四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
ハナたちが帰還してから、数日後。
開眼の祭壇では、いつもと変わらない時間が流れていた。
アミナは祭壇の近くで魔法の練習をし、マグは少し離れた場所で罠の状態を確認している。
そしてフーチェはというと――。
「……」
座っていたかと思えば立ち上がり、また座る。
少し外を眺めたかと思えば、何かを考えるように腕を組む。
「……フーチェ」
「はい?」
「さっきからどうしたの?」
戻ってきたマグが、面倒そうに首を傾げた。
「いえ、その……」
「その?」
フーチェは少し言いにくそうに視線を逸らす。
「ロフルさん、また一人になったんですよね」
「うん」
「大丈夫かなと思いまして……」
「……」
マグは大きくため息をついた。
「またそれ?」
「またとは何ですか!」
「気になるなら行けばいい」
「でも、突然行ったら迷惑かもしれませんし……」
「この前も同じこと言ってた」
「そうでしたっけ?」
「言ってた」
マグはそれ以上興味を失ったのか、近くの椅子へ腰を下ろした。
フーチェは頬を少し膨らませたが、すぐにまた考え込む。
「……私」
「?」
「前の洗礼のとき、二人の子を助けたんです」
ロフルのもとへ向かう途中。
森の中で見つけた二人の子供。
突然最下層へ送られ、何も分からず震えていた。
フーチェにとって、特別なことをしたつもりはなかった。
たまたま見つけたから助けただけ。
それくらいの感覚だった。
「でも……すごく感謝されたんですよ」
助けてくれてありがとう。
生きていてよかった。
怖かった。
そんな言葉を、泣きながら何度も言われた。
「純粋に誰かから感謝されるのって、あんなに気持ちのいいことなんですね」
「そう?」
「そうですよ!」
フーチェは力強く頷く。
魔法を使えることは当然だった。
強くなることも。
祈ることも。
与えられた役目をこなすことも。
誰かに褒められるためにしていたわけではない。
まして、自分が誰かの命を救ったなどと実感したこともなかった。
「そのとき思ったんです。また助けられる命があるなら、助けたいって!」
フーチェは迷いを振り払うように言った。
マグは少しだけフーチェを見つめる。
そして。
「じゃあ来年は、ロフルのところで救出すればいい」
「え?」
「マグはここでアミナとやる」
近くで魔法の練習をしていたアミナが振り返る。
「私も?」
「うん」
「やる!」
アミナは嬉しそうに拳を上げた。
「ちょっと待ってください。勝手に役割を決めないでくださいよ!」
「嫌なの?」
「嫌ではありませんけど!」
「じゃあ決まり」
「話が早すぎます!」
そう言いながらも。
フーチェの表情は明るかった。
今まで三人は、洗礼で落ちてきた子供たちを積極的に助けようとしたことがなかった。
最初の頃は、自分たちが生き残るだけで精一杯だったというのもある。
それに不思議なことに、開眼の祭壇周辺へ子供が転送されてくることはほとんどなかった。
だから、そもそも助けに行くという発想自体がなかった。
ロフルが現れるまでは。
あの少年は。
自分が帰れるにもかかわらず、この場所に残った。
そして毎年。
何の関係もない子供たちを助けるために森を走り回っている。
そんな姿を見ているうちに。
三人の中でも、何かが少しずつ変わり始めていた。
「そうと決まれば特訓です!」
フーチェが勢いよく立ち上がる。
「来年は、ロフルさんより多く助けますよ!」
「競争なの?」
「目標です!」
「マグも負けない」
「私も頑張る!」
「ではアミナ、まずは《エンハンス》の訓練からです!」
「はーい!」
三人は、それぞれ動き始めた。
次の洗礼まで。
まだ一年近くある。
それでも。
今までとは違う一年が、すでに始まっていた。
・・・
・・
・
それから半年後。
ロフルとハナの故郷、サンヘイズ村。
その日は珍しく、朝から雨が降っていた。
時刻はまだ朝六時。
「よんせん、きゅうひゃく……きゅうじゅう、きゅう……!」
家の裏手。
簡単な屋根の下で、ハナは剣を振る。
「ご……せん!」
最後の一振りを終えると、大きく息を吐いた。
だが休まない。
剣を置いたかと思えば、そのまま両手を頭の後ろで組み、スクワットを始める。
「一……二……三……」
「こんな雨の日だってのに、頑張ってるな」
「お父さん!」
声に気づき、ハナが振り返った。
そこには父親のカルサコが立っていた。
「もう終わりにしたらどうだ? 今日は雨だぞ」
「もうちょっと!」
「相変わらずだな」
カルサコは苦笑しながら、簡易的な屋根のある場所へ移動する。
手には焼いたばかりのパンが二つあった。
「ほら。朝飯」
「やった!」
ハナはようやく訓練を中断し、父親の隣へ腰を下ろした。
「雨の日くらい休んでもいいんじゃないか?」
「大丈夫だよ」
ハナはパンを受け取ると、そのまま大きくかじった。
「最下層にいたとき、毎日お兄ちゃんとやってたから身体に染みついちゃったの。やらない方が気持ち悪いんだよね」
「ロフルも毎日やってたのか?」
「うん。筋トレして、走って、魔物と戦って、また筋トレしてた」
「……昔から妙に真面目なところがあったが」
「お兄ちゃん、今はもっとすごいよ」
そう言いながら、もう一口パンをかじる。
「それにしても……」
ハナは手元のパンを見つめた。
「こんなふっくらしたパンが普通に食べられるようになるなんてね」
「そうだな」
「前よりずっと美味しい!」
帰還者が一度に四人も増えた。
その次の年には更に二人。
小さな村にとっては大きな変化だった。
働き手になる人間が戻ったというだけではない。
これまで《洗礼の試練》へ子供を送り出すたび、村の人口は減り続けていた。
それが初めて、大きく覆された。
「人が増えれば畑も広げられるし、狩りに出る人数も増やせる。村には良いことばかりだな」
「じゃあ、これからもっと豊かになるね!」
「そうなればいいがな」
「……?」
ハナがパンを食べながら首を傾げる。
「どういうこと?」
「いや……ずっと良いことばかり続けばいいと思っただけだ」
カルサコがそう答えた。
ちょうどそのとき。
「カルサコ隊長!」
雨の中。
一人の男がこちらへ走ってくる。
村の守衛だ。
「どうした!」
「大変です!」
肩で息をしながら、男が叫ぶ。
「無法者どもが大勢でやってきました!」
「何人だ?」
「分かりません! ですが……多分、全員です!」
「……ちっ」
カルサコが顔をしかめる。
「言ってるそばから……!」
すぐに立ち上がる。
「ハナ、家に入ってろ」
「私も行く」
「駄目だ」
「行く」
「……」
この半年で。
娘が誰に似たのか、随分頑固になった。
「危ないと思ったら離れろよ」
「分かってる!」
二人は雨の中へ飛び出し、村の入口へ向かった。
・・・
・・
・
「なあ、いいだろ?」
村の門。
そこには、三十人ほどの男たちが集まっていた。
全員、剣や斧といった武器を持っている。
その先頭には、一際大柄な男。
「何人か回してくれよ」
男は剣の切っ先を村長へ向けながら、下卑た笑みを浮かべていた。
「こちとら何年も帰還者がゼロなんだよ」
「それは駄目じゃ……!」
村長は怯えながらも、首を横に振る。
「食料なら渡そう! だが子供たちはどうか……!」
「何だよ。沢山帰ってきたんだろ?」
「だからといって、人を渡すわけにはいかん!」
「こっちは人が足りねえんだよ!」
男が苛立ったように剣を揺らした。
そこへ。
「村長!」
「カルサコ……!」
カルサコとハナが到着する。
村長は助かったとばかりに、カルサコのもとへ駆け寄った。
カルサコは前へ出る。
「村長の言った通りだ。お前たちに渡せる子供など一人もいない」
「ああ?」
「食料なら分けてやる。それを持って帰れ」
「随分偉そうだな、守衛隊長さんよ」
大男が鼻で笑う。
カルサコは腰の剣を抜いた。
「それでも駄目だと言うなら……不本意だが、お互い無事では済まない事態になるぞ」
「……」
しばらく。
二人は睨み合う。
村側にも守衛はいる。
人数では無法者に劣るが、戦いになれば向こうにも相応の被害が出るだろう。
大男はそれを理解したのか、面倒そうに鼻を鳴らした。
「ふん! まあ今日はそれで勘弁してやる」
剣を下げる。
「ありったけ持ってこい!」
「……分かった」
カルサコが僅かに肩の力を抜いた。
戦わずに済むなら、それが一番いい。
多少の食料を失っても、村人が死ぬよりは――。
「なんで?」
「……ハナ?」
横から。
少女の声がした。
「なんでこんな奴らに食料を渡さないと駄目なの?」
周囲が静かになる。
「ハナ、今は――」
「渡す必要なんかないよ!」
「……ああ?」
大男がゆっくり振り返った。
その視線の先にいるのは。
十一歳の少女。
「何だ、お前」
大股でハナの前まで歩いていく。
「ああ?」
顔を近づけて睨みつける。
「ぶっ殺すぞ?」
「……」
「それとも、お前が俺たちについてくるかぁ?」
「ハナ!」
カルサコが止めようとする。
しかし。
ハナは大男を真っすぐ見上げた。
「やれるものならやってみろ」
「……何?」
「あと」
ハナが少しだけ顔を逸らす。
「息が臭いから近づかないで」
「てめぇ……!」
大男の顔が真っ赤になった。
「ガキがぁ!!」
持っていた剣を両手で握り。
ハナの頭へ向かって、力任せに振り下ろす。
「ハナ!!」
カルサコが叫ぶ。
その瞬間。
ハナは腕の三輪へ触れた。
「三輪――《エンハンス》」
薄い青の魔力が身体を覆う。
振り下ろされた剣が、その頭部へ直撃した。
バリンッ!!
「……は?」
砕けた。
ハナではない。
大男の剣が。
刀身が根元から砕け、破片となって雨の中へ飛び散った。
「え……?」
大男は、手元に残った柄を見る。
「は……?」
何が起こったのか理解できていない。
「もういい?」
「な、何を――」
ハナが一歩踏み込む。
そして。
腹部へ掌を添えた。
「ふっ!」
――パンッ!!
乾いた大きな音が響いた。
大男の身体が地面から浮く。
「ぐ……っ!?」
そのまま後方へ猛烈な勢いで吹き飛び、待機していた男たちの中へ突っ込んだ。
「うわぁっ!」
「ぐえっ!」
「どけっ!」
まるでボーリングの玉にでも弾かれたように、何人もの男がまとめて地面へ転がる。
「……」
ハナは、自分の手を見た。
(強くやりすぎちゃった……)
ロフルから何度も言われていた。
《エンハンス》を使って普通の人へ攻撃するときは気をつけろ、と。
かなり加減したつもりだった。
それでも、思っていた以上の威力が出てしまった。
「ひ……」
一人の無法者が。
ハナを見ながら後ずさる。
「ひぃぃ……!」
他の男たちも同じだった。
たった今。
大人の男が。
十一歳の少女に素手で吹き飛ばされた。
しかも、その前には剣を頭で砕いている。
「二度と来るな!」
ハナは大声で言った。
「次に来たら、これじゃ済まないから!」
「ひっ!」
「逃げろ!」
「化け物だ!」
「早くしろ!」
男たちは一斉に逃げ出した。
地面に倒れた大男も仲間によって両腕を掴まれ、そのまま雨の中を引きずられていく。
ハナは気づかなかった。
先ほどの掌底で、大男がすでに息絶えていたことに。
「……」
残された村人たちは。
誰も言葉を発しなかった。
雨の音だけが聞こえる。
「……あれ?」
ハナが少し不安そうに周囲を見る。
「やっぱり、やりすぎた……?」
すると。
「素晴らしい!」
「えっ?」
声を上げたのは司祭だった。
「ハナ!」
満面の笑みで駆け寄ってくる。
「君は村を救ったんだよ!」
「え?」
「おお……!」
それをきっかけに。
一人。
また一人と声が上がる。
「ハナが追い返したぞ!」
「すげえ!」
「村を守ってくれた!」
「ハナ!」
「ハナ!」
あっという間に歓声へ変わった。
「え、ちょっと……!」
何人かの村人がハナを持ち上げる。
「わっ!?」
「ハナ万歳!」
「ちょっと待って! 恥ずかしいって!」
そのまま胴上げが始まった。
「わぁぁ! 落とさないでよ!」
ハナは困ったように笑っている。
「あはは……大口叩いちゃったよ……」
村人たちは喜んでいる。
自分たちを脅していた無法者を、たった一人で退けた英雄として。
だが。
少し離れたところで。
カルサコだけは笑っていなかった。
「……ハナ」
剣を受けても傷一つない。
大人の男を、軽く触れたような一撃で何十メートルも吹き飛ばす。
あれは。
自分が教えた剣術では説明できない。
「その力は……一体……」
娘が無事に帰ってきたことは嬉しい。
強くなったことも誇らしい。
それでも。
あまりにも。
自分の知っている人間の力から外れていた。
歓声の中。
カルサコは、空中へ投げ上げられる娘を見つめる。
その胸の奥には。
父親としての誇らしさと同時に。
僅かな恐怖が芽生えていた。