四層世界の最下層、魔物の森で生き残る   作:鳩夜(HATOYA)

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第三章 神徒の檻
切り離し


 ロフルが第三層へ帰還していた頃から、約一年の月日が流れていた。

 

・・・

・・

・

 

 第一層――ソヴリンスター大聖堂。

 

 天へ突き刺さるように伸びた無数の尖塔と、緻密な彫刻が施された巨大な外壁。

 上下左右の均整が取れた荘厳な造りは、ロフルが前世で見ればミラノ大聖堂を思い浮かべただろう。

 

 だが、その規模は比較にならない。

 

 建造物だけで約四万平方メートルもの広さを持ち、第一層に存在する宗教施設の中でも最大級を誇っていた。

 昼間であれば多くの神徒が祈りを捧げる場所だが、その最深部へ立ち入れる者は限られている。

 

 白い石材で囲まれた静かな一室。

 そこに二人の人物がいた。

 

 一人は、純白の司祭服をまとった赤い髪の女性。

 長い髪を背中へ流し、感情の薄い表情で一枚の石板伝書を眺めている。

 

 そしてもう一人は、全身を真紅のプレートアーマーで覆った男だった。

 顔すら見えないフルフェイスの兜を装着し、女性の少し後ろで直立している。

 

 女性が手にしている石板伝書は、フロストハート家が代々記してきたものだった。

 

 《極光神輪の神殿》。

 

 そこにある石板へ浮かんだ記述を写し取り、第一層へ伝えるための記録。

 その最新のページには、これまでにない異常が記されている。

 

『緊急事態発生のため、排除装置は現在停止中』

 

『通常転送も停止しています』

 

 女性――エルミラ・S・ソヴリンスターは、その文字を無表情のまましばらく見つめていた。

 やがて石板伝書を閉じる。

 

「排除装置が停止してから、一年以上が経過しています」

 

 静かな声だった。

 だが、その内容に反して迷いはない。

 

「第三層以下を、早急に切り離すべきでしょう」

 

「エルミラ様!」

 

 真紅の鎧をまとった男が、思わず声を上げた。

 

「その判断はまだ早すぎます!」

 

「レオネル」

 

 エルミラの声が僅かに低くなる。

 それだけで、男は続きを言いかけて口を閉ざした。

 

「何か起きてからでは遅いのです。我らソヴリンスター家の使命を忘れましたか?」

 

「……いいえ」

 

「ならば答えなさい」

 

 エルミラはレオネルへ視線を向ける。

 

「我らの使命は?」

 

 レオネルは一瞬だけ沈黙した。

 そして、覚悟を決めたように答える。

 

「第一層を守り抜くことです」

 

「その通り」

 

 エルミラは小さく頷いた。

 

「他の何を犠牲にしても、第一層だけは守らなければならない。それがソヴリンスター家に課せられた使命です」

 

「理解しているではありませんか」

 

 エルミラは再び石板伝書へ視線を落とした。

 

「このまま第三層の人口が増え続ければ、世界そのものが過重に耐えられなくなる。排除装置が機能していない以上、いずれ崩壊へ繋がります」

 

 レオネルの拳に力が入る。

 

「ですが……第三層以下を切り離すなど、過去に一度も行われておりません」

 

「だからこそ、今まで残されている最終手段なのです」

 

 第三層以下の切り離し。

 

 その言葉通り。

 

 四つ存在する世界のうち、第三層と最下層を第一層、第二層から完全に分断する処置である。

 一度切り離されれば、再び行き来することはできない。

 

 その後、第三層と最下層がどうなるのかを正確に知る者はいなかった。

 ただ、古くから一つだけ言われている。

 

 切り離された層は、やがて消滅する。

 それが事実かどうか確認した者はいない。

 

 確認する方法もない。

 だからこそ、これまで一度も実行されなかった。

 

「しかしエルミラ様!」

 

 レオネルは諦めずに食い下がる。

 

「仮に第三層以下を切り離した場合、第一層への魔力供給は七割以上失われます!」

 

「分かっています」

 

「現在の第一層は、魔力なしでは維持できません。大聖堂だけではない。生活設備、移動設備、結界、各施設の維持……どれだけの影響が出るか予測すらできないのです!」

 

「それでも」

 

 エルミラの表情は変わらない。

 

「世界そのものが崩壊するよりは、遥かにましでしょう」

 

「……」

 

 レオネルは答えられなかった。

 第一層では、魔力を用いた設備が生活の隅々まで浸透している。

 

 そして、その魔力の大半は下層から供給されていた。

 第三層以下を切り離すということは、単に二つの層を失うだけではない。

 

 今の第一層の生活そのものを根底から変える可能性がある。

 だからこそ、レオネルには簡単に受け入れることができなかった。

 

「では……」

 

 しばらく考えた末、レオネルは顔を上げる。

 

「我々が第三層へ出向くというのはどうでしょうか」

 

「何をするのです?」

 

「人口を減らします」

 

 言葉にすることを躊躇いながらも、レオネルは続けた。

 

「今回の異常は、人口増加が原因なのでしょう? ならば我々自身が第三層へ向かい、必要な数だけ人口を減らせばいい。初めて起きた事態なのですから、いきなり切り離すのではなく、段階を踏むべきです」

 

 第三層に住む人間を助けたいからではない。

 レオネルにとって最も重要なのは、第一層への魔力供給を維持することだった。

 第三層の住民をある程度減らすことで世界が安定するなら、その方が遥かに被害は少ない。

 

 だが。

 

 エルミラは静かに首を横へ振った。

 

「意味がありません」

 

「なぜです!」

 

「第三層より上で人を殺しすぎれば、むしろ魔力の負荷が増します」

 

「……負荷が?」

 

「ええ」

 

 レオネルは理解できず、僅かに眉を寄せた。

 

「人口を減らすことが目的なのではないのですか?」

 

「ただ人が死ねばよいわけではありません」

 

「では……どうすれば」

 

 エルミラは石板伝書を机の上へ置いた。

 その表情には、今まで一度も迷いが浮かんでいない。

 

 まるで。

 

 これから口にすることが、世界の当然の仕組みであるかのように。

 

「決まっているでしょう」

 

 静かな大聖堂の最深部で。

 エルミラは告げた。

 

「最下層の魔物が、人を殺さなければならないのです」

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