四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
セレスティアンブレードの男に続き、俺とセレナスは昇降機のある建物から離れていった。
少し先に開けた場所があるらしく、そこで俺の実力を確かめるつもりらしい。
だが、歩き始めて間もなく、俺は周囲の異様な光景に気づいた。
「……なんだよ、これ」
道端に人が倒れている。
一人や二人ではない。
腹を押さえてうずくまっている男や、壁にもたれたまま動かない者。腕を失い、布を巻いて必死に血を止めている者までいる。
少し離れた場所では、血まみれになった男を女性が抱きしめていた。
「お願い……しっかりして。誰か、誰か治療を……!」
泣きながら助けを求めているが、周囲の者たちは誰も近づこうとしない。
それどころか、俺たちの前を歩く大男へ怯えた視線を向けていた。
「セレナス、これって……」
「黙って歩け」
「でも――」
「今は何もするな」
小声ではあったが、強い口調だった。
俺は拳を握りながら歩き続ける。
すると、前を歩いていたセレスティアンブレードが突然足を止めた。
兜がゆっくりと横へ向き、その視線の先には先ほどの男女がいる。
女性はまだ倒れた男を抱きしめていた。
「お願い……目を開けて……」
次の瞬間、巨大な鉈が横薙ぎに振るわれた。
「――え?」
何が起きたのか理解するより早く、男を抱えていた女性ごと身体が切断された。
血が石畳へ飛び散る。
周囲から悲鳴すら上がらなかった。
誰もが声を押し殺し、ただその場で固まっている。
「みてるんじゃねえよ」
大男はそれだけ言うと、何事もなかったかのように鉈を肩へ担いだ。
「――ッ!」
頭の中が一瞬で熱くなる。
気づけば前へ踏み出しかけていた俺の腕を、セレナスが強く掴んだ。
「ロフル、抑えろ……!」
「離せ」
「今は駄目だ!」
「あいつ、今……!」
「分かっている!」
セレナスも顔を歪めていた。
平然としているわけではない。それでも俺の腕を離そうとはしなかった。
「いつものことだ」
「……は?」
「奴にとっては、いつものことなんだ。ここでお前が正体を晒せば、今まで準備してきたものが全て終わる」
「いつものこと……?」
目の前で人を二人殺すことが、何でもない日常だというのか。
俺は歯を食いしばり、無理やり足を止めた。
今はまだ駄目だと、自分に言い聞かせながら大男の背中を睨み続ける。
・・・
・・
・
連れてこられたのは、建物に囲まれた広い石畳の広場だった。
周囲には貴族らしい人々が何人もいたが、セレスティアンブレードが現れると慌てて端へ移動していく。
大男は広場の中央まで進むと、巨大な鉈を地面へ突き立てた。
「その辺の貴族よりは楽しませてくれるよなぁ?」
兜の奥から、笑いを含んだ声が聞こえる。
「さあな。やってみれば分かるだろ」
俺は広場へ出た。
「こいよ」
「へへ! 威勢だけはいいな!」
大男が片手を上げる。
「《ブラスト》!」
放たれた魔法を見た瞬間、俺は目を細めた。
(これがブラスト……?)
俺の知っているものとは形が違う。
圧縮された魔力の塊ではなく、細長く研ぎ澄まされていて、まるで巨大な斬撃そのものだった。
俺は《エンハンス》には触れず、《闘気装》だけを身体にまとわせた。
受け止められるかもしれないが、わざわざ試す必要はない。
身体を半歩ずらすと、斬撃は俺の横を通過していった。
直後、背後から凄まじい音が響く。
振り返ると、太い大木が途中から綺麗に両断され、ゆっくりと倒れていくところだった。
「かなり切れるな……」
「ほお、避けたか」
「何度撃っても当たらないと思うぞ」
「そうかな?」
再び魔法輪が光る。
冷却時間を挟みながら、《ブラスト》が次々と飛んできた。
一発目を横へ避け、二発目は身体を沈め、三発目は最小限の動きだけでかわす。
魔法そのものはかなり速いが、発動前の身体の動きと魔力の流れを見れば軌道は読めた。
何度撃たれても、俺の身体を捉えることはない。
「ふむ……」
やがて男が攻撃を止めた。
兜に覆われているため表情は見えないが、少し考えているようだった。
「何だ? 終わりか?」
「いや」
次の瞬間、男は俺から視線を外し、身体ごと後ろへ向き直った。
その先には、戦いに巻き込まれないよう遠くから様子を窺っていた貴族たちがいる。
「《ブラスト》」
「な――ッ!」
俺が声を上げた時には遅かった。
鋭い魔力の刃が一人の男を通過する。
男の身体は腰の辺りから切断され、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「お父さん!!!」
少女の悲痛な叫び声が広場へ響く。
俺の中で、何かが切れた。
「なんだ」
男がこちらへ兜を向ける。
「当たるじゃねえか――」
その言葉を最後まで聞くことはなかった。
地面を蹴る。
距離が一瞬で消えた。
「――ッ!?」
相手がこちらを認識した時には、俺の拳が兜の正面へめり込んでいた。
鈍い音とともに巨体が宙へ浮き、そのまま広場を横切って建物の壁へ激突する。
石造りの壁が砕け、瓦礫と砂埃が一気に舞い上がった。
「がはっ……! ごほっ……!」
崩れた壁の中から、苦しそうな咳が聞こえる。
男は立ち上がろうとしたが、身体に力が入らないらしい。
「な……なんだ……!?」
たった一撃。
それでも今の拳には、かなりの闘気を乗せた。
兜は大きくへこみ、その隙間から血が流れている。
俺は無言で近づいた。
「ま、待て……」
地面に落ちていた巨大な鉈を拾い上げる。
思った以上に重いが、振れないほどではない。
「ひ……」
さっきまで笑っていた男の声が震え始めた。
「や、やめろ。悪かった……もう貴族は殺さない」
俺は鉈を持ったまま、男の前で立ち止まった。
「ロフル!」
後ろからセレナスの声が聞こえる。
それでも振り返らなかった。
「俺は……ヒーローでも何でもねえよ」
「な、何を……」
「誰でも助けるなんて言えないし、どんな相手でも殺さないなんて立派な考えも持ってない」
鉈をゆっくりと持ち上げる。
「だから、殺した方がいいと思った奴はきっちり殺す」
「やめ――」
振り下ろした。
刃が男の身体を通過する。
次の瞬間、巨体は光の粒子へと変わり始めた。
「……死体が残らないのか」
肉体は完全に消え、その場には黒と白の鎧と巨大な鉈だけが残された。
セレナスが俺の横まで歩いてくる。
「ああ。神徒は死ぬと肉体が粒子化する」
「じゃあ、第一層の祭壇で復活するのか?」
「いや」
セレナスは静かに首を振った。
「《天与の祭壇》が神徒を再構築できるのは、第一層で死亡した場合だけだ」
「ってことは……」
「ここは第二層だ。奴はもう蘇らない」
俺は粒子が消えていった場所を見つめる。
「そうか……」
怒りに任せて殺した。
後悔しているかと聞かれれば、していない。
それでも、今までとは違う重さが胸の中に残る。
「やってしまったな……」
セレナスが額へ手を当てた。
「すまねえ。どうしても許せなかった」
「今さら責めても仕方がない。それに……これは大きなチャンスでもある」
「どういう意味だ?」
「セレスティアンブレードを一人、完全に排除できた」
セレナスは地面に残された鎧を見る。
「七日間戦争が始まる前に四人のうち一人が欠けた。この影響は小さくない」
「でも、バレたらまずいよな」
「当然だ」
セレナスの表情が険しくなる。
「問題は、この事実がいつ第一層へ伝わるかだ。ゴレドが第二層へ長期間居座っていたのなら、すぐに所在確認されない可能性もある。ただし、死んだと知られればソヴリンスター家は確実に動く」
「なら急いだ方がいいな」
「ああ。一刻も早くゼインの元へ向かう」
予定とはかなり違う形になってしまった。
だが、もう戻ることはできない。
「神徒様……」
突然、後ろから声を掛けられた。
振り向くと、一人の老人がこちらへ歩いてきていた。
服装を見る限り、この第二層に住む貴族なのだろう。
老人は俺たちの前まで来ると、深々と頭を下げた。
「本当に……ありがとうございました」
セレナスは少し困った顔をした。
「感謝される筋合いはない。むしろ今は、この件を黙っていてもらいたいくらいだ」
「もちろんです」
老人は迷うことなく答えた。
「我々は、あなた方の言う通りにいたします。命の恩人なのですから」
「命の恩人?」
「あの男……《鉈のゴレド》に、我々は長い間苦しめられてきました」
老人はゴレドの装備が残された場所を見る。
「もう何年になるでしょう。あの男は第一層へ戻ることもなく、この第二層へ居座り続けていました。気に入らないというだけで人を斬り、時には町一つを荒らすことすらあった」
「誰も止めなかったのか?」
「誰が止められるというのです」
老人は寂しそうに笑った。
「神徒、それもソヴリンスター家直属のセレスティアンブレードです。第二層の貴族では逆らうことなどできません」
周囲を見る。
さっきまで怯えていた貴族たちが、少しずつこちらへ集まり始めていた。
「我々の間では、もはや災害の一つとして扱われていたほどです」
「災害……」
「いつ現れるか分からない。目をつけられれば死ぬ。それなら嵐と同じように、過ぎ去るのを待つしかない。そう考えるしかなかったのです」
そこまで言うと、老人は俺へ視線を向けた。
「ところで、一般の方」
「俺?」
「お名前を伺っても?」
「……ロフルだ」
老人はその名前を覚えるように、一度ゆっくりと頷いた。
「ロフル様」
「様はいらないって」
「いいえ。あなたは、我々貴族にとって英雄です」
「……英雄ね」
さっき自分で口にした言葉を思い出す。
俺は首を横へ振った。
「俺はあんたたちを救うために戦ったわけじゃない。あいつが許せなかったから倒した。それだけだ」
「理由など関係ありません。結果として、我々は救われました」
「……」
英雄なんて呼ばれるのは、どうにも落ち着かない。
それより今は、もっと重要なことがある。
「だったら一つ頼みたい」
「何なりと」
「俺たちは第一層へ行きたい。ただし、他の神徒にはなるべく知られたくない」
老人は僅かに目を見開いた。
俺の隣では、セレナスが黙って様子を見ている。
少し考えたあと、老人は深く頷いた。
「承知しました」
「できるのか?」
「ここは我々の土地です。正式な昇降機を使えば記録が残りますが、それ以外にも中央都市には古い移動経路がいくつか存在します」
セレナスが反応する。
「それを知っているのか?」
「ええ。もっとも、貴族以外へ教えることは禁じられておりますが……」
老人はゴレドの装備へ目を向けた。
「今さら守るべき禁令とも思えません」
「助かる」
「こちらへ。ご案内いたします」
老人は俺たちへ背を向け、歩き始めた。
俺とセレナスもその後を追う。
「ロフル」
「ん?」
歩きながら、セレナスが小声で話しかけてきた。
「予定は大幅に狂った」
「……悪かったって」
「だが、結果的には悪くない。自力で中央都市を抜けるより、現地の貴族に案内してもらえる方が遥かに安全だ」
「なら、少しは良かったか」
「少しだけな」
セレナスはそう言いながらも、完全に安心した様子ではなかった。
「問題は、ゴレドの死がいつソヴリンスター家へ伝わるかだ。長く隠せるとは思わない方がいい」
「ああ」
俺は頷き、前を歩く老人についていった。
第一層へ入る前から、予定していた潜入はめちゃくちゃになった。
それでも新しい道は開いた。
あとはゴレドの死が知られるより先に、ゼインのもとへ辿り着くしかない。