四層世界の最下層、魔物の森で生き残る 作:鳩夜(HATOYA)
「一輪――《サーチ》」
右手の甲へ周囲の地形が浮かび上がる。
川。
木々。
岩場。
そして、いくつかの三角形。
その中には、以前まで名前が表示されなかった魔物もいた。
「今日もいるな」
俺は《エンハンス》を纏ったまま、森の奥へ進んだ。
最初に遭遇したのは、全長二メートルほどもある巨大な赤い蟻だった。
太い顎。
六本の脚。
全身を覆う赤黒い外殻。
こちらを見つけた瞬間、地面を蹴るようにして一気に距離を詰めてきた。
「速っ!」
俺は横へ跳ぶ。
巨大な顎が、つい先ほどまで俺の脚があった場所を挟み込んだ。
ガチンッ!
硬いもの同士を打ち合わせたような音が響く。
俺はそのまま蟻の背後へ回り込み、首元へ剣を振り下ろした。
ザンッ――!
頭部が地面へ落ちる。
魔物が完全に動かなくなったところで、もう一度《サーチ》へ目を向けた。
「……名前が出た」
今まで空欄だった三角形の横に、文字が浮かんでいる。
《レッドアント》
「やっぱり、実際に接触する必要があったのか」
名前の分からない魔物は、一度遭遇することで《サーチ》へ登録されるらしい。
強化された《サーチ》でも、最初からすべての魔物を知っているわけではない。
自分が得た情報を記録していく。
そんな仕組みなのかもしれない。
その日、さらに二種類の魔物と遭遇した。
一体は、巨大なムカデの姿をした魔物。
全長は三メートル以上。
無数の脚を高速で動かし、岩場だろうが木の幹だろうが関係なく這い回る。
《グランドセンチピード》
もう一体は、人間の胴体ほどもある巨大な緑色の蜂。
透明な羽を高速で震わせ、空中を縦横無尽に飛び回る。
《グリーンホーネット》
「虫ばっかりだな……」
これまで出会った魔物を思い浮かべる。
デッドマンティス。
レッドアント。
グランドセンチピード。
グリーンホーネット。
例外はスライムボールくらいだ。
「森だからか……?」
分からない。
ただ、どの魔物にも共通しているのは、動きが非常に読みづらいことだった。
レッドアントは地面を這うように突進してくる。
グランドセンチピードは無数の脚を使い、予想できない方向へ突然進路を変える。
グリーンホーネットに至っては空を飛ぶ。
前後左右だけでなく、上下まで含めた動きを読まなければならない。
「面倒な相手だな……!」
グリーンホーネットの針が、頬をかすめる。
いや。
正確には、触れた。
それでも皮膚には傷一つついていない。
《エンハンス》が全身を守っているからだ。
「やっぱり強いな、これ」
多少攻撃を受けても、今のところ問題はない。
レッドアントの顎。
グランドセンチピードの噛みつき。
グリーンホーネットの針。
どれも《エンハンス》を突破するほどの威力はなかった。
だからといって、攻撃を受けていいとは思わない。
「当たらないに越したことはない」
《エンハンス》は魔力を消費し続ける。
防御した際にどれだけ余計な魔力を使っているのかも分からない。
さらに、毒や別の能力を持つ魔物が今後現れる可能性もある。
防げるから受ける。
そんな戦い方を覚えるのは危険だ。
できる限り避ける。
どうしても避けられない場合だけ、《エンハンス》に頼る。
「その方がいいな」
俺はグリーンホーネットの動きを追い、急降下してきた瞬間だけ身体をずらす。
羽音が耳元を通り過ぎた。
振り返りざまに剣を振る。
ザシュッ――!
胴体が両断され、緑色の魔物は地面へ落ちた。
「……これも違うな」
倒した魔物を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
レッドアント。
グランドセンチピード。
グリーンホーネット。
どれも、以前のデッドマンティスより戦いづらい部分はある。
だが、強いかと言われれば微妙だった。
《エンハンス》を使えば、そこまで危険な相手ではない。
「今までで一番強かったのは……やっぱり、あいつか」
最下層へ来た初日に見た、硬い外殻のデッドマンティス。
剣を叩きつけても傷一つつかず、金属音を響かせた個体。
柔らかいデッドマンティスとは、明らかに別物だった。
「最近、まったく見ないんだよな」
一度戦い、殺されかけて以来。
姿すらほとんど見なくなった。
できれば遭遇したくない。
だが、レベルを上げるという意味では話が違う。
「こいつらじゃ……経験値が足りない気がする」
祭壇で表示された、次のレベルまで〇・八。
あれから何体もの魔物を倒している。
だが、まだ五輪には到達していない。
今いる魔物では、得られる経験値が少ないのかもしれない。
「もっと強い魔物はいないものか……」
少し前まで、強い魔物など絶対に会いたくなかった。
それが今では、自分から探している。
「俺もだいぶ、この森に染まってきたな」
思わず苦笑した。
・・・
・・
・
日が暮れる頃。
俺は神輪の祭壇がある巨大な切り株へ戻ってきた。
周囲には、風で木々が揺れる音。
少し離れた場所から、川の流れる音も聞こえてくる。
祭壇付近は、不思議なほど静かだった。
ほかの場所なら、夜になるにつれて魔物の鳴き声が増える。
だが、この周辺ではほとんど聞こえない。
魔物が祭壇を避けているのか。
それとも、この巨大な切り株そのものに何か理由があるのか。
今の俺には分からない。
焚き火へ小さな枝を放り込む。
パチッ。
パチパチッ。
不規則に木が弾ける音が、静かな夜へ響いた。
俺は火の前へ座り、焼いたデッドマンティスの肉をかじる。
「あと八か月か……」
次の洗礼の試練。
毎年、同じ時期に行われる。
あと八か月もすれば、新たな十歳の子供たちが、この最下層へ送られてくる。
ハナが来るのは、そのさらに次だ。
まだ一年以上先になる。
サンクは、もっと後だ。
だが、だからといって何もしなくていいわけではない。
次に送られてくる子供たちを助けることができれば、その経験は必ずハナとサンクのときにも役立つ。
「まずは、できることからだな」
どこへ転送されるのか。
何人がこの周辺へ来るのか。
そもそも同じ場所へ来るのか。
何も分からない。
それでも、準備だけはしておける。
俺は焚き火の向こうにそびえる、巨大な切り株を見上げた。
「……ここ、使えるんじゃないか?」
・・・
・・
・
数日後。
「よし……!」
俺は巨大な切り株へ立てかけた梯子を見上げた。
木を切り、ロープで固定して作った簡素なものだ。
高さ二十メートルほどの切り株。
その上へ登れるようにすれば、地上よりは安全に暮らせる。
もちろん、空を飛ぶ魔物には見つかるかもしれない。
それでも、デッドマンティスやレッドアントのような地上の魔物に襲われる可能性は大幅に減るはずだ。
梯子を登り、切り株の上へ出る。
上部は想像以上に広かった。
「これなら、何人か住めそうだな」
そこから少しずつ、生活できる環境を整えていった。
屋根には、レッドアントの外殻を使った。
外殻は比較的軽く、水をほとんど通さない。
何枚か重ねて並べるだけで、簡単な雨除けになる。
雨水を溜める器には、グランドセンチピードの甲殻を加工した。
湾曲した甲殻をつなぎ合わせることで、水を受け止める大きな容器になる。
さらに、川から拾ってきた石を積み上げ、簡単な暖炉も作った。
煙が一か所へ集まらないよう、上部には隙間を開けている。
「家……と呼ぶには酷いけど」
屋根。
水。
火。
眠る場所。
最低限のものは揃った。
「野宿よりは遥かにいいな」
少なくとも、雨の日に泥の中で眠る必要はない。
食料を保管する場所も作れる。
人が増えたら、寝床を追加することもできそうだ。
「もう少し広げるか」
次の洗礼まで、まだ時間はある。
焦る必要はない。
俺は日中、魔物を狩った。
レッドアント。
グランドセンチピード。
グリーンホーネット。
スライムボール。
デッドマンティス。
倒した魔物の肉を食料にし、外殻や脚、皮を素材として持ち帰った。
夜になれば、切り株の上で加工する。
ロープを増やす。
雨除けを広げる。
寝床を作る。
食料を保存できる場所を増やす。
失敗も多かった。
雨水の重さで屋根が崩れたこともある。
暖炉の煙が全部寝床へ流れ込み、夜中に慌てて外へ逃げたこともあった。
グランドセンチピードの甲殻から水が漏れ、一日かけて溜めた雨水がすべてなくなったこともある。
そのたびに作り直した。
魔物を狩り。
身体を鍛え。
魔法を使い。
拠点を作る。
そんな毎日を繰り返していった。
・・・
・・
・
そして――。
気づけば、八か月の月日が流れていた。
切り株の上には、もう最初の頃の面影はない。
複数人が横になれる寝床。
雨水を貯める容器。
食料を保存する場所。
暖炉。
そして、魔物の素材を加工して作った様々な道具。
俺一人で暮らすには、広すぎるくらいになっていた。
だが。
今日からは、それでいい。
「……そろそろか」
俺は切り株の端に立ち、空を見上げた。
この世界のどこかで。
去年の俺と同じように、両手の甲へ白い輪を浮かべた十歳の子供たちが、今日という日を迎えている。
そして間もなく。
その子供たちは、この最下層へ送られてくる。
俺は右腕に刻まれた魔法輪へ目を落とした。
「今度は……俺が助ける番だ」