四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
老人の後について中央都市を進みながら、俺は先ほどの戦いを何度も思い返していた。
鉈のゴレド。
ソヴリンスター家に仕える、四人のセレスティアンブレードの一人。
戦いそのものは、最後だけを見れば圧倒したように見えただろう。
だが、俺の中には妙な引っ掛かりが残っている。
(あいつ……《エンハンス》を使ってなかったんだよな)
俺も《エンハンス》は使っていなかったが、代わりに《闘気装》をまとっていた。
あえて闘気を選んだのは、ゴレドがこの力を知らないと考えたからだ。
闘気は、自ら目覚めていなければ見ることすらできない。何らかの圧力や違和感を覚えることはあっても、俺の身体を赤い闘気が覆っていることまでは分からないはずだ。
だからこそ、一般人の身体能力だけで攻撃をかわしているように見せながら、いざという時には闘気を使える。
実際、最後の拳にはかなりの闘気を乗せた。
エンハンスをまとっていない、生身の相手へ。
(普通なら、吹き飛ぶ前に身体がもたない)
少なくとも今の俺が、何の強化もせずに同じ攻撃を真正面から受ければ、原形を保っていられるとは思えない。
ところがゴレドは、壁を破壊するほど吹き飛ばされても生きていた。瀕死にはなっていたものの意識まで残っており、言葉を発する余裕すらあった。
魔法以前に、身体そのものが異常に頑丈だったということになる。
今回はゴレドが俺をただの一般人だと思い込み、完全に油断していたから一撃を入れられた。
しかし、残る三人と次に遭遇する時も同じようにいくとは限らない。むしろゴレドが消えたことを知られれば、最初から警戒された状態で戦うことになるだろう。
(万全のセレスティアンブレードか……)
そう考えると、背中に嫌な汗が浮かんだ。
第一層の神徒は五輪までしか持たない。
その情報だけを聞いた時には、自分の方がかなり有利だと思っていた。
だが、どうやら魔法輪の数だけで判断するのは危険らしい。
「こちらです」
老人の声で思考を切り替える。
案内された先には、建物と建物の間に隠れるように小さな昇降機が設置されていた。
「……これか?」
思わず聞き返してしまう。
これまで見てきた昇降機とは随分違う。
金属部分は赤茶色に錆びつき、扉にも細かな傷が残っていた。周囲には雑草まで生えており、知らなければとっくに廃棄された設備だと思って通り過ぎてしまいそうだ。
セレナスが扉の横へ近づき、表面を調べる。
「鍵穴は残っているな」
懐からマスターキーを取り出して形を確認した。
「これなら差し込めそうだ。問題は、第一層のどこへ出るかだな」
「申し訳ございません。それについては私にも分かりません」
老人が申し訳なさそうに頭を下げる。
「この昇降機は、もう何十年……いえ、それ以上使われていないはずです。存在を知っている者自体、今ではほとんどおりません」
「行き先の記録もないのか?」
「少なくとも、私が確認できる範囲にはございませんでした」
セレナスは少し考え、やがてマスターキーを鍵穴へ差し込んだ。
「なら、行ってみるしかないな」
「結局そうなるよな」
ここまで来て引き返す選択肢もない。
セレナスが鍵を回すと、長い間眠っていたとは思えないほど素直に内部から駆動音が響いた。
錆びついた扉がゆっくりと左右へ開いていく。
「動いたな」
「古そうなのに意外と丈夫だな」
「こういった設備は、見た目以上に長く動くものが多い」
人工的な施設を散々見てきた俺としては、少し納得できる話だった。
昇降機へ入る前に、俺は案内してくれた老人へ振り返る。
「ありがとう。本当に助かった」
「いえ。礼を申し上げるのはこちらです」
老人は深く頭を下げた。
「もし再び第二層へお越しになることがございましたら、どうぞ私の家へお立ち寄りください。できる限りのお力添えをいたします」
「その時は頼らせてもらうよ」
俺とセレナスは昇降機へ乗り込み、扉が閉まる。
やがて足元から振動が伝わり、俺たちを乗せた小さな箱は第一層へ向かって上昇を始めた。
・・・
・・
・
昇降機の中には、古い機械が動く低い音だけが響いていた。
しばらく黙っていた俺だったが、さっきから別の疑問も頭から離れない。
「というより、セレナス」
「何だ?」
「話が違うじゃないか」
「何の話だ?」
本当に分かっていないらしい。
「何の話って、ゴレドだよ。あいつの《ブラスト》、普通じゃなかっただろ」
「ああ」
セレナスはあっさり頷いた。
「刃のような形になってた。明らかに何かしらの特性を持ってるって事だ」
「ああ。ゴレドだけではないぞ」
「……何?」
「セレスティアンブレードは、四人全員が特殊な魔法を使うと聞いている。それも奴らが厄介だと言われる理由の一つだ」
「全員……?」
そこで、俺の中の違和感がさらに大きくなった。
「いや、ちょっと待て。そうじゃぁない」
「今度は何だ?」
「ユニークリングを持ってる神徒は、全員最下層へ送られるんじゃなかったのか?」
セレナスが怪訝そうな顔をした。
「特殊な魔法とユニークリングに何の関係がある?」
「……え?」
今度は俺が固まった。
冗談を言っている様子ではない。
セレナスは本気で、俺が何を言っているのか分かっていなかった。
そこでようやく、あることに気づく。
(そうか……)
神徒がユニークリングだと判明するのは、十歳の時。
そしてユニークリングを持っていれば、その時点で第一層から最下層へ送られる。
十歳の神徒は、まだ通常の魔法をほとんど習得していない。
つまり第一層に残った神徒たちは、ユニークリングを持つ者が成長した時に何が起きるのかを目にする機会そのものがほとんどない。
フーチェの《炎上》によって魔法に炎が加わることも、マグの《磁力》が魔法とは別の力として働くことも、俺の《制御》によって魔法の軌道や性質へ干渉できることも。
第一層の人間は知らないのではないか。
俺たちにとっては当たり前になっているが、
ユニークリングが既存の魔法へ特殊な性質を与える。
その事実自体が、第一層では知られていない可能性がある。
(でも、セレスティアンブレードは全員特殊な魔法を使う……)
偶然なのか?
四人全員が?
いや、それだけではない。
もし俺の考えが合っているなら、ソヴリンスター家はユニークリングについて、他の神徒が知らない何かを知っている。
そしてセレスティアンブレード以外にも、同じような者を隠している可能性だってある。
「ロフル」
「……」
「ロフル!」
「ん?」
「さっきから何を黙っているんだ」
「ああ、悪い」
今の考えをそのままセレナスへ伝えるべきか迷う。
まだ確証はない。
まずは一つ確認したかった。
「なあ。ユニークリングを持った神徒を最下層へ送るって決まりは、昔からあるのか?」
「当たり前だろう。少なくとも僕が知る限りでは、遥か昔から続いている」
「ソヴリンスター家も同じか?」
「もちろんだ」
セレナスは何を当然のことを聞いているんだという顔をする。
「ただし、ソヴリンスター家からユニークリングが生まれたという記録はない」
「……一度も?」
「ああ。長い歴史の中で一人も確認されていない。血統として極めて優秀なのだろう」
「そうか……」
むしろ、怪しい。
他の家からは何人も生まれているのに、第一層最大の家からだけ一人も出ていない。
そして、その家が抱える最強の戦士たちは全員が特殊な魔法を使う。
偶然で片づけるには、少し出来すぎている。
(今ここで言っても仕方ないか)
セレナスは、ユニークリングの能力と特殊魔法が結びついていることすら知らない。
下手に話せば混乱させるだけかもしれない。
まずはゼインに会う。
世界について調査してきたレインフォージ家なら、何か記録を持っている可能性がある。
「どうした?」
「いや、何でもない。ちょっと気になっただけだ」
「変な奴だな」
「お前にだけは言われたくない」
そんな会話をしながら、昇降機はさらに上昇していく。
第一層へ近づくにつれ、俺の中では期待よりも警戒の方が大きくなり始めていた。
極光神輪の祭壇。
ソヴリンスター家。
そして、表向きには存在しないはずのユニークリング。
第一層には、俺たちがまだ知らないものが相当隠されているのかもしれない。
・・・
・・
・
その頃、最下層。
フーチェはマグとアミナを前に、第一層で起きていることを一通り説明し終えていた。
第三層と最下層の切り離し。
それを止めるために、ソヴリンスター家をS階級から引きずり下ろす必要があること。
そして半年も経たないうちに、第一層で戦いが起こる可能性が高いことまで。
話を聞き終えると、マグはほとんど迷わなかった。
「マグも行く」
「私も!」
隣にいたアミナもすぐに手を挙げる。
「どうせここで待っていても、世界ごと消されるかもしれないんでしょ? だったら一緒に行くよ」
「二人とも、簡単に決めないでください」
フーチェは困ったように眉を下げた。
「第一層へ行けば、今までとは比べものにならないほど危険です」
「フーチェが行くなら、マグも行く」
「ですが……」
「三人でいた方が生き残れる」
マグの答えは変わらない。
アミナも姉の横で何度も頷いていた。
二人とも、一度決めたら簡単には曲げない性格だ。
それを知っているからこそ、フーチェも強く止めきれなかった。
ただ、一つだけ確認しておかなければならない。
「今回戦う相手は、魔物ではありません」
二人がフーチェを見る。
「人です」
フーチェは静かな声で続けた。
「私たちはこれまで、最下層でたくさんの魔物を倒してきました。でも今回は違います。相手は話すこともできれば、家族を持っているかもしれない神徒です」
戦いになれば、傷つけるだけでは済まない。
「一瞬の躊躇が、こちらの命取りになる可能性もあります」
「人……」
マグが小さく呟く。
少しは迷うかと思った。
しかし、彼女はすぐに首を傾げた。
「フーチェ」
「はい?」
「あいつら、人じゃない」
「……え?」
「マグたちを世界ごと殺そうとしてる」
表情一つ変えずに言う。
「悪魔だ」
「……」
あまりにも即答だった。
フーチェは一瞬言葉を失ったが、すぐに小さく息を吐いた。
(マグは心配いりませんね……)
良い意味なのかは分からない。
それでも、戦いの最中に迷って動けなくなるようなことはなさそうだった。
むしろ問題なのは、自分の方かもしれない。
第一層には、かつて同じ場所で暮らしていた者たちがいる。
家族だった者もいる。
その相手へ、本当に迷いなく魔法を放てるのか。
「でもさ」
アミナが突然首を傾げた。
「どうやって第一層まで行くの?」
「……え?」
「だって、第三層の人たちは昇降機で行くんでしょ? 私たちも一緒に行くの?」
フーチェは数秒ほどアミナを見つめた。
そして、思わず笑ってしまう。
「アミナ。上層への行き方なら、ずっと私たちと一緒にありますよ」
「一緒?」
「《リターン》です」
横からマグが答えた。
「アミナ、忘れてる」
「あっ!」
アミナが自分の魔法輪を見る。
「そうか! 私たち、そこから落とされたんだった!」
「そういうことです」
フーチェたち神徒にとって、《リターン》の登録地点は第一層。
十歳の時、最下層へ転送される直前にいた場所へ、そのまま戻ることができる。
これまで使わなかったのは、戻る理由がなかったからだ。
ユニークリングを持つ忌み子として追放された第一層へ、自ら帰ろうとは思わなかった。
だが今は違う。
「準備だけはしておきましょう」
「うん!」
「分かった」
マグとアミナが頷く。
ロフルたちが第一層へ向かっている一方で、最下層に残った者たちも少しずつ戦いへの準備を始めていた。
かつて追放された神徒たちが、自分たちを捨てた第一層へ帰る日も近づいていた。