一時間ほど前。
十四歳になった俺は、ハナと並んで大木の枝に腰を下ろしていた。
「……変わらないな」
見渡す限りに広がる巨大な森。
木々の間を抜ける風は心地よく、温度も湿度も一年を通して大きくは変わらない。
聞こえてくるのは葉の擦れる音と、遠くにいる魔物の鳴き声くらいだった。
あと一時間もすれば、多くの十歳の子供たちにとって地獄が始まるとは思えないほど静かな森だ。
「いよいよだね、お兄ちゃん」
「ああ」
去年までと一つ、大きく違うことがある。
今年は隣にハナがいる。
あれから一年。
ハナは三輪《エンハンス》を習得した後も魔物との戦闘を繰り返し、現在は四輪《バインド》まで使えるようになっていた。
俺のようなユニークリングではなかったため、祭壇で特性が開放されることはなかったが、単純な戦闘能力だけなら一年前とは比べものにならない。
「ハナ。分かってると思うけど、《エンハンス》は絶対に解除するなよ」
「大丈夫。分かってるよ」
答えはいつも通りだったが、表情には少し緊張が見える。
当然だろう。
今日ここへ来るのは、弟のサンクなのだから。
俺はハナの背中を軽く叩いた。
「大丈夫だ。絶対に見つける」
「……うん」
少しだけ、表情が和らいだ。
現在俺たちが待機しているのは、去年ハナが転送された地点の近く。
木の下には簡単な囲いも作ってあり、遠くからでも人がいる場所だと分かるように目印を立てている。
今年の作戦は単純だ。
俺が《サーチ》を使って周囲を走り回り、転送された子供たちの救助に専念する。
ハナはここに残り、俺が連れてきた子供たちを守る。
去年のように、一人助けるたび神輪の祭壇まで往復していては時間がもったいない。
ある程度の人数をここへ集め、最後にまとめて祭壇へ移動する。
ただし。
「最優先はサンクだ」
「うん」
これだけは譲れない。
近くに別の子供がいれば当然助けるが、まず弟を見つける。
そのために俺たちは残ったのだから。
ハナ自身も、今ではこの森の普通の魔物を相手にする程度なら危険はほとんどない。
硬いデッドマンティスにも《バインド》を使えば十分対処できる。
何より、この一年で驚かされたのはハナの感覚だった。
「……右の方、結構離れてるけど何かいるね」
「また分かるのか?」
「多分、レッドアント」
俺が《サーチ》を使って確認する。
本当に、右方向にレッドアントの反応が一つあった。
「当たり」
「やっぱり!」
ハナは嬉しそうに笑う。
最近では、《サーチ》を使わなくても周辺の魔物の気配をある程度感じ取っている。
俺にはできない芸当だ。
あの赤い蒸気。
ハナにだけ見えるという、魔力とは別の何か。
それが関係しているのだろうか。
結局、この一年調べても正体は分からなかった。
「もうすぐだよ、お兄ちゃん」
「ああ」
俺たちは空を見上げる。
最後の光が満ちていく。
そして――。
――ゴォーン……。
――ゴォーン……。
聞き慣れた、無機質な鐘の音が森全体へ響き渡った。
「わっ……!」
初めて聞いたハナが、びくりと肩を揺らす。
「これが……」
「洗礼が始まるときの音だ」
続いて。
あの声が空から降ってきた。
――Activate system to sort.
ここまでは去年と同じ。
だが……
――Difficulty level increases.
「……え?」
聞き慣れない一文が追加された。
俺は思わず空を見上げる。
「難易度が……上昇?」
「お兄ちゃん?」
「……」
嫌な予感がした。
なぜ今年だけ?
俺たちが子供を助けたからか。
去年、多めに人間が生き残ったことに反応した?
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「……何でもない」
今考えても仕方がない。
「気を引き締めていこう」
「うん!」
二人同時に木から飛び降りる。
着地と同時に、俺は一輪へ触れた。
「《サーチ》!」
周辺の地形と反応が、一気に視界へ広がる。
「……なんだこれ」
去年とは明らかに違った。
人間の反応もある。
だが、その周囲。
デッドマンティスの数が異常に多い。
「去年は一人につき一体くらいだったのに……」
今年は二人の子供に対して、三体から四体ほど。
しかも硬い個体まで混じっている。
「難易度上昇って……本当にそのままの意味かよ」
だが。
一番近い人間の反応。
まずはそこだ。
「ハナ、ここで待ってろ!」
「分かった!」
俺は《エンハンス》の出力を少し上げ、一気に森を駆けた。
・・・
・・
・
「サンク!!」
叫びながら木々の間を抜ける。
その先。
大きな荷物を背負い、呆然と周囲を見回している少年がいた。
少し背が伸びている。
顔つきも、俺の記憶よりずっとしっかりしていた。
それでも一目で分かる。
「兄ちゃん!!」
「サンク!」
向こうもすぐに気づいた。
俺の姿を見た瞬間、不安そうだった顔が一気に明るくなる。
「兄ちゃん! 本当にいた!」
「ああ!」
俺は駆け寄り、その肩を掴んだ。
「よかった……!」
「ハナ姉ちゃんもいるの?」
「いるぞ。すぐ近くだ」
「ほんと!?」
「ああ。一緒に来てくれ」
「分かった!」
見ると、サンクは身体の大きさに似合わないほど巨大な荷物を背負っていた。
「……重そうだな」
「母ちゃんに全部持っていけって」
「まさか……」
中身を確認したい気持ちはあるが、今は後だ。
「貸せ」
荷物を受け取り、《キーキューブ》へ収納する。
「消えた!?」
「後で説明する」
すぐにサンクを連れて走り始めた。
道中。
硬いデッドマンティスが二体現れたが、今の俺にとって足止めにもならない。
一体目は《ブラスト》で頭部を撃ち抜き、二体目は近づきざまに《エンハンス》を集中させた拳で粉砕する。
さらに途中で、逃げ惑っていた二人の子供も見つけた。
「こっちだ! 一緒に来い!」
「た、助けて!」
「大丈夫。安全な場所まで連れていく!」
三人を連れ、ハナの待つ場所へ戻る。
「お兄ちゃん!」
ハナはすでに剣を抜き、周囲を警戒していた。
「ハナ!」
サンクが声を上げる。
「お姉ちゃん!!」
「サンク!」
ハナの顔が崩れた。
「よかった……!」
サンクが勢いよく飛びつき、ハナもその身体をしっかり抱き止めた。
「また会えたね……!」
「うん!」
その光景を見ながら。
俺は一年前を思い出していた。
俺を見つけ。
泣きながら抱きついてきたハナ。
今度は、そのハナが弟を抱きしめている。
「……よかった」
本当に。
「よし、ハナ!」
「うん!」
「三人を頼んだ!」
「任せて!」
まだ助けられる子供はいる。
俺は再び《サーチ》を使おうとしながら、その場を離れようとした。
その瞬間だった。
ガシャン――。
「……え?」
聞いたことのない金属音。
ハナのすぐ前。
何もなかった空間へ、一体の異形が突然現れた。
「なんだ……こいつ」
これまでのデッドマンティスとは、形がまるで違う。
二足歩行。
頭部はカマキリ。
両腕は鋭く湾曲した鎌そのもの。
全長は二メートルほどで、いつもの硬いデッドマンティスよりは小柄だ。
だが背中から伸びた羽だけは異様に大きく、ブゥゥンという耳障りな音を立てながら高速で羽ばたいている。
見た瞬間。
身体が警告を発した。
「ハナ!」
異形が鎌を振り上げる。
俺は考えるより先に地面を蹴り、ハナの前へ滑り込んだ。
次の瞬間。
振り下ろされた鎌が腹部を横切る。
――ブシュッ……!
「な……!」
「お兄ちゃん!!」
熱い。
腹部から大量の血が流れ出す。
「《エンハンス》を……貫いた?」
俺は常時《エンハンス》を纏っている。
普通のデッドマンティス程度なら、まともに攻撃を受けても大きな傷にはならない。
だが。
こいつの鎌は。
何の抵抗もないように、それを切り裂いた。
「ハナ!」
「でも、お兄ちゃん!」
「祭壇へ逃げろ!」
俺は異形から目を離さないまま叫ぶ。
「サンクたちを連れて行け! 早く!!」
「……!」
ハナは迷っていた。
だが。
俺の声で覚悟を決めたように頷く。
「絶対戻ってきてよ!」
「ああ!」
「行くよ、サンク!」
ハナは三人の子供を連れ、全力で神輪の祭壇へ向かって走り出した。
幸い。
異形は追わない。
狙いは俺に移ったらしい。
「ハァ……ハァ……」
腹部を押さえる。
《エンハンス》の回復補助で出血は少しずつ弱まっている。
「何だ、お前……」
「チチチ……」
「初めて見るな」
当然。
返事などない。
だが、今まで見たどのデッドマンティスとも違う。
「難易度上昇……」
あのアナウンス。
こいつが関係しているのか。
「久しぶりの強敵ってことか」
異形が再び鎌を振り上げた。
今度は逃げない。
片腕へ《エンハンス》を集中し、出力を二へ引き上げる。
ガギィンッ!
振り下ろされた鎌を腕で受け止めると、鋭い衝撃が肩まで抜けた。
痛い。
だが防げる。
「だったら……!」
そのまま六輪を起動する。
「《バースト》!」
ドンッ!!
俺の前方で魔力が一気に炸裂した。
「なっ!?」
直撃する。
そう思った瞬間。
異形は羽を激しく震わせ、一瞬で後方へ跳んだ。
爆発の中心から完全に逃れる。
それでも無傷ではない。
左腕の鎌が根元から吹き飛び、地面へ転がった。
「避けた……!」
フレイムロックでも。
硬いデッドマンティスでも。
ここまで《バースト》へ即座に反応した相手はいない。
「でも、当たれば効く」
左腕を失った異形は、距離を取ったままこちらを見ている。
下手に近づこうとしない。
こちらの魔法を警戒している。
「考えて戦ってるのか……?」
そのとき。
「……っ」
右目の視界に異変が起こった。
元々赤く変化している右目。
その視界の端から、さらに濃い赤色が滲み始めている。
「なんだ……?」
霞む。
徐々に。
見える範囲が真っ赤に染まっていく。
そこで。
以前フーチェが言っていたことを思い出した。
『魔力が減ると視界が赤くなってきます』
「これか……!」
開眼の試練を終える前。
俺には魔力の減少を感知する方法がなかった。
何の前触れもなく、突然意識を失っていた。
だが今は。
右目が。
魔力の残量を教えている。
「まじで全然見えなくなるな……」
すでに右目の視界はかなり悪い。
どうやら魔力を相当消費している。
腹部の治療。
常時《エンハンス》。
出力二。
さらに《バースト》。
「時間はかけられないな」
もう一度《バースト》を撃ったら、どこまで魔力が減るか分からない。
気絶したら終わり。
俺は余計な消費を抑えるため、《エンハンス》の出力を通常へ戻した。
異形は十メートルほど離れた場所から、こちらをじっと観察している。
やはり。
《バースト》を警戒しているようだ。
なら。
「四輪――《バインド》」
インターバルが終わった瞬間。
俺は異形ではなく、右方向へ円盤を放った。
「チ……?」
異形の視線が、一瞬だけそちらへ動く。
その隙に。
「五輪――《ブラスト》!」
今度は正面。
圧縮した魔力を一直線に撃ち出す。
異形はすぐに反応し、羽を使って横へ飛んだ。
《ブラスト》は空を切る。
「やっぱり避けるか」
そして。
もう一つ。
俺は《ブラスト》を撃つ直前に《エンハンス》を解除していた。
異形も。
それに気づいたようだった。
「チチチチッ!」
羽音が大きくなる。
先ほどまで慎重だった異形が、一気にこちらへ突っ込んでくる。
「俺が弱くなったと思ったか?」
実際。
《エンハンス》を解除した今なら、鎌を一撃受けるだけで致命傷だろう。
だからこそ。
好機に見える。
異形が残った右腕の鎌を振り上げる。
俺を殺せる。
そう確信しているように。
その背後。
大きく弧を描いて飛んでいた《バインド》が戻ってきていることには、一切気づいていなかった。
バキッ!!
「チッ!?」
円盤が背中へ命中する。
瞬間。
大量の鎖が全身へ巻きつき、羽も腕も脚もまとめて固定した。
「捕まえた!」
異形が暴れる。
だが。
《バインド》の鎖は外れない。
俺は一気に距離を詰める。
可能な限り近く。
外しようのない位置まで。
「六輪――《バースト》!」
バンッ!!
至近距離で魔力が炸裂した。
異形の身体が中心から吹き飛び、金属片のような破片が四方へ散らばる。
爆発の余波で地面まで大きくえぐれ、クレーターのような穴が残った。
「……倒した」
息を吐く。
同時に。
右目の視界が一気に赤く染まった。
「まずい……」
もう右目では、ほとんど何も見えない。
赤い霞。
光と影の区別すら曖昧だ。
幸い。
左目は普通に見える。
「両方じゃなくて本当に良かった……」
少なくとも移動はできる。
ただ。
今ここで戦闘を続けるのは危険すぎる。
「一度戻ろう……」
腹部もまだ痛む。
魔力も限界に近い。
俺は《エンハンス》を最低限だけ発動し直し、祭壇へ向かった。
・・・
・・
・
「お兄ちゃん!」
神輪の祭壇が見えた。
入口にはハナ。
その後ろにはサンクと、助けた二人の子供もいる。
「無事……だったか」
それを確認した瞬間。
全身から力が抜けた。
「お兄ちゃん!?」
「兄ちゃん!」
二人の声が聞こえる。
安心した。
サンクを助けた。
ハナも無事。
子供たちも生きている。
「よかった……」
そこまでだった。
張り詰めていた意識が途切れ、身体が前へ倒れる。
最後に見えたのは、必死な顔でこちらへ駆け寄ってくるハナとサンクだった。
そして俺は、そのまま意識を失った。