四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
「さて、次にやる修行じゃが……」
岩剛斎は俺を道場の奥へ連れていくと、そこで立ち止まった。
「本来であれば、今のおぬしが挑むのは数年先になるはずのものじゃ」
「数年先?」
「うむ。闘気を感じ取り、身体を鍛え、それを何年も繰り返してから進む段階じゃな」
昨日までは半年かかると言われていた瞑想を、俺はほとんど一度で終えてしまった。
身体作りについても、これまで最下層で続けてきた日課のおかげで、岩剛斎から問題なしと言われている。
だからこそ、一気に先へ進めるということらしい。
「それで、何をするんだ?」
「これを極めれば、おぬしも《赤い力》を視認できるようになる」
「おお……!」
思わず身を乗り出した。
ハナには見えていて、俺には見えなかった赤い蒸気。
あれを自分の目でも確認できるようになるらしい。
「その名も《闘気装》」
「トウキソウ……」
「闘気を身体の外へ放出し、そのまま全身へまとわせる技じゃ。おぬしの使う《エンハンス》と、形だけならかなり近い」
「なるほど」
エンハンスは魔力を身体にまとい、攻撃力や防御力、速度を上げる。
それと同じことを、今度は闘気で行うわけだ。
「ただし、根本は違う。エンハンスは魔力量や魔力の扱い方によって強さが変わるが、闘気装は本人の体力や肉体の強さに大きく左右される」
「じゃあ、エンハンスが魔力量で、闘気装は体力量って感じか?」
「大雑把に言えばそうじゃな」
岩剛斎は自分の胸を軽く叩いた。
「わしの場合、闘気装をまとえば、防御力だけならおぬしらのエンハンスとそう変わらぬ」
「それ、かなり強いな……」
しかも魔力を使わない。
施設内部では、まとった魔力も闘気も吸われるらしいが、もし両方を同時に扱えれば何か突破口が見つかるかもしれない。
「ただし、やること自体は地味じゃぞ」
「また瞑想?」
「そうじゃ」
岩剛斎が笑う。
「先ほどと同じように立ち、楽な姿勢を取れ。ただし今度は、外から吹いてくる風を感じるのではない」
「じゃあ何を?」
「逆じゃよ」
岩剛斎は自分の身体から外へ向かうように両手を広げた。
「今度は自分の身体から、風を外へ放出するイメージを作るんじゃ。全身から押し出し、その力を身体の表面へ留める」
「なるほど……今度は逆か」
「最初からまとおうと考えんでよい。まずは出すことだけに集中せい」
「分かった。やってみる!」
俺は足を肩幅に開き、肩の力を抜いた。
昨日までなら、自分の周囲に吹き荒れる風を感じるだけだった。
今度はそれを、自分の中から押し出す。
まだ見えない何かを。
自分の意思で身体の外へ。
「……」
目を閉じ、ゆっくりと意識を集中させていった。
・・・
・・
・
その頃。
フーチェとリリアナは、道場からいくつか離れた区画を調査していた。
「二・二……」
リリアナが《サーチ》を確認する。
目の前には、岩壁の中へ続く大きな入口があった。
「ありましたね!」
フーチェが嬉しそうに声を上げる。
「ええ。思っていたより近かったわ」
二人が見つけたのは、《開眼の祭壇》。
フーチェたちが以前利用したものと同じ種類の祭壇だった。
中へ入り、石板を確認したことで、リリアナにも《開眼の試練》を受けられる可能性があることは分かった。
「ただ、試練には自分とは別の種族が必要なんです」
「別の種族?」
「はい。私たち神徒だけでは条件を満たせません。ロフルさんがいれば簡単なんですけどね」
「じゃあ、今日は無理ね」
「そうですね」
それでも、成果がなかったわけではない。
リリアナは石板を調べたことで、自分のユニークリングの正式な名称を知ることができた。
「《高負荷》か……」
リリアナが自分の手の甲を見る。
「名前だけ聞くと、なんだか微妙ね」
「でも特性はすごく強いですよ!」
フーチェは素直に感心していた。
《高負荷》。
リリアナが放つ魔法には、通常ではありえないほどの重さが加わる。
《ブラスト》なら、ただ相手を吹き飛ばすだけではなく、巨大な塊をぶつけたように叩き潰す。
《エンハンス》にも同じ性質が現れるため、彼女自身の一撃も非常に重い。
「その代わり、魔法が真っすぐ飛ばないのよ。投げたボールみたいに落ちていくから、距離が離れると狙うのが難しいけどね」
「それでも十分強いと思います」
「使ってる本人としては、もう少し素直に飛んでほしいわ」
二人はそんな話をしながら祭壇の中を見て回った。
「今日はここで泊まりましょうか」
「はい!」
「明日、もう少し周辺を調べてみましょう」
外はすでに暗くなり始めている。
二人は安全な祭壇内で野営の準備を始めた。
簡単な食事を済ませ、寝床を整えている途中。
リリアナが何気ない調子で尋ねた。
「そういえば、フーチェ」
「はい?」
「ロフルとはどういう関係なの?」
「どういう……?」
「神徒と奴隷って感じには見えないわよね」
「奴隷だなんて!」
フーチェは思わず大きな声を出した。
しかし、リリアナからすれば不自然な質問ではない。
「だって普通でしょう? 貴族や神徒が紫髪を《下位掌握》して、自分たちに従わせるなんて」
「……それは、そうですが」
フーチェの声が少し小さくなる。
紫髪の一般人は、貴族や神徒に従うもの。
それがこの世界では当たり前とされている。
第三層で生まれた者でさえ、その常識を疑う機会はほとんどない。
洗礼の試練でも同じだった。
貴族の子供は、最下層で紫髪の子供を見つければ《下位掌握》を使い、盾や荷物持ちとして利用するよう教えられる。
神徒なら、それ以上だ。
本来であれば一般人の子供たちも、そうした危険を事前に知ることができれば、生き残れる可能性は今より高かったのかもしれない。
だが、洗礼を受ける前の子供へその事実を教えることは禁止されている。
もし発覚すれば、本人だけでは済まない。村そのものへ厳しい処罰が下されることさえあるという。
過去には、それでも子供たちを助けようとした村があった。
大人たちは十歳になる子供へ、最下層では魔物だけでなく貴族や神徒にも気をつけろと密かに教えた。
誰にも漏らさないよう徹底し、村全体で事実を隠した。
それでも間もなく、第二層から貴族が降りてきた。
彼らが告げたのは短い言葉だったという。
――神徒より報告が入った。この村は粛清する。
誰が伝えたのか。
どうして知られたのか。
村人には最後まで分からなかった。
ただ、その出来事以来、多くの一般人は理解した。
どれだけ隠そうとしても、上にいる神徒には知られてしまう。
まるで、本当に神に見られているかのように。
「でも」
フーチェは少し間を置いてから、はっきり言った。
「私は、その常識が昔から嫌いです」
リリアナが彼女を見る。
「種族とか、身分とか関係ありません。一般人だから誰かの奴隷になっていいなんて、私は思いません」
「……そうね」
リリアナも静かに頷いた。
「そこは私も同意するわ」
「リリアナさんも?」
「私もここへ落とされて、道場に拾われたからね」
リリアナは少し笑う。
「神徒だとか、一般人だとか、そんなものを気にしていたらここでは暮らせないわ。道場には紫髪もいるし、緑髪もいる。今では誰かを下位掌握して奴隷にしようなんて微塵も思わない」
「一緒ですね!」
「ええ」
フーチェが嬉しそうに笑う。
だが。
リリアナはそこで少しだけ悪戯っぽい表情になった。
「じゃあ、奴隷じゃないってことは……彼氏?」
「え?」
「それとも夫?」
「ち、ちちち、違いますよ!」
フーチェの顔が一気に赤くなる。
「お友達です! ロフルさんとは普通のお友達です!」
「へえ……」
リリアナが面白そうにフーチェを見る。
「じゃあ彼氏の位置は空いてるのね」
「いや、それは……!」
「空いてないの?」
「そういう意味ではなくて! ロフルさんがどう考えてるのかも分かりませんし……!」
自分で言ったあと。
さらに顔が赤くなった。
「ふーん」
「な、何ですかその顔!」
「別に?」
リリアナは笑いながら寝床へ腰を下ろす。
「あの子、道場にいたら絶対もてると思うけどね」
「そうでしょうか……?」
「強いし、身体もしっかり鍛えてるし。年齢も近い子からしたら十分格好いいんじゃない?」
「そ、そんな……!」
フーチェが露骨に慌て始める。
それを見たリリアナは我慢できなくなったように笑った。
「あはは! 冗談よ、冗談!」
「もう……!」
フーチェは頬を膨らませながら、ふわふわの綿毛花で作った寝床へ潜り込む。
明日はまた、周辺区画の調査が待っている。
ロフルが闘気の修行を始めたその夜。
フーチェとリリアナもまた、自分たちなりの役目を果たしながら、祭壇の中で一夜を過ごした。