四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
第一層――神徒大図書館。
天井まで届く巨大な本棚が幾重にも並び、古い書物や石板、歴代の神徒が残した記録が保管されている。
第一層でも最大規模を誇るこの図書館で、セレナスは一冊の本を棚へ戻した。
「……これも違うか」
あれから一年以上。
セレナスは最下層へ向かう方法を探し続けていた。
十歳の神徒だけを転送する魔法陣。
年齢を判定する仕組み。
転送先の変更方法。
関連しそうな記録を見つけては読み込んできたが、未だ決定的な情報には辿り着けていない。
それでも、この一年を無駄に過ごしていたわけではなかった。
「ほう」
背後から声がする。
「随分と綺麗になったものだな」
セレナスはすぐに振り返った。
「ワイズ様」
そこにいたのは、ワイズ・A・モーンブレイズだった。
「ありがとうございます。この大図書館の保全という重要な仕事を任せていただき、本当に光栄に思っております」
セレナスが頭を下げると、ワイズは苦笑した。
「相変わらず堅いな。もう一年以上になるというのに」
「立場がありますので」
「ここには我々しかいない。少しくらい畏まらなくても構わん」
ワイズは近くの机へ向かい、椅子を引いた。
「ちょうどいい。少し休憩しよう」
「はい」
セレナスも向かいに腰を下ろす。
一年前、転送魔法陣を調べていたところをワイズに見つかった。
あの時は最悪の相手に見つかったと思った。
だが今では、そのワイズこそがセレナスにとって最も重要な人物の一人になっている。
S階級へ近づくためには、まずA階級の人間から信用を得る必要がある。
そう考えたセレナスは、この一年間モーンブレイズ家の仕事を積極的に手伝い続けた。
その一つが、この大図書館の管理だった。
「しかし助かっているよ」
ワイズが本棚を見渡す。
「サンルイス家が没落してからというもの、この仕事まで我々に回ってきたからな。転送魔法陣の管理だけでも面倒だというのに、本当に困っていたのだ」
「サンルイス家……」
セレナスは名前を思い出す。
「確か、忌み子を二人続けて産んだことで没落した家ですね」
「そうだ」
ワイズは当然のことのように頷いた。
「二人続けてユニークリングを持った子供が生まれるなど、普通ではない。家そのものが呪われている証拠だと判断された」
「……なるほど」
「一人ならまだしも、二人続けてだからな。上でも相当問題になった」
セレナスは表情を変えずに話を聞いていた。
第一層では珍しくない考え方だ。
十歳の時点でユニークリングを持つ者は忌み子とされ、最下層へ追放される。
それが二人続けば、子供だけではなく家そのものまで問題視される。
「それで大図書館の管理もモーンブレイズ家へ?」
「ああ。本来なら他家へ振り分けてもよかったのだが、なぜかわしらのところへ来た」
「でしたら、これからも私ができる限りお手伝いします」
「頼むよ。本当に助かっている」
ワイズは満足そうに頷いた。
セレナスにとっても都合がいい。
大図書館の管理に関われば、普段なら簡単には閲覧できない資料へ触れられる機会が増える。
それこそが、彼がこの仕事を引き受けた最大の理由だった。
「そういえば」
ワイズが少し声を落とした。
「お前、聞いたか?」
「何をでしょう」
「ソヴリンスター家で、今かなり大きな話し合いが行われているらしい」
セレナスは興味を示しながらも、表情には出しすぎないようにした。
「それは興味深いですね」
「ここだけの話だぞ」
ワイズは周囲へ目を向ける。
誰もいないことを確認してから、さらに声を潜めた。
「第三層以下を切り離すことを検討しているそうだ」
「……切り離し?」
「ああ」
セレナスは一瞬だけ言葉を失った。
だが、すぐに平静を装う。
「そこまで深刻な状況なのですか?」
「排除装置が止まってから一年以上経つ。人口調整も進んでいないらしい。このまま放置する方が危険だと考える者が増えているそうだ」
「実行される可能性は?」
「まだ分からん。ただ、ソヴリンスター家が本格的に議題へ上げた以上、無視できる話ではないだろうな」
「……そうですか」
セレナスは静かに頷いた。
しかし、その内側では焦りが一気に膨らんでいた。
・・・
・・
・
「今日はありがとうございました」
「ああ。また頼むよ」
仕事を終え、セレナスはワイズへ頭を下げた。
「次も整理を任せていいか?」
「もちろんです」
「では、またな」
ワイズが去っていく。
その姿が完全に見えなくなってから、セレナスはようやく表情を崩した。
「……くそ」
思わず小さく吐き捨てる。
「僕が手間取っている間に、とんでもないことになっているな」
切り離し。
その言葉には覚えがある。
以前、大図書館で見つけた古い資料の中に、僅かな記述が残されていた。
第三層以下を第一層、第二層から完全に分断するためには、最下層に存在する《分断の祭壇》を起動しなければならない。
問題は、その先だ。
「確か……起動した者も、切り離される」
祭壇を作動させた者は戻ることができない。
第三層以下と共に分断される。
そして切り離された世界が本当に消滅するのであれば、起動者もまた生きては戻れないだろう。
誰かがやらなければならない。
だが、その役目を進んで引き受ける者などいるはずがない。
「……いや」
セレナスの足が止まる。
考え方を変えれば。
これは危機であると同時に。
機会でもある。
「誰が祭壇を起動するか……必ず揉める」
S階級。
A階級。
B階級。
C階級。
誰の家から人員を出すのか。
どの階級へ命じるのか。
命令された者は、本当に素直に受け入れるのか。
簡単に決まる話ではない。
だが。
「もし僕が、その役目に選ばれれば……」
最下層へ行ける。
これまでどれだけ探しても見つからなかった方法が、向こうから現れることになる。
もちろん、切り離しを実行するつもりなどない。
祭壇へ辿り着いたあとに何をするかは、その時考えればいい。
重要なのは。
第一層から最下層へ合法的に降りられる可能性が生まれたことだ。
「でも、どうやって僕が選ばれる」
B階級の自分に、そんな重大な役目が簡単に回ってくるとは思えない。
むしろ命令を下すのは、S階級の人間だろう。
そこへ近づくために一年かけてワイズとの関係を作ってきたが、まだSへ直接接触できる段階には届いていない。
「時間がないな……」
切り離しが正式に決まってから動いていては遅い。
人選が始まる前に、自分を候補へ入れられる立場まで行かなければならない。
セレナスはその日の仕事を終えたあと、《極光神輪の神殿》へ向かった。
いつものように石板の前へ立ち、浮かび上がった記述を黒いペンで記録していく。
何度繰り返したか分からない作業だった。
だが今までとは違う。
焦りがある。
第三層以下が切り離される前に。
自分が最下層へ辿り着かなければならない。
「……どうする」
ペンを動かしながら考える。
残された時間は分からない。
一か月なのか。
半年なのか。
あるいは次の会合で、すぐに決まってしまうのか。
それでもセレナスは手を止めなかった。
今日もまた。
石板に浮かんだ文字を一つずつ記録しながら、最下層へ向かう道を探し続けていた。