さて、路地裏での2人のキスにパニックを起こしているのはシトロンだけではなかった。
「どういうことだ。なんなんだよ、アイツ……」
竜斗は手に持っていた双眼鏡を危うく落としかけた。
彼が柚子から奪った金で買ったのはネックレスだけじゃない。
シトロンの空での勇姿をしっかり鑑賞・保管するため、スマホに取り付けられる望遠レンズも購入していた。
思いがけずシトロンに怒られた竜斗は、挽回すべく彼女を密かに追いかけまわしていたのだ。
シトロンの待ち合わせの相手が魔法少女であることに安心していた矢先、衝撃の瞬間を目にしてしまったわけである。
好きな女の子のために用意したプレゼントは不発。
その上、目の前で彼女の唇が奪われてしまった。
それも女の子に。
どうして良いか分からなかった。悲しくて惨めで、こんなこと誰にも知られたくない。でも誰かに話を聞いてほしい。一人で抱え込むには大きすぎる。
そんな時に思い出した。
誰にも知られず、話を聞いてもらえる場所があることを。
学校の近くの、あの小さな教会。
「おーい、誰かいないのか……?」
登下校時に教会の前は何度も通ってきたが、中へ入るのはかなり久々だった。
まだほんの小さい頃、お菓子をもらいにきたのはクリスマスの時期だったか。
教会は音楽が流れていて、暖かくて、明るくて、人もたくさんいた。
しかし今はどうか。
祭壇だけが不自然に片付けられているが、他は酷いものだった。
不思議なほど大量に張り巡らされた蜘蛛の巣のせいで窓からの光が遮られ、自分の足元も朧気なほど暗い。
人の気配もなく、まるで廃墟のよう。
そして部屋の隅に置かれたこの巨大な繭のようなものは一体。
足で小突こうとした竜斗を、鋭い声が制止した。
「食べ物を粗末にしてはいけません」
食べ物。この繭が食べられるとは到底思えなかったが、竜斗は反射的に足を止めて振り返った。
さっきまで確かに誰もいなかったのに、まるでずっとそこにいたかのように佇んでいる。
シスターなのだろう。
修道服を来て教会にいるのだから。
しかしこの違和感はなんだ、と竜斗は思った。
整った顔、優しげな微笑み、澄んだ声。妙に背が高いが、それを除けば絵に描いたような模範的なシスターだ。
その完璧さが違和感に繋がっているのかもしれない。
「すみません。俺はただ、懺悔を」
「“おつかい”もできないのに新鮮なお肉が食べたいだなんて。ああ、まだ目がチカチカします」
「あの」
「少しだけって、例えばどのくらいです?」
分からない。
シスターがなにを言っているのか。誰と喋っているのか。
床でうぞうぞ這い回っているものの正体がなんなのか。
「ひっ」
竜斗は駆け出した。
どうしてだかは分からないが――ここは教会で、相手はシスターで、凶器を持っているわけでもないのだから、そんなわけないのに――竜斗は、このままここにいれば殺されると本気で考えたのだ。
だが扉には辿り着けなかった。
なにかに足を取られて転倒したからだ。
無数の小さな陰が取り囲むのを感じる。
唯一の灯りは、転んだときに落としたスマホ。
竜斗は咄嗟に手を伸ばし――しかしその手はすぐ止まった。
画面が映し出しているのはシトロンがアザレアにキスされているときの写真。
「シトロン……」
「その写真」
電気がついた。まるでそれが当たり前のように。
床を這う影なんてどこにもない。
聖堂にいるのはシスターだけ。
竜斗は呆然とした。
まるで夢から覚めたみたいだった。
上手く動かない頭を無理矢理回転させ、なんとか声を絞り出す。
「あの、さっきは誰と話して」
「電話していたんです。驚かせてごめんなさいね」
聖職者らしい柔らかな笑み。
明るい場所で見る彼女に先ほどの違和感はなかった。
蜘蛛の巣はやはり多いが、祭壇もステンドグラスも以前見たときと変わらずそこにある。
精神的な動揺と暗闇が見せた幻覚――そう結論づける他なかった。
そんなことより、とばかりにシスターは竜斗のスマホを拾い上げた。
彼に差し出す。
「その写真の少女について、詳しく聞かせてもらえますか?」
4話にくっつけるはずの話だったのですが、抜けてしまってました……。
いまさらくっつけるわけにいかないので、5話として投稿してます。
短くてすみません。