四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
セレナスに案内されて第一層の街へ入ると、俺はフードの隙間から何度も周囲を見回していた。
建物はどれも白を基調としており、壁や柱には細かな装飾が施されている。道路まで綺麗に整えられ、第三層はもちろん、第二層とも明らかに雰囲気が違った。
どこを見ても高級感がある。
(これが第一層か……)
できることなら、もっと堂々と見て回りたいところだった。
だが、今の俺は存在そのものが場違いだ。
フードを深く被ったまま、セレナスの後ろを黙って歩く。
ノエラも俺のすぐ隣を離れなかった。
やがて見えてきたレインフォージ家の屋敷は、そんな第一層の建物の中でも別格だった。
「……でかすぎないか?」
「S階級の家だからな」
巨大な門の向こうにはいくつもの建物が並び、庭だけでもサンヘイズ村の広場より遥かに広い。
一つの屋敷というより、小さな区画そのものに見えた。
ただし、俺たちが向かったのは中央にある大きな建物ではない。
人目を避けるため、敷地の端に建てられた離れへ案内された。
中には長い机といくつもの椅子があり、どうやら会議室として使われているらしい。
「ここで待っていろ」
そう言い残して、セレナスは再び外へ出た。
俺とノエラだけが部屋に残される。
ノエラは椅子に座ってからも、ずっと落ち着かない様子だった。
少し物音がするだけで肩を跳ねさせ、扉の方を何度も確認している。
「大丈夫だよ」
「……うん」
「ここでいきなり誰かに殴られたりはしないから」
「うん……」
返事はするものの、身体の力は抜けていない。
長い間あんな生活を続けていたのだから、すぐに安心しろという方が無理なのだろう。
俺もそれ以上は何も言わず、ただ隣に座って待つことにした。
しばらくすると扉が開き、ゼインが戻ってきた。
「待たせたな」
先ほど森で見せた冷たい表情は消え、すでにいつもの軽い雰囲気へ戻っている。
「早速だが、情報を共有しようぜ」
「ああ」
ゼインは俺たちの向かいへ座ると、持ってきた資料を机いっぱいに広げ始めた。
森へ連れていった三人がどうなったのかは少し気になった。
だが、とても聞ける雰囲気ではない。
というより、聞かない方がいい気がした。
「まず確認したいんだが」
ゼインが俺を見る。
「さっき言ってた《エンハンス》の件。本当に間違いないんだな?」
「ああ」
俺は頷いた。
「最下層で魔物を倒して経験を積み、《神輪の祭壇》へ行けば魔法輪を増やせる。元々二輪までしか使えない一般でも関係ない」
「ほう……」
ゼインが腕を組む。
「実は、その話もあってロフルをここへ連れてきたんだ」
セレナスが俺の手へ視線を向けた。
俺は袖を少しまくり、魔法輪を見せる。
六つ。
ゼインはそれを改めて確認し、目を細めた。
「何度見ても異常だな。一般で六輪か」
続いてセレナスの手を見る。
「って、お前も六輪になってるじゃねえか」
「ああ。最下層で祭壇へ行った」
「簡単だったのか?」
「いや。試練があった。二人で挑む形式で、しかも別種族の者同士でなければならないという条件付きだった」
「そんな条件まであるのか……」
「祭壇によって試練の内容は違うようだ」
ゼインはしばらく考え込んだあと、再び俺を見る。
「それで、六輪が限界ってわけじゃねえんだろ?」
「ああ」
俺は頷いた。
「その先がある」
「……何?」
「七輪になるには、《極光神輪の祭壇》が必要らしい」
ゼインの眉が上がる。
「極光神輪……」
「フロストハート家が管理している《極光神輪の神殿》に、使われていない祭壇がある」
セレナスが説明を引き継いだ。
「形状が最下層にあった神輪の祭壇とよく似ている。僕はあれが目的の祭壇だと考えている」
「なるほどな……」
ゼインが椅子へ深く座り直した。
「七輪以上まで行ける可能性があるなら、使わねえ手はない」
「俺もそう思う」
「ただな……」
ゼインは少し考えたあと、難しい顔をした。
「いくら俺がS階級だからって、極光神輪の神殿へ好き勝手に入ることはできねえ」
「Sでも駄目なのか?」
「あそこはフロストハート家の使命そのものに関わる場所だ。階級が上だからって、他家の使命へ直接手を突っ込めば話がややこしくなる」
「そうなのか……」
階級が絶対なら何でもできると思っていたが、さすがに家ごとの使命には別の決まりがあるらしい。
「とはいえ」
ゼインが口元を上げる。
「人払いくらいならできる」
「人払い?」
「俺が調査協力を要請する。神殿の管理者や警備を別の場所へ集めれば、その間だけ中は薄くなる」
セレナスが頷く。
「その隙に、僕がロフルを入れる」
「そういうことだ」
「結局、こっそり侵入するしかないのか」
「他にねえな」
随分と大掛かりな話になってきたが、それでも祭壇へ行けるなら文句はない。
そんな話をしていると、ゼインが突然ノエラへ視線を向けた。
「んで、ノエラ」
「は、はいっ!」
名前を呼ばれただけで、ノエラの背筋が伸びた。
「よければ、うちで働くか?」
「……え?」
「今の家には戻れねえだろ」
「で、でも……レインフォージ家って、S階級ですよね……?」
「ああ」
「私なんかが……」
「別に構わねえよ」
ゼインは軽く肩をすくめる。
「悪いようにはしねえ。それに、ロフルの友達なんだろ?」
「友達……」
ノエラが俺を見る。
「とりあえず、ここにいればいい。仕事なんて後から考えればいいさ」
ノエラの目に、また涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……!」
何度も頭を下げる。
そして今度は俺へ向き直った。
「ロフルさんも……本当に、本当にありがとうございます。あの地獄から助けてくれて……」
「気にすんなって!」
俺は笑って答える。
少なくとも、これでノエラをあの家へ戻さずに済む。
第一層へ来て早々問題を起こしたが、これはやってよかったと素直に思えた。
・・・
・・
・
それから数日後。
ゼインはレインフォージ家として、フロストハート家の長老へ正式に世界調査への協力を要請した。
表向きの理由は、レインフォージ家が代々担ってきた世界の調査。
その一環として、極光神輪の神殿に残されている古い記録について話を聞きたいというものだった。
S階級からの依頼を無視するわけにもいかず、フロストハート家の長老たちは応じることになった。
さらに当日、神殿に常駐する者たちまで調査前の食事会へ招待される。
結果として、その時間だけ神殿からほとんど人がいなくなった。
唯一残っているのは――。
「まさか、自分の家の神殿へ侵入者を案内することになるとはな」
セレナスだった。
「いいじゃないか。元々お前の家なんだろ?」
「そういう問題ではない」
俺たちは誰にも見つからないよう神殿の奥へ進んでいく。
白い石で作られた内部には、古い文字が刻まれた石板がいくつも並んでいた。
そのさらに奥。
ほとんど使われていない区画へ入ると、目的のものがあった。
「……これか」
中央に置かれた祭壇。
形は最下層で見た《神輪の祭壇》によく似ている。
違うのは、表面に刻まれている模様が遥かに複雑なことくらいだった。
「手短に済ませるぞ」
「ああ」
俺は祭壇へ近づく。
いつものように、中央に設けられた窪みへ手を差し込んだ。
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ――。
「なっ!?」
神殿全体が大きく揺れた。
「ロフル!」
「なんだこれ――」
セレナスの声が遠ざかる。
視界が一瞬で白く染まり、足元の感覚まで消えた。
・・・
・・
・
「……ここは?」
気づいた時には、神殿の中ではなかった。
壁もない。
天井もない。
床らしきものさえ、どこからどこまで続いているのか分からない。
見渡す限り、真っ黒な世界。
だが、完全な闇ではなかった。
周囲には無数の小さな光点が浮かび、それぞれが遥か遠くで静かに輝いている。
「これ……開眼の祭壇の時と同じ場所か?」
黒い空間に無数の星が浮かび、その中心に俺だけが立っている。
以前、《開眼の祭壇》で見た場所とよく似ていた。
違うのは、目の前に一つだけ強烈な光が浮かんでいることだ。
真っ白な長方形。
俺より少し大きく、まるで扉のような形をしている。
その表面に文字が浮かんだ。
『この先へ進めるのは、ユニークリング保持者のみ』
「……ユニークリング?」
七輪になるための祭壇ではなかったのか。
なぜここでユニークリングが関係する?
疑問は尽きないが、戻る方法も分からない。
「行くしかないか」
俺は白い光へ手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、再び景色が切り替わる。
「うおっ!」
今度は機械で作られたような部屋だった。
壁も床も黒っぽい金属で覆われ、ところどころに細い光が走っている。
「なんだここ……」
最下層の施設とも少し似ている。
部屋の中央には、また手を差し込むための装置が設置されていた。
「ここで七輪になれるのか?」
他に触れられそうなものはない。
俺は恐る恐る装置へ近づき、右手を入れた。
「っ!」
すぐに腕が強く固定される。
「なんだこれ!」
引き抜こうとしても、びくともしない。
今までの祭壇とは比べものにならないほど強い力で掴まれている。
無理やり壊すことも考えたが、目的が魔法輪を増やすことなのだから、下手なことはしない方がいい。
「……待てばいいのか?」
そう思って前を見ると、壁に奇妙な機械が取りつけられていることに気づいた。
丸い盤。
その周囲を細い針のようなものが回り続けている。
「時計……?」
昔いた世界で見た時計に少し似ている。
ただし針は異常な速度で回転しており、何を示しているのか全く分からない。
「いつまで手を入れておけばいいんだよ……」
答えは返ってこない。
俺は抜けない右手を見ながら、ただ待つことしかできなかった。
・・・
・・
・
・
・
七日間戦争まで――残り二十日。
極光神輪の神殿。
誰もいない祭壇の前で、セレナスは一人立っていた。
「……戻らないな」
ロフルがこの場所から消えて、すでに四か月以上が経っていた。
祭壇へ手を入れた瞬間に神殿が揺れ、そのまま姿が消えた。
最初は、何らかの試練へ送られただけだと思っていた。
これまでの祭壇でも似たようなことはあったからだ。
だが、一日経っても戻らない。
一週間経っても戻らない。
一か月が過ぎても、何の変化もなかった。
それでもセレナスたちは待ち続けた。
祭壇を調べても異常は見つからず、ロフルがどこへ飛ばされたのかを知る方法もなかった。
「最悪の事態も考えなければならないか……」
七日間戦争は、もう目の前まで迫っている。
幸い、ロフルを除いた準備はおおむね終了していた。
第三層から選ばれた百人の戦士は、全員が最下層で三輪へ到達し、《エンハンス》を習得している。
カルサコとフィリアンドの働きによって正式に受け入れが決まり、百人はすでに闘技場の居住区へ入っていた。
第一層の誰も知らない。
闘技場へ新たに入った百人の一般人全員が、《エンハンス》を使えることを。
フーチェ、マグ、アミナたちも準備を終えている。
彼女たちは《リターン》を使えば、いつでも第一層へ帰還できる。
最下層では岩剛斎が道場の者たちをまとめており、決行当日には第二層でロフルが救った貴族たちの協力を得て、昇降機付近まで移動する手筈になっていた。
必要になれば、すぐに援軍として第一層へ上がってくる。
ゼインが準備してきた第二闘技場。
第三層から集められた百人。
最下層の戦士たち。
追放された神徒たち。
すべてが、少しずつ所定の位置へ集まりつつある。
それなのに、一番重要な男だけがいない。
セレナスは静かな祭壇へ視線を落とした。
「あとはお前だけだぞ……ロフル」
返事はない。
七日間戦争まで、残り二十日。
ロフルはいまだ、極光神輪の祭壇から戻ってこなかった。