四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
数日後。
セレナスは再び神徒大図書館にいた。
モーンブレイズ家から任されている整理や保全の仕事を終えたあと、今日も人の少ない区画へ足を運び、古い資料を調べていた。
最下層への転送方法を探し始めてから一年以上。
大図書館へ自由に出入りできるようになったことで、以前とは比べものにならないほど多くの資料へ触れられるようになったが、未だ決定的な情報は得られていない。
そんな中、セレナスが今日手にしていたのは、一冊の古びた本だった。
「神徒階級史……」
題名の通り、神徒の階級制度がどのように形成されてきたかをまとめた記録らしい。
今さら知る必要もない内容が多かったが、過去の制度に何か使える情報がないかと読み進めていた。
現在、神徒には四つの階級が存在する。
頂点に立つ《S》は二家。
その下に《A》が三家、《B》が四家。
そして、それ以外の神徒は全て《C》へ分類されている。
セレナスのフロストハート家はB。
ワイズのモーンブレイズ家はA。
そして、先日第三層以下の切り離しを提案したソヴリンスター家は、二家しか存在しないSの一つだった。
「……昔は今より露骨だったんだな」
本を読み進めるうちに、セレナスは小さく呟いた。
神徒は基本的に、神徒同士で殺し合うことができない。
厳密には違う。
剣で斬れば血は流れる。
腕を失うこともあれば、身体を完全に破壊することさえできる。
死ねば肉体は崩れ、光の粒子となって消滅する。
だが、それで終わりではない。
第一層に存在する《天与の祭壇》。
"第一層"で神徒が死亡すると、その者の身体は祭壇によって再び構築され、蘇生する。
どれほど致命的な傷を負おうと。
肉体そのものを失おうと。
祭壇が正常に機能している限り、神徒に完全な死は訪れない。
しかし、その天与の祭壇にも例外があった。
「一年に……七日間」
セレナスの指が文章の上で止まる。
毎年、洗礼の試練が始まる前日までの七日間。
その期間だけ、天与の祭壇は機能を停止する。
理由についての記述はない。
ただ、その七日間に死亡した神徒だけは復活することができないと記されていた。
さらに古い時代。
現在の階級制度がまだ定着していなかった頃には、この七日間を利用した争いが頻繁に起きていたらしい。
上位の家を殺し。
地位を奪う。
逆に上位の家も、自らの立場を脅かす者を排除する。
毎年訪れる七日間は、神徒にとって序列を奪い合うための期間でもあった。
「……随分と物騒だったんだな」
今では、そのような争いはほとんど起きていない。
理由の一つとして、本にはソヴリンスター家の名が何度も登場していた。
圧倒的な力を持つS階級。
歴代のソヴリンスター家当主は、他家が束になっても敵わないほどの力を持っていたという。
誰も挑まない。
挑んでも勝てない。
長い年月を経て、現在の序列は固定されていった。
セレナスは本を閉じかけ、ふと思う。
(いっそ……僕たちフロストハート家がソヴリンスター家を倒せば……)
Sに上がれる。
そうなれば、最下層へ向かう者の選定にも直接関与できる。
誰かに取り入る必要もなくなる。
だが、すぐに自分でも馬鹿らしくなった。
(何を考えているんだ。そんなことができるなら、とっくに誰かがやっている)
夢物語だ。
そう結論づけた、その時だった。
「やるか? それ」
「――ッ!」
背後から突然声を掛けられた。
セレナスは勢いよく振り返る。
いつからそこにいたのか。
本棚の間に、一人の若い男が立っていた。
赤い髪を短く切り揃え、神徒らしい赤い瞳を持つ男。
年齢はセレナスとそれほど変わらないように見える。
しかし、その顔を知らない神徒はほとんどいない。
「ゼイン・S・レインフォージ様……!」
セレナスは即座に立ち上がり、その場へ膝をついた。
ソヴリンスター家と並ぶ、もう一つのS階級。
レインフォージ家。
その一員であるゼインが、目の前に立っていた。
「な、なぜこのような場所に……」
「畏まらなくていいって」
ゼインは面倒そうに片手を振った。
「今はSもBも関係なしだ」
「いえ、しかし……」
「そういうのいいから。それより」
ゼインの視線が、セレナスの持っている本へ向く。
「それ、すげえ真剣に読んでたな」
「……」
セレナスは一瞬だけ言葉に詰まった。
「神徒の歴史を知ることも、知識を深めるうえでは重要かと思いまして。あくまで知識吸収の一環として読んでいただけです。他意はありません」
「ふーん」
信じたのかどうか分からない。
セレナスはすぐに本を閉じ、棚へ戻そうとする。
しかし、ゼインがその腕を止めた。
「別に戻さなくていい」
「……はい?」
ゼインは周囲を見渡し、近くの机へ腰を下ろした。
「お前、知ってるか?」
「何をでしょう」
「第三層以下の切り離し」
セレナスの手が僅かに止まる。
「正式に決まったぞ」
「……!」
一瞬だけ、驚きが表情に出た。
だが、すぐに抑える。
「切り離し……とは、何のことでしょうか」
ゼインは数秒間セレナスを見つめたあと。
「あっはっは!」
突然笑い出した。
「とぼけなくていいって。モーンブレイズの爺さんに一年もべったりなんだろ? 何も知らない方が不自然だ」
「……」
「安心しろ。告げ口するつもりはねえよ」
ゼインは机へ肘をつく。
「むしろ俺は、大反対だからな。それ」
「反対……?」
「ああ」
先ほどまで笑っていた男の表情が変わった。
「ソヴリンスター家は一応、形式上は俺たちレインフォージ家も呼んでS階級の会合を開く。二家で話し合って決めましたって形だけは作るんだ」
ゼインは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「だが、俺たちの意見なんざ最初から聞く気がねえ。うちの長老どもがソヴリンスターの言いなりだからな」
同じS階級。
表向きは対等。
だが実際には、ソヴリンスター家の影響力が遥かに強い。
「ずっとそうだった」
ゼインは静かに続ける。
「何を決めるにしてもソヴリンスターが先に答えを出して、うちの年寄りどもがそれに頷く。それでも今までは我慢してきた」
「……」
「でも今回は駄目だ」
ゼインの赤い瞳が鋭くなる。
「第三層と最下層を丸ごと切り離すなんて決定は、看過できねえ」
セレナスは黙って話を聞いていた。
自分が一年かけても接触できなかったS階級の人間が、目の前で内情を話している。
しかも。
その男は、現在の支配体制に明確な不満を持っている。
ゼインはセレナスの手元にある本を指差した。
「だからさ」
口元に笑みを浮かべる。
「それ、やるしかねえと思ってる」
「……まさか」
セレナスは古い本を見る。
七日間。
天与の祭壇が止まり、神徒が本当の意味で死ぬ期間。
「ソヴリンスター家と……戦うおつもりですか?」
「必要ならな」
あまりにも簡単に言う。
「ですが、今年は洗礼の試練そのものが停止しています」
排除装置の停止に伴い、通常転送も起きていない。
「洗礼の試練が行われないのであれば、その前の七日間も天与の祭壇が停止するとは限らないのでは?」
「それはない」
ゼインは即答した。
「今年も七日間は止まる」
「なぜ、そのようなことが分かるのです?」
「実証済みだからだ」
「……実証」
セレナスは一瞬だけ眉を動かした。
何をもって実証したのか。
誰で試したのか。
聞こうと思えば聞ける。
だが、ゼインの表情を見てやめた。
今は触れない方がいい。
「興味があるなら、今夜うちへ来い」
「レインフォージ家へ?」
「ああ」
ゼインは服の内側から、小さな金属板を取り出した。
赤い紋様が刻まれている。
「通行証だ。これがあれば屋敷の中まで入れる」
セレナスは差し出された通行証を受け取った。
薄い板だが、手にした瞬間に僅かな魔力を感じる。
「なぜ……僕に?」
「さてな」
ゼインは立ち上がった。
「ただ、一年以上もAのモーンブレイズ家に取り入って、大図書館で毎日のように古い資料を漁ってるB階級なんて珍しいだろ」
「……」
「それに」
ゼインは、セレナスが読んでいた神徒階級史を見る。
「ソヴリンスターを倒すことまで考えてた奴なら、話くらい聞く価値はある」
「声に出していましたか……?」
「いや?」
「では、なぜ」
「顔に出てた」
「……」
セレナスは何も言えなかった。
ゼインは楽しそうに笑いながら、出口へ向かって歩いていく。
そして、扉の前で一度だけ振り返った。
「S階級の人間と腹割って話せるなんて、二度とねえ機会かもしれないぜ」
それだけ言い残し、ゼインは図書館を後にした。
静寂が戻る。
セレナスはしばらく動かなかった。
手の中にある通行証へ目を落とす。
一年前。
S階級へ接触するためには、まずA階級のモーンブレイズ家へ取り入るしかないと考えた。
そのために一年を費やした。
だが今。
求めていたSへの道が、向こうから突然開いた。
しかも、その先にいるのは。
第三層以下の切り離しへ反対し、ソヴリンスター家に戦いを挑もうとしている男。
危険なのは間違いない。
それでも。
セレナスは通行証を強く握った。
「……行くしかないな」
最下層へ辿り着くために。
残された時間は、もう多くなかった。