断じて言うが、輝元柚子に女装癖はない。
13歳の男子にしては小柄で華奢な体も、アイドルが嫉妬するほどの甘い顔も、透き通るような白い肌も、柚子にとってはコンプレックスですらあった。
そんな彼がなぜリボンとフリルとビジューに彩られた魔法少女の世界に飛び込んだのか。
理由は簡単だ。恋である。彼の好きな同級生の女の子が、魔法少女だった。
彼女は強くて格好良くて、そして柚子に一切の興味をもっていなかった。
恋は人を狂わせる。
ご多分に漏れず、柚子は彼女に近付くためならなんでもできてしまった。
とはいっても最初から魔法少女を志したわけではもちろんない。
柚子はまず単身で魔法少女事務所の戸を叩き、マネージャーとして雇ってもらうことに成功した。
それが間違いの始まりだった。
間違いその1。柚子の想い人はマネージャーを募集していなかった。それ故、柚子は別の魔法少女に付くこととなった。
間違いその2。柚子の付いた魔法少女、カルミアには少々どころではない難があった。
端的に言えば、女嫌いの男好き。その上ドがつくほどのサディスト。
女性マネージャーがつけばたちまち不機嫌になり、いじめ倒して辞めさせてしまう。
男性マネージャーがつけばたちまちご機嫌になり、いじめ倒して辞めさせてしまう。
そこで彼女を魔法少女として雇用している『妖精さん』たちは考えた。か弱い子供をマネージャーにつければ彼女ももう少し優しい心を持つのではないかと。
まぁもちろんそんなわけもなく、柚子はその小さな体で彼女の鬱憤を受け止めるサンドバッグされてしまった。ここでさっさと辞めておけば良いものを。恋に狂った人間は諦めも悪い。
間違いその3。そのカルミアがいま、燃えている。
「カっ……カルミアさんっ!」
炎に包まれた彼女は柚子の問いかけにも反応を示さない。
彼女の発火はあまりに急で、なんの前兆もなかった。あたりに火の気はなかったし、もちろんガソリンを浴びたわけでもない。
敵が現れたと出動の要請を受けたにもかかわらず、向かった先のオフィス街に敵の姿などなかった。それで苛ついたカルミアが柚子を蹴った瞬間、天罰とばかりに彼女の体が火に包まれたのである。
『……ず……ゆず!』
そこでようやく柚子のマジカルインカムに反応があった。聞き慣れた妖精さんの声。ノイズが酷いが、大事な一文は聞き取れた。
『近くにパパラッチ虫はいないかみゅ?』
魔法少女の敵はたくさんいる。
巨大な体と凄まじい腕力を持つもの。鋭い刃を持つもの。
触れれば溶ける猛毒を持つもの。
――しかし史上最も多くの魔法少女を無力化しているのは、力も刃も毒もない、この手のひらに収まるほどの小さな敵であった。
パパラッチ虫。
黒い体に大きな一つ目を持つコイツは、切るでもなく刺すでもなく“撮る”ことで魔法少女に攻撃をする。
魔法少女の力の源は見る者たちのトキメキ。
パパラッチ虫は見る者のトキメキを奪い、負の感情を煽るスキャンダルをネット上に流すことで魔法少女を炎上・無力化させてしまう。
カルミアもまた、柚子を蹴ったところをパパラッチ虫に撮られて炎上してしまったに違いない。
魔法少女が一般人を、しかも子供を蹴るなんて良い火種だ。
妖精さんはマジカルインカムの向こうでそう叫んでいる。
柚子が辺りを見回すと、確かにいた。壁に張り付いたパパラッチ虫が。柚子の顔を見て、その一つ目が三日月型に歪む。
「みーちゃった、みーちゃった」
「……このっ!」
柚子は自分のスニーカーを手に取り、パパラッチ虫に叩きつける。
それはなんの抵抗もなく、簡単に潰れた。
しかしもう遅かった。
カルミアの悪行はすでにネットの海に流れてしまっている。
彼女の体を包む炎はますます激しく燃え盛るばかり。
そして炎上し、虫の息になった魔法少女がいることは人間以外にも知られるところとなったようだ。
大きな影が2人に落ちる。
敵は人の負のエネルギーを糧にしている。
だからだろうか、人間の忌避するものの姿をとることが多い。
それ故、魔法少女はそれを“蟲”と呼ぶ。
柚子の見上げたそれはムカデの姿をしていた。
人を丸飲みできるサイズでありながら、無数の足でビルの外壁を俊敏に這い回る。
「みうみう! て、敵が……みうみう?」
マジカルインカムは魔法少女の魔力を使って動く妖精界の機器。
カルミアからの魔力供給が途絶え、今はただ耳障りなノイズを吐くばかり。
日曜のオフィス街に人の姿は疎らで、また援軍の魔法少女の姿も未だ見えない。
ここで13歳の無力な少年が逃げ出したとして、誰が責められるだろう。
しかし柚子はそうしなかった。
「カルミアさん! 起きて」
必死に声をかけながらペットボトルの水をかける。
しかし火の勢いが弱まる気配はない。
彼女を包む火は魔法の火である。
それは魔法少女の魔力をエネルギーにして燃えているもの。普通の人間が物理的に火を消すことは不可能。
彼女の体の中の魔力が一片残らず燃え尽きれば火はひとりでに消えるだろう。
しかしそれには時間がかかる。
そして方法はもう一つ。
以前、妖精さんがちらりと言っていたその方法を、柚子は思い出した。
炎の燃料を止めればそれは消える。つまり。
『魔法少女の変身を解いてあげれば良いんだみゅ〜!』
妖精さん、みうみうの甘ったるい声を柚子は頭の中で再生する。
しかし再生できたのはそこだけだった。
変身を解くための詳しい手順を思い出すだけの余裕を持ち合わせていなかった。
だから柚子は強硬手段に出る。
「カルミアさん、すみません!」
柚子は意識のないカルミアに一瞬だけ頭を下げる。
そして胸元のブローチを鷲掴みにし、思いっきり引きちぎった。
あまりに乱暴な所業だったが、変身を解くことには成功した。
魔法少女の武装であるキラキラワンピースは消え、カジュアルな普段着へと変わる。
そして炎も消えた。
「ああ、良かった」
不思議なことに、変身を解いたカルミアの体に火傷はみられなかった。
意識はないが、呼吸はある。
この分ならいずれ瞼を開けて自分の足で立ち上がることができるだろう。
しかし遅かった。
「あ――」
柚子の丸くて大きな瞳に映る、ムカデの醜い乱杭歯。
まだあの子とまともに話せてすらいないのに。
そんな思いが走馬灯のように柚子の脳内をめぐる。
柚子の想い人は今をときめく最強の魔法少女だ。
彼女が蟲と鮮やかに戦いを繰り広げる姿に柚子は心を奪われた。
そんな憧れの人がクラスに転校してきたものだから、夢中になるのも仕方がない。
ここにあの子がいたなら、きっとこんな敵簡単に倒してくれただろう。
しかしここに彼女はいない。
それ故、ムカデはばくんと2人を丸呑みにした。
あっけない最期。魔法少女でないただの人間は強大な敵を前に為す術などない。
恋は人を狂わせ、そして時に死すら招くのだ。
それでも人は恋をする。恋は稀に――本当に極稀にだが、奇跡を起こす。
ムカデの腹が割れて弾けた。
肉塊と共に中から輝く物が飛び出る。
柚子だった。
カルミアを抱え、ムカデの腹を突き破った。
彼の恋心はカルミアから引きちぎった変身ブローチと反応し、奇跡を起こした。
しかし残念ながらそれは"女子専用"のアイテムなのである。
昨今の情勢を鑑みれば性別で線を引くことはいろいろな面倒の火種となりかねない。
避けるべきことであろう。
だがこの変身ブローチはメイドイン妖精界。
ジェンダーレスに対応できていないのもやむなし。
だから、奇跡はこういう形でしか発現されない。
「え……なに? なんで?」
輝く黄色いワンピース。
胸元には大きなリボン。
膝丈スカートの裾にはたっぷりのフリル。
真面目な優等生であるはずの柚子の黒髪は煌びやかな金色に染まり、腰あたりにまで伸びている。
それはどうみても少女だった。
見る者によっては「天使」とも「天女」とも「妖精」とも形容するだろう。
「女装した中学1年生の男子」だと見抜ける者はまずいない。
たとえそれが数多の魔法少女を育成してきた妖精さんでも。
「な、なにが起きたみゅ?」
白いふわふわの、一見するとぬいぐるみのような生物が柚子を見上げた。
彼こそみうみう。
カルミアや柚子の想い人といった魔法少女を管理する妖精さんである。
連絡が取れなくなった二人の様子を確認するため、直接足を運んだのだった。
遠目から巨大なムカデが見えた時は最悪の状況を覚悟したが、まさかその腹から輝く美少女が出てくるとは夢にも思わなかった。
まるで竹取物語である。
しかし正体不明のかぐや姫は輝く美貌の割に妙に自信なさげな様子で、スカートを押さえながらキョドキョド辺りを見回している。
そしてみうみうを発見するなり、ものすごい速さで駆け寄った。
ムカデに大ダメージを与えて戦いは順調なはずなのに、ひどく慌てた様子。
「どうしようみうみう。あ、足がスースーするよ」
近くで見ても、やはりみうみうには分からない。
このあたりは彼の管轄。
地域の魔法少女の把握はできているはず。
いや、これほどまでの容姿とオーラを持つ魔法少女であれば、管轄外地域の魔法少女であっても話くらいは聞いたことがあるはず。
と、そこでみうみうはブローチに気づいた。
彼の視線が訝しげなものに変わる。
「それはカルミアの変身ブローチのはず……君は一体だれだみゅ?」
「僕だよ、柚子だよ! カルミアさんのブローチで変身しちゃったんだよ」
「柚子ぅ?」
みうみうは目を凝らしてそう呟く。
長い前髪で目元を隠し、いつもカルミアにいじめられていた気弱そうな男子と目の前の輝く美少女が同一人物であるとはにわかには信じがたい。
なにより、柚子は男子だ。
「ありえないみゅ。ブローチは女の子にしか反応しないみゅ」
「そんなこと言ったって変身しちゃったんだから仕方ないじゃん。っていうかどうやって解くのこれ!?」
恥ずかしさと焦りで顔を真っ赤にしながら柚子はそう訴えるも、みうみうは訝しげな視線を緩めない。
カルミアは柚子の腕の中でぐったりと動かず、他に彼の証言を裏付けてくれる者もいない。
とはいえ、ゆっくりと説明している暇もなかった。
ムカデは頭を潰しても動き続けるという。
悪臭を放つ体液をぶちまけながらムカデは再び頭を持ち上げる。
柚子たちを再び腹の中に収めるつもりだ。
「ににに、逃げよう! そのうち援軍の魔法少女が来るよね? それまで身を隠して」
「いや」
みうみうはふわふわお手々でムカデを指し示す。
「魔法少女なら敵を倒すんだみゅ」
「え……ええ!?」
「カルミアは僕に任せるみゅ。早く!」
しかし他に方法はなさそうだった。腹を食い破られ、怒り狂ったムカデの攻撃は執拗だ。
「ひいっ」
柚子は悲鳴を上げながら飛び上がった。
瞬間、先ほどまで柚子がいた場所に大穴があく。
ムカデはその乱杭歯でコンクリートを物欲しそうに噛み砕いた。
柚子の想い人は魔法少女だ。
彼女の画像やプロフィールはもちろんだが、戦闘中の映像は腐るほど見てきた。
だから柚子は蟲との戦い方がなんとなく分かっていたつもりだったが、とはいえ自分が戦うとなると話は別だ。
「ひいっ! ひいいっ!?」
ふわり、ひらりとムカデの攻撃を避けながらも必死になって考える。
柚子は男の子だ。
日曜の朝は魔法少女アニメよりも戦隊ものの特撮に夢中だった。
可愛らしい童話の絵本より図鑑のほうが好きだった。
恐竜、動物、そして――昆虫。
「……そうだ」
柚子は動いた。
ムカデの攻撃を避けながら必死に駆ける。
柚子は運動が得意ではない。
駆けっこも苦手だし、力も弱い。
しかし魔法は人知を超えた力を柚子に与える。
「えい! やあ!」
オフィス街の駐車場に停めてある車を柚子はムカデに投げつける。
1台、2台、3台、4台……
癇癪を起こした子供のように、ありったけの車をムカデにぶつける。
しかし効いた様子はない。
「ふみゅう……男の子ゆえか力は強いようだみゅ。でもそれだけだみゅ。やっぱり男の子じゃ魔法の力は使いこなせないかみゅ」
柚子にあの敵を倒すのは無理だ。そう判断し、みうみうは近くにいる魔法少女を呼び出そうとマジカルスマホにふわふわの手をかける。
と、その時だった。
「ギエエエェェェ!」
耳をつんざく化け物の咆哮。
いや、それは断末魔の叫び。
顔を上げたみうみうの目に映ったのは、炎に包まれたムカデの姿だった。
カルミアを炎上させた魔法の炎ではない、正真正銘物理的な炎。
蟲はモデルとなった生物の特性を受け継ぐ。
ムカデは頭を潰しても死なないが、火に弱いことを柚子は知っていたのだ。
車を投げたのは、打撃を期待したのではなく蟲にガソリンをかけるため。
一際大きな爆発音が上がる。
大きな炎を背に、柚子は金色の髪を煌めかせながら颯爽と歩んだ。
みうみうのつぶらな瞳が一際大きく煌めく。
他の魔法少女とは違う発想。
度胸があって機転も利く。
そしてなによりその類稀なる美貌。
男であるというリスクを差し引いたとしても――
みうみうは頭の中でそろばんを弾き、一言。
「……イケる」
「え?」
「カルミアはもう魔法少女としては再起不能だみゅ。誰かが穴を埋める必要があるみゅ」
みうみうはぺろりと舌なめずりをした。
目は小動物のようにつぶらだが、その中には獲物を狙う肉食獣の輝きを湛えている。
「柚子。いや……魔法少女シトロン。僕と一緒に世界を救うんだみゅ!」
「え? イヤだけど。僕男だし」
しばしの沈黙。白いふわふわの腕をぬっと差し出してみうみうは言う。
低い声だった。
「ほんなら変身ブローチの使用料30万円。耳揃えて払わんかい」
「……え?」
柚子は動揺した。
みうみうの突然の関西弁と、キラキラした魔法少女の世界に突如降り注いだ罰金制度に。
確かに聞いたことはあった。変身ブローチを使って魔法少女になった以上は敵を倒さなくてはならない。
もし一匹も敵を倒せないまま魔法少女を辞めれば罰金が課されると。
しかし柚子は納得がいかない。
「いや、倒したじゃん!」
打ち倒されたムカデを指さし、必死になってそう主張する。
しかしみうみうは首を横に振った。
「これは公式戦とは認められないみゅ」
柚子は額に汗をかきながら頭の中で勘定をする。
豚さんの貯金箱を割って、お年玉の積み立てを崩して、お小遣いを前借りして――それでも30万円には届かなかった。
13歳の柚子がそんな大金払えるわけもない。みうみうも分かって言っているのだ。
柚子はただ、スースーするスカートを押さえながらうなだれる他なかった。