四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
切り離し
ロフルが第三層へ帰還していた頃から、約一年の月日が流れていた。
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第一層――ソヴリンスター大聖堂。
天へ突き刺さるように伸びた無数の尖塔と、緻密な彫刻が施された巨大な外壁。
上下左右の均整が取れた荘厳な造りは、ロフルが前世で見ればミラノ大聖堂を思い浮かべただろう。
だが、その規模は比較にならない。
建造物だけで約四万平方メートルもの広さを持ち、第一層に存在する宗教施設の中でも最大級を誇っていた。
昼間であれば多くの神徒が祈りを捧げる場所だが、その最深部へ立ち入れる者は限られている。
白い石材で囲まれた静かな一室。
そこに二人の人物がいた。
一人は、純白の司祭服をまとった赤い髪の女性。
長い髪を背中へ流し、感情の薄い表情で一枚の石板伝書を眺めている。
そしてもう一人は、全身を真紅のプレートアーマーで覆った男だった。
顔すら見えないフルフェイスの兜を装着し、女性の少し後ろで直立している。
女性が手にしている石板伝書は、フロストハート家が代々記してきたものだった。
《極光神輪の神殿》。
そこにある石板へ浮かんだ記述を写し取り、第一層へ伝えるための記録。
その最新のページには、これまでにない異常が記されている。
『緊急事態発生のため、排除装置は現在停止中』
『通常転送も停止しています』
女性――エルミラ・S・ソヴリンスターは、その文字を無表情のまましばらく見つめていた。
やがて石板伝書を閉じる。
「排除装置が停止してから、一年以上が経過しています」
静かな声だった。
だが、その内容に反して迷いはない。
「第三層以下を、早急に切り離すべきでしょう」
「エルミラ様!」
真紅の鎧をまとった男が、思わず声を上げた。
「その判断はまだ早すぎます!」
「レオネル」
エルミラの声が僅かに低くなる。
それだけで、男は続きを言いかけて口を閉ざした。
「何か起きてからでは遅いのです。我らソヴリンスター家の使命を忘れましたか?」
「……いいえ」
「ならば答えなさい」
エルミラはレオネルへ視線を向ける。
「我らの使命は?」
レオネルは一瞬だけ沈黙した。
そして、覚悟を決めたように答える。
「第一層を守り抜くことです」
「その通り」
エルミラは小さく頷いた。
「他の何を犠牲にしても、第一層だけは守らなければならない。それがソヴリンスター家に課せられた使命です」
「理解しているではありませんか」
エルミラは再び石板伝書へ視線を落とした。
「このまま第三層の人口が増え続ければ、世界そのものが過重に耐えられなくなる。排除装置が機能していない以上、いずれ崩壊へ繋がります」
レオネルの拳に力が入る。
「ですが……第三層以下を切り離すなど、過去に一度も行われておりません」
「だからこそ、今まで残されている最終手段なのです」
第三層以下の切り離し。
その言葉通り。
四つ存在する世界のうち、第三層と最下層を第一層、第二層から完全に分断する処置である。
一度切り離されれば、再び行き来することはできない。
その後、第三層と最下層がどうなるのかを正確に知る者はいなかった。
ただ、古くから一つだけ言われている。
切り離された層は、やがて消滅する。
それが事実かどうか確認した者はいない。
確認する方法もない。
だからこそ、これまで一度も実行されなかった。
「しかしエルミラ様!」
レオネルは諦めずに食い下がる。
「仮に第三層以下を切り離した場合、第一層への魔力供給は七割以上失われます!」
「分かっています」
「現在の第一層は、魔力なしでは維持できません。大聖堂だけではない。生活設備、移動設備、結界、各施設の維持……どれだけの影響が出るか予測すらできないのです!」
「それでも」
エルミラの表情は変わらない。
「世界そのものが崩壊するよりは、遥かにましでしょう」
「……」
レオネルは答えられなかった。
第一層では、魔力を用いた設備が生活の隅々まで浸透している。
そして、その魔力の大半は下層から供給されていた。
第三層以下を切り離すということは、単に二つの層を失うだけではない。
今の第一層の生活そのものを根底から変える可能性がある。
だからこそ、レオネルには簡単に受け入れることができなかった。
「では……」
しばらく考えた末、レオネルは顔を上げる。
「我々が第三層へ出向くというのはどうでしょうか」
「何をするのです?」
「人口を減らします」
言葉にすることを躊躇いながらも、レオネルは続けた。
「今回の異常は、人口増加が原因なのでしょう? ならば我々自身が第三層へ向かい、必要な数だけ人口を減らせばいい。初めて起きた事態なのですから、いきなり切り離すのではなく、段階を踏むべきです」
第三層に住む人間を助けたいからではない。
レオネルにとって最も重要なのは、第一層への魔力供給を維持することだった。
第三層の住民をある程度減らすことで世界が安定するなら、その方が遥かに被害は少ない。
だが。
エルミラは静かに首を横へ振った。
「意味がありません」
「なぜです!」
「第三層より上で人を殺しすぎれば、むしろ魔力の負荷が増します」
「……負荷が?」
「ええ」
レオネルは理解できず、僅かに眉を寄せた。
「人口を減らすことが目的なのではないのですか?」
「ただ人が死ねばよいわけではありません」
「では……どうすれば」
エルミラは石板伝書を机の上へ置いた。
その表情には、今まで一度も迷いが浮かんでいない。
まるで。
これから口にすることが、世界の当然の仕組みであるかのように。
「決まっているでしょう」
静かな大聖堂の最深部で。
エルミラは告げた。
「最下層の魔物が、人を殺さなければならないのです」