四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
道場の一室には、いつもより少し多い人数が集まっていた。
俺とハナ、岩剛斎、セレナス。そして向かい側には、フィリアンドと父さん――カルサコが座っている。
「フィリアンド、見違えたな」
久しぶりにじっくり顔を見ると、以前より明らかに身体つきが変わっていた。
フィリアンドは、まだハナが最下層へ落とされた時、一緒に救出することができた子供の一人だ。
同年代の中でもとりわけしっかりしていて、俺がまだ第三層へ戻れなかった時には、帰還する彼へ両親宛ての伝言を頼んだこともある。
あの頃はまだ子供らしい細さが残っていたが、今は腕にも肩にもかなり筋肉がついている。
「ハナに負けないよう、鍛錬はずっと欠かさず続けてきましたから!」
フィリアンドはそう言って胸を張った。
「まあ、まだ全然勝てませんけどね」
「それは仕方ないと思うぞ」
ハナは元々身体能力が高いうえ、今では闘気まで使う。普通の第三層の人間が追いつこうと思えば、相当な努力が必要になるだろう。
そんなやり取りをしている横で、セレナスは昨日ハナが持ち帰ってきたチラシをじっと見ていた。
「……間違いない。これはゼインの作戦の一つだ」
「分かるのか?」
「ああ。ここを見ろ」
セレナスが指差したのは、チラシの右下だった。
一見すると印刷の汚れにも見えるほど小さな印。その形をよく見ると、細い半月の中にアルファベットの《Z》を思わせる線が刻まれている。
「何だこれ?」
「僕とゼインの間で決めていた合図だ。ゼイン側から安全な経路や計画を用意できた時には、この印を使うことになっていた」
「じゃあ、この闘技場の募集そのものが……」
「少なくとも、ゼインが利用できるよう仕込んだものなのは間違いない」
セレナスはチラシを机へ置き、少し満足そうに頷いた。
「これでマスターキーを使って無理やり突破する必要はなくなりそうだな」
「ああ。第二層を安全に通過できるのは大きい」
第三層から第一層へ向かう場合、一番厄介なのは途中にある第二層だ。
第一層へ攻め込むための百人近い人間が、勝手に昇降機を使って第二層へ現れれば、どう考えても怪しまれる。その点、闘技場へ向かう戦士として貴族に連れていってもらえるなら、少なくとも移動中に正体を疑われる可能性は大幅に減る。
そこまで考えたところで、俺は改めてフィリアンドと父さんを見た。
「しかし……ハナ。本当に最初に行くのは父さんとフィリアンドでいいのか?」
「うん。この二人が一番いいと思う」
「理由は?」
「単純に強いから」
ハナは迷わず答えた。
「第三層だけで考えるなら、二人とも私の次くらいには強いと思うよ。最初に送るのは実力を確認してもらうためなんだから、下手な人を連れていくより二人の方がいい」
「だったら、その役は俺が行けばいいだろ」
そう言うと、ハナが何とも言えない顔をした。
「お兄ちゃんは駄目」
「なんでだよ」
「赤い右眼。魔法輪が六つ。ユニークリング。それに、普通の一般人じゃありえない戦闘力」
次々と挙げられていく。
「神徒に見せたら危険視されそうな要素が多すぎるよ。三輪くらいなら、遠目なら見間違いだったって誤魔化せるかもしれないけど、六輪はさすがに無理」
「……そ、そうか」
言われてみれば、その通りだった。
闘技場へ行って強さを見せるだけなら俺でもできるが、そこで余計な注目を浴びれば本来の目的に支障が出る。
俺は特に反論することもなく引き下がった。
「ロフル、そんな顔をするな」
父さんが笑いながら俺の肩を叩く。
「任せておけ。ハナほどではないが、俺もフィリアンドと一緒にしっかり修行してきた。筋トレも、毎日欠かしていないぞ」
「父さんまで筋トレって言うようになったのか」
「悪いか?」
「いや。なんか嬉しいけど」
父さんはさらに胸を張った。
「そこらの奴には負けないさ」
その姿を見ると、昔、剣を教えてもらっていた頃を思い出す。
本当なら止めたい気持ちがないわけではない。
第一層の闘技場がどんな場所なのか、俺たちはまだ詳しく知らない。実力を確認するだけと言われていても、そのまま戦わせられる可能性だってある。
それでも、この役目は誰かがやらなければならない。
危険だからと身内だけを外し、代わりに他の誰かを送り出すのでは意味がない。
「分かった。父さん、フィリアンド……頼んだ」
「任せろ」
「はい!」
二人が力強く頷く。
ハナもそれを確認すると、懐から一本の鍵を取り出してセレナスへ差し出した。
「それとセレナス。マスターキーは返しておくね」
「もういいのか?」
「うん。昇降機は一度鍵を差し込んで起動させれば、その後は鍵がなくても使えるみたい」
「そうか。それなら助かる」
セレナスは鍵を受け取ると、大切そうにしまった。
「どちらにしても、返してもらわなければならない理由ができていたところだ」
最下層と第三層を繋ぐ昇降機については、すでにリリアナが施設側から調査を進めていた。
その結果、巨大な縦穴の下部に隠されていた鍵穴が発見され、ハナが持っていたマスターキーを使って起動にも成功している。
これによって、巨大な穴を無理やり飛び降りるしかなかった最下層と第三層の移動が、大きく変わった。
今では昇降機を使えば、普通の人間でも安全に行き来できる。
「これなら戦士を最下層へ連れてくることもできるな」
「ああ」
俺が言うと、セレナスが頷いた。
七日間戦争まで残り五か月。
その間に第三層から戦う意思のある者を集め、順次この最下層へ運ぶ。そして《神輪の祭壇》を使い、可能な限り全員を三輪――《エンハンス》を扱えるところまで成長させる。
すでにハナは各地への呼びかけを始めており、岩剛斎も最下層側で協力者を探している。
「まずはフィリアンドとカルサコが先に第一層へ入る」
セレナスが机の上へチラシを広げながら話を整理する。
「そこで第三層の戦士が十分に使えると判断されれば、本隊となる百人規模の募集も正式に進むだろう。こちらとしては、その間に全員を鍛えておけばいい」
「闘技場へ行く頃には、向こうが想像してる一般人とは全然違う状態になってるってことだな」
「そういうことだ」
面白いくらいに計画が噛み合っている。
ゼインが第一層で道を作り、ハナが第三層から人を集める。俺たちは最下層でその人たちを鍛え、貴族が何も知らずに第一層まで運んでくれる。
「それで、ロフルと僕は別に動く」
セレナスがマスターキーを軽く叩いた。
「僕たちはこれを使って第一層を目指す」
父さんが少し驚いたようにこちらを見る。
「お前たちは闘技場へ行かないのか?」
「ああ。俺が混ざると余計なことになりそうだからな」
「それもあるが、ロフルには別の目的もある」
セレナスが俺を見る。
「《極光神輪の祭壇》か」
「そうだ」
俺の経験値は、ずっとレベル八・一相当で止まっている。
正確には経験値が足りないのではなく、《神輪の祭壇》ではそれ以上の魔法輪を得ることができないだけだ。
レベル七以降へ進むためには、《極光神輪の祭壇》が必要になる。
この一年、フーチェやリリアナたちと最下層を探し回っても見つからなかった。
それなら、まだ十分に調べていない上の層を探すしかない。
「第一層へ行けば、極光神輪について何か記録が残っている可能性がある」
セレナスの言葉に俺も頷く。
「俺が七輪になれれば、戦力としてもかなり変わるはずだしな」
どんな魔法が使えるようになるのかは、まだ分からない。
それでも六輪の《バースト》があれだけ強力だったことを考えれば、七輪以降が戦いに与える影響は大きいはずだ。
「決まりだな」
岩剛斎がゆっくりと頷いた。
「表から向かう者と、裏から向かう者。それぞれが別の役目を果たすというわけじゃな」
「そういうことになるな」
第一層へ向かう道は二つに分かれた。
フィリアンドと父さんは、闘技場の戦士候補として貴族に連れられ、堂々と第一層へ向かう。
俺とセレナスはマスターキーを使い、別の経路から第一層へ潜り込む。
そして第三層ではハナが戦士を集め、最下層では岩剛斎たちが受け入れの準備を進める。
あと五か月。
少し前まで、第一層なんて俺にはほとんど関係のない世界だった。
今ではそこへ向かうために、第三層と最下層の人間が動き始めている。
「じゃあセレナス」
「何だ?」
「俺たちも準備を始めようか」
「ああ。第一層へ戻るぞ」
セレナスにとっては、生まれ育った場所への帰還。
俺にとっては、初めて足を踏み入れる世界。
目的は《極光神輪の祭壇》を探し、さらに力を得ることだった。