四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
湖へ向かって岩山を下っている途中。
「ロフルさん、あれ見てください」
「ん?」
フーチェが指さした先に、何体もの魔物がいた。
急勾配の岩肌を器用に歩いている。
見た目は山羊に近い。
灰色の毛に覆われ、全長は二メートルほど。角も大きく、足腰もしっかりしている。
「可愛いですね!」
フーチェは目を輝かせた。
「うん。可愛いな」
「ですよね!」
「さて、狩るぞ」
「ええ!?」
フーチェがものすごい勢いでこちらを振り返った。
「今、可愛いって言ったじゃないですか!」
「言った」
「なのに狩るんですか!?」
「断言できる」
俺は山羊型の魔物を見る。
「あいつは絶対にうまいぞ」
「何を根拠に……!」
「見た目」
「根拠が弱すぎませんか!?」
だが俺はもう止まらない。
岩場を蹴り、一気に魔物の群れへ向かった。
・・・
・・
・
結果。
四体ほど仕留めた。
今の俺にとっては、それほど苦戦する相手でもない。
《サーチ》で確認した名前は《グリムホーフ》。
「グリムホーフか……」
倒れた一体の前へしゃがみ込む。
「さぁ……ばらすぞ!」
「本当にやるんですね……」
少し離れた場所で、フーチェが引いた顔をしている。
だが関係ない。
この形。
この体格。
どう考えても期待できる。
俺はナイフを取り出し、慎重に皮を裂いていった。
魔物の解体など、本格的にやった経験はない。
だが《エンハンス》のおかげで力加減がしやすく、思っていたよりずっとすんなり作業は進んだ。
そして。
皮の内側。
見慣れた色が現れる。
「……」
手が止まった。
「ロフルさん?」
「肉……」
「え?」
「肉だ!!」
思わず声が大きくなる。
「俺の知ってる肉だ!」
赤い。
ちゃんと赤い。
食欲をそそる、あの見慣れた形。
「うわぁ……」
フーチェは露骨に顔をしかめた。
「赤い肉ですね。なんだか、すごく生々しくて……」
「何言ってるんだ!」
俺は思わず反論する。
「デッドマンティスのどす黒い緑の方が百倍グロいだろ!」
「でも、あれはもう見慣れてますし」
「慣れって怖いな……」
というか。
この反応。
「フーチェって、こういう肉食べたことないのか?」
「ないですね」
「本当に?」
「はい」
どうやらこの世界では、俺の前世でいう普通の肉そのものがあまり身近ではないらしい。
「これ……食べるんですか?」
「食う」
「本気ですか?」
「多分、今まで食ったものの中で一番うまい」
俺のテンションに対し。
フーチェの目は、かなり冷ややかだった。
「私は遠慮しておきますね……」
「絶対後悔するぞ」
「しません」
言い切った。
まあいい。
俺はそのまま肉を切り分け、食べやすい大きさにしていく。
余分な部分を落とし、使えそうな部位は丁寧に《キーキューブ》へ収納した。
「よし!」
かなりの量が取れた。
「湖の近くで食うぞ!」
「本当に食べる気満々ですね……」
「当然!」
俺たちは再び湖へ向かった。
・・・
・・
・
「綺麗だな……」
山の上から見えていた湖は、近くで見るとさらに美しかった。
水は澄み、風が吹くたび水面が静かに揺れている。
「飲めそうですね」
「だな」
俺はしゃがみ込み、両手で水をすくう。
そのまま口へ運び――。
「がっ……!」
「ロフルさん!?」
「辛い!!」
思わず吐き出した。
「え?」
「塩っ辛い!」
見た目は完全に湖。
だが味は。
「海水みたいだ……」
「かいすい?」
「いや、塩水だよ」
フーチェも恐る恐る口にする。
「うっ……本当ですね」
すぐに顔をしかめた。
「こんなの飲めたものではありません」
「……」
「ロフルさん?」
「最高じゃねえか……!」
「え?」
フーチェが固まる。
「ロフルさん、この区画に来てからちょっとおかしいです……」
「何言ってるんだ。こんな宝の湖、そうそうないぞ」
「飲めないんですよ?」
「だからいいんだ!」
すぐに準備を始める。
以前倒した硬いデッドマンティスの金属部分で作った器を取り出し、湖の水を汲む。
その下へ《火岩》を置いた。
「ちょ、ロフルさん!?」
「ん?」
「何してるんですか!」
「まあ、できてからのお楽しみだって」
水を煮立たせる。
少しずつ水かさが減っていく。
途中で粗い布を使って一度濾し、再び火へかける。
「まだやるんですか?」
「ここからが大事なんだよ」
さらに煮詰める。
水分が減り。
器の底に。
白い結晶が残る。
「……きた」
「何です、それ?」
俺は指先で少し取る。
舐める。
「……塩だ」
間違いない。
「完成した……」
感動で手が震える。
「嬉しい……!」
「そこまでですか?」
「そこまでだよ!」
調味料。
それも塩。
これだけで料理の幅は一気に広がる。
今まで。
食材そのものの味。
焼く。
煮る。
ほとんどそれだけだった。
「ついに味付けができる……!」
作った塩を丁寧に袋へ詰める。
「よし」
俺は立ち上がった。
「早速飯にしようぜ!」
「まだその肉食べる気なんですね……」
「むしろ今しかないだろ!」
・・・
・・
・
《グリムホーフ》の肉。
いつものスライムボール。
両方を並べ、火岩を使って豪快に焼いていく。
「……結構匂いますね」
「獣臭いな」
確かに。
前世で食べていた肉より、かなり癖のある臭いがする。
だが。
「デッドマンティスより百倍マシだ」
「比較対象がおかしいです」
「もうこのくらいなら何も感じない」
最下層生活で。
俺の嗅覚も随分鍛えられたらしい。
スライムボールはいつも通り。
火が通るにつれて、ぎゅっと縮んでいく。
一方。
グリムホーフの肉は。
じゅううう……。
「……!」
脂が垂れる。
表面が焼ける。
香ばしい匂いが広がる。
「これだよ……!」
「ロフルさん、顔が怖いです」
「待ちに待ったんだ!」
焼き上がった。
「完成……!」
表面はこんがり。
中には肉汁。
最後に。
作ったばかりの塩を振る。
「いただきます」
豪快にかぶりついた。
「……!」
噛んだ瞬間。
全身が震えた。
「うまい……」
もう一口。
「うまい!!」
語彙力が消えた。
肉。
肉だ。
噛むたびに脂が出る。
塩が味を引き締める。
多少の獣臭さなど、もうどうでもいい。
「……最高だ」
俺は恍惚としながら肉を見つめる。
「……」
その様子を。
フーチェがじっと見ていた。
指をくわえそうな勢いで。
「……」
「……」
「……あっ」
ようやく気づいた。
「ごめん、忘れてた!」
「……」
「はい! スライムボール焼き!」
いつもの焼いたスライムボールを差し出す。
「……」
フーチェは無言で受け取った。
じっと見る。
俺はまた肉にかぶりつく。
「うまっ……」
「ロフルさん!」
「ん?」
「意地悪!」
「え?」
フーチェが迫ってくる。
「どう見ても私も欲しそうにしてたじゃないですか!」
「いや、さっき遠慮するって」
「気が変わりました!」
「ははっ」
「笑わないでください!」
「悪かった悪かった」
俺は焼けた肉を一枚取る。
塩を振る。
「ほら」
「……」
フーチェは少し警戒しながら受け取った。
そして。
小さく一口。
「……」
固まった。
「どうだ?」
「……は」
「は?」
「はわぁ……」
「なんだその声」
「ええ……何ですか、これ……!」
もう一口。
さらにもう一口。
「美味しい……!」
「だろ?」
俺はどや顔で答える。
「本当に……!」
フーチェも完全に語彙力を失っていた。
「今まで肉だと思って食べてたスライムボールは何だったんでしょう……」
「それはそれで肉だろ」
「もう戻れません……この味を知ってしまったら……!」
「大袈裟だな」
そう言いつつ。
俺も同じ気持ちだ。
「まあ、この区画にいることは分かった」
「はい!」
「欲しくなったら、また狩りに来ればいい」
「絶対来ます!」
フーチェの食べる速度が上がる。
「私、決めました」
「何を?」
「これからは見た目がグロテスクでも、とりあえず焼いて食べてみます!」
「グリムホーフのどこがグロテスクなんだよ……」
「中身が赤かったです!」
「デッドマンティスの方がよっぽどグロいだろ……」
何だか。
食に対する価値観が完全に逆だ。
そんなことを話しながら。
二人で肉を食べ続けた。
・・・
・・
・
「……ふぅ」
食事を終え。
湖のほとりで一息つく。
満腹。
そして。
久しぶりに。
食事そのものを心から楽しんだ気がする。
「いい区画だったな」
「完全に食べ物基準ですね」
「大事だろ?」
「大事ですけど」
フーチェも満足そうだった。
ふと。
空を見る。
「……もう暗いな」
気づけば。
山の向こうへ光が沈み始めている。
湖の水面も。
昼間とは違い、暗い色へ変わっていた。
「このまま進むのは危ないですね」
「ああ」
急ぐ旅ではある。
だが。
〇・〇までの距離はまだ分からない。
無理をして事故を起こす方がまずい。
「今日はここで野宿しよう」
「そうですね」
昼間に採ったふわふわの綿毛花を《キーキューブ》から取り出す。
「早速役に立ったな」
「だから言ったじゃないですか!」
「いや、採ろうって言ったの俺だけど」
「……そうでしたっけ?」
「そうだよ」
二人で簡単な寝床を作る。
火岩を少し離れた場所へ置き。
夜を越す準備を整えた。
肉。
塩。
柔らかい寝床。
〇・〇を目指す旅の途中。
思いがけず。
かなり快適な夜になりそうだった。