四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
その頃、俺とセレナスはようやく第一層へ到着していた。
第二層で案内された古い昇降機の先は、街の中ではなく郊外に広がる森だった。
錆びついた扉を抜けた先には人の手がほとんど入っていない木々が広がっており、遠くに建物らしきものが僅かに見える程度だ。
人目を避けたい俺たちにとっては、むしろ都合がいい場所だった。
到着後はそのまま森の中へ身を隠し、今後どう動くかを改めて確認していた。
「僕は第一層では普通に歩ける」
セレナスが言う。
「最下層へ送られた時も別人として処理されているからな。少なくとも、セレナス・B・フロストハートが第一層から消えたという扱いにはなっていない。その辺を歩いていても、不自然には思われないだろう」
「問題は俺か」
「そうだ」
セレナスが俺の紫色の髪を見る。
「闘技場の戦士でもない一般人が、こんな場所を一人で歩いていれば明らかにおかしい」
「分かってるって。だからここで隠れてろってことだろ?」
「ああ。僕がゼインを探して連れてくる。その間、絶対に動くな」
「分かったって」
「本当に分かっているのか?」
まだ疑っている。
「鉈のゴレドみたいなのがいなければ大丈夫だからさ!」
「……心配だ」
「なんでだよ!」
「その発言を聞いて、さらに心配になった」
「だったら早く行ってゼインを連れてきてくれよ!」
「余計なことだけはするなよ」
「はいはい」
セレナスは何度もこちらを振り返りながら、街の方向へ歩いていった。
随分と心配性になったものだ。
「まったく……」
俺は木の幹へ背中を預ける。
「ちょっとくらい信用してくれてもいいだろ」
とはいえ、今回はさすがに俺も分かっている。
第二層ではゴレドを殺してしまった。
結果的に貴族たちには感謝されたが、潜入という意味では完全に予定外の行動だった。
第一層でまで騒ぎを起こせば、今度こそセレナスに言い訳できない。
暇を潰す程度に周辺を歩きながら、ゼインを待つことにした。
しばらく森の中を散策していると、前方の木々の間から誰かが走ってくるのが見えた。
「やばっ……人来るじゃねえか!」
慌てて太い木の後ろへ身体を隠す。
走ってきたのは少女だった。
俺と同年代か、それより少し年下だろうか。
赤い髪は緩く波打っており、肩より下まで伸びている。
神徒だ。
それだけなら隠れてやり過ごせばいい。
だが、その様子がおかしかった。
「はぁ……はぁ……!」
少女は息を切らしながら、一心不乱に走っている。
周囲を見る余裕すらない。
何かから逃げているようにも見えた。
その表情は、はっきりと恐怖に染まっている。
(どこへ行ってるんだ……?)
気になる。
だが、セレナスにはおとなしくしていろと言われたばかりだ。
(駄目だ。関わらない)
少女はそのまま森の奥へ消えていった。
俺は木陰から出て、再び適当な場所へ腰を下ろす。
それからしばらく経った頃だった。
「……ん?」
また足音が聞こえる。
先ほどと同じ方向から、一人の少女が走ってきた。
「え?」
見覚えがある。
赤いウェーブのかかった髪。
さっきと同じ少女だ。
(さっきも左から来たよな?)
しかも、様子が変わっている。
先ほどより服が汚れ、ぼろぼろになっていた。
それでも少女は必死に走り続けている。
「……さすがに気になるだろ」
俺は小さく呟いた。
セレナスには悪いが、何も見なかったことにはできそうにない。
少女に気づかれないよう距離を取り、その後を追った。
・・・
・・
・
森を少し進んだところに、小さな開けた場所があった。
そこには三人の男女が待っていた。
全員、赤髪の神徒だ。
少女がそこへ到着すると、膝へ手をついて荒い呼吸を繰り返す。
「はぁ……はぁ……」
そんな彼女を見て、一人の男が笑った。
「はい、さっきより遅いから罰ゲームー」
「……もう、やめて……」
「駄目駄目。決まりだろ?」
少女が怯えて後ずさる。
しかし、逃げる間もなく女の一人が腹を蹴りつけた。
「うっ!」
少女が地面へ倒れる。
そこへ三人が寄ってたかって蹴りを入れ始めた。
「いたい……! やめて……!」
「お、また頬が腫れてるぞ」
「本当だ。俺の殴ったとこが一番大きく腫れてる。俺の勝ちだな」
「悔しいなぁ」
もう一人の男が笑いながら、大きな剣を抜いた。
「じゃ、もう一回殺すわ」
「や……」
「天与の祭壇から戻ったら、またここまで走ってきてね」
剣が振り下ろされた。
少女の身体が切り裂かれ、そのまま光の粒子へと変わっていく。
「……!」
俺は木陰で拳を握り締めた。
「あいつら……!」
今すぐ飛び出したかった。
だが、少女の姿はもうない。
ここで三人を殴ったところで、彼女を助けたことにはならない。
(待てよ)
さっき、同じ少女が二度走ってきた。
天与の祭壇から戻ってくるよう命令されていた。
それなら――。
「また同じところから来るかもしれない」
俺は来た道を急いで戻った。
・・・
・・
・
予想は当たっていた。
しばらく待っていると、再び赤髪の少女が走ってきた。
服や傷は元通りになっている。
身体ごと再構築されたのだろう。
だが、表情だけは変わっていなかった。
泣きそうな顔で、必死に先ほどの場所へ向かおうとしている。
「待て!」
俺は木陰から飛び出し、その前へ立った。
「きゃっ!」
少女が急停止する。
「なっ……え?」
そして俺の髪を見た瞬間、目を見開いた。
「紫髪……!?」
「話を――」
「どいてよ!」
少女が俺を押し退けようとする。
「早く行かないと! 遅かったら、また殴られるの!」
「君が殴られる必要なんてない!」
「でも!」
俺は少女の両肩を掴んだ。
その時だった。
彼女の手の甲が目に入る。
「……なるほど」
普通の魔法輪とは違う。
一つだけ存在する、特殊な輪。
何度も見てきたものだ。
「ユニークリングだから、こんなことをされてるんだな」
「……!」
少女の顔が歪んだ。
堪えていた涙が、一気に溢れ出す。
「こんなことなら……」
「え?」
「最下層で死ねばよかった……!」
少女はその場にしゃがみ込んだ。
「頑張って……頑張って二輪まで覚えて……《リターン》で帰ってきたのに……!」
声を上げて泣き始める。
「こんなことになるなら、帰ってこなきゃよかったよ……!」
俺は何も言えなかった。
十歳の子供が最下層へ落とされ、生き残る。
それだけでもどれほど大変なことか、俺は嫌というほど知っている。
その先で《リターン》まで覚え、ようやく故郷へ帰ってきた。
そこで待っていたのが、これなのか。
「……君、名前は?」
少女は涙を拭いながら答えた。
「ノエラ……」
「ノエラか。家は?」
「ない」
「階級とかは?」
首を横へ振る。
「家から捨てられたから……今は、ただのノエラなの」
「……そうか」
俺は自分の右手を少女の前へ出した。
「よく見てくれ」
「え?」
手の甲にある輪を見せる。
その中には、通常とは違う特殊な紋様が浮かんでいる。
「俺もユニークリングだ」
「……!」
ノエラが顔を上げた。
「だから、そんな顔するな。ユニークリングは悪いものじゃない」
「でも……みんな、呪われてるって……」
「違う」
俺は笑った。
「特別な力を秘めてるだけだ」
ノエラは俺の輪をじっと見つめていた。
やがて小さく呟く。
「……戻らないと」
「まだ戻るのか?」
「だって……私を拾ってくれた家だから」
話を聞いていくと、事情は思っていたより酷かった。
ノエラは最下層から《リターン》で帰還したあと、生まれた家へ戻った。
命懸けで帰れば、両親も喜んでくれる。
そう思っていたらしい。
だが、家族はノエラを受け入れなかった。
ユニークリングを持つ者は、十歳で捨てた時点でもう家族ではない。
そう言われ、家へ入ることすら許されなかった。
行く場所を失ったノエラを引き取ったのが、先ほどの三人の親が暮らす家だった。
表向きは保護。
実際には家事を押しつけられ、子供たちの遊び道具のように扱われる毎日だった。
「私、帰ってくるまで知らなかった」
ノエラが俯く。
「ユニークリングで戻ってきた人って、他にもいるんだって。でも家に帰れなくて、使用人になったり……もっと酷いところへ行った人もいるって……」
「……」
胸の奥が熱くなる。
最下層へ落とすだけでも十分酷い。
それでも生き残って帰ってきた者すら、第一層は受け入れない。
「命懸けで帰ってきて、この仕打ちかよ……」
改めて、この場所のルールに怒りを覚えた。
その時だった。
「おい!」
遠くから声が聞こえる。
振り向くと、先ほどの三人がこちらへ向かって歩いてきていた。
「何してんだ!」
「ノエラ、遅えぞ!」
そして俺の姿を見た瞬間、三人が足を止める。
「あ?」
「誰だ、こいつ」
「……紫髪?」
次の瞬間、一人の顔が楽しそうに歪んだ。
「闘技場から逃げてきた一般じゃね?」
「マジか!」
女まで笑い始める。
「いいね! 私、紫髪って一回殴ってみたかったんだよね!」
「俺も。神徒は死んでも戻ってくるけど、一般って本当に死ぬんだろ?」
「どこまでやったら死ぬか試してみようぜ」
「……」
俺はノエラから手を離した。
「ここにいて」
「え?」
三人へ向かって歩く。
「おいおい、何だよ」
「一般のくせにやる気か?」
三人が笑っている。
俺も笑った。
「安心した」
「あ?」
「お前らが全然反省してなさそうで」
地面を蹴った。
「え――」
一人目の顔面へ拳を叩き込む。
身体が吹き飛ぶより先に、光の粒子へ変わった。
「なっ!?」
横にいた女が声を上げる。
二発目。
腹へ拳を打ち込むと、その身体も粒子へ変わる。
最後の一人が慌てて剣へ手を伸ばした。
「待――」
三発目。
頬を殴り抜く。
三人目も同じように消えた。
森の中に残ったのは、静寂だけだった。
俺は拳を軽く振る。
「人を痛めつけた罰だ」
「……」
後ろではノエラが呆然としている。
三人は第一層で死んだ。
つまり《天与の祭壇》で再び蘇る。
少なくとも永久に殺したわけではない。
だからいい。
……という問題でもない気がする。
俺はゆっくりと空を見上げた。
「…………セレナス」
さっきまでの会話を思い出す。
『絶対に動くな』
『余計なことだけはするなよ』
「すまん」
第一層へ来て、まだほとんど時間も経っていない。
それなのに、俺は早くも三人の神徒を倒してしまった。