四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
宣戦布告
最下層――岩剛斎の道場。
いつも修行に使われている広間の中央に大きな机が置かれ、その周囲をハナたちが囲んでいた。
机の上には、セレナスが第一層から持ち込んだ資料が何枚も広げられている。
「僕が最下層へ来られるのも、おそらく今日が最後になる」
セレナスは集まった者たちを見回した。
ハナ、リリアナ、フーチェ、岩剛斎。
これから始まる戦いで、それぞれ別の役目を担う者たちだ。
「七日間戦争が近づけば、第一層から簡単に離れるわけにはいかない。今のうちに動きをしっかりすり合わせておくぞ」
「分かった」
ハナが頷く。
セレナスは一枚の紙を机の中央へ置いた。
「まず、宝珠要塞を巡る階級戦争について説明しておきたい。これは好き勝手に殺し合う戦争ではなく、かなり厳格なルールが設定されている」
「ルール?」
「ああ。そして違反した場合、言い訳は通用しない」
セレナスは指を三本立てた。
「天与の祭壇によって違反者と判定され、その場で身体が粒子化する」
「……死ぬってこと?」
「そうだ」
ハナの表情が僅かに険しくなる。
「ただ、内容自体は難しくない。まず一つ。戦闘区域の外で相手を殺した場合、殺した側も死亡する」
「つまり、戦争が始まったからって第一層のどこでも殺していいわけじゃないのね」
リリアナの言葉に、セレナスが頷いた。
「その通りだ。そして二つ目。階級戦争を行う場合、七日間戦争が始まる二日前までに自家の宝珠を活性化させ、攻撃対象となる家へ宣戦布告を行わなければならない」
「二日前……」
「三つ目は、戦闘区域へ入った者は、その瞬間から参戦者として扱われるということだ」
セレナスは用意していた地図を広げる。
中央には大きな建物が描かれ、その周囲を囲むように線が引かれていた。
「この範囲が宝珠要塞の戦闘区域だ。要塞だけではなく、その周辺一帯が対象になる」
ハナは地図を覗き込みながら、難しい顔をする。
「厄介だな……」
「何がだ?」
「二日前に宣戦布告しなければならないなら、完全な奇襲はできない。相手にも二日間の準備時間を与えることになる」
「そういう仕組みだ」
セレナスもそこは問題視していたらしい。
「ある意味では公平な戦いなんだろう。挑戦する側も守る側も準備期間を与えられ、決められた区域で正面から戦う」
「でも、それって……」
「ああ。結果として上位の家ほど有利になる」
元々戦力の多い家なら、宣戦布告された時点で要塞へ戦力を集中できる。
特にソヴリンスター家は、長い間S階級の頂点に君臨してきた。
挑む側がどれだけ策を立てても、二日前にはその存在を知らせなければならない。
「それも、S階級の地位が揺らがなくなった理由の一つだろうな」
「だったら、なおさら短期決戦しかないわね」
リリアナが言う。
セレナスも同意するように頷いた。
「ただし、今回はこちらにも相手の想定外がある」
「第三層の戦士たちか」
ハナの言葉に、セレナスが口元を僅かに上げる。
「ああ。第一層の神徒は、一般人が二輪までしか使えないと信じている。まさか闘技場へ入った百人全員が《エンハンス》を習得しているなど、想像もしないだろう」
それこそが、今回最大の奇襲になる。
百人の一般人が戦闘区域へ入ってきても、最初は大した戦力とは思われないはずだ。
しかし、戦いが始まった瞬間に全員が三つ目の魔法輪を起動する。
「相手が状況を理解する前に、一気に叩く」
セレナスが地図上のソヴリンスター家の宝珠要塞を指差した。
「時間をかければ勝ち目は薄くなる。こちらは戦力の質でも数でも、ソヴリンスター家に及ばない可能性が高い。だから最初の混乱で、どこまで奥へ入り込めるかが重要になる」
「宝珠までセレナスを送り届ければ、こちらの勝ち……」
「ああ」
目的はソヴリンスター家を皆殺しにすることではない。
セレナスが宝珠へ到達し、自らの魔力で染める。
それさえ成功すれば、フロストハート家とソヴリンスター家の階級が入れ替わる。
細かな動きについて何度も確認しながら、打ち合わせは長い時間続いた。
◇
一通りの話が終わる頃には、机の上の資料にも大量の書き込みが増えていた。
「今日はこのくらいだな」
セレナスが資料をまとめ始める。
ハナも頷いたが、その表情はどこか晴れなかった。
「……お兄ちゃん」
小さく呟く。
誰のことを心配しているのかは、聞くまでもない。
ロフルが《極光神輪の祭壇》から消えて、すでに四か月以上。
戦争まで、もう一か月も残っていない。
「心配するな」
セレナスが言った。
ハナが顔を上げる。
「ロフルなら、きっと間に合う」
「……うん」
「根拠はないがな」
「そこは嘘でもあるって言ってよ」
「僕は嘘が苦手なんだ」
ハナは少しだけ笑った。
それでも、視線はどこか遠くへ向いていた。
・・・
・・
・
その頃。
俺は相変わらず、あの奇妙な空間にいた。
「……長え」
右腕は機械の中へ吸い込まれたまま、まったく抜ける気配がない。
壁と床は金属らしき素材で作られているが、窓も扉も見当たらない。
食事もしていない。
眠ってもいない。
それなのに、不思議と腹は減らなかった。
何より奇妙なのは時間の感覚だ。
(まだ一日も経ってないよな……?)
正確な時間は分からない。
だが、体感では半日か、それより少し長い程度にしか思えなかった。
腕を入れている装置の横には、最初には気づかなかった薄い石板のようなものが浮かんでいる。
そこには文字が表示されていた。
『レベルアップ処理中』
「それは分かったんだけどな……」
その下では、時折表示される文章が切り替わっている。
『一般区分におけるレベル7到達例――初確認』
「……初?」
さらに文字が流れる。
『適応計画を次段階へ移行』
『対象情報を外部へ送信』
「適応計画?」
意味が分からない。
「外部ってどこだよ……」
問いかけても、当然返事はない。
一般区分。
適応計画。
外部への情報送信。
気になる単語ばかりが並んでいるが、今の俺には何一つ理解できなかった。
「とりあえず、早く終わってくれ……」
装置の前にある時計のような機械は、相変わらず高速で回り続けている。
俺は片腕を突っ込んだまま床へ座り込み、何度目か分からないあくびをした。
「ふぁぁ……」
眠い。
でも腕は抜けない。
「……帰ったら絶対、セレナスに文句言おう」
そんなことを考えながら、俺は再びうとうとし始めた。
外の世界で四か月以上が過ぎていることなど、知る由もなかった。
・・・
・・
・
そして――。
ロフルが戻らないまま、宣戦布告の日が訪れた。
《極光神輪の神殿》。
セレナスは一人、誰もいない祭壇の前に立っていた。
ロフルが消えた時から、何一つ変わっていない。
祭壇も。
神殿も。
ロフルが手を差し込んだ窪みも、そのままだった。
セレナスは持ってきた資料をまとめ、祭壇の窪みのすぐそばへ置いた。
ロフルが戻ってきた時に、すぐ状況を把握できるようにするためだ。
そこには現在の日付。
戦争の開始時刻。
宝珠要塞の場所。
そして、仲間たちの動きまで簡潔にまとめてある。
「宣戦布告をすれば……もうここへ来られない可能性もあるからな」
ソヴリンスター家へ戦争を仕掛けたフロストハート家の人間が、自由に神殿を出入りできる保証はない。
今日が最後になるかもしれない。
「……来年まで待つべきか」
そんな話も出ていた。
ロフルが戻るまで一年待ち、次の七日間戦争で仕掛ける。
それなら、最大戦力で挑むことができる。
だが、待てなかった。
ソヴリンスター家が第三層と最下層の切り離しを一年も延期してくれる保証など、どこにもない。
むしろ施設の停止からすでに長い時間が経っている。
いつ強硬策に出てもおかしくなかった。
「やるしかないか……」
セレナスは神殿を後にした。
・・・
・・
・
フロストハート家――宝珠要塞。
巨大な建物の奥深く。
厳重に守られた部屋の中央に、その家の階級を象徴する宝珠が浮かんでいる。
淡い光を放つそれを前に、セレナスは一人立っていた。
家の長老たちは知らない。
父も。
家の者たちも。
今日ここで何をするのか、本当に知っているのは僅かな協力者だけだった。
「これは、フロストハート家の総意じゃない」
セレナスは宝珠を見つめる。
「僕一人が勝手に起こす愚行だ」
失敗すれば、家そのものを巻き込む。
B階級のフロストハート家が、絶対的なS階級であるソヴリンスター家へ挑む。
普通に考えれば無謀だった。
それでも、やらなければならない。
第三層も。
最下層も。
そこで暮らす者たちも。
何も知らないまま切り捨てさせるわけにはいかない。
セレナスは目を閉じた。
数秒間だけ、そのまま動かなかった。
そして目を開く。
「……ソヴリンスター家へ、宣戦布告する」
宝珠へ両手を触れた。
魔力を流し込む。
次の瞬間――。
カーン……。
どこか遠くで鐘が鳴った。
カーン……。
二度目。
セレナスは思わず顔を上げる。
「この音……」
上層で十歳のユニークリングを最下層へ送り込む、《洗礼の試練》が始まる時と同じ音だった。
鐘の音はフロストハート家だけではない。
第一層全体へ響き渡っていく。
そして、無機質な声が流れた。
『フロストハート家による宣戦布告を確認』
『対象――ソヴリンスター家』
『対象家宝珠要塞を、二日後に戦闘区域として活性化します』
感情のない声だった。
誰が死ぬのか。
何人が戦うのか。
何のために戦うのか。
そんなことなど何一つ関係ないとでも言うように、淡々と事実だけを告げている。
セレナスは宝珠から手を離した。
もう後戻りはできない。
七日間戦争。
その始まりまで、あと二日。
そしてロフルは、まだ戻らなかった。