四層世界の最下層――魔物の森で帰還魔法を得た少年は、家族のために帰らない   作:鳩夜(HATOYA)

4 / 5
神徒の少女

 貴族の少年は、俺たちを先頭に立たせ、森の中を進んでいた。

 

「もっと早く歩けよ」

 

 背後から、苛立った声が飛んでくる。

 俺たち五人の紫髪の子供は、一列になって森を歩かされていた。

 身体は自分の意思では止められない。

 

 足元に太い木の根があっても、顔の前に枝が伸びていても、貴族の命令に従って前へ進み続ける。

 

 枝が頬をかすめた。

 濡れた葉が顔へ張りつく。

 それでも腕で振り払うことさえできない。

 身体を動かす権利は、完全に奪われていた。

 俺は前を歩きながら、必死に周囲へ目を向ける。

 

 まずい。

 

 こいつは森の中を歩くときの注意など、何も考えていない。

 紫髪の子供たちを先行させ、自分は安全な後ろを歩いている。

 足音を立てることも、草木を踏み荒らすことも気にしていなかった。

 

 折れた枝が、ぱきりと音を立てる。

 茂みが大きく揺れる。

 

 慎重さの欠片もない。

 これだけ音を立てていれば、いずれ魔物に気づかれてしまう。

 

 昨日出会った、鉄の外殻を持つ巨大なカマキリ。

 あれほどの魔物が現れれば、俺たちではどうすることもできない。

 

 せめて、貴族へ静かに歩くよう伝えられればいい。

 しかし口も、俺の意思では動かなかった。

 

 嫌な汗が背中を流れる。

 頼む。

 何も出てくるな。

 

 そう願った直後だった。

 

「チチチッ!」

 

 前方の茂みから、聞き覚えのある鳴き声が響いた。

 

「……!」

 

 巨大な影が、木々の間から姿を現す。

 全長三メートルほどのカマキリ型の魔物。

 昨日見た機械のような個体とは違い、外殻は濃い緑色だった。

 巨大な鎌を持ち、三角形の頭をこちらへ向けている。

 

「ひいっ!」

 

 後ろから、貴族の少年の情けない悲鳴が聞こえた。

 

「出たぞ! お前!」

 

 貴族は、列の先頭にいた紫髪の少年を指さした。

 

「あいつを引きつけろ!」

 

 命令を受けた少年の身体が、びくりと震える。

 嫌だ。

 その表情が、はっきりとそう訴えていた。

 しかし、彼の手は腰の剣を抜いた。

 

「や、やめ……」

 

 口から、かすれた声が漏れる。

 完全に話すことまで禁じられてはいないらしい。

 それでも身体は命令へ逆らえない。

 少年は剣を両手で構えると、そのままデッドマンティスへ向かって走り出した。

 

「う、うわああああっ!」

 

 剣の構えも、足の運びも乱れている。

 恐怖で目を閉じたまま、正面から突っ込んでいく。

 ただ走らされているだけだ。

 結果など、考えるまでもなかった。

 

 デッドマンティスが鎌を振り上げる。

 

「逃げろ!」

 

 思わず叫ぼうとした。

 だが、声にはならなかった。

 

 ザシュッ――。

 

 巨大な鎌が、少年の身体を横から通り抜けた。

 上半身と下半身が、別々の方向へ落ちる。

 

 少年は悲鳴を上げる暇さえなかった。

 地面へ転がった身体から、大量の血が流れ出す。

 

「……っ」

 

 俺の意識が、真っ白になりかけた。

 一瞬だった。

 昨日まで家族と過ごしていたはずの子供が、あまりにも簡単に命を奪われた。

 

「ちょっとくらい持たせろよ!」

 

 貴族の少年は、死んだ子供を心配するどころか、苛立った声を上げた。

 

「次は、お前ら二人だ!」

 

 新たに指を向けられた二人の少年が、同時に走り出す。

 

「嫌だ……!」

 

「助けてくれ!」

 

 二人は泣きながら剣を構え、デッドマンティスへ向かっていく。

 俺と、もう一人の紫髪の少年だけが残された。

 

「お前たちは僕と来い!」

 

 貴族が走り出す。

 俺たちの身体も、その後ろへ勝手についていった。

 背後から、剣が外殻に弾かれる音がする。

 

 続いて、短い悲鳴。

 

「こいつ……」

 

 怒りが、腹の底から込み上げてきた。

 こうして生き延びてきたのか。

 

 自分は戦わない。

 

 紫髪の子供を集め、魔物が現れたら囮として差し出す。

 死ねば、また別の子供を補充する。

 

「許せない……」

 

 声にはできない。

 

 それでも、頭の中で何度も言葉が繰り返された。

 

 許せない。

 俺たちを道具のように使いやがって。

 

 会ったばかりの子供たちだ。

 名前すら知らない。

 

 だが、同じ試練へ送られた仲間だった。

 その命を、こんな奴のために使い潰されていいはずがない。

 

「チチチチッ!」

 

 背後から鳴き声が近づいてくる。

 振り返ることはできない。

 

 だが、足音と草木が倒れる音で分かった。

 先ほど走らされた二人も、すでに殺されたのだ。

 

 デッドマンティスは、こちらへ向かってきている。

 

「くそっ、もう追いついてきた!」

 

 貴族が振り返り、残っていた紫髪の少年を指さした。

 

「お前! あいつに突っ込め!」

 

 少年の身体が止まり、反対方向へ向き直る。

 

「いやだ……死にたくない……」

 

 涙を流しながらも、剣を抜いて走り出した。

 デッドマンティスの鎌が振り下ろされる。

 

 少年の悲鳴が途切れた。

 これで残ったのは、俺と貴族の二人だけだった。

 

「お、おい、お前!」

 

 貴族が俺の肩をつかむ。

 

「僕の盾になれ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の身体が反転した。

 デッドマンティスが目前まで迫っている。

 

 巨大な鎌が持ち上がった。

 俺の身体は、貴族を守るように前へ立つ。

 

 このままでは死ぬ。

 

 次の瞬間には、さっきの子供と同じように身体を切断される。

 

 嫌だ。

 

 こんな場所では死ねない。

 

 母さんがいる。

 父さんがいる。

 ハナとサンクも待っている。

 

 ここで死ぬわけにはいかない!

 

「絶対に……」

 

 全身へ力を込める。

 

 動け。

 俺の身体だ。

 

 他人の命令なんか聞くな。

 

「こんなところで、死ねるかあああっ!」

 

 頭の奥で、何かが弾けた。

 身体を覆っていた見えない鎖が、一瞬だけ消える。

 

「なっ――」

 

 自由になった。

 そう理解するより早く、俺は後ろへ手を伸ばした。

 貴族の腰に差さっていた剣の柄をつかみ、一気に引き抜く。

 

「お前……!」

 

 貴族の少年が目を見開く。

 

「掌握が解除されて……!」

 

 デッドマンティスの鎌が振り下ろされた。

 俺は地面を蹴り、横へ転がる。

 巨大な鎌が、つい先ほどまで立っていた場所へ突き刺さった。

 

 湿った土が大きく飛び散る。

 避けられた。

 身体が自由に動く。

 

 俺は立ち上がると、地面へ突き刺さった鎌へ向かって剣を振り下ろした。

 

「はあっ!」

 

 刃が、鎌と腕をつなぐ関節へ食い込む。

 

 ザンッ――!

 

 大きな鎌が、地面へ落ちた。

 

「チギィィッ!」

 

 デッドマンティスが激しく身体を揺らす。

 昨日の奴とは違う。

 剣が通る。

 

「お前は柔らかいな!」

 

 父から聞いていたデッドマンティスだ。

 昨日目にした鉄のような個体ではない。

 通常のデッドマンティスなら、倒し方は教わっている。

 

「父さんから聞いていた奴だ!」

 

 俺は後方へ大きく下がった。

 残った鎌が、横薙ぎに振るわれる。

 姿勢を低くして避け、魔物の側面へ回り込む。

 

 武器だけを見るな。

 相手の全身を見ろ。

 

 父の教えが、頭の中によみがえる。

 鎌が動く前には、肩にあたる部分がわずかに沈む。

 

 踏み込む前には、後ろ脚へ力が入る。

 すべての攻撃には予備動作がある。

 

 見える。

 

 デッドマンティスの動きが、普段よりはっきりと見えた。

 

 鎌が振り下ろされる前に、その軌道が分かる。

 脚が動くより早く、次に進む方向が分かる。

 俺は攻撃を避け、脚の関節へ剣を突き立てた。

 

「ギチッ!」

 

 一本。

 さらに反対側へ回り、もう一本。

 

 脚を失ったデッドマンティスの巨体が傾く。

 その身体を足場にして、俺は駆け上がった。

 

「これで――終わりだ!」

 

 背中から跳び上がる。

 両手で握った剣を、首の付け根へ突き刺した。

 

 ドシュッ――!

 

 刃が外殻の隙間へ深く沈む。

 そのまま柄を両手でつかみ、身体ごとひねるように剣を振り下ろした。

 

 首が裂ける。

 

 デッドマンティスの頭部は完全に切り離され、地面へ転がった。

 切り口から、青紫色の液体が勢いよく噴き出す。

 

「うっ……!」

 

 鼻を突く、腐った鉄のような嫌な臭い。

 頭を失った巨体は、しばらくふらふらと立っていた。

 やがて脚が一本ずつ折れ、地響きを立てながら倒れていく。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 俺は剣を握ったまま、倒れた魔物を見つめた。

 

 死んでいる。

 

 間違いなく、俺が倒した。

 戦闘を頭の中で反芻する。

 自分でも、ここまで動けたことが信じられなかった。

 戦っている最中、視界は普段よりも鮮明だった。

 魔物の動きが遅く見えたわけではない。

 

 それでも、次に何をするのかが手に取るように分かった。

 

 指先から頭の先まで、身体のすべてを今まで以上に自由に動かせた。

 死が間近に迫ったことで、何かが覚醒したのだろうか。

 

「そうだ、あいつ……!」

 

 俺は貴族の少年へ振り返った。

 仲間を何人も死なせた。

 俺まで盾にしようとした。

 

 どうしてやろうか。

 

 そんな怒りを抱きながら振り返ったが――。

 

「ごふっ……」

 

 貴族の少年は、地面へ膝をついていた。

 右胸の辺りに、大きな穴が開いている。

 俺が避けた鎌が、そのまま後ろにいた貴族を貫いていたらしい。

 

 口から血を流し、俺を睨んでいる。

 

「お前が……避けたせいで……」

 

「……」

 

 当然の報いだ。

 こいつが命令しなければ、誰も死なずに済んだかもしれない。

 助ける気など起きなかった。

 

「その傷じゃ、長くは持たないな」

 

 俺は剣についた体液を振り払い、貴族へ近づいた。

 

「剣はもらう。鞘もな」

 

 元々、俺の剣は紫髪の少年たちに奪われたままだ。

 どこへ落としたのかも分からない。

 

 貴族の持っていた剣は、父が作ってくれたものよりも軽く、切れ味も良かった。

 持っていけるなら、使わせてもらう。

 

 鞘を取ろうと、貴族の前へ立った。

 

 その瞬間。

 

 少年の口元が、小さく持ち上がった。

 

「――《下位掌握》」

 

「なっ……!」

 

 再び、身体の自由が消えた。

 指一本、動かせない。

 剣を持つ腕も、俺の意思を完全に無視して止まっている。

 

「油断したね……」

 

 貴族は血を吐きながら、笑った。

 

「一度、自力で解除できたから……もう効かないと思った?」

 

「ぐ……!」

 

 声すら、思うように出ない。

 

「さっきのは、たまたまだったようだね」

 

 貴族は苦しそうに息をしながらも、黄色い瞳を俺へ向け続けている。

 

「僕だけ死んで、お前だけ生きるのも癪だ」

 

 嫌な予感がした。

 逃げろ。

 目を逸らせ。

 だが、身体は動かない。

 少年は、ゆっくりと口を開いた。

 

「その剣で、自害しろ」

 

「……っ!」

 

 右腕が動き始めた。

 俺の意思とは関係なく、剣先がこちらへ向く。

 切っ先が、喉元へ近づいてくる。

 

 止まれ。

 やめろ。

 動くな。

 

 頭の中で何度叫んでも、腕は止まらない。

 抗えない。

 

 先ほどのように怒りを燃やしても、身体の自由は戻らなかった。

 剣先が皮膚へ触れる。

 冷たい刃の感触。

 

「くそ……!」

 

 このまま死ぬのか。

 魔物を倒した直後に、こんな奴の命令で。

 そのときだった。

 

「――《下位掌握》」

 

 俺でも貴族でもない、少女の声が森に響いた。

 

「え……?」

 

 突然、身体を縛っていた力が消えた。

 

 剣先が喉から離れる。

 指が動く。

 足にも力が入る。

 俺はすぐに貴族から距離を取った。

 

 声のした方向へ顔を向ける。

 一人の少女が立っていた。

 

 俺とも、黄色髪の少年とも違う姿。

 真っ赤な髪を、左右で束ねたツインテール。

 瞳も、透き通るような赤色をしている。

 

「神徒……?」

 

 父から聞いたことがある。

 一層に住む神徒は、赤い瞳を持つ。

 目の前の少女は、倒れている貴族へ赤い瞳を向けていた。

 黄色髪の少年は、地面へ倒れたまま動かない。

 意識は残っているようだが、身体の自由を奪われているのだろう。

 

「た、助かった……」

 

 間一髪だった。

 あと少し遅ければ、自分で自分の喉を切っていた。

 

「動ける。助かったよ、ありがとう!」

 

 少女へ駆け寄る。

 

「君の名前は?」

 

 少女は、俺の質問へ答えなかった。

 視線すら向けず、倒れたデッドマンティスへ歩いていく。

 腰から小さなナイフを抜くと、無言で外殻の隙間へ刃を入れた。

 

「何をしてるんだ?」

 

 少女は慣れた手つきで脚を外し、腹部を切り開いていく。

 

「デッドマンティス」

 

 短く、それだけ答えた。

 

「それは分かるけど……」

 

「君が仕留めた」

 

 少女は手を止めずに続ける。

 

「でも、食べないならもらう。助けた報酬」

 

「食べるのか……?」

 

 先ほどまで戦っていた魔物だ。

 青紫色の液体と強烈な臭いを放っている。

 正直、食欲が湧く見た目ではない。

 

「この時期には珍しい、柔らかい個体」

 

 少女は外殻を切り開き、中から白い肉を取り出した。

 

「無駄にはできない」

 

「柔らかい個体……」

 

 だから、昨日の機械のような個体とは違ったのだろうか。

 食べられると聞いても、今すぐ口にしたいとは思えない。

 

 だが、せんべいは残り二十枚しかない。

 これから生きていくためには、魔物の肉も食べなければならないだろう。

 

「そうは言ってられないかもしれないな……」

 

 そう呟きながら、少女を観察する。

 何かがおかしい。

 姿ではない。

 

 身体の周囲に、目には見えない何かがまとわりついている。

 昨日、瞑想で感じた魔力に似ていた。

 だが、俺の魔力とは比べ物にならないほど濃い。

 

「君……何かをまとってる?」

 

 少女が初めて、こちらへ顔を向けた。

 

「なんだ?」

 

「いや、身体の周りに……」

 

「チチチチッ!」

 

 説明しようとした瞬間、森の奥から鳴き声が響いた。

 俺はすぐに剣を構える。

 

「まだいるのか!」

 

 木々の間から、もう一体のデッドマンティスが姿を現した。

 どうやら一匹だけではなかったらしい。

 先ほどの個体と同じく、緑色の比較的薄い外殻をしている。

 少女は立ち上がり、魔物へ目を向けた。

 

「また柔らかい奴」

 

 その声には、恐怖が一切なかった。

 

「今日はついてる」

 

 少女は右腕の袖をまくり上げる。

 

「その腕は……!」

 

 俺は目を見開いた。

 驚いた理由は二つある。

 

 一つは、手の甲にある輪。

 

 形は俺が最下層へ来る前に持っていたものと同じ、綺麗な円形だ。

 だが、色が違う。

 白ではなく、灰色に染まっている。

 

 そして、もう一つ。

 

 少女の右腕には、手首から肘へ向かって、五つもの輪が刻まれていた。

 

「五輪……?」

 

 少女が手の甲の灰色の輪へ触れる。

 輪が皮膚から半分ほど浮かび上がった。

 そのまま、手首側から数えて四番目の魔法輪へ指を当てる。

 灰色の光が腕を流れ、手の甲の輪へ集まっていく。

 

 手の甲に浮かぶ輪が、複雑な魔法陣へ姿を変えた。

 少女は掌をデッドマンティスへ向ける。

 

「四輪――《バインド》」

 

 掌から、円盤状の魔力が射出された。

 目で追えるほどの速度で飛び、デッドマンティスの胴体へ命中する。

 

「チギッ!」

 

 円盤から、無数の鎖が飛び出した。

 灰色の光を放つ鎖が、鎌や脚、胴体へ巻きつき、巨大な魔物をその場へ拘束する。

 

 少女が地面を蹴った。

 一直線に走り、デッドマンティスの目前で跳び上がる。

 

「高っ……!」

 

 人間が跳べる高さではない。

 少女の身体は、デッドマンティスの頭部よりもさらに上まで舞い上がった。

 

 空中で前方へ回転する。

 そのまま、踵を魔物の頭部へ叩きつけた。

 

 ドシュッ――!

 

 鈍い衝撃音。

 デッドマンティスの頭部が、地面へ向かって吹き飛んだ。

 頭を失った巨体が、その場へ崩れ落ちる。

 

 少女は軽々と地面へ着地した。

 

「こっちはマグが仕留めた」

 

 少女――マグは、俺へ振り返る。

 

「渡さない」

 

「あ、ああ……」

 

 驚くことばかりが、立て続けに起きた。

 

 下位掌握を使う神徒。

 五つの魔法輪。

 魔法による拘束。

 そして、十歳の少女とは思えない身体能力。

 

 何から質問すればいいのか分からない。

 そう思っていた、その瞬間だった。

 

「ん……?」

 

 両手の甲が熱くなる。

 奇妙な形をした白い模様が、強い光を放ち始めた。

 右腕へ、細かな痛みが走る。

 

「痛っ……!」

 

 皮膚の内側を、針でなぞられているような感覚。

 手首の少し上に、白い光が円を描いていく。

 やがて光は皮膚へ沈み、一つの輪として刻み込まれた。

 

「これ……!」

 

 右腕に、魔法輪が現れている。

 一輪。

 最初の魔法――《サーチ》を使うための魔法輪だ。

 

「おおおおっ!」

 

 思わず声が出た。

 

「魔法! 魔法を習得できたぞ!」

 

 昨日から、いつ覚えられるのかと考えていた。

 これで周囲の魔物や人間の位置を調べられる。

 生存できる可能性が、大きく上がる。

 

 喜んでいると、マグが俺の手元へ近づいてきた。

 赤い瞳が、手の甲の模様へ向けられる。

 

「君も、ユニークリングなんだ」

 

「ユニークリング?」

 

 マグは俺の手を取り、スチール缶のリサイクルマークに似た模様を指でなぞった。

 

「普通と違う色や形の輪」

 

 マグ自身の灰色の輪も、そのユニークリングなのだろう。

 

「これが何なのか知ってるのか?」

 

「知ってる」

 

「だったら、教えてくれないか?」

 

 マグは俺の手を離した。

 

「君は神徒じゃない」

 

「え?」

 

「だから仲間じゃない」

 

 それだけ言うと、解体したデッドマンティスの肉を布へ包み始めた。

 もう一体の死骸も、脚をまとめて持ち上げる。

 

「待ってくれ!」

 

 マグは俺を無視し、その場から離れようとする。

 聞きたいことがいくつもあった。

 俺は少し大きな声で問いかける。

 

「君には五つの魔法輪がある!」

 

 マグの足が、わずかに止まった。

 

「でも、ここにいるってことは、《リターン》を覚えられなかったのか?」

 

 マグは右腕を持ち上げ、二番目の魔法輪を指で示した。

 

「これが《リターン》」

 

「だったら、どうして帰らないんだ?」

 

「マグたちは、帰る気がないの」

 

「帰る気がない……?」

 

 俺は思わず、手の甲を見つめた。

 《リターン》を覚えること。

 それだけが、最下層へ送られた子供たちの目的だと思っていた。

 帰れるのに帰らない者がいるなど、考えたこともなかった。

 

「どうやって魔法輪を増やしたんだ?」

 

 さらに問いかける。

 マグは面倒そうに息を吐いた。

 

「魔物をたくさん倒しただけ」

 

「それだけで、五輪まで?」

 

「それだけ」

 

「あ、まだ聞きたいことが……!」

 

 だが、マグはそれ以上答えなかった。

 デッドマンティスを抱えたまま、地面を強く蹴る。

 その身体は一瞬で高く跳び上がり、巨木の枝へ着地した。

 

「待ってくれ!」

 

 呼び止める声も届かない。

 マグは枝から枝へ軽々と跳び移り、薄暗い森の奥へ消えていった。

 残された俺は、右腕に刻まれた一つ目の魔法輪を見つめる。

 

「帰れるのに、帰らない……か」

 

 その言葉が、妙に頭へ残った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。