四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
ハナは最低限の荷物をまとめると、すぐにサンヘイズ村を出た。
「三輪――《エンハンス》」
全身を薄い魔力が包み込む。
向かう先は、先ほど巨大な砂煙が上がっていた場所。
村を出ると、しばらく森の中を走り続ける。
やがて木々が途切れ、視界いっぱいに広い平原が現れた。
「……もっと早く行かないと」
あれだけの地鳴り。
そして、洗礼の試練が始まらなかったという異常。
何が起きているのか分からない以上、少しでも早く確認する必要がある。
ハナは一度足を止め、腰や脚を軽く伸ばした。
それから身体を前へ傾ける。
「よし……!」
地面を蹴った。
先ほどまでとは明らかに違う速度で平原を駆け抜ける。
《エンハンス》に加え、長年の訓練によって鍛え上げられた身体。
さらに、本人にしか見えない赤い蒸気。
それらが合わさったハナの移動速度は、もはや普通の人間とは比較にならなかった。
それでも。
目的地は遠い。
途中で何度か《サーチ》を使いながら進み、約一時間。
サンヘイズ村から三十キロほど離れた場所まで来たところで、ハナの足が止まった。
「……これは……!」
目の前に広がっていたのは。
森ではなかった。
「こんなの……昨日までなかった」
そこにあるはずだった木々が、まるごと消えている。
まるで巨大な刃物で地面ごと四角く切り抜いたかのように。
森の一角へ。
巨大な正方形の穴が開いていた。
「ここへは何度か来たことがある……」
訓練や巡回で、この付近まで足を伸ばしたことがある。
「この先にも、ずっと森が続いていたはずなのに……」
ハナは慎重に穴の縁へ近づいた。
そして。
恐る恐る下を覗き込む。
「……っ」
真っ暗だった。
どれだけ目を凝らしても底が見えない。
「吸い込まれそうな闇だ……」
崖は自然に崩れたような形ではない。
壁面は垂直。
しかも、恐ろしいほど真っすぐ下まで続いている。
岩の出っ張りすらほとんど見当たらない。
「地震で出来た穴じゃない……」
こんなものが自然に発生するとは思えない。
ハナは崖の縁にしゃがみ込んだ。
「降りてみるべきかな……」
《エンハンス》を纏っていれば、かなりの高さから落ちても滅多なことでは大怪我をしない。
壁に突起物もない。
真下へ飛び降りるだけなら、途中で身体をぶつける危険も少ないだろう。
「でも、底が見えないのが怖いな……」
しばらく考える。
それでも。
ここまで来て何も確認せず帰るわけにもいかない。
「よし」
ハナは立ち上がると、念入りに足首と膝を回した。
そのまま軽く屈伸をし。
「行ってみよう」
崖の前へ立つ。
足を一歩踏み出そうとした。
その瞬間だった。
――チチチ……。
「……え?」
動きが止まる。
――チチチチ……。
「この鳴き声……」
忘れるはずがない。
最下層で何度も聞いた。
ハナは再び崖下を覗き込む。
「まさか……」
暗闇の中。
何かが動いている。
一つではない。
二つ。
三つ。
いや。
「そんな……!」
壁を這い上がっている。
「魔物が……上がってきてる!」
最初に姿を見せたのは《デッドマンティス》。
巨大な鎌を壁へ突き立て、器用に垂直な崖を登ってくる。
その横には《レッドアント》。
さらに、その身体へ張り付くように《スライムボール》まで上がってきていた。
そして下には。
まだ無数の影。
「最下層の魔物……!」
ハナには分かった。
全部。
かつて自分が暮らしていた場所で見た魔物だ。
「……最下層と繋がったの?」
考える暇はなかった。
一体のデッドマンティスが崖を登り切り、鎌を振り上げる。
「っ!」
ハナは剣を抜いた。
「ここから先には行かせない!」
踏み込む。
一閃。
デッドマンティスの首が飛ぶ。
続けて上がってきたレッドアントの頭部を蹴り砕き、その横から跳ねてきたスライムボールはコアごと剣で貫いた。
ハナにとって。
これらはもう敵ではない。
問題は強さではなかった。
「また来る……!」
次。
さらに次。
倒しても倒しても。
魔物が穴の中から這い上がってくる。
しかも。
この巨大な穴は、ハナ一人で見渡せるほど小さくない。
今自分が倒しているのは。
ほんの一角。
遠くでは。
すでに別の魔物が何体も地上へ這い上がっているのが見える。
「くっ……!」
一体斬る。
また一体。
「キリがない!」
このままここで戦い続けても意味がない。
何より。
村が何も知らない。
「先に知らせないと……!」
ハナは剣を鞘へ戻した。
そして二輪へ触れる。
「《リターン》!」
光が身体を包み込む。
次の瞬間。
ハナの姿は、巨大な穴の前から消えていた。
・・・
・・
・
「なんじゃと……?」
サンヘイズ村。
戻ってきたハナの報告を聞いた村長は、しばらく言葉を失っていた。
「最下層の魔物が……この下層へ?」
「はい」
「じゃが……そんなことは一度も……」
「私も信じたくありません」
ハナは持ち帰った袋を地面へ置いた。
中から取り出したのは。
デッドマンティスの鎌。
そして、レッドアントの一部。
「これを見れば分かると思います」
「……」
村長の顔色が変わる。
最下層から帰ってきた者たちの話。
村に残されていた古い記録。
その中にも、特徴は記されている。
「本当……なのじゃな」
「はい。しかも、一体や二体ではありません」
ハナは地面へ簡単な図を描いた。
「森が巨大な正方形に消えて、そこに底の見えない穴が開いています。その穴の壁を使って、魔物が次々と上がってきていました」
「どれほどの数じゃ?」
「分かりません」
正直に答える。
「私が確認できただけでも相当な数です。穴そのものが大きすぎて、反対側で何体上がっているのかも把握できませんでした」
「……まずいのう」
村長は杖を握り締めた。
少し考え。
すぐに顔を上げる。
「周辺の村へ伝令を出す!」
「お願いします」
「洗礼が始まらなかったことも、地震も、全部伝えるんじゃ!」
村の男たちが一斉に動き始める。
馬を用意する者。
伝令の内容を書き留める者。
武器を倉庫から運び出す者。
ハナも地図を広げた。
「穴からここまでの間には、村はなかったはずです」
「うむ」
「なら」
ハナはサンヘイズ村の位置を指さす。
「魔物がこちらへ向かってくるなら、最初にぶつかる大きな集落はここです」
「……つまり」
「私たちの村が前線になります」
村長の顔が引き締まる。
「全員を集めるんじゃ!」
大声が響く。
「戦える者は武器を持て! 戦えぬ者は食料と水を集める! 女子供を逃がす準備もしておけ!」
村全体が一気に慌ただしくなる。
サンヘイズ村。
かつて。
帰還者がほとんどおらず。
静かに人口を減らし続けていた小さな村。
その村が今。
第三層へ溢れ出そうとする魔物を迎え撃つ、最前線になろうとしていた。
・・・
・・
・
・
・
時は少し遡る。
洗礼の試練が始まる直前。
第一層――上層。
《極光神輪の神殿》。
巨大な湖の中央。
白亜の建物が、水面へ浮かぶように建っていた。
何本もの太い柱が規則正しく並び、遠くから見れば前世のパルテノン神殿にも似た荘厳な姿。
内部も同じだった。
白い床。
白い柱。
天井まで続く広大な空間。
その中央に。
二人の男が立っている。
「ヴァルカン……」
長い赤髪を背中まで伸ばした青年が、目の前の石板を睨むように見つめていた。
「僕たちは、この石板をただ眺めるしかできないのか?」
青年の名は。
セレナス・B・フロストハート。
それに答えたのは、短い赤髪をした中年の男だった。
「セレナス」
ヴァルカンと呼ばれた男は、静かに首を横へ振る。
「分かっているだろう」
「……」
「我々は見届けるしかない。そこに今までにない惨状が記されていたとしてもだ」
二人の前にあるのは。
最下層の《神輪の祭壇》とよく似たものだった。
腕を入れるための穴が開いた台座。
そして。
黒い石板。
ただし。
今そこに表示されている内容は。
セレナスが今まで一度も見たことのないものだった。
――――――――――
人口増加により、下層の人口調整システムが作動。
洗礼の儀式開始時間に、下層座標〇・〇番の床が開放されます。
排除装置が出現します。
調整終了まで、通常の転送は発生しません。
――――――――――
「人口調整……」
セレナスは何度読んでも納得できなかった。
「確かに、この二年で下層の人口は百人以上増えた」
報告は受けている。
異常なほど多くの子供が洗礼の試練から戻ってきている。
だが。
「それだけで、こんなものが作動するのか……?」
拳に力が入る。
ヴァルカンはそんな青年を見た後。
古い布を取り出し、石板の縁をゆっくり拭いた。
「毎年」
「……?」
「貴族が管理している村から帰還する者は、多い年でも十五人ほどだった」
「知ってるよ」
「それが今はどうだ」
ヴァルカンは淡々と話す。
「一年で五十人」
そして。
「翌年は百人近い」
「……」
「従来の二十倍どころではない。石板……いや、このシステムから見れば明らかな異常事態だ」
「だから殺していいと?」
「そうは言っていない」
「同じことだ!」
セレナスが声を荒らげる。
「ようやく生き残れる人間が増えたんだぞ!」
十歳になっただけで最下層へ落とされる。
そのほとんどが帰ってこない。
セレナスは。
幼い頃からそれを知っていた。
神徒である自分には直接関係がない。
それでも。
毎年、石板へ記録されていく数字を見ていた。
「それを……」
拳を震わせる。
「増えたから減らすなんて……!」
「落ち着け」
ヴァルカンはため息をつく。
「そもそも、このまま人口が増え続けても下層が安定していたとは限らない」
「どういう意味だ」
「下層には統治者がいない」
「……」
「我々の第一層には秩序を維持する仕組みがある。第二層にも貴族社会がある。だが第三層は、村ごとに分かれて暮らしているだけだ」
人口が少なかったから。
それでも成り立っていた。
「人数が増えれば、食料も土地も必要になる。村同士の争いも増えるだろう」
「だから?」
「どちらにしても、いずれ荒れていたさ」
ヴァルカンは肩をすくめる。
「人を殺すのが魔物になるか、人になるか。その違いだけだ」
「……っ」
セレナスは唇を強く噛む。
「そんな理屈……!」
「理屈ではなく、可能性の話だ」
「だから見殺しにするのか!」
「我々には止められない」
ヴァルカンは石板を指す。
「これを操作する方法など伝わっていない。我々に与えられているのは、表示された内容を記録する役目だけだ」
「……」
「気にするなとは言わん」
少しだけ声を柔らかくする。
「だが、できないものはできない」
そして。
近くの椅子へ座った。
「石板の内容を記し、何が起きたのかを後世へ残す。それがフロストハート一族の役目だ」
机の上に置かれていた分厚い書物を開く。
筆を取り。
今日表示された内容を書き始めた。
「……納得できない」
セレナスが呟く。
「何?」
「僕は納得できない!」
ヴァルカンの手が止まる。
「折角、生き残れる人間が増えたんだ!」
誰がやっているのかは分からない。
最下層で何かが起きている。
それでも。
結果として。
今まで死んでいたはずの人間が生きて帰っている。
「なのに、その結果がこれなのか!?」
セレナスは踵を返した。
「おい、どこへ行く!」
ヴァルカンが立ち上がる。
「セレナス!」
青年は答えない。
そのまま神殿の外へ向かって歩いていく。
「待て!」
「まあ、放っておきなさい」
「……!」
神殿の入口から声がした。
一人の老人が立っている。
「エンドーン様!」
ヴァルカンが姿勢を正す。
「しかし、あいつは――」
「若いのう」
エンドーンと呼ばれた老人は、去っていくセレナスの背中を見ながら笑う。
「すぐ戻ってくるじゃろうて」
「ですが……」
「好きにさせてやればよい」
エンドーンはそれ以上何も言わなかった。
・・・
・・
・
神徒。
セレナス・B・フロストハート。
フロストハート一族には。
代々受け継がれている役目があった。
《極光神輪の神殿》。
そこに存在する石板へ表示された内容を記し、後の世代へ残すこと。
一族の中でも。
各世代で最も早く五輪へ到達した者が主となり、その役目に従事する。
セレナスは現在十八歳。
フロストハート一族の歴史の中でも。
最年少で五輪まで到達した青年だった。
神徒としての価値観も。
当然持っている。
ユニークリングを持つ者は穢れた存在。
それは幼い頃から教え込まれてきた常識であり、セレナス自身も疑ったことはなかった。
だが。
第三層の住民については違った。
彼らを同格だと思っているわけではない。
それでも。
同じ人間が。
何も分からないまま十歳で最下層へ送られ。
ほとんど帰ってこない。
その事実だけは。
どうしても好きになれなかった。
「毎年……一人前後」
幼い頃。
初めてその数字を知った日は。
何とも言えない悔しさを覚えた。
「それが、やっと増えたのに」
セレナスは神殿の回廊を歩く。
人口が増えれば争いが起こる。
統治する者がいないから。
ヴァルカンはそう言った。
「なら……」
足を止める。
「王がいないから争いが起こるというのなら」
簡単ではないか。
「下層の王に、僕がなればいい」
そうすれば。
秩序を作れる。
人口が増えても争わなくて済む仕組みを作ればいい。
少なくとも。
得体の知れない《人口調整システム》へ人々の命を任せるよりはましだ。
「問題は……どうやって行くか」
通常であれば下層へつながる道を通ればいい。
だが、特別な許可が無ければ絶対に通ることはできない。
だが今回。
下層座標〇・〇の床が開放された。
つまり。
第三層と最下層が物理的に繋がったことになる。
なら。
自分が最下層へ行けさえすれば。
そこから第三層へ上がれる可能性がある。
「転送魔法陣……」
神徒にも。
最下層へ行く手段は存在する。
十歳のとき。
ユニークリングが発覚した者を最下層へ送るための魔法陣。
問題は。
「十歳のときにしか発動しない」
セレナスは十八歳。
普通に乗ったところで反応すらしない。
それでも。
「システムである以上」
セレナスは歩き始めた。
「何か条件があるはずだ」
神が起こす奇跡なら。
どうにもできないのかもしれない。
だが。
年齢を判定し。
条件に応じて起動する。
なら。
「どうにかして、発動させる方法がある」
向かう先は。
神徒を最下層へ送るための転送魔法陣。
「待っていろ、下層」
誰に聞かせるでもなく。
セレナスは呟いた。
「僕が行く」
人口を減らすために開いた穴。
それを逆に。
第一層から第三層へ至る道として利用するために。
セレナスは一人。
転送魔法陣のある場所へと向かっていった。