四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
岩剛斎に案内されたのは、道場の奥にある小さな部屋だった。
畳が敷かれ、中央には低い机が置かれている。
前世の記憶にある茶室によく似ていた。
そこへ岩剛斎、リリアナ、俺、フーチェの四人で座る。
「さて……」
岩剛斎は湯飲みを置き、俺たちを見た。
「まずは、あの施設についてじゃったな」
「ああ」
「先に言っておくが、まだ調査を始めて日が浅い。分かっていることは正直それほど多くない」
当然だろう。
あの施設が出現したのは、人口調整の鐘が鳴ってからだ。
まだ数日しか経っていない。
「じゃから最初は、中へ入る方法を探すことだけに注力した」
「やっぱり、あの透明な壁か」
「うむ」
俺たちも散々試した。
叩いても壊れない。
《ブラスト》は触れた瞬間に消えた。
「魔力を使う攻撃は、まるで効かなんだ。撃ち込めば飲み込まれるように消えてしまう」
「俺たちも同じだった」
「じゃろうな」
岩剛斎は自分の右拳を見る。
「じゃが、わしの闘気の技《闘爆衝》ならば突破できた」
「……闘爆衝」
さっき見た技を思い出す。
巨大な金属の魔物を、一撃で粉々にした力。
「あの技なら、透明な壁を?」
「一時的にな」
その言葉よりも。
俺にはもっと気になるものがあった。
「岩剛斎」
「なんじゃ?」
「《闘気》って何なんだ?」
「そこからか」
岩剛斎は少し驚いた顔をした。
「まあ、知らぬのも無理はないか」
「是非教えてほしい」
「詳しい話を始めれば、それだけで日が暮れるぞ」
「それでも聞きたいけど」
「ロフル」
リリアナが睨んでくる。
「今は施設の話でしょう」
「……分かったよ」
岩剛斎が笑う。
「ならば今は簡単にしておこう」
そして。
自分の胸へ手を当てた。
「生き物が持つ力には、大きく分けて《魔力》と《闘気》が存在すると伝えられておる」
「魔力と……闘気」
「古い伝記では、それぞれ《青い力》《赤い力》とも呼ばれておるな」
「赤い……」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の中で。
一つの記憶が繋がった。
「ハナ……!」
「ハナ?」
「俺の妹だ」
ハナは言っていた。
瞑想を続けるうちに、自分の身体から赤い蒸気のようなものが見えるようになったと。
それを意識してから。
ハナの身体能力は明らかに上がった。
魔法を使っていない状態でさえ、俺が驚くほどの速度で動いていた。
「妹がな、赤い蒸気みたいなものを身体にまとってるらしいんだ」
「ほう」
「俺には見えなかったが……」
岩剛斎の表情が変わる。
「それは興味深いのう」
ようやく腑に落ちた。
「ハナは闘気に目覚めてたってことか……!」
「可能性は高そうじゃ」
「なるほどな……」
今まで。
魔法では説明できなかった。
だが。
魔力とは別の力があるのなら説明がつく。
「じゃあ闘気って、どういう人が使えるんだ?」
「それを説明するには、少し昔の話をせねばならん」
岩剛斎が背筋を伸ばす。
「この地に残る伝記では、現在の我々には三つの種族の血が混じっておると記されている」
「三つ?」
「獣人族、鬼人族、そして人族じゃ」
聞いたことのない話だった。
「獣人族は高い身体能力に加え、魔力を持っていた。ただし、生まれ持つ魔法輪は二輪までしか扱えなかったとされておる」
俺たち一般人と同じだ。
「そして鬼人族。生まれつき高い身体能力を持ち、特に武に長けておった。じゃが、魔力そのものを持たず、魔法輪を一切持つことができなかった」
「魔法が全く使えない種族……」
「そして人族」
岩剛斎は指を一本立てる。
「身体能力にも魔法にも突出したものはなかった。ただ、強い精神力と知恵を持つ種族だったという」
「……待ってくれ」
俺は自分を指さした。
「じゃあ俺にも、その三種族の血が混じってるのか?」
「割合は人によって違うが、少なくともどこかには必ず混じっていると伝えられておる」
「そうなのか……?」
全く知らなかった。
フーチェも同じように驚いている。
「そんな話、上層でも聞いたことがありません……」
「無理もない」
岩剛斎は頷く。
「わしも、ここに残されている伝記以外で見たことはない」
「この道場だけに……?」
「今のところはな」
また一つ。
世界について知らないことが増えた。
「それで闘気は?」
「うむ」
岩剛斎は話を戻す。
「闘気という力は、元々どの種族にも存在しなかったそうじゃ」
「え?」
「伝記によれば、鬼人族と人族が交わった後、その子孫の一部に偶発的に現れた力だという」
「鬼人族と人族……」
「鬼人の持つ強靱な肉体。そして人族の持つ精神力。その二つが合わさり、初めて《闘気》という力が開眼した」
だから魔力とは違うのか。
「その後さらに獣人族の血も混じり、今の我々へ繋がっていった……と記されておる」
「すごい話だな……」
俺は完全に聞き入っていた。
何百年。
いや。
もっと昔の話なのかもしれない。
「つまり今の人間は――」
「師範」
リリアナが冷たい声で遮った。
「話が脱線しています」
「……おっと」
岩剛斎が頭を掻く。
「年を取ると、どうにも話が長くなっていかんな」
「俺としては、ものすごく気になるんだけど」
「話が進まないから、それは今度ね」
「……分かったよ」
俺が折れると。
岩剛斎は咳払いを一つした。
「どこまで話したかの」
「《闘爆衝》で透明な壁を壊したところです」
「そうじゃった」
フーチェが教える。
「壁を破った後は?」
「すぐに中へ入った」
岩剛斎の表情が険しくなる。
「ただし、壊した透明な壁は長く開いてはおらんかった」
「戻ったのか?」
「いや」
岩剛斎は首を横に振る。
「壊した部分が、まるで傷口が塞がるように再生したんじゃ」
「……壊しても直るのか」
「うむ」
俺たちが入った後、透明な壁は完全に元へ戻ったという。
「そのまま奥へ進んだんじゃが……そこで別の問題が起きた」
「何が?」
「わしの闘気が、急激に減り始めた」
「闘気が?」
「わしだけではない」
リリアナを見る。
「リリアナの魔力もじゃ」
「ええ」
リリアナが自分の手を見る。
「《エンハンス》を使っていたんだけど、入った直後からものすごい勢いで魔力を持っていかれたの」
「それですぐ引き返したのか?」
「いや。色々試した」
岩剛斎が答える。
「その結果、あることが分かった」
「あること?」
「闘気も魔法も使わなければ、力は吸われない」
「……なるほど」
つまり。
施設そのものが。
身体の中にある力を無条件で奪っているわけではない。
「まとった力だけを吸ってるのか?」
「今のところ、そう考えておる」
「だから《エンハンス》を解除して」
「わしも闘気を完全に収めた」
そうして二人は先へ進んだ。
「通路をしばらく歩くと、大きなフロアへ出た」
「その先を調べた?」
「いや」
「なんで?」
岩剛斎は少し間を置いた後。
「そこまでじゃ」
「……?」
「わしらは、そのフロアには入らず引き返した」
「だから、なんで?」
ここまで入れたのなら。
普通なら調査を続けるはずだ。
俺の疑問に。
岩剛斎はすぐ答えた。
「今まで見たこともない魔物が、そこで眠るように静止しておったんじゃ」
「魔物……」
「かなりの大物じゃった」
岩剛斎の声が低くなる。
「闘気を使える状態なら、まだ戦う方法も考えられる。じゃが、生身では無理じゃ」
「……」
さっき。
巨大な金属の魔物を一撃で消し飛ばした老人が。
無理だと言った。
しかも。
施設の中では《エンハンス》も使えない。
闘気もまとえない。
生身の状態で。
その魔物と戦わなければならない。
「相当やばそうだな……」
「下手に起こせば、戻ることすらできぬ可能性があったからの」
「それで撤退したのか」
「うむ」
正しい判断だと思う。
調査と自殺は違う。
……待てよ。
「じゃあさ」
「なんじゃ?」
一つ疑問が浮かんだ。
「《エンハンス》と闘気を同時にまとったらどうなる?」
「……」
岩剛斎が目を細める。
「その考え自体は、わしも思いついておる。同じように吸われるのかあるいは……」
「じゃあ試したのか?」
「できん」
「え?」
「ここには両方を扱える者がおらんからな」
「……岩剛斎は?」
あれだけ強いのだ。
当然。
魔法も扱えると思っていた。
だが。
「見れば分かる」
岩剛斎が右腕をこちらへ向けた。
「……あれ?」
俺は目を疑った。
ない。
「魔法輪が……ない?」
腕だけではない。
手の甲にも。
円形の魔法輪が存在しない。
「わしには獣人族の血が流れておらん」
「……」
「鬼人族と人族。その二種の血しか持たぬから、魔力を持っておらんのじゃ」
「じゃあ、魔法を一切使えない?」
「そういうことじゃ」
なるほど。
鬼人族は魔力そのものを持たなかったと言っていた。
その血が非常に濃いということか。
「もしかして……緑色の髪の人って、みんな魔法輪がないのか?」
「全員とまでは言い切れぬ。じゃが鬼人の血が濃い者には、緑の髪や瞳が出やすいとは言われておる」
「なるほど……」
さっきのアリアンドルも緑色だった。
もしかすると、彼も同じなのかもしれない。
「じゃあリリアナは?」
俺が聞くと。
「私は逆よ」
リリアナが手の甲を見せる。
そこには、魔法輪が存在する。
「獣人族と人族の血が強いから魔法は使える。でも鬼人族の血が入ってないから、闘気は使えない」
「全く?」
「全く」
「神徒はみんなそうなのか?」
フーチェが尋ねる。
リリアナは少し考えた後、答えた。
「少なくとも、私たちが調べた神徒には鬼人族の血は一切確認されてないわ」
「そんなことまで分かるんですか?」
「ええ」
「どうやって?」
「調べる道具があるの」
「道具?」
「血の比率まで分かるわ」
「……」
そんなものまであるのか。
道場。
伝記。
そして。
種族の血を判別する道具。
この場所には、俺の知らないものが多すぎる。
だが。
今の話を聞いて。
俺には何より気になることがあった。
「ちょっと待って」
「何よ」
俺は身を乗り出した。
「鬼人族の血が少しでも入ってれば……俺も闘気を使える可能性があるってことか?」
「……」
岩剛斎とリリアナが顔を見合わせる。
「血があるだけで必ず目覚めるわけではない」
岩剛斎が答えた。
「じゃが」
少し笑う。
「可能性は零ではない」
「なら!」
俺は即答した。
「調べてほしい!」
「即決ね……」
リリアナが呆れる。
「そりゃそうだろ!」
ハナが既に目覚めている可能性が高い。
しかも。
ハナは俺にも赤い蒸気が見えると言っていた。
もし。
俺の中にも鬼人族の血が流れているのなら。
「頼む、岩剛斎」
「ほっほっほ」
俺の食いつきが面白かったのか。
岩剛斎は立ち上がった。
「そうじゃな。せっかくここまで来たんじゃ」
「じゃあ!」
「調べてやろう」
「よし!」
「嬉しそうですね、ロフルさん」
「そりゃそうだろ!」
魔法とは別の力。
それを俺も使えるかもしれない。
岩剛斎はそんな俺を見ながら笑い。
「少し待っておれ」
そう言い残して。
道具を取りに、倉庫へと入っていった。