四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
「う……」
意識が戻り、ゆっくりと目を開ける。
見慣れた青い天井があった。
「また気を失ったのか……」
身体を起こそうとした瞬間、腹部に鋭い痛みが走る。
「いっ……」
「ロフルさん!」
「お兄ちゃん!」
すぐ横から二つの声が聞こえた。
フーチェとハナだ。
二人とも俺が目を覚ましたことに気づき、ほとんど同時に立ち上がる。
「よかったです!」
フーチェがこちらへ飛びつこうとした。
だが、それより一瞬早く。
「お兄ちゃん!」
「うおっ!」
ハナが俺の胸へ飛び込んできた。
「よかった……! 目を覚まして!」
「いてててっ!」
「あっ!」
「ハナ、ごめん。まだ傷が痛くて……」
「ご、ごめん!」
慌てて身体を離す。
その向こうで、行き場を失った両腕を下ろしたフーチェが、ほんの少し悔しそうな顔をしていた。
「……」
「フーチェ?」
「なんでもありません」
絶対何かあるだろ。
腹部を見ると、傷口には潰した薬草のようなものが貼られ、その上から布が巻かれている。
「これ、フーチェが?」
「はい。傷がかなり深かったので」
「助かったよ。ありがとう」
《エンハンス》の回復補助もあったとはいえ、あれだけ深く斬られたのだ。
こうして目を覚ませただけでもありがたい。
「ところで、フーチェはなんでここに?」
「それなんですが……」
フーチェの表情が少し真剣になる。
「私たちも最下層にはずっと住んでいますが、今回初めて《デッドマンティスナイト》という魔物が現れたんです」
「デッドマンティスナイト……」
あの二足歩行のカマキリ。
「あいつの名前か」
「はい。私たちのところにも現れたので、ロフルさんの方は大丈夫か心配になって来ました」
「待て」
俺は思わず身体を乗り出した。
「フーチェがここへ来て大丈夫なのか!? あいつの鎌、《エンハンス》を軽々と斬り裂くぞ」
俺ですら腹を深く切られた。
アミナもいる。
もし同じものが何体も現れているなら、放っておける相手ではない。
しかし、フーチェは何でもないことのように答えた。
「まったく心配ありませんよ」
「え?」
「結局、身体が硬いという点ではいつものデッドマンティスと同じですから」
「……あ」
その一言で分かった。
「マグか」
「はい」
フーチェは少し呆れたように笑う。
「一度も攻撃を当てられていませんでした」
「やっぱり……」
鉄や金属を自在に引き寄せ、弾く《磁力》。
相手が金属製なら、マグにとってはどれほど強力な攻撃でも意味がない。
「むしろ、あの鎌は威力が高すぎたせいで……」
「まさか」
「振り下ろした鎌の軌道をマグが変えて、そのまま自分の身体を斬ってました」
「自滅したのか……」
「はい」
「無敵だな、あいつ……」
今後さらに強い個体が出てきたとしても、金属製である限りマグに勝てる姿が想像できない。
「そうだ」
フーチェが何かを思い出したように手を叩いた。
「ここへ来る途中にも、子供が二人いましたので連れてきましたよ」
「本当か!?」
「はい。祭壇の中にいます」
そこまで聞いて、俺は慌ててハナを見る。
「そうだ、ハナ! サンクと他の子たちは?」
「大丈夫だよ。みんな疲れて、今は中で寝てる」
「……そうか」
胸を撫で下ろす。
サンク。
ハナ。
最初に助けた二人。
そしてフーチェが連れてきた二人。
「救えたのは……五人か」
去年は八人だった。
今年は去年以上に助けるつもりだった。
それなのに。
「くそ……」
俺があのデッドマンティスナイトに足止めされている間にも、助けを求めていた子供がいたかもしれない。
難易度が上がった。
それだけで、ここまで結果が変わる。
「お兄ちゃん!」
突然、祭壇の奥から元気な声が聞こえた。
「サンク?」
振り向くと、大きな荷物を引きずるようにしてサンクがこちらへ歩いてきていた。
「僕の荷物見て! 兄ちゃんに渡すものがいっぱいあるよ!」
「……」
元気そうだ。
怪我もない。
その姿を見ただけで、さっきまで胸の中にあった重いものが少し軽くなった。
「見せてくれ」
「うん!」
サンクが荷物を開く。
「うわ……」
中から出てきたのは、数本のナイフ。
衣類。
火起こしに使えそうな道具。
布。
小物。
その他にも、長期間の生活を想定した物が大量に詰め込まれている。
そして。
「……煎餅!」
「いっぱいあるよ!」
「母さん……!」
約束通り。
本当に持てるだけ入れたらしい。
「お兄ちゃんの服もいっぱいあるよ。大きめにしてって言ってたから」
「助かる」
俺が成長していることまで考えて、かなり大きめの服を用意してくれていた。
これならしばらく困らない。
「サンク」
「なに?」
「これ、少しフーチェにも分けていいか?」
「いいよ!」
「命の恩人だからな」
「もちろん!」
俺はナイフを一本と衣類を数点。
それから煎餅を何枚か取り出し、フーチェへ渡した。
「はい」
「えっ」
フーチェが目を丸くする。
「いいんですか、こんなに?」
「当たり前だ。それより煎餅食ってみろ。うまいぞ!」
「煎餅……?」
一枚手渡す。
フーチェは不思議そうに眺めた後、端を小さくかじった。
パリッ。
「……!」
「どうだ?」
「美味しいです!」
もう一口。
「この塩っ気のある感じ……すごく久しぶりです」
「だろ?」
「はい!」
気に入ったらしく、そのまま二枚続けて食べてしまった。
「母さんの煎餅は最強だからな」
「魔法とは関係ないですよね?」
「気持ちの問題だ」
食べ終えたフーチェは、受け取った荷物を《キーキューブ》へ収納する。
「では、ロフルさんも無事でしたし、私は一度戻ります」
「もう行くのか?」
「はい。マグたちも待っていますから」
少しだけ笑って。
「それに、この煎餅を早く食べさせたいです!」
「気に入ったなぁ……」
「はい!」
「また取りに来てもいいぞ」
「本当ですか!?」
「母さんが大量に持たせてくれたからな」
「では、また来ます!」
今度は来る理由が完全に煎餅になりそうだ。
そんなことを思いながら、俺たちはフーチェを見送った。
・・・
・・
・
その後、助けた子供たちを集めた。
「みんな聞いてくれ」
不安そうな顔が並ぶ。
去年と同じ。
何が起こっているのか分からないまま、突然この最下層へ落とされた子供たちだ。
「知ってると思うけど、ここから帰るには二輪《リターン》を覚えないといけない」
俺は祭壇の中を示す。
「それまではここで一緒に暮らす。食べ物も水もあるし、俺とハナもいるから安心してくれ」
「……帰れるの?」
一人の少女が聞いた。
「ああ。ちゃんと二輪を覚えれば帰れる」
「本当に?」
「去年ここへ来た子も、全員帰ったよ」
その言葉を聞いて、子供たちの表情が少し和らいだ。
「多分、一か月くらいになると思う。それまでみんなで頑張ろう」
「うん」
「分かった」
こうして再び。
祭壇での共同生活が始まった。
・・・
・・
・
数日後。
「お兄ちゃん、今から?」
「ああ」
朝食を終えた俺は、祭壇の外へ出る。
俺の日課は筋力訓練だ。
最下層へ来たばかりの頃は一人で続けていたが、ハナが残ってからはずっと二人でやっている。
十一歳の少女とは思えないほど、ハナはこの訓練に真面目だった。
「今日はいつもの回数?」
「腹がまだ少し痛むから、俺は軽めにな」
「じゃあハナはいつも通りやる」
「本当にストイックだな……」
まずは腕立て伏せを始める。
一定の速度を保ちながら身体を上下させていると、ふと思っていたことが口から出た。
「サンクが二輪を覚えたら、いよいよ帰還だな」
「……そうだね」
ハナの返事は小さかった。
俺は気づいたが、あえて何も言わず訓練を続ける。
「それと、村へ戻ったら四輪のことは基本的に隠した方がいいと思う」
「どうして?」
「ハナはここへ来る前、魔法は二輪までしかないと思ってただろ?」
「うん」
「多分、村のみんなも同じだ」
腕立てを終え、今度は向かい合ってスクワットを始める。
「一、二……四輪っていうのは、村の常識から完全に外れてる」
「でも、強いならいいことじゃないの?」
「そう思ってくれる人だけならいいんだけどな」
身体を沈め、立ち上がる。
「特別っていうのは、それだけで怖がられることもある」
「そんなことあるかな……?」
「あると思う」
俺はフーチェたちを思い浮かべた。
「現に、フーチェやマグたちは特別なユニークリングを持っていたせいで、元いた場所に帰れない」
「……そうだったんだ」
「だから、必要になるまでは二輪までしか使えないことにしておけ」
「分かった」
「あと」
「なに?」
「《エンハンス》を纏った状態で、普通の人を軽く小突いたりするなよ」
「しないよ!」
「いや、念のためだ」
「ハナだって分かってるよ!」
「今のお前、本気じゃなくても相手死ぬからな」
「だからやらないって!」
そのままいつもの訓練を終え。
汗を流すため、二人で近くの川へ向かった。
・・・
・・
・
冷たい川の水で身体を洗う。
森を流れる水は今日も澄んでいて、長く動いた身体には気持ちよかった。
俺が顔を洗っていると、隣から声が聞こえた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃんは……ハナたちと帰らないの?」
「……」
来たか。
ずっと。
ハナも聞きたかったのだろう。
俺は少しだけ考えてから、正直に答えた。
「俺はここに残るよ」
「……やっぱり」
「来年も、その次の年も、十歳になった子供たちはここへ降りてくる」
今年。
難易度は上がった。
今まで見たこともない魔物まで現れた。
それでも。
「俺がここにいれば、全員とはいかなくても助けられる」
一人でも。
二人でも。
俺がいることで生きて帰れる子供が増える。
「だから、できる限り続けたい」
「……そうだよね」
ハナは寂しそうに笑った。
「お兄ちゃんはそう言うと思った」
「ごめんな」
「ううん」
それ以上、ハナは何も言わなかった。
俺も何を言えばいいのか分からず。
二人とも黙ったまま、祭壇へ戻った。
・・・
・・
・
それからの日々は順調だった。
今年の子供たちも少しずつ一輪を覚え、やがて二輪へ到達していく。
そして一か月後。
「おめでとう! これでみんな二輪だ!」
「やったー!」
「帰れる!」
「やっと帰れるよ!」
祭壇に歓声が響く。
今回助けることができた子供たちも、全員《リターン》を習得した。
「じゃあ、自分の荷物をまとめて、終わったらまたここに集合な!」
「はーい!」
子供たちは元気よく返事をし、それぞれ荷物をまとめ始める。
俺も《キーキューブ》からサンクの荷物を出していた。
すると。
「兄ちゃん」
「ん?」
サンクが不思議そうにこちらを見る。
「兄ちゃんは帰らないの?」
「……」
俺は手を止めた。
少し離れた場所にいたハナも、こちらを見る。
「サンク、ハナ」
二人を呼び寄せる。
「こっち来てくれ」
「なに?」
二人が近づいたところで。
俺はその身体をまとめて強く抱きしめた。
「兄ちゃん?」
「お兄ちゃん……」
「俺は帰らない」
サンクの身体が僅かに固くなる。
「ここに残る」
「えっ……?」
俺の顔を見上げる。
「どうして!?」
悲しそうな顔。
当然だ。
サンクにとっては、ようやく俺と再会できたばかりなのだから。
「《リターン》で村に戻ったら、俺はもう二度とここへ来られない」
「でも……」
「そうなったら、これから最下層へ来る子供たちを助けられなくなる」
「……」
「今年だって、俺がいなかったらサンクも危なかっただろ?」
サンクは何も答えない。
「これからも同じなんだ。来年も子供が来る。その次の年も来る」
俺は二人を抱く腕に少し力を込めた。
「だから俺は、一人でも多く助け続けたい」
「お兄ちゃん……」
ハナの目から涙がこぼれた。
「兄ちゃん……」
サンクも。
泣いている。
「ごめんな」
父さんに会いたい。
母さんに会いたい。
家で母さんの煎餅を食べながら。
何も気にせず眠りたい。
そんな気持ちが無い訳じゃない。
でも俺が帰れば。
ここには誰もいなくなる。
「……」
しばらく。
三人で抱き合ったままだった
・・・
・・
・
やがて。
別れの時間が来た。
「元気でな」
「……うん」
ハナがリュックを背負う。
「母さんには、俺がちゃんと生きてるって伝えてくれ」
「ちゃんと伝えるよ」
「父さんにもな」
「うん」
ハナは涙を拭いながら笑う。
「お兄ちゃんも元気でね」
「ああ」
俺は最後にもう一度。
ハナを抱きしめた。
最下層へ落ちてきたあの日。
泣きながら俺へ飛び込んできた妹。
それから一年。
一緒に戦い。
一緒に飯を食い。
一緒に弟を待った。
「ハナ」
「……うん」
「家族を頼んだぞ」
「……っ」
ハナは俺の服を強く握り。
「うん……!」
泣きながら答えた。
「任せて……!」
「ありがとう」
離れて。
今度はサンクの頭へ手を置く。
「サンク」
「……なに?」
「男の子なんだから、しっかりみんなを守るんだぞ」
「うん……」
サンクは何度も鼻をすすりながら頷く。
「がんばるがら……」
「泣きすぎて言えてないぞ」
「だってぇ……!」
「ははっ」
頭を少し乱暴に撫でる。
「頼んだぞ」
「うん……!」
そして。
他の子供たちも準備を終えた。
「じゃあ……そろそろ行くね」
ハナが言う。
「おう!」
俺は笑った。
最後くらい。
ちゃんと笑って送り出そう。
「二輪――《リターン》」
最初の子供が光に包まれる。
一人。
また一人。
身体が粒子へ変わり、最下層から消えていく。
「ロフルさん、ありがとう!」
「元気でな!」
「絶対いつか帰ってきてね!」
「ああ!」
そして。
最後に残ったのは。
ハナとサンクだった。
「兄ちゃん……」
「大丈夫だ、サンク」
「……うん」
サンクが二輪へ触れる。
「二輪――《リターン》」
身体が光り始めた。
「兄ちゃん、バイバイ……」
「ああ。またな」
続いて。
ハナも二輪へ触れた。
「二輪――《リターン》」
同じように。
身体が光へ変わっていく。
「お兄ちゃん」
「ん?」
ハナは。
最後に笑った。
「バイバイ」
「……ああ」
俺も笑う。
「元気でな」
二人の姿が、少しずつ薄れていく。
足。
身体。
腕。
最後までこちらを見ていた顔も。
やがて。
光となって消えた。
「……」
祭壇が静かになる。
ついさっきまで聞こえていた声が。
もう聞こえない。
「帰ったか……」
俺は一人。
誰もいなくなった場所に立っていた。
でも。
寂しいだけじゃない。
「……イチタ兄」
ふと。
ずっと昔に最下層へ落ちていった兄のことを思い出す。
「見てるか?」
どこかで生きているのか。
もう死んでいるのか。
今の俺には分からない。
それでも。
「妹たちは、生きて帰ったぞ」
ハナも。
サンクも。
俺たち三人のうち。
二人は家族のもとへ帰すことができた。
「……ようやく救えた」
祭壇を出て。
空を見上げる。
今日も、この森の空は何も変わらない。
「さて……」
俺には。
まだやることがある。
これで終わりじゃない。
来年も、その次の年も、ここには何も知らない十歳の子供たちが落とされてくる。
俺一人で全員を救えるなんて思ってはいない。
それでも、自分の手が届く場所にいる者くらいは助けたい。
「一人でも多く、絶対に生きて帰してやる」
そう決めて。
俺は再び。
一人になった森を歩き始めた。
ここで第一章完結です。
この後、間話が二話入ります!
いつも読んで頂いている方、本当に有難うございます。
引き続きよろしくお願いします!