四層世界の最下層――魔物の森で帰還魔法を得た少年は、家族のために帰らない 作:鳩夜(HATOYA)
青い祭壇を見つけてから、魔法輪について少しずつ分かることが増えてきた。
「とはいっても、まだ手探りだけどな……」
俺は祭壇の中央にある台座を眺めながら、小さく息を吐いた。
二輪までは、最下層で生き抜いていれば自然と刻まれる。
だが、その先は違う。
魔物を倒し、石板に表示されるところの経験値というものを蓄積する。
そして、その経験が一定の段階へ達した状態で祭壇へ手を入れると、新たな魔法輪が刻まれる。
少なくとも、今のところはそう考えている。
祭壇へ手を入れた際に黒い石板へ表示される情報は、前世で言うところのステータス画面に近い。
種族。
レベル。
取得した魔法。
次に得られる魔法。
ユニークリングの情報。
「本当にゲームみたいだな」
だからといって、すべてが分かりやすいわけではない。
むしろ逆だ。
誰も説明してくれない。
使い方も、成長条件も、自分で試して理解するしかなかった。
村にいた大人たちは、おそらく二輪の《リターン》を習得した時点で帰還している。
父もそうだったのだろう。
村では三輪以上の魔法について、一度も聞いたことがない。
つまり、ここから先は完全に未知の領域だ。
「自分で首を突っ込んで、理解していくしかないか」
右腕に刻まれた四つの魔法輪へ視線を落とす。
レベルという概念は確かに存在する。
だが、レベルが上がった瞬間に身体の中から力が溢れたり、魔力が急激に増えたりした感覚はなかった。
それでも、最下層へ来た頃と比べれば、身体は明らかに変わっている。
腕も太くなった。
脚にも筋肉がついた。
森を一日歩き続けても、以前ほど疲れなくなっている。
基礎体力は間違いなく上がっていた。
「これは、レベルとは別なんだろうな」
どれだけ歩いたか。
どれだけ剣を振ったか。
どれだけ魔物と戦ったか。
自分が積み重ねた分だけ、身体そのものが鍛えられている。
そう考えた方が自然だった。
「ん……?」
そこで、ふと思い出す。
マグだ。
赤い髪の神徒。
あの少女は《エンハンス》を纏った状態で、《バインド》を発動していた。
「そういえば……」
俺には、それができない。
《エンハンス》を発動している間、右手の魔法陣は維持されたままになる。
同じ右手で別の魔法を発動しようとすれば、一度《エンハンス》を解除しなければならない。
つまり、《バインド》を撃つ瞬間だけ身体強化がなくなる。
実戦ではかなり危険だ。
「マグは普通に併用してたよな……」
考えられるのは一つ。
祭壇で見た、レベル五の情報。
《ブラスト》。
そして――左手の輪を開放。
「たぶん、これだ」
右手で《エンハンス》を維持する。
左手で《バインド》や別の魔法を使う。
左手の輪が開放されれば、それができるようになるのだろう。
「早く五輪まで上げたいな」
現状では、《バインド》を撃つために《エンハンス》を解除しなければならない。
その一瞬だけでも、生身へ戻る。
魔物との戦闘中なら、その差は致命的だ。
「当分は《エンハンス》を常に纏って、必要なときだけ《サーチ》」
その戦い方で、まずはレベル五を目指す。
方針は決まった。
・・・
・・
・
最下層へ来てから、もう四か月近くが経っていた。
「一輪――《サーチ》」
手の甲へ周囲の地形が浮かび上がる。
川。
青い祭壇。
木々。
そして、魔物を示す三角形。
だが、人間を示す丸はない。
「今日も誰もいないか……」
ここ数か月、何度《サーチ》を使っても、人間の反応を見ていない。
最初に貴族へ捕まったとき以来、一人もだ。
同じ区画へ送られた子供たちは、すでに二輪の《リターン》を習得して帰還したか。
あるいは――。
「死んだか……」
考えたくはない。
だが、初日から何人もの死体や血痕を見た。
現実として、その可能性の方が高いのかもしれなかった。
「チチチ……」
考えを止めるように、近くの茂みから鳴き声が聞こえた。
「デッドマンティスか」
緑色の外殻を持つ、柔らかい個体。
今までは、罠を仕掛けてから奇襲することがほとんどだった。
理由は一つ。
《エンハンス》の魔力切れが怖かったからだ。
戦闘の途中で意識を失えば、その瞬間に終わる。
だから、できる限り短時間で仕留める戦い方を選んできた。
だが、数か月も使い続ければ、さすがに感覚はつかめてくる。
どの程度使えば危険なのか。
どれくらいなら余裕があるのか。
正確ではない。
それでも、最初の頃よりは遥かに分かるようになっていた。
「そろそろ、実戦で使ってもいい頃だな」
俺は剣へ手を伸ばさなかった。
右手の甲へ触れる。
「三輪――《エンハンス》」
魔力が全身へ広がる。
身体が一気に軽くなった。
デッドマンティスが鎌を持ち上げる。
俺は地面を思い切り蹴った。
ドンッ――!
身体が垂直に跳ね上がる。
「チッ!?」
魔物の頭上まで一瞬で到達する。
落下しながら、前脚へ向けて蹴りを放った。
ゴキッ!
巨大な鎌ごと、前脚が吹き飛ぶ。
「軽い……!」
自分の身体が、信じられないほど自由に動く。
デッドマンティスの前脚は、まるで小枝のように折れた。
体勢を崩した魔物の背中へ着地する。
そのまま、さらに上へ跳び上がった。
頭の中へ、マグの戦い方が浮かぶ。
「これなら……!」
空中で前方へ回転する。
身体をひねり、踵を真下へ向けた。
「はあっ!」
回転の勢いを乗せた踵落としが、デッドマンティスの頭部へ直撃した。
ゴシャッ――!
嫌な音が響く。
頭部は、外殻ごと粉々に砕け散った。
青紫色の体液が地面へ飛び散る。
頭を失ったデッドマンティスは、そのまま崩れ落ちた。
「……すごいな」
俺はゆっくり着地し、魔物の死骸を見下ろした。
剣すら使っていない。
以前なら、関節や首の隙間を慎重に狙わなければ倒せなかった相手だ。
それを、ただ殴る。
蹴る。
それだけで倒せる。
「《エンハンス》さえ纏っていれば、こいつに怯える必要はなさそうだ」
改めて、その魔法の強さを実感する。
《エンハンス》。
これを覚えているか、いないか。
その差はあまりにも大きい。
「強い……けど」
同時に、恐ろしい魔法でもある。
俺は粉々になったデッドマンティスの頭部へ目を向けた。
もし、この状態で普通の人間を殴ったら。
軽く肩を押しただけでも、骨を折るかもしれない。
本気で殴れば――。
「……考えたくないな」
魔法を得たからといって、何も考えずに使っていいわけではない。
むしろ強くなればなるほど、細かく力を調整できなければ危険だ。
「もっと正確に使えるようにならないとな」
俺は気を引き締め直し、デッドマンティスの解体を始めた。
・・・
・・
・
「これは……そろそろ限界か?」
外殻の隙間へナイフを入れようとしたとき、刃先へ目が止まった。
かなり欠けている。
腰の剣も確認する。
こちらも細かな刃こぼれが増えていた。
「酷使しすぎたな……」
多少の手入れは続けている。
だが、毎日のように魔物を解体し、戦闘でも使っている。
まともな砥石もない。
父の剣とはいえ、いつまでも持つわけではない。
「武器もどうにかしないとな」
そう考えながら、自分の周囲を覆う魔力へ意識を向けた。
「……待てよ」
俺のユニークリングは《制御》。
《バインド》は、射出した後でも動かすことができた。
それなら。
「《エンハンス》も制御できるのか?」
全身を覆う魔力。
この形を変えることができれば。
例えば、指先に集中させて鋭くする。
ナイフのように使えるかもしれない。
「試してみる価値はあるな」
目を閉じる。
全身を覆う《エンハンス》へ意識を集中する。
魔力と、自分の意識。
《バインド》を操作するときと同じように、つながる感覚を探す。
「あ……」
見つけた。
全身にまとわりつく魔力と、意識がつながる。
「動かせるか……?」
そう思った瞬間だった。
ぷつん――。
視界が真っ暗になった。
・・・
・・
・
「……ん?」
目を開ける。
空の光の位置が、明らかに変わっていた。
「また……気絶したのか」
身体を起こし、周囲を確認する。
《サーチ》を使う。
幸い、近くに魔物はいなかった。
空の光から考えると、四時間ほど意識を失っていたらしい。
「危なすぎる……」
まただ。
前にも《エンハンス》を使いすぎて気絶した。
今回は、形を変えようとしただけ。
それだけで、一気に魔力を消費したらしい。
「この失敗だけは、何度もするわけにはいかないな」
魔物が通りかかっていたら、確実に死んでいた。
新しいことを試すなら、必ず安全な場所で行う。
それだけは絶対に守る必要がある。
・・・
・・
・
三日後。
「……四回目か」
俺は祭壇近くの安全な隙間で、仰向けに倒れていた。
再び意識を失っていた。
幸い、今回は最初から安全な場所で試している。
四度の失敗を繰り返し、ようやく一つの結論へたどり着いた。
「やっぱり、刃物みたいにはできないな……」
《エンハンス》をナイフのように鋭利な形へ変える。
その試みは、すべて失敗した。
形状そのものを自由に変えることは、今の俺にはできない。
ただし、何も得られなかったわけではない。
「出力は変えられる」
通常の《エンハンス》を、一とする。
その魔力を、意識的に強くすることは可能だった。
やり方は簡単だ。
今まで俺は瞑想によって、身体から漏れ出す魔力を抑える訓練ばかりしてきた。
それを逆にする。
抑えず、意図的に外へ押し出す。
「こんな単純なことだったとはな……」
しかも、全身だけではない。
右腕だけ。
脚だけ。
必要な場所へ集中して、出力を上げることもできる。
右腕の出力を二倍近くまで上げれば、その腕だけ身体能力がさらに向上する。
だが、全身を同じように強化しようとした瞬間――。
「また気絶した、と」
魔力の消費量が、単純に二倍になるわけではないらしい。
全身を二の出力にした瞬間、意識が飛んだ。
おそらく、消費量も飛躍的に増えている。
「今のところは、右手だけ二にするとか、部分的に使う方が安全だな」
戦う瞬間だけ脚を強化する。
攻撃の瞬間だけ腕の出力を上げる。
そう使えば、少ない魔力で大きな効果を得られるかもしれない。
「もっと練習すれば、かなり使えそうだ」
この力を使いこなせれば。
俺自身が強くなるだけではない。
ハナとサンクを守れる可能性も、さらに上がる。
「……来年か」
洗礼の試練は、毎年同じ時期に行われる。
今から、およそ八か月後。
また、新しい十歳の子供たちが最下層へ飛ばされてくる。
どういう形で転送されるのかは分からない。
同じ場所へ集まるのか。
区画のどこかへ散らされるのか。
俺自身、初日はまったく別の場所へ一人で転送された。
だから、次の子供たちを確実に見つけられる保証はない。
それでも。
「できる範囲で、助けよう」
自分だけが生き残ればいいとは、もう思えなかった。
目の前で何人もの子供が死ぬところを見た。
貴族に囮として使われる子供も見た。
俺にできることがあるなら、やりたい。
「まあ……気持ち的には、まず紫髪の子限定だけどな」
貴族へ対する印象は、最悪だ。
もちろん、全員があの少年のような奴だとは限らない。
それでも今の俺には、黄色い髪や瞳を見て無条件に助けたいと思えるほどの余裕はなかった。
「飛ばされてくる子供を匿える場所も必要だな」
やるべきことは、意外と単純だ。
まずは、自分自身のレベルを上げる。
そして、子供たちを守れる安全な拠点を作る。
食料。
水。
寝る場所。
魔物から身を隠せる設備。
できれば、何人かが長期間暮らせる程度の広さも欲しい。
「ここが一番いいか」
俺は青い祭壇を見回す。
周囲には魔物がほとんど近づかない。
水場も近い。
《サーチ》で地形も確認しやすい。
そして、三輪以上へ進むために必要な祭壇がある。
「この近くに住む場所を作るのが、間違いないだろうな」
問題があるとすれば。
「勝手に住み込んで、罰が当たらなければいいけど……」
祭壇が神聖な場所だった場合、かなり罰当たりなことをしている気がする。
だが、生きるためだ。
神様がいるなら、多少は大目に見てほしい。
俺は立ち上がり、荷物をまとめた。
その前に、もう一度《サーチ》を発動する。
「一輪――《サーチ》」
地形と、周囲の魔物が表示される。
見慣れた名前が並ぶ。
《スライムボール》
《デッドマンティス》
だが、その中に一つだけ。
名前の表示されていない三角形があった。
「……なんだ、こいつ」
強化された《サーチ》なら、今まで見た魔物には名前が表示される。
それなのに、こいつだけは空欄だ。
位置は、ここからそれほど遠くない。
「さて……」
俺は剣を腰へ差し、袋を背負った。
「今日は、名前の表示されない魔物のところへ行ってみるか」
祭壇の青い扉を開く。
冷たい空気から、湿った森の空気へ変わる。
俺は未知の魔物がいる方向へ向かい、歩き始めた。