中学生男子のヒエラルキーを決めるのは、結局のところ強さである。
それで言えば、柚子などはかなり下の階層に位置している。
小柄な体、強面とは程遠い可愛い顔、高い声に優しい性格。
帰宅部ゆえ組織力もなし。彼がヤンキー同級生に舐められるのも必然であった。
「おい柚子! コーラ買ってこいよ」
などという令和とは思えない要求にもヘラヘラと応じてしまう。
やり返さないから、より舐められる。負のループだとみうみうは思った。
コーラを買いに走る柚子のポケットからぬっと頭を出し、ギリギリと歯噛みする。
「歯がゆいみゅ……歯がゆいみゅ……」
「うわぁ! いつの間に入ったの?」
「魔法少女の柚子ならあんなのイチコロなのにみゅ」
「魔法少女が一般人に手を出したらダメでしょ」
柚子は苦笑した。そして諦めの色を瞳ににじませる。
「竜斗のワガママはいつものことだから。もう慣れてるよ」
竜斗は柚子の幼馴染だ。
家が近所で小学校も一緒。
彼に誘われて一瞬だけ少年野球のチームに入ったこともある。
竜斗から練習と称して無理な走り込みを強要されたり、バッドで小突かれたりするのに耐えられず、すぐ辞めてしまったが。
昔から体が大きく粗暴で、柚子は彼に何度泣かされたか分からない。
やがて抵抗することを諦めてしまった。
「……柚子には魔法少女の素質があるみゅ。僕の目に狂いはないみゅ」
みうみうは柚子の暗い瞳を覗き込む。
「さぁ柚子、変身だみゅ。今日が魔法少女シトロンの公式上の初戦だみゅ」
「シトロン?」
「魔法少女ネームだみゅ。名前が柚子だからシトロン」
「安直じゃない? それにその、コーラ届けに学校いかなきゃいけないし……」
「じゃあ30万円払えるんか?」
柚子は「ううっ」と情けない声を唇から漏らし、そして観念したようにカバンを下ろした。
「本当に、もう1回蟲を倒せば30万円は免除してくれるんだよね?」
「もちろんだみゅ。妖精さん嘘つかないみゅ」
「……1回だけ。これが本当に最後だからね!」
そう言って、柚子はヤケクソとばかりに変身ブローチを振りかざす。
瞬間、柚子の体を眩い光が包み込む。
胸元には大きなリボン。膝丈スカートの裾にはたっぷりのフリル。輝く黄色いワンピースを纏い、魔法少女シトロンが地に降り立つ。
が、彼に浴びせられたのは称賛の声でも歓声でもなく、みうみうの怒声であった。
「ななっ、なにやってるみゅ。変身してるとこ見られたらどうするみゅ!」
「あっ、そっか」
「そっかじゃないみゅ!」
幸運にもあたりにひとけは無かったが、ここは通学路にもなっている道の真ん中。
しかも柚子は中学の制服を纏っている。
もし近所の人にでも見られていたら。
みうみうのふわふわの毛が逆立ち、ぶらりと身震いする。
「絶対絶対、男だってバレちゃダメだみゅ。カルミアみたいに炎上したいかみゅ?」
シトロンはブンブン頭を横にふる。
カルミアが目の前で燃える姿は彼の心にトラウマとして刻まれている。
もう二度と見たくはないし、自分がああなるなんて考えることすらしたくない。
「変身するときはひとけのない場所で。パパラッチ虫にも十分注意するみゅ」
シトロンはブンブン頭を縦にふる。
その反応にみうみうも満足したようだった。大きく一度頷いてみせる。
「まぁ変身シーンさえ見られなきゃ平気だみゅ」
言いながら、みうみうは柚子の周りをふわふわと旋回する。
丸い大きな目を縁取る長いまつ毛。透けるように白い肌。華奢な骨格に細い手足。
「どこからどうみても女の子――」
と、そこでみうみうの動きが止まった。
足元のあたり。見上げるような格好で。
魔法少女シトロンは大変な美少女に見える。
しかし彼はあくまで男の子なのだ。
いくら顔が可愛くても、体が華奢でも、彼には“男性の部分”がある。
みうみうはシトロンのスカートに頭を突っ込んだ。
「うわぁ! なにするの!」
「シ……シトロンのおロンロンが」
「おロンロン?」
なんのことか分からず、シトロンはスカートをそっとまくり上げ、股のぞきの要領でその中を覗く。
当然だが変身ブローチは女性用だ。
ワンピースもアクセサリーもすべて女性を飾るためにデザインされたもの。
もちろん下着も。
ぴったりフィットする女性用パンティは、シトロンのおロンロンをくっきり浮かび上がらせていた。
みうみうはシトロンの頭を引っぱたき、スカートを下ろさせる。
「なにやってるみゅ! 女の子はスカートの中を覗いたりしないみゅ」
「いや、でも、どうしようこれ。見られたら男だってバレちゃうよね……?」
みうみうはハサミを取り出した。目をギンギンに開き、刃をベロリと舐める。
「今すぐにちょん切るみゅ」
「なに言ってんの! そうだ、体操服のズボンを下に履こう。一回家に帰るね」
「ダメだみゅ。そんなの可愛くないみゅ」
「股間から血を流してるよりマシでしょ!」
シトロンの言うことはもっともだが、とはいえそんな時間はなさそうだった。
空が割れて、それは出てきた。
不快な羽音。赤い目。大型犬ほどの体躯。薄い翅で流星のごとく空を飛び回る。
「なにあれ」
「ショウジョウバエだみゅ」
みうみうは遠い目をしていた。
「魔法少女はデビュー戦でファンを増やすことが重要だみゅ。だから華麗に戦える雑魚虫を相手に初戦を組んだみゅ」
ムカデを一人で倒してみせたシトロンならあれしきの敵は簡単に倒せる。
しかしそれは「自由に空を飛べれば」という但し書きがつく。
空なんか飛べばスカートの中が露わになることは避けられない。
「む、むりだよ。別の魔法少女に戦ってもらおう」
「それこそ無理な相談だみゅ。もう呼んじゃってるもんみゅ」
「呼んじゃってる?」
その意味を理解したとき、シトロンの心に高揚と絶望がのしかかった。
「その子が今日お披露目の子?」
クラシカルな白いブラウスに鮮やかな赤いスカート、頭にはトレードマークの大きなリボン。切れ長のクールな目がシトロンの心を掴んで離さない。
赤城凛。いや、魔法少女アザレア。
彼女こそシトロンの想い人であった。
「な、なんっ……なんでっ……!?」
どうして憧れの人が目の前に現れたのか。
シトロンはその意味で言ったのだが、アザレアは違う捉え方をしたようだった。
「あぁ、これ?」
アザレアはサッカーボールのように小脇に抱えた、巨大な蟻の頭部に視線を移す。
「なんでそんなの持ってるみゅ?」
「結構強かったから、解体して分析してみようと思って……ごめんね、引いちゃった?」
「いえ!」
シトロンはぶんぶんと首を横に振った。
「ぼくっ……じゃなくて私、ずっとアザレアのファンで。そんなストイックなところも尊敬しています」
「ふうん……?」
アザレアはシトロンにくまなく視線を巡らせる。頭の先から爪先まで。
シトロンはドキリとした。そして自分の迂闊さを呪った。
柚子と凛はクラスメイトで、まともな交流はないにしても毎日同じ教室で授業を受けている。
変身によってメイクアップはされるものの、顔の造形は同じだし認識阻害なんて気の利いた機能はついていない。
つまり、魔法少女シトロンが柚子であると見破られる可能性は十分あるということ。
彼女に女装がバレでもしたら。
考えるだけでシトロンの顔が強張り肌が粟立つ。
永遠にも思える数秒。
生きた心地がしなかった
――しかしアザレアは柔らかく笑って言う。
「みうみう、良い子見つけてきたじゃない。私より少し年下くらい? でも同じ魔法少女なんだし、タメ口で良いよ」
……バレていない。
それどころかクラスメイトなのに年下に見られている。
確かにシトロンはアザレアより身長が低いし、童顔だ。
そう思われても仕方がないのはシトロンも理解しているが少々複雑な気分ではあった。
「魔法少女の先輩として、シトロンの実力を見てもらおうと思って呼んだんだみゅ」
みうみうは笑顔で嘘をついた。
シトロンがアザレアを好きだなんてこと、みうみうはとうに把握していた。
そのうえで彼にやる気を出させるためにわざわざアザレアを呼び出したのである。
「確かにあなたのビジュアルは抜群だわ。でもそれだけじゃダメ」
アザレアの視線がにわかに鋭いものに変わる。シトロンは慌てて背筋を伸ばした。
「可愛いだけの子にはみんな飽きてる。大事なのはキャラクターと鮮やかな戦術よ」
魔法少女の力の源は人々のトキメキ。その強さは人気と比例する。
現に、魔法少女からアイドルやタレントに転身する者もいるし、その逆もいる。
インフルエンサーが話題作りで魔法少女の世界に足を踏み入れるということも過去にはあった。
“魔法少女としての公式な戦いを1戦もせずに辞める場合、変身ブローチ使用料として30万円を請求する”
それは柚子を脅すためのものではなく、安易に魔法少女になる冷やかしへの対応策として妖精さんたちが定めたルールであった。
「いや……でもあの、今日はその……体調が……」
緊張と興奮でシトロンの口はパサパサだ。
声には覇気がなく、発音も不明瞭。
当然だ。彼のスカートの中は今大変なことになっている。
その状態で憧れの人の前に立っているのだ。
平然としていられるほど彼の肝は据わっていない。
しかしそんな態度を、アザレアは“初めての戦闘に緊張している”と理解したようだ。
「ちょっと手を貸して」
アザレアはシトロンの手を取り、その小さな手のひらを指で何やらなぞり始めた。
「え? え? な、なにを?」
「手のひらに虫って3回書いて呑むと戦闘が怖くなくなるのよ」
おまじないの類いということだろう。
しかしシトロンはそれどころではなかった。
目を瞑っていても詳細に思い描けるその人が、いま目の前にいる。
目を合わせてくれたこともないその人が、いま自分に話しかけて手まで握ってくれている。
しかしいま自分は女装をしていて、女物のパンティまではいている。
シトロンの感情はもうぐちゃぐちゃだった。
そんな気持ちなど知るよしもなく、アザレアは満面の笑みをシトロンに寄せる。
「これでもう大丈夫。さぁ、私たちをときめかせて」
輝元柚子のままであったなら決して向けられることはなかったであろうアザレアの笑顔。
目を回しながらも、思わず口元が緩む。
「はひ……がんばりましゅ……」
戦闘を放棄してその笑顔を曇らせることなど、シトロンにできるはずもなかった。
「覚悟が決まったみゅ?」
「分かった。やるよ。やればいいんでしょ……!」
恥ずかしさとプレッシャーで半泣きになりながらシトロンは走り出す。
飛べれば早いが、今の彼にその戦法は使えない。
とにかく泥臭く地を駆けていくしかない。そして敵を呼びつけるしかない。
「ええと……お、おーい! 降りてこいコバエ!」
敵を威嚇するように厳めしい声を出そうと試みたシトロンだったが、普段出し慣れていないものだから声が裏返ってしまっている。
それに、敵もわざわざ倒されに降りて来てくれるはずなく。ショウジョウバエはふわふわとあらぬ方向へ飛んでいく。
「ああ、もう! アイツは一体なにがしたいの?」
「蟲は人の負のエネルギーを糧にしてるみゅ。だから、それをたくさん得られるような行動をとるみゅ」
「……まさか」
ショウジョウバエの飛んでいくのは、先ほどまで柚子がコーラを携えて向かっていた方角。
つまり、学校がある場所である。
「急がなきゃ」
しかしシトロンの敵は空にしかいないわけではない。
「1000年に一度の逸材だなんて言うからわざわざ来てみたけど……ふう。期待ハズレもいいとこですな」
声をかけてきたのは陰険そうな男であった。
厳ついカメラをシトロンに向けている。
カメラを向けられたシトロンより、むしろみうみうのほうがギョッとしたようだった。
「撮っちゃダメだみゅ! ほら、シトロン。走るみゅ」
「テンポの悪い戦闘−10点、言葉遣い−10点、ガニ股−10点、走り方がなんかダサい−10点――」
ネチネチと減点していくその男から逃げるように、みうみうとシトロンは走り出す。
「あの人は?」
「有名な大友だみゅ。“魔法少女図鑑”っていうブログの管理人で」
「ええっ! 知ってるよ。アザレアの写真もたくさん載ってるよね。あのあのっ、ブログ更新頑張ってくださーい」
「こら! 放っておくみゅ!」
大友と魔法少女は共生関係にあると言っても良い。
魔法少女は人々のトキメキをエネルギーに変えて戦う。
彼らのレンズがとらえる魔法少女の魅力的な写真や映像はさらに多くのトキメキを生むからだ。
また、ファンの数とその熱量はそのまま魔法少女の強さにつながる。
特に近年、戦闘が有志の手によってネット配信されるようになり、魔法少女たちの魔力量は大幅に増幅されるようになった。
しかし大友だってすべての魔法少女に等しく好意的なわけではない。
スキャンダルを取り上げて〈炎上〉を起こしたり、才能のない魔法少女を叩き潰すのもまた大友たちなのだ。
特に人気ブログの管理人は界隈に与える影響力が強い。
〈魔法少女図鑑〉によってスターダムに押し上げられた魔法少女と同じくらい、炎上させられて再起不能になった魔法少女がいる。
みうみうは頭を抱えた。
「失敗したみゅ。きっと生配信とかされてるみゅ。ここで躓いたらせっかくの逸材が潰れてしまうっ……」
「話聞いてた? 魔法少女は今日が最後だって!」
しかし彼の戦いはそう簡単には終わらなさそうだ。
敵は人間の負の感情によって力を得る。
そういう意味で言えば学校は最高の狩場であった。
恐怖はさらなる恐怖を呼び、伝染し、うねりをもって集団へ広がっていく。
普段は穏やかな学び舎が一転。
シトロンが足を踏み入れたとき、学校は地獄の様相を呈していた。
潤沢な負の感情は敵に大きな変化をもたらす。
初心者魔法少女が一人で倒せるはずのショウジョウバエ。
大型犬ほどだったそれが、大人をゆうに超えるサイズにまで肥大していた。
それに下敷きにされてもがいている男子生徒が一人。
中学生にしては体も大きいが、敵を押しのけるだけの力はない。
「た……助けて……」
重さで呼吸ができないのか。
恵まれた体躯から出るのは蚊の鳴くような弱々しい声。
本人と、それを遠巻きに見ている生徒たちから出る恐怖が敵をますます大きく強くしていく。
まともに息を吸うこともできなくなり、男子生徒の視界が暗くなっていったまさにその時だ。
流星のように輝くなにかが、敵を弾き飛ばした。
「大丈夫!?」
輝く金の髪、光を受けて輝く白い肌。
自分よりずっと小柄な少女が敵を追い払って助けてくれた。
男子生徒の暗い視界の中で、彼女は一際輝いて見えた。
が、一方の輝く少女――シトロンは気が気じゃない。
敵から助けた男子生徒は、柚子をパシリにしていた幼馴染の竜斗だったからだ。
「うあわわわ……」
シトロンは慌てて背中を向けた。
竜斗は幼馴染だ。
小さい頃から顔を見てきたし、ついさっきも喋ったばかり。
クラスメイトとはいえほとんど親交のない凛とは違う。
まともに顔を見られてしまった。
竜斗に女装がバレたら一体なにをされるか分かったものではない。
クラス中に言いふらされるかもしれないし、それをネタに脅迫されてもっと酷いことをされるかも。
シトロンの背中を滝のような汗が流れる。
「は、早く安全なところへ逃げて」
シトロンは裏声でそう言った。
竜斗はなにも言わず、シトロンの言葉に従い校舎の中へと入っていく。
助かった? いや、気付いたけど言わなかっただけかも。とにかく今は早く戦いを終わらせなくては。でもどうやって。絶対にパンティを見せるわけにはいかない。
いろいろな思考がいっぺんにシトロンの頭を回る。
その隙を敵は見逃さなかった。
「シトロン、来るみゅ!」
刹那、激しい衝撃。
負のエネルギーを蓄えて巨大化した敵だが、その速さは変わっていない。
6枚に増えた翅で縦横無尽に飛び回り、凄まじい速さでその巨体をシトロンにぶつける。
みうみうに言われて受け身を取っていなければ吹っ飛ばされて地面を転がっていたことだろう。
そうなれば、彼のパンティは丸見えだ。
「あっ……危なかっ……た」
顔を青くするシトロン。
しかし彼の事情を知らない人間が見れば、これほどフラストレーションが溜まる戦闘もない。
「魔法少女なんだから早く飛んで戦いなさいよ。もしかして炎上商法ですかな?」
校舎の敷地を区切る金網の外。
先ほどの有名大友が追いついてきたらしい。
カメラを携えながら野次を飛ばす。
「まったく、最近の魔法少女は。ストリッパーのような格好で戦ってみたり、敵にわざと服を破らせたり……魔法少女ってのはそうじゃないと思いませんか、みなさん」
配信を見ている視聴者にそう語りかける大友。
シトロンだってそんなことは分かっている。
できることならアザレアのように空を舞って華麗に戦いたい。
自分より大きな体の敵は怖い。
体当たりは痛い。
万一転んでしまってパンティが見えてしまったら。
竜斗が自分の正体に気付いていたら。
恐怖と焦燥。シトロンの中に溜まっていたそれが、いま破裂した。
「だってしょうがないじゃん」
大きく丸い瞳に涙を溜めて、頬を紅潮させて、シトロンはカメラを睨みつける。
「飛んだらパンツ見えちゃうもん!」
静寂。
カメラを構えた大友は唖然としていた。
シトロンはハッとして口元を押さえる。
パンツを見られたくないと自分から話してしまった。
それはパンツの中に彼の秘密が隠れていると暴露したようなもの。
しかもこの様子はネットで配信されている。
勘の良い視聴者に男であることがバレたかもしれない……シトロンはそう考えた。
額に冷や汗が滲む。
変に思われたりしていないだろうか、と大友の様子をジッとうかがう。
やがて、大友は口を開いた。
「……可愛い」
「え?」
今度はシトロンが唖然とする番だった。
カメラを掲げ、興奮気味に叫びを上げる大友をぼーっと眺める。
「そうです。我々が求めていたのは派手な露出でも過剰なサービスでもない。少女らしい可憐な美しさと恥じらい……+1千万点!」
そう考えたのは彼だけではなかったようだ。
カメラを通じてシトロンの姿は電子の海へと流れ、多くの大友の心を掴んだのだ。
彼らのトキメキが、シトロンを強くする。
「あれ……? なんか、力が湧いてくる」
「で、でかしたみゅ! シトロン、武器を出すみゅ」
遠巻きに見ていたみうみうが声を上げた。
魔法少女は魔力を紡ぐことで様々なものを作り出すことができる。
例えばアザレアは古今東西様々な武器を創り出して器用に操ることができる。
しかしそれは訓練と経験の賜物であり、いきなりできるものでもない。
「ええと、武器って、たとえば?」
「なんでも良いみゅ! 矢とか、銃とか。空にいるアイツを撃ち落とせる武器!」
「そんなこと言われても」
銃など、映画の中でしかみたことはないし使える気もしない。
弓道部への体験入部で和弓を使わせてもらったこともあるが、柚子の力では矢を飛ばすことすらできなかった。
戸惑うシトロンの目に入ってきたのは、慌てて避難した野球部の落としていったバッドとボール。
これだ、と思った。
「いくよっ」
シトロンが創り出したのは輝く金色のバッドとリボンでラッピングされたボール。
ついでに作った帽子をかぶり、ボールを高く投げ上げる。
そしてフルスイング。
快音を響かせ、ボールはあらぬ方向へ飛んでいった。
「あちゃ。ファールだ」
校舎から戦闘を見ていた中学生たちからもため息が漏れる。
が、これは野球ではない。魔法少女の戦いだ。
あらぬ方向へ飛んでいったボールはギュンと角度を変え、ショウジョウバエめがけて飛んでいく。
ショウジョウバエも凄まじい速度で逃げるが、ボールはそれを超える速さで敵を追跡。
流星の如き速さで迫り、燃え上がったそれはとうとう敵を捕捉した。
閃光が空に瞬き、数秒の後に凄まじい爆発音が響く。
その街にいる誰もが空を見上げた。澄み渡る青い空に咲く大輪の花を見た。
まるで新たな魔法少女の門出を祝うかのような盛大な花火だった。
***
「すんごいみゅ。さっそく魔法少女図鑑にシトロンの記事が載ってるみゅ。アクセス数もコメント数もすごいみゅ」
スマホを握りしめながらみうみうはだらしなく目尻を下げた。
「グッズ展開もぼちぼち考えていかないとだみゅ。アクスタ、ぬいぐるみ、フィギュアに、それから――」
「そんなの……どうでも良いよ……」
対するシトロンはもう疲れ切っていた。
ネットで彼の顔は拡散されてしまった。
もしあの時竜斗にバレていなかったとしても、画像をマジマジ見ればきっと正体がバレてしまうだろう。
もうなにもかも終わりだ。
そんな絶望感に苛まれ、変身を解くことも忘れてブランコに揺られていた。
そんな時だった。
「おい」
シトロンの体がビクリと震える。
聞き覚えのある声。
錆びついたロボットのようなぎこちない動きで振り向く。
それが竜斗であるとシトロンは気付いていた。
いつものようにニヤニヤした意地の悪い顔で女装していることをからかってくるに違いない。そしてそれをネタに強請ってくるに違いない。
柚子の頭にその光景がありありと浮かぶ。
しかし振り向いたシトロンの目に映る竜斗の表情はいつも柚子に向けているものとは明らかに違った。
キラキラした目。
少し恥ずかしそうに視線を下げ、頬を赤らめてさえいる。
そして手に持った白いなにかをシトロンに差し出した。
「これ、やるよ」
「え? あ、ええと」
「スカートの中、覗かれたくないんだろ。姉ちゃんのお古だけど」
それはショートパンツだった。レースを何層にも重ねたボリュームのある作り。
ワンピースの下に履けば、どれだけ動いてもパンツを見せずに済むだろう。
「助けてもらったお礼だよ。あと、ええと……ナイスバッティング」
シトロンは目を見開いた。
彼と同じ少年野球のチームでプレイした時も、バッティングを褒められたことなど一度もなかったのに。
シトロンは思わず笑みをこぼす。
4番バッターだった彼に褒められるのは、素直に嬉しかった。
「えへへ、ありがとう」
人形のような愛らしい顔に浮かぶ、子供のような無邪気な笑み。
一目見るなり竜斗の顔がにわかに赤くなり、彼は逃げるように去っていった。
「ば、バレなかった……」
小さくなっていく竜斗の後ろ姿を見送りながら、シトロンはホッと胸を撫でおろす。
一方でみうみうには一切の焦りがない。
「メイクもしてるし、いつもと全然違うからバレるはずないみゅ。それどころか……ありゃ落ちたなみゅ」
「お、落ちたって……まさか……」
愛らしい顔がにわかにこわばる。
自分が竜斗にとんでもない感情を抱かせてしまったと、今更気付いても後の祭り。
しばし呆然としていたが、やがて開き直ったように言った。
「まぁいっか。これで最後だし」
「本当にそれで良いのかみゅ?」
「良いに決まってるでしょ。だって、僕はおと――」
「おと?」
シトロンは慌てて口をつぐんだ。
アザレアが空から降りてきたからである。
ふわりと地面に降り立った彼女は、話の続きを促すように微笑みをシトロンに向けている。
どこまで聞こえていたのか。とにかく今は何か言って誤魔化さなくては。
シトロンは視線を右へ左へ動かしながらなんとか声を振り絞る。
「お、お……オトヒメコンニャクウオっていう深海魚の話をしていて……」
「なんで変身も解かずに海洋生物の話を?」
キョトンとする凜。しまった、とシトロンが思った瞬間に彼女は噴き出した。
「ふふ、あなたって面白い子ね」
どうにか誤魔化せたようだ。
しかしホッとしている暇は与えられなかった。
アザレアはシトロンの両手を握り、彼に致死量の笑顔を向ける。
「最初はどうなるかと思ったけど、見事みんなの心を掴んだわ。私までときめいちゃった」
返事ができなかった。
まるで酸欠の金魚のごとく口をパクパクとさせている。
今までずっと見ているだけだった憧れの存在に「ときめいた」だなんて言われて声も出ないのだ。
「今度は一緒に戦おうね」
夢見心地。
そんな言葉が相応しい。
夢ならば永遠に覚めないでくれとさえ思った。
アザレアが去ってからも、シトロンはブランコから立てずにいた。
みうみうがニヤニヤしながら話しかけていなければ、日が沈んでもそのままだったかもしれない。
「それで、魔法少女は引退なんだみゅ?」
「いや……その……」
先ほどの言葉は柚子ではなく魔法少女シトロンに向けられたもの。
"シトロン"を辞めてしまえばそれはもう手に入らない。
みうみうはそれが分かっていた。
そしてシトロンの返答はみうみうの予想通りのものだった。
「もう1回だけやってみようかな」