みうみうは愕然とした。
彼の管理しているこの街は敵の出現数が多く、突如として現れた例の蜘蛛の敵といい不穏な動きも多い。
能力のある魔法少女のスカウトと育成は急務である。
そんな中、期待の新人であるシトロン――もとい柚子がこんなことを言い出した。
「僕はもうすぐ魔法少女をやめるかもしれない」
「なななっ、なにを急に……一体何があったみゅ!」
すると柚子は声高らかに話し始めた。
自分はアザレアとお近付きになるために魔法少女になったこと。
そのアザレアともう十分に仲を深められたこと。
彼女と恋人になれる日も遠くないであろうこと。
そうなればもう魔法少女になる必要などないこと。
慎重に柚子の話を聞き取り、今の状況を冷静に分析し、最終的にみうみうはホッと息を吐いた。
「なーんだ。そんなことかみゅ」
怪訝な顔をする柚子に、彼は続ける。
「アザレアと良い感じなのはシトロンであって柚子でないみゅ」
「なに言ってるの? シトロンは僕なんだから、僕のことを知ってもらえれば仲良くなれるはずでしょ?」
「ふーん。まぁ、やってみれば良いんじゃないかみゅ?」
みうみうの投げやりな態度は、柚子をますます燃え上がらせた。
やることは簡単だ。
まずはきっかけを作り、連絡先を聞き出す。
シトロンの姿の時にアザレアからラインを聞かれたが、まさか柚子のアカウントを教えるわけにもいかず未だに彼女の連絡先を知らないのだ。
しかしアザレアとキスまでした自分にとって、連絡先を聞くなど難しいことではない。
柚子は余裕綽々であった。
その後はデートに誘い、親睦を深め、そして良きところで告白。
シトロンのときにできたことを柚子の姿でやるだけだ。
その日、柚子はさっそく行動を起こした。
まず目下の目標はアザレア、もとい赤城凛の連絡先を手に入れること。
そのためのきっかけを作ることが必要だ。
連絡先を聞くきっかけ――例えば図書館で同じ本を手に取ったり、急な雨に傘を貸したり、高いところのものを取ってあげたり、色々とある。
しかし凛はその日図書館に行かなかったし、空には雲一つない晴天だし、凛の身長は柚子より高かった。
学校での凜は孤高の存在だ。
特定のグループに属し、好きなアイドルやテレビの話で盛り上がる他の同級生たちとは一線を画す存在。
クールな瞳。ミステリアスな表情。
放課後は魔法少女として強大な敵に立ち向かい、世界の平和を守っている。
まさに普通の中学生とは違う世界の人間だ。
凜とお近づきになりたくて、しかしどう話しかけて良いか分からない男子生徒たちが彼女の周りを意味もなく右往左往している光景は全く珍しいものではない。
だから柚子が右往左往していることを、周囲も凜もさして気にとめていなかった。
そんな調子でなにもできないまま1日が過ぎ、とうとう放課後を迎えた。
凜は颯爽と荷物を纏めて学校を出る。
連絡先を聞くどころか、話しかけることすらできなかった。
今日は運がなかった。また明日挑戦しよう……なんて悠長なことを言っている余裕は柚子にはない。
恋した人間というのは余裕がないものだ。
柚子は躊躇なく凛のあとをつけて学校を出た。
諦めの悪い柚子に、チャンスの女神様も根負けしたらしい。
その瞬間は突然訪れた。
凛が通り抜けた公園でハンカチを落としたのだ。
それはひらりと地面に落ち、凛は気付かず歩いてく。
「あのっ!」
ようやく降ってきたチャンスを、柚子はすかさず掴んだ。
「落としたよ」
凛は足を止めて柚子を見た。
柚子として彼女と目を合わせるのは、もしかしたら初めてかもしれない。
自然と心臓の鼓動が高鳴る。
緊張していないといえば嘘になるが、とはいえアザレアとはもう何度も会話をしている仲だ。
今さら緊張で口がきけないなんてことはない。
柚子は彼女にハンカチを押し付けるようにし、1日かけて考えた言葉を口にした。
「赤城さんの魔法少女としての活躍見てるよ。本当に尊敬して――」
「気安く話しかけるなグソクムシ」
柚子の頭にエビのようなダンゴムシのような姿の甲殻類が浮かぶ。
「な、なんで海洋生物?」
柚子の口から間抜けな疑問が飛び出した。
それからややあって、ようやくそれが罵倒語であるらしいことに気付く。
凛の瞳に、シトロンを見るときと明らかに違うものがあったからだ。
“敵意”である。
「ずっとつけられているのに気づいてないとでも? ストーカー?」
吐き捨てると、凛はまた歩き出した。
受け取ったハンカチをそのままゴミ箱に捨てて。
柚子はなにも言えなかった。
やがて膝から崩れ落ちる。
「どうして……」
“シトロン”の時はなにもかもうまくいったのに。
遊園地に行く約束だってできたのに。
キスまでしたのに。どうして“柚子”になるとこうもうまくいかないのか。
「もしかしてお前、赤城のこと好きなの?」
顔を上げる。
竜斗だった。
彼の家は逆方向のはずだが、なぜここに彼がいるのかを考える余裕は今の柚子になかった。
「知らなかったのか? アイツの男嫌いは有名だぞ」
竜斗はせせら笑うように言い、
「まぁ女好きとは思わなかったけど……」
と、小さく呟いた声までは柚子には聞こえなかった。
それよりも柚子にはもっと気になることがある。
「返してよ。この前のお金」
「は? お前、舐めた口利いてると――」
「利いてると、なに?」
竜斗は驚いたようだった。
柚子がこんなふうに言うのは初めてだったからだろう。
柚子にとって竜斗は絶対的な存在であり、少し前までならとてもこんな物言いはできなかったはずだ。
しかしシトロンとして接するときの竜斗は、もっとずっと小さく見えた。
あれを見た今、彼が絶対的な存在だなんてまったく思えない。
竜斗もまた、少し前なら柚子の態度に激昂していたことだろう。
しかし柚子の冷たい瞳にシトロンのそれを思い出したか。
「だから、それを返しにわざわざ来てやったんだろ」
と、憎まれ口を叩きながらではあるが、彼はおとなしく用意していた茶封筒を柚子に手渡した。
が、中身を確認した柚子の表情はますます曇った。
「……足りないんだけど」
「は、はぁ? 借りたのはそれが全部だよ。お前が勘違いしてるだけだろ」
そう竜斗はしらを切った。
シトロンに言われた通りにネックレスは返品した。
しかしすでに使用済みの望遠レンズは返品できず、その分の金額を工面できなかったのである。
柚子は呆れたようにため息をついた。
「ちゃんと耳揃えて返すって言ったのに」
言ってから、柚子はマズいと気付いた。
確かに竜斗はその言葉を口にしていた。
しかし竜斗がそれを言った相手は柚子じゃない。
「……なんでそれをお前が知ってんだ?」
竜斗も違和感に気付いたらしい。
怪訝な顔で柚子を見る。
「まさか、お前、本当にシトロンと関わりがあんのか?」
その言葉に、柚子の心臓が跳ね上がった。
「な、なんのこと?」
今度は柚子がしらを切る番であり、竜斗が詰め寄る番だ。
実のところ、彼は柚子を追ってわざわざこの公園まできていた。
金を返すため、というだけではない。本題はこれだ。
「シスターが言ってたんだよ。お前とシトロンが一緒にいるところを見たって」
「え!? そんなわけないよ」
その主張に嘘はない。2人は同一人物なのだから、一緒にいるところを見られるなんてことはあり得ない。
もしかするとシスターに変身の前後を見られたのだろうか。
そこまで考えたところで柚子の推理タイムは終了した。
竜斗に胸ぐらをつかまれ、それどころではなくなったのだ。
「俺もそんなわけないと思ってた。でもシトロンが俺の名前を知ってたのも、プレゼントを受け取ってくれなかったのも、お前が彼女にあれこれ吹き込んでいたんだとしたら全部辻褄が合う」
竜斗の推理は間違っている。
柚子がシトロンに話したのではなく、柚子がシトロンなのだ。
しかしそんなことを言えるはずもなく。
「お前、シトロンのなんなんだよ。どういう関係なんだよ」
言いながら、徐々に竜斗の握りこぶしが上がっていく。
それが振り下ろされるのも時間の問題だ。
頭が真っ白になり、かといって良い言い訳も思い浮かばず、ギュッと目を瞑ったその時。
「ちょっと待って」
聞き慣れた鋭い声が竜斗を制止した。
柚子は感動のあまり涙が零れそうだった。
凛だ。
やはり彼女は正義の魔法少女。
冷たいことを言っていても、いざとなれば助けてくれる。
「いまシトロンって聞こえたけど」
「……こいつがシトロンと一緒にいたらしいから、どういうことか話聞いてんだよ」
さすがに直接的な暴力を魔法少女に見られるのはマズいと考えたのか。
竜斗は柚子の胸ぐらから手を離す。
が、凛は不機嫌そうな顔をますます曇らせた。
「なにやってるの、でくのぼう。そのまま押さえてなさい」
「え?」
きょとんとする2人をよそに、凛は柚子のカバンに手をつける。
「ちょっ、なにするのやめてよ!」
柚子のあまりの慌てように、竜斗もなにか察したようだ。
暴れる柚子を羽交い締めにする。
「焦ってる……なにかありそうだぞ!」
なにかあるどころではない。
カバンの中には決定的なものが入っている。
変身ブローチだ。
いつでも変身できるよう、魔法少女は常にそれを持ち歩かなければならない。
魔法少女アザレアである凛はそのことをよく知っているはずだ。
そんな彼女が、カバンを開けるなり呟いた。
「……決定的ね。この変態」
柚子は全身の力が抜けていくのを感じた。
女装して好きな子に近付いてキスまでするなんて、変態と罵られても仕方がない。
そう観念した柚子に凛が突きつけたのは、変身ブローチではなくふわふわレースのショートパンツだった。
「あっ、それ、俺がシトロンにあげたヤツ。なんでお前が持ってんだよ」
「決まってるじゃない」
凜はカッと目を見開いた。
おもむろにショートパンツへ顔を埋め、深呼吸する。
「こうやってっ……シトロンの匂いを堪能していたんでしょう……この変態ッ!」
「ええっ!?」
柚子は混乱した。
魔法少女であるということはバレていない。
が、柚子の名誉が著しく傷つけられている気がする。
そもそも、わざわざ凜が実演してみせる必要がどこにあるのだろう。
憧れの人に己の下着を目の前で嗅がれて、柚子は恥ずかしさのあまり目を回した。
今にも気を失いそうだった。
「こ、こいつ……!」
怒りに身を任せて再び拳を振り上げる竜斗。
しかしそれを凜が片手で軽く押さえた。
決して優しさからではない。
柚子の犯した罪は拳程度の罰じゃ足りないと考えたからだ。
「シトロンは可愛くて純粋で、それでいて優しいから勘違いする男がたくさんいるみたいね」
凛が取り出したのは彼女自身の変身ブローチ。
魔法少女アザレアへと変身した彼女は、悪を倒すための輝く武器を柚子へと向けた。
「私がシトロンを守らなきゃ」
名誉どころか体に傷がつきそうだ。
いや、下手すれば命さえも。
しかし柚子にはどうすることもできない。
生身の彼では魔法少女に敵うはずもないし、かといってシトロンに変身などできるはずもない。
できることといえば目をぎゅっとつむって神様に祈ることくらい。
結果としてはそれが良かったのかもしれない。
「なにをやっているのですか?」
それはまさに救世主だった。
シスターである。
整った顔に困惑の表情を浮かべ、子供たちの争いを止めるべく駆ける姿はまさに良識ある大人そのもの。
これにはさすがにアザレアも変身を解かざるを得なかった。
とはいえ、もちろん無罪放免とはいかない。
元の姿に戻った凜が決定的な証拠を掲げる。
「シスター、見てください。彼は女の子の下着を盗む変態です」
「ちっ、違うよ。誤解なんですシスター」
「黙ってろ変態!」
閑静な住宅街の、いつもは静かな公園に子供たちのわめき声が飛び交う。
シスターはスッと目を閉じ、静かに柚子を抱き寄せた。
そのたわわな胸に柚子の頭がめり込む。
「シスター……?」
唖然とする二人へ、シスターは静かに告げた。
「みなさん、教会へいきましょう」
ここまですべて、シスターの想定通りであった。
***
“シトロン”という女はシスターにとって目の上のタンコブである。
仲間の蜘蛛を使った2度の奇襲攻撃にも失敗。
彼女の正体も依然として謎のまま。
しかし分かったこともある。
大事な柚子に粉をかけるだけでは飽き足らず、柚子の同級生である竜斗をも誘惑し、さらにどうやら同性の少女とまで関係を持っているらしい――シスターは竜斗からの話をそう解釈した。
彼女には理解ができなかった。
柚子と竜斗を同時並行するのはまだ分かる。
雌はより良い種を合理的に探さなくてはならない。
しかし魔法少女にまで手を出しているのはどういうことなのか。
同性同士じゃなにをどうしたって生殖できないのに。
なにより人間は一夫一妻制をとっているはずだ。
そこにシスターは目をつけた。
「人間、誰しも間違いはあるものです」
温かな陽の差し込む明るい聖堂。
ステンドグラスによる鮮やかな光の中で、シスターは両腕を広げた。
ここに至るまでには大変な苦労があった。
具体的に言えば聖堂の掃除である。
教会の元の主の残骸を処分し、仲間の蜘蛛をなだめて巣を除去。
地道な拭き掃除を経て、ようやく人間を招くことのできる状態にまでこぎつけた。
それもこれもシトロンと関係のある者を一同に集めて彼女の悪行を糾弾し、柚子の目を覚まさせるため。
そのためにお腹をすかせた蜘蛛たちをなだめて竜斗を生かしておいたのだ。
シスターは優しく、しかしハッキリと説く。
「ふしだらな女に騙されても、悔い改めれば神はきっと」
「ふしだらな女って、なんのことだよ!」
竜斗の言葉にシスターは首をかしげる。
「男も女も見境なく、だなんてふしだらじゃなくてなんだと言うんですか?」
「なっ!?」
シスターに悪気はないし煽っているつもりもない。
彼女は本気で困っているのだ。
怒りのあまり声が出ない竜斗。
彼が怒鳴り声を発するより先に、凜が鼻で笑った。
「シトロンが男なんか相手にするはずないじゃない。コレは一方的なストーカーよ。シトロンにはストーカーがたくさんついているもの」
「おっ、俺もそうだって言いたいのかよ!?」
「ええ、もちろん」
「なんだと!」
シスターはますます困惑した。ふしだらな女をみなで糾弾するどころか彼女を庇いながら争い始めるなんて、と。
咄嗟に柚子を見る。
彼は2人とは違う――なぜか焦燥感を顔に浮かべているようだった。
シスターは思わず柚子を抱きしめる。
彼女の胸の中で柚子が呻いた。
「もふぁ!?」
「大丈夫ですよ柚子くん。今はショックでしょうけど、すぐに新しい恋が傷を癒やしてくれます。そうだ、次はもう少し包容力のある大人と恋愛したらどうでしょうか?」
「シスター、私たちの話聞いてました?」
凜は決して声を荒げたりはしていない。
しかし言葉の端々には確かに怒りが滲んでいた。
「この人、下着泥棒なんですよ。さっさと警察に突き出してください」
「なんか、さっきから柚子のこと妙にかばってねぇか?」
凜も竜斗もシスターに胡乱な目を向けている。
聖職者である彼女をきちんとした大人だと信じてついてきた2人だったが、それが揺らいでいるのだ。
もちろん、シスターは決して”きちんとした大人”などではない。
「当然です。わたくしは柚子くんと交尾したいので」
聖堂が水を打ったような静けさに包まれる。
シスターの胸から逃げ出した柚子が慌ててフォローした。
「シ、シスターは日本語苦手なんだよ。きっとなにか別の単語と間違えてるんだ。そうですよね、シスター?」
「いいえ?」
聖堂が水を打ったような静けさに包まれる。
柚子はシスターへのフォローを諦めた。
「とにかく僕の話を聞いてください。みんな誤解してるんです!」
視線が柚子に集まる。
自分から声を出したにもかかわらず、集まった視線に怖じ気づいたような表情を浮かべていた。
それにシスターがゾクゾクしていることに気付いている人間はいない。
「彼女は――つまりシトロンは、その、僕の妹で」
「お前一人っ子じゃん」
竜斗の突っ込みに、柚子は目をぐるぐる動かす。
今すぐ目玉を吸い出したいくらいにカワイイとシスターは思った。
「いや、そうじゃなくて、昔から妹みたいに可愛がってる、その、母の妹の旦那さんの娘の……」
「いとこってこと?」
「そお!」
凛へ凄まじい勢いで人差し指を向ける柚子。
その細い人差し指は小刻みに震えていて、今すぐ齧りつきたいくらいにカワイイとシスターは思った。
「ショートパンツはその、少しほつれてるところがあって。うちのお母さん、裁縫が得意だから直すのを頼まれたんだよ」
ペラペラと言い訳を並べるところもカワイイ。
柔らかそうな舌を今すぐに噛みちぎりたい、とシスターは思った。
「信じられないわ。男はすぐに嘘をつくから」
凜は胡乱な視線を柚子に向ける。
しかし柚子は動じなかった。
「シトロンから凜ちゃんのことは聞いてるよ。特訓のお陰で早く飛べるようになったって、喜んでた」
シスターには何のことか分からない。
しかしその言葉で凜の表情が変わったのは分かった。
竜斗もまた、満面の笑みで柚子にすり寄る。
「おい柚子、俺のことはなんか言ってなかったのか?」
「別になにも」
「お前やっぱ嘘ついてるだろ! この変態!」
「嘘だと思うなら今度シトロンに会ったとき聞いてみたら」
今まであたふたしていた柚子だったが、その言葉には妙な自信を滲ませていた。
しかしこの態度は。
シスターは少しだけ驚いていた。
彼女の知っている柚子は体の大きい竜斗にいじめられて泣きべそをかくような子だ。
彼に何らかの変化があったことは確かだ。
瞬間、凛が素早く柚子へ擦り寄る。
「ねぇお兄様。シトロンの連絡先とかって知らない?」
「あっ、ずりぃぞ。柚子を変態扱いしたくせに」
「あなただってそうでしょ。男って本当に短絡的で乱暴ね」
柚子に噛みつきそうだった2人が今度は互いに睨み合い、今にも掴み合いの喧嘩を始めそうにしている。
柚子は2人の間になんとか割って入り、彼らを宥めた。
「もちろん知ってるけど人に教えるなって言われてて……でも、その、僕に連絡をくれれば、それをシトロンに転送することはできるよ……?」
上目遣いに凛を見る柚子。
凛は明らかに動揺していた。
嫌悪感が滲みそうになるのを必死に抑えているようだった。
目をつむり、大きく息をつき、そして。
「分かったわ。ライン、教えてくれるかしら。お兄様」
貼り付けたような笑顔を浮かべて、己のスマホを差し出した。
「えっ、いいの!?」
嬉々としてスマホを取り出す柚子。
それを眺めながら竜斗も揉み手をして笑顔を浮かべている。
「な、なぁ柚子。俺のメッセージもシトロンに伝えてくれるよな?」
「え? あぁ、まぁ……」
柚子は胸を撫で下ろしていた。
一時はどうなるかと思っていたが、なんとなく丸く収まった。
当初の目的である凛の連絡先もゲットできて、万々歳である、と、
しかしこの教会に1人だけ、柚子が嘘をついていることに気付いた人物がいる。
シスターだ。
柚子にまったく興味のない2人と違い、シスターは彼の様子をつぶさに観察していた。
その彼女だけは柚子がなんらかの嘘をついていることに気づいていたのだ。
そして、匂い。
シスターはすん、と鼻を鳴らす。
彼女は疑問を抱いた。
どうしてシトロンの下着から柚子の匂いが漂ってくるのか。
シスターにはもう時間がない。
柚子のことを考え、できれば人間のしきたりに従おうと考えていたが、そんな事は言っていられないかもしれない。
祭壇裏に隠した禍々しい黒い光を放つ卵は大きく膨らみ脈打っている。
羽化の時は近い。