体中が重い。身動きが取れない。そして、酷く寒い。
これは罰だと柚子は思った。
嘘を吐いて、自分を偽って、好きな子に近付いた罰。
しかし心残りがないと言えば嘘になる。
こんなことになるのならアザレアにちゃんと告白をしておけば良かった。
思えば遠回りばかりしていた。
あれこれ策を練って魔法少女にまでなって、そして策に溺れてしまった。
だからこんな地獄のような場所に落とされたのだ。柚子はそう考えていた。
諦めていたともいえる。
彼にここから逃げ出す術などないのだ。
だから、彼にはまったく分からなかった。
微かに射し込む光とともに“上”から垂らされた、この糸がなんなのか。
*
もう終わりだ、とアザレアは思った。
ヤケになったのではない。
彼女の豊富な経験を持ってしても、それに勝てる術を見出すことができなかった。
黄色と黒の縞模様。
見上げれば空一面がそれで埋まっている。
よくよく目を凝らせば、それが巨大な蜂の大群であることが分かるだろう。
“魔王”とみうみうたちが呼んでいた個体。
言い得て妙だとアザレアは思った。
王とは統治する者。一匹だけでは成立しない。
教会をぶち破るようにして出てきたのは一際大きな女王蜂と、追随する大量の働き蜂。
ヤツらが最初に行ったのは人間への襲撃だった。
大量の働き蜂が人間を攻撃し、得た負の感情を女王蜂へ届ける。
女王蜂はそれを糧に卵を産み働き蜂を増やす。
そういうシステムだろうことは、蟲の生態を多少なりとも知っている者であれば誰にだって予想できた。
「このままじゃ市内全域――いや、もっと広い範囲で人間がまともに暮らせない土地になるみゅ」
バケツからひょっこり顔を覗かせ、そのつぶらな目から放たれる鋭い視線を周囲に巡らす。
いくら働き蜂を倒してもきりがない。
狙うなら女王。
無論巣の存続は女王にかかっており、働き蜂たちの手厚い保護下にいる。
しかしここで女王を討ちきれなければ働き蜂はますます増え、取り返しのつかないことになるだろう。
そんなこと分かっている。
「魔法少女たちを率いて戦うんだみゅ。今それができるのはアザレアだけ――アザレア?」
みうみうはつぶらな瞳をぱちくりとさせた。
彼は己の目を疑った。
誰よりも強く、誰よりも勇敢で、幼い頃から泣き言一つ言わず敵と戦ってきたアザレア。
みうみうはその姿を誰よりも近くで見てきた。だからこそ、信じられなかった。
背中を丸め、幼い少女のように泣くアザレアの姿が。
「い……いやだぁ……シトロン……」
みうみうは一瞬呆気にとられた。
しかしすぐに我に返り、辺りの様子を探る。
マズい。その一言につきる。
これはアザレア一人の問題ではないのだ。
一番の実力者である彼女の動揺は瞬く間に周囲へと伝達する。
集まった魔法少女たち、それからこれを見ている大友たちにも。
強く輝く魔法少女にこそ人々はトキメキを覚える。
泣きじゃくったり、敵を前に尻込みするような魔法少女に誰がときめくというのか。
このままでは。
みうみうの背筋を冷たいものが走る。
が、彼もプロだ。
すぐに笑顔を取り戻した。
教育テレビの人形劇のように、明るい声でアザレアをあやす。
「大丈夫だみゅ。シトロンはきっと無事だみゅ〜!」
根拠はまったくない。
むしろ、みうみうは彼が死んでいる可能性が高いと踏んでいた。
引きずり込まれた教会は今や崩壊、その上に女王が巣まで作っている状況。
生きている可能性を考えられるほど楽観的ではない。
しかしアザレアを鼓舞するためなら、残酷な嘘にも頼る他ない。
「あの女王をみんなで倒して、シトロンを助けに行くんだみゅ!」
「ふぇ……」
顔を上げ、崩壊した教会を視界に収める。
すぐにまたアザレアは顔を伏せた。
「あんなの倒せないよぉ!」
大きな不安やストレスに晒された際、人間は自身を守るために様々な反応を見せる。
これもその1つ。
幼児退行。
ストレスから身を守るため、彼女の精神は幼い子供に戻っている。
シトロンが男だったというショックに加え、彼が目の前で敵に連れ去られ生死不明の状態になったことでアザレアの心は限界を迎えたのだ。
たくさんの魔法少女のメンタルケアをしてきたみうみうにはそれが分かった。
彼はチラリとスマホを盗み見る。
この戦いは当然中継されている。
ひょっとしたら退行状態のアザレアに「ギャップ萌え」とか「逆に良い」みたいな好意的な反応をもらえているのではないかと期待したのだ。もちろんそんなことはなかった。
『解釈違いです』
『こんな時にヒスってて草』
『マジでどうすんのこれ』
みうみうはそっとスマホを閉じた。
一瞬だけ目を閉じ、呼吸を整える。
どうすれば良いのかは明白だ。
みうみうはカッとつぶらな目を見開く。
ふわふわのお手々を振り上げてアザレアの頬を叩いた。
「しっかりせえよ! お前が今頑張らんでどうすんねん!」
アザレアのかわりなどいるはずもない。
彼女を奮い立たせるのだ。勝機はコレしかない。
が、結論から言えばみうみうの作戦は失敗に終わった。
「うるさい」
アザレアはみうみうの首根っこを掴んだ。
底の見えない黒い目で彼を覗き込む。
「なんで私が頑張らないといけないの?」
みうみうは答えることができなかった。
彼女がやむにやまれず魔法少女になったことを彼は知っていたからだ。
魔法少女は彼女にとって仕事であり、生きるための術。
憧れや信念が理由で始めたものではない。
だからこそ長続きしたし、誰よりも真剣に取り組んできた。
しかし恐怖や重圧は相当なものだった。
彼女はそれを憎悪に変換し、己を魔法少女にした母親の彼氏に向けた。
しかし憎悪は大きくなりすぎた。
やがてその対象は母親の歴代彼氏たちに、そして次第にすべての男性へと広がっていったのだ。
「痛いし怖いし、魔法少女なんてやりたくないよ」
それは子供の頃、言いたくても言えなかった言葉だ。
しかし何も知らない人間には、強大な敵を前に尻込みしているように見えてしまう。
他の魔法少女たちにも動揺は広がっていく。
その表情はどんどんと固くなり、"魅力的"から遠ざかっていく。
中継を見ている視聴者は増える一方だが、彼らが抱くのはトキメキではなく、やはり恐怖。
魔法少女たちの魔力量は増えず、敵の体ばかりが大きくなっていく。
そして、魔法少女と蟲が睨み合う拮抗状態がついに破れた。
「来た……」
働き蜂たちは魔法少女たちに向けて進軍を開始した。
ブーンという低い羽音がどんどんと大きくなる。
それはただでさえ弱腰になった魔法少女たちの恐怖を大いに煽った。
みな散り散りになって逃げて行く。
うずくまるアザレアを残して。
彼女は名実共に最強の魔法少女だ。
圧倒的な戦闘力を持ち、常に他の魔法少女の模範となる存在。
それゆえに、ピンチの彼女を救おうと考える魔法少女はいなかった。
アザレアが勝てない敵に自分なんかが立ち向かえるはずがないと誰もが思ったからだ。
ただ1人を除いて。
「あっ」
アザレアは目を細めた。
今の彼女に、それはあまりに眩しかった。
光の中にいる、輝く少女が振り返る。
間違いない。シトロンだ。
よくよく見ればあちこち傷だらけ。
当然だ。生きているだけで奇跡。
とても戦えるような状況ではない。
しかしシトロンは創り出した大きなハサミで、襲い来る蜂を迎え撃った。
「シトロン、どうして――」
「アザレア!」
湧き出る様々な疑問を、シトロンはより大きな声で遮った。
アザレアの体がびくりと震える。怒られて当然だと彼女は思った。
アザレアはシトロンに武器を向け、そのせいで敵に連れ去られることになってしまった。
どんな怒りをぶつけられるのかと身を固くするアザレアに、シトロンは言った。
強い語気で、周囲の喧噪に掻き消されない声で。
「好きです!」
「……え……え?」
想像とあまりにかけ離れた言葉。
頭がフリーズし、うまく答えることができない。
やっとでた言葉がこれだった。
「なんでそうなるの?」
アザレアは頭を振る。
既に彼女はひどい醜態を晒してしまっている。
ここでカッコつけてもかえって惨めなだけだとアザレアは思った。
「私はみんなが思ってるような強い女の子じゃないよ」
「知ってるよ」
シトロンはくしゃっと笑った。
色んなアザレアを見てきた。
近くから、遠くから、強いとこも弱いとこも。
見る角度が違うと見え方が変わるだけで、どのアザレアも本物のアザレアなのだ。
シトロンには分かる。
彼だって、好きな相手に近付くため性別を偽って魔法少女になった。
でも魔法少女シトロンは確かに存在している。
みんなのために戦ったこと、やりがいを感じたこと、この世界を救いたいことは嘘じゃない。
「僕が君を守るよ」
恋は人を狂わせる。
それは真実をねじ曲げる。
それは種族や本能、利害関係を超える。
それは人を弱くする。
しかしそれは時に、凄まじいエネルギーを生む。
本人はもちろん、見ている人たちにも。
「トレンドランキング世界一位、中継のPVもどんどん回ってるみゅ!」
みうみうに言われずとも、シトロンには分かっていた。
体の内から泉のように魔力が湧き出てくる。漏れ出たそれが光となって彼の体を輝かせた。
それはスポットライトのように彼の存在感を際立たせる。
しかし光が集めるのは人々の視線だけではない。
漏れ出る魔力に蟲たちは危機を感じたのだろうか。
女王を守るため、働き蜂たちが一斉にシトロンに群がる。
が、その末路は夏の夜の虫と同じ。
シトロンの魔力は触れた敵を容赦なく焼き切った。
心を満たすのは万能感。
今ならどんなことでもできると、シトロンは確信した。
「武器を作るみゅ。敵を一網打尽にできる強力なヤツ。今のシトロンならできるみゅ!」
すぐにイメージが浮かんだ。ハサミを消し、手をかざして光を紡ぐ。
それは網だった。金色に輝いていること以外は何の変哲もない普通の虫取り網。
「いや……そういうのじゃなくて、もっと強力で派手で配信映えするやつを」
「やって、シトロン!」
うだうだと文句を言うみうみうを押さえ込み、アザレアが叫んだ。
シトロンが虫取り網を翻す。
瞬間、魔力が雷光の如く閃いた。
光の網が瞬く間に広がり、空を覆い尽くす。
数々の魔法少女を見てきたみうみうすら、ぽかんと口を開けて空を見上げる。
「こんな魔力量、見たことないみゅ」
本能的に並々ならぬ気配を感じたのだろう。
激しい羽音を立てながら働き蜂が大移動を始めた。
逃げたのではない。むしろ集まってきている。
彼ら蟲は個の生き死により群れの存続を優先できる。
群れの心臓である女王を守ろうとしているのだ。
しかし空に広がった網は下りた。
「わぁ」
アザレアが目を細める。
まるで花火を眺める少女のような屈託のない笑顔。
それは祭りのような喧騒だった。
目の眩む閃光。
ポップコーンが弾けるような衝撃音があちこちから聞こえてくる。
蟲を焼き、人間には害を与えない、まさに魔法の網。
想像を絶する量のトキメキを集めたからこそなせる技だ。
こうして、シトロンの名は伝説の魔法少女として全国に知れ渡ることとなった。
しかしそれは彼にとって重要なことではない。
今までだってずっとそうだ。
彼はただ1人の女の子に好かれたいだけなのだから。