四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
第一層――ソヴリンスター大聖堂。
その最深部に、ゼイン・S・レインフォージの姿があった。
今日は一人ではない。
隣にはレインフォージ家の長老が控えており、その手には一枚のスクロールが握られている。
そして二人の正面には、純白の司祭服をまとったエルミラ・S・ソヴリンスターが座っていた。
ソヴリンスター大聖堂は、同家が所有する宝珠要塞の有効圏内に建てられている。
宝珠と同期した者だけが使用できる特殊な魔法――《フォースアウト》と《リターンブレイク》も、この場所であれば発動可能だった。
「エルミラ様」
レインフォージ家の長老が一歩前へ出る。
「我が家で捕らえている罪人について、本日刑を執行したく参りました」
スクロールを差し出す。
「《フォースアウト》及び《リターンブレイク》。二つの使用許可を頂きたい」
エルミラは受け取ったスクロールを開き、記載された内容へ目を通した。
「リザーマ……」
罪人の名を読み上げる。
しばらく確認したあと、僅かに眉を動かした。
「刑の執行が、予定より随分と早いですね」
ゼインが横から答える。
「第三層以下の切り離しが本格的に始まる前に片づけておきたいんだよ」
「なぜ急ぐ必要が?」
「切り離したあとも《フォースアウト》がまともに機能する保証なんてねえだろ? 最下層そのものが切り離されるんだからな」
エルミラは何も言わず、もう一度スクロールへ目を落とした。
《フォースアウト》。
宝珠と同期したA階級以上の家だけに許された特殊魔法。
対象者の魔法輪へ直接触れることで、その者を強制的に最下層へ転送する。
さらに《リターンブレイク》を先に使用すれば、《リターン》そのものを一年間封じることができる。
かつて重罪人を最下層へ追放する際には、この二つを組み合わせることがあった。
「……確かに」
エルミラはスクロールを閉じる。
「第三層以下を切り離した後、この権限がどのような扱いになるかは分かりません」
「だろ?」
「そういうことでしたら、刑の執行を許可します」
ゼインの口元が僅かに緩んだ。
「感謝する」
そして入口へ向かって声を上げる。
「おい! リザーマ、入れ!」
扉が開いた。
兵士に連れられ、一人の男がゆっくりと部屋へ入ってくる。
全身を古びた衣服で覆い、頭には深くフードを被っているため顔は見えない。
男はゼインの前まで来ると、何も言わず膝をついた。
「こいつだ」
ゼインがそう言って近づこうとした。
だが。
「待ちなさい」
エルミラの声が飛ぶ。
ゼインの足が止まった。
「……何だ?」
「フードを取りなさい」
部屋の空気が、一瞬で変わった。
「は?」
「罪人の顔を確認します」
「必要ねえだろ。記録も出したし、長老も立ち会ってる」
「本当にリザーマなのですか?」
エルミラの赤い瞳が、フードの男へ向けられる。
ゼインは肩をすくめた。
「どういう意味だよ、エルミラ。こいつが別人だって言いたいのか?」
「念のためです」
「……」
「フードを取りなさい」
譲る気はないらしい。
ゼインは小さく舌打ちすると、フードの男へ近づいた。
「分かったよ。面倒だな」
手を伸ばす。
フードへ指が掛かる。
その瞬間だった。
「ゴボッ!」
男の身体が大きく震えた。
直後。
口元から大量の血が噴き出し、白い床へ飛び散った。
「なっ!?」
ゼインが咄嗟に身体を引く。
男は激しく咳き込みながら、床へさらに血を吐いた。
「お、お前……!」
エルミラの表情が変わった。
先ほどまでの疑いではない。
明確な怒りだ。
「……なんということを」
真っ白な床へ広がる赤。
大聖堂の最深部。
神聖な場所として扱われているこの部屋で、決して歓迎される光景ではなかった。
「もうよい!」
エルミラが声を荒らげる。
「え?」
「もはや誰でも構いません!」
先ほどまで本人確認にこだわっていたことなど忘れたかのように、汚れた床を睨みつけている。
「神聖なこの場所を血で汚すなど……許されることではありません。直ちに排除しなさい!」
「……分かった」
ゼインは男の前へしゃがみ込んだ。
フードの奥から荒い呼吸が聞こえる。
「じゃあ、刑を執行する」
まずは。
「《リターンブレイク》」
ゼインの手が、男の腕に浮かぶ魔法輪へ触れた。
宝珠と同期した権限が流れ込む。
その瞬間。
《リターン》を示す魔法輪から光が失われた。
白かった輪が、墨を流し込んだように黒く染まっていく。
完全に沈黙した。
一年間。
これで、この男は《リターン》を使用できない。
「続けるぞ」
ゼインは一度手を離す。
そして再び、男の魔法輪へ手を添えた。
「《フォースアウト》」
今度は別の力が流れ込む。
魔法輪が一瞬だけ強く光った。
男の身体にも淡い光が広がっていく。
そして。
一瞬だった。
フードを被った罪人の姿が、その場から完全に消えた。
最下層へ。
強制的に転送されたのだ。
「終了だ」
ゼインが立ち上がる。
エルミラは男が消えた場所ではなく、床へ残された血を見ていた。
「まったく……」
不快そうに眉を寄せる。
「この場所を必ず清掃しておきなさい。染み一つ残すことは許しません」
「分かってるよ」
「それでは」
エルミラはそれ以上、罪人について興味を示すこともなく部屋を後にした。
長老も彼女を見送る。
扉が閉じ。
足音が完全に遠ざかったところで。
「…………ふぅ」
ゼインは大きく息を吐いた。
額には、僅かに汗が滲んでいる。
「あっぶねえ……」
あと少し。
フードを取られていたら。
全てが終わっていた。
「セレナスだってバレるところだったぜ……」
床に残された血を見ながら、ゼインは苦笑した。
一年以上、最下層へ向かう方法を探し続けていた男。
セレナス・B・フロストハート。
彼は今。
罪人《リザーマ》の名を借り。
《リターン》を一年間封じられた状態で。
ついに――最下層へと送られていた。