『ご近所さんから美味しいアイスをもらいました。よかったら一緒に食べませんか?』
たったこれだけの文章を打つのに、柚子は45分もの時間をかけた。
もちろん凛に向けた文章だ。
この前連絡先を手に入れてからというもの、柚子はこのチャンスを逃すまいと彼女にメッセージを送り続けている。
なかなか付かない既読にやきもきしているうちに日が暮れていく。
ピロンという電子音が鳴ったのは、もうすっかり日が沈んだ頃だった。
待ち望んだ凛からの返信。
柚子の鼓動が高鳴る。
が、それはなんともそっけないものであった。
『ごめんなさい、いま忙しいからまた今度ね。それよりシトロンの連絡先を教えてくれない?』
柚子は自室のベッドに身を投げた。
「アイスでもダメかぁ」
これまでも手を変え品を変え凛をデートに誘っているのだが返事はいつも同じ。
忙しいといった断りの言葉と、シトロンの連絡先を催促する文章。
「まぁ、魔法少女の活動もあるし忙しいのは仕方ないよね……」
と、その時。再び柚子のスマホが電子音を発した。
ベッドから飛び起き、シーツの上を転げ回りながらスマホをつかみ取る。
が、画面に映し出されているのは、残念ながら柚子の望んだものではなかった。
「なんだ……竜斗か……」
あの日以降、柚子は凛へせっせとメッセージを送っているが、それと同じくらい頻繁に竜斗からのメッセージを受け取っていた。
もっと正しく言えはシトロンへ向けられたメッセージだが。
『おい柚子! 野球のチケットもらったからシトロンに日曜日開けとくよう言っといてくれ』
「竜斗と野球なんてタダでも嫌だよ……」
とはいえ無視するわけにもいかない。
少し時間を置いて、柚子はこう返事をした。
『ごめん、シトロン忙しいみたい。また今度ねって言ってたよ』
「これでよし」
忙しいなんて嘘だし、今度の機会は永遠に来ない。
このやりとりを柚子と竜斗はもう何度も繰り返している。
「これだけ断ってるんだからそろそろ行く気がないって察してほしいよ」
「凛もそう思ってんじゃないかみゅ?」
「……え?」
シーツの間からみうみうがのそっと顔を出した。
どうしてここにみうみうがとか、不法侵入だぞとか、魔法少女にプライバシーはないのかとか、そんなことは柚子にはどうでもよかった。
ただひたすらに、みうみうの言葉が彼の胸に突き刺さっていた。
「り、凛ちゃんも僕のラインを面倒に思ってて、適当にあしらってるって言いたいの……?」
「なぁんだ。ちゃんと分かってるじゃないかみゅ」
「そんなことないもん!」
と断言したものの、先ほど竜斗に送ったメッセージと凛からもらったメッセージの文面はあまりにも似ていた。
柚子はショックのあまり毛布にくるまる。
「女装してる時は全部うまくいくのに、男の時はなにもかもうまくいかない……」
「じゃあじゃあっ、いっそ女の子になってみるってのはどうだみゅ〜?」
ベッドを跳ね回りながらポップな声を上げるみうみう。
柚子は毛布からぬっと顔を出した。
「……どういうこと?」
「凛の男嫌いは筋金入りだみゅ。“柚子”のままじゃ彼女を振り向かせるのは無理だみゅ。それに」
みうみうが取り出したのは厚紙で作られた小さな箱。
中をのぞき込むと、粘着物質に足を取られて動けなくなったパパラッチ虫がびっちり蠢いていた。
さすがの柚子も「ひっ」と声が漏れる。
「最近パパラッチ虫が妙に湧くみゅ。急に現れる蜘蛛の敵といい、なんだか不穏だみゅ」
「だからってそんなのうちに持ち込まないでよ!」
「僕らとしても優秀な魔法少女にはできるだけ長く安定して戦ってほしいんだみゅ」
みうみうは柚子の訴えを無視した。
彼の手を取り、潤んだ大きな瞳で彼を見上げる。
「だから柚子。正式に女の子になってほしいんだみゅ」
「急に……そんなこと言われても……」
と言いつつも、柚子はその荒唐無稽とも思える話に興味を示したようだった。
「具体的にどうするの? 魔法で女の子になるってこと?」
「そうだみゅ!」
変身できるコンパクト、大人になれるキャンディ、浴びると女の子になる泉――さまざまな変身アイテムが柚子の頭の中を巡る。
しかしみうみうが取り出したのは銀色に輝く無機質なメスと注射器。
「このマジカルメスとマジカルホルモンで柚子の体を作り変えるんだみゅ〜!」
「普通に“医療”じゃん!」
柚子はベッドから飛び起きた。
「嫌だよそんなの。僕は男として凛ちゃんに振り向いてもらいたいの」
「修羅の道だみゅ」
「それでも良い」
己を鼓舞するように声を上げると、スマホを手に取り凛へメッセージを送る。
頭の片隅にずっとあったアイデアだ。
でもあまりに情けなくて、卑怯で、それを送ってしまえば自身の魅力のなさを認めることになってしまう。
だから今まで送らなかった。
しかしもう格好つけてなどいられない。
性別の変更を勧められる――事態はその段階にまで進んでしまっているのだから。
『僕とデートしてくれたら、シトロンの連絡先を教えてあげる』
送信後、ものの数秒で返信がきた。
『分かった』
柚子は小さくガッツポーズをする。約束された勝利とはいえ、それでも嬉しいものだった。
しかしみうみうの視線は冷ややかだ。
「そんなの意味ないみゅ。凛の目的はシトロンの連絡先だけだみゅ。柚子には全然興味ないみゅ」
「分かってるよ、そんなの」
切り札を使ってしまった。
このチャンスを物にできなけれは、もう“柚子”として凛とデートする機会は二度と訪れないだろう。
それは彼も分かっている。
だから入念な準備を行う必要があった。
女の子を喜ばせるためにどうしたら良いのか、考えたところで柚子に正解などわからない。
そんな迷える中学生男子に、救いの手を差し伸べるものがいた。
シスターである。
学校帰りに柚子を呼び止めたシスターは、2枚のチケットを差し出しながら言ったのだ。
「信者の方に遊園地の招待券をいただいたのですが、都合が合わなくて……良かったら差し上げましょうか?」
柚子は大喜びでそのチケットを受け取った。
シトロンの姿でアザレアとデートしたとき、今度は遊園地に行こうと約束をしていたのを思い出していた。
渡りに船とはこのことである。
船は船でも泥舟なわけだが。
「ふふ、ふふふふ……」
軽い足取りで去っていく柚子の背中を見ながら、シスターがほくそ笑んでいることに彼は気付いていなかった。
さらに不穏な出来事は続く。
黒猫の大群が柚子の前を横切る。
靴紐が切れ、カバンの持ち手が切れ、ベルトまで切れる。
カラスが妙に鳴きわめき、朝の星座占いはずっと12位……
そんな不運の兆しにもめげず、柚子はデートの日を迎えた。
幸いにも体調に問題はなく、天気も快晴。
この日のために買った新しい服を纏い、リュックにお菓子と水筒をいれ、十分すぎる余裕をもって家を出る。非常に順調な滑り出しだった。
1つ問題があるとすれば、竜斗に尾行されていることか。
「……なにか用?」
無視することも考えたが、ずっとついてこられても面倒だ。
柚子が声をかけると、竜斗は電信柱の陰からひょっこり出てきた
「いやぁ、奇遇だな柚子! まぁ家が近所だしこういうことも」
「僕のあとをつけたってシトロンには会えないよ」
「う、うるせぇ!」
竜斗は顔を真っ赤にして開き直った。
「それよりなんだよ、そんな大きな荷物持って。まさかシトロンに会いに行くんじゃないだろうな」
「まさか。違うよ……」
柚子は多くを語らなかった。
いじめっ子の竜斗に凛とのデートを邪魔されては敵わないと思ったからだ。
その危機管理の意識は良かったのだが、表情の方がついていかなかった。
「なんだそのニヤケ顔は」
竜斗に指摘され、柚子は慌てて顔を隠す。
その不審な様子に、竜斗はなにかを察したらしい。
「まさか赤城と?」
柚子は元来、嘘が苦手な男の子なのだ。
もちろん口で凛とのデートを認めないのは簡単だ。
しかし表情までは誤魔化せない。
しかも相手は幼馴染の竜斗――騙し通すのは無理。
柚子はそう判断し、竜斗にすがった。
「お願いだから邪魔しないで! 最初で最後のチャンスなんだ」
「……邪魔なんかしねぇよ」
竜斗の反応は柚子の想像とはまるで違った。
真っ直ぐな目、真剣な表情、落ち着いた声で言う。
「俺はシトロンが好きだ」
柚子はギョッとした。
もちろん竜斗からの好意にまったく気付いていなかったというわけではない。
とはいえ、面と向かって言われるとなかなか衝撃的なものがある。
が、もちろん竜斗は柚子が衝撃を受けているなんて知る由もなく。
「だから俺はお前を応援する」
竜斗にとって凛はシトロンを巡る恋敵。
それが柚子とくっついてしまえばライバルが1人消えることになる。
と、竜斗は考えているわけだ。
しかし実際は違う。
凛と結ばれれば、柚子はわざわざ魔法少女に変身する必要などない。
そうなればシトロンという存在はこの世から消えることになる。
そうでなくとも竜斗の気持ちが報われることなどないが。
柚子はこのとき初めて、彼のことを不憫に思った。
その想いに応えることはできない。だから助けを借りるわけにはいかない。
「ありがとう。気持ちは嬉しいけど――」
「まず着替えてこい」
「え?」
「ダサすぎ」
その言葉に悪意や嘲りはない。
むしろ哀憫の感情さえ滲み出ている。
柚子は明らかに動揺した。
「そ、そんなはずは……」
「その馬鹿デカいリュックにはなにが入ってんだ? おにぎりでも入ってんのか?」
「おにぎりなんか入ってない! ハンカチとティッシュと水筒とお菓子とブルーシートと――」
「遠足じゃねぇんだぞ」
竜斗は呆れたように天を仰ぐ。
「今のままじゃお前が赤城を落とせる確率は1%以下だ」
彼の助けを借りるわけにはいかない、だなんてカッコいいことを言っていられなくなった。
幸い、余裕を持った出発のおかげで多少時間の猶予はある。
柚子は竜斗を伴って一度家へ引き返した。
柄シャツを無地のシンプルなものに変え、荷物は最小限に減らしてカバンは小さく。
そして極めつけは近所のスーパーで買ってきたヘアワックス。
柚子がヘアワックスをつけるのは生まれて初めてだった。
もちろん魔法少女への変身ほど劇的な変化ではない。
しかし鏡で自分の姿を目にした柚子は、魔法にかけられたみたいに自信が湧いてくるのを感じた。
「すごいよ竜斗。ありがとう!」
満面の笑みに、竜斗はハッとする。
「……お前、よく見るとシトロンに似てるんだな」
「え!? い、いや」
柚子はギクリとして顔を背ける。
長い前髪をワックスで上げて顔がよく見えるようになったせいかもしれない。
柚子の背中を冷たい汗が流れるが、竜斗はそこまで深く考えてはいなかった。
「まぁ親戚なんだから当然か。今回協力したんだから、お前も俺のこと応援してくれよな!」
「は、はは……」
危なかった。柚子は額の汗を袖で拭く。
しかし安心するには早い。
この髪型では凛にシトロンと顔が同じであることを気づかれてしまうのではないか。
柚子はそう危惧した。
なにせ彼女とはキスまでした仲なのだ。
至近距離で顔をハッキリ見られているし、シトロンとして過ごした時間も竜斗より長い。
2人が同一人物だと気付いたとしても不思議じゃない。
が、端的に言えば杞憂だった。
凛は柚子と一切目を合わせなかったからである。
「3つの“3”を守ってもらいます」
待ち合わせ時間きっかりに現れた凛は、柚子に3本の指を突きつけた。
「3時には帰ります。30センチ以上近づかないでください。出動要請が出たら3秒で帰ります」
「あ、えっと……ハイ……」
顔ハメパネルからその様子を見ていた竜斗は大きくため息をついた。
やはり勝ち目は薄そうだとばかりに。
それでも柚子は諦めない。
入園ゲートを歩きながら、手続きを行いながら、チケットを提示しながら、柚子は懸命に彼女に声をかけ続ける
「お腹空いてない? 遊園地の中にもレストランと売店が――」
「空いてない」
「あ、あっちに着ぐるみがいるよ。一緒に写真でも――」
「撮らない」
とりつく島もない返事に柚子の心が折れかける。
このままでは無言で園内を歩き回るだけでデートが終わってしまう。
封印していた奥の手を使わざるを得なかった。
「凛ちゃん、遊園地初めてなんだよね?」
「……誰から聞いたの?」
「あ、ええと、シトロンがそう言ってて。ジェットコースターがオススメだって言ってたよ。乗らない?」
シトロンの名前を出せば凛が食いついてくるだろうと柚子は考えたのだ。
もちろん“シトロン”に頼るのは不本意ではあるが、そうも言っていられない。
「分かった」
凛は今日初めて柚子の提案を拒絶しなかった。柚子の思惑通りだ。
それで良いのかと思わなくもなかったが、ともかく園内を無言で歩き回るという事態は回避できた。
しかし戦いはまだ始まったばかり。
いや、これからが本番と言っても過言ではない。
遊園地デートは一般的に難易度が高いと言われている。
理由はコレだ。
「ジェットコースター1時間待ちかぁ……」
ズラリと並んだ列を前に柚子は呆然と呟く。
日曜日の遊園地は非常に盛況で、その上ジェットコースターはこの遊園地の目玉だ。
行列の発生もやむなし。
ここからの1時間はフリートークタイム。
しゃべり一本で間を持たせなくてはならない。
柚子は思わず身震いした。
凛と楽しくおしゃべりしている想像がまったくつかなかった。
何を喋って良いのか分からず、かといって適当な会話を振って冷たくあしらわれるのも怖くて口を開くことができない。
賑やかな音楽と楽しげな声がどこか遠くから聞こえてくる。
この愉快な空間で、2人の間を隔てる30センチだけが果てしなく静かだった。
嫌でも思ってしまうのは、「これが“柚子”ではなく“シトロン”だったなら」ということだ。
シトロンに変身した状態でのアザレアとのデートは楽しかった。
魔法少女としての戦術の話から好きな食べ物の話まで、どんな話題でも盛り上がった。
いつでも目を合わせてくれたし、笑顔を見せてくれた。
柚子とシトロンは同一人物だ。喋る内容は同じになるのに。
違う部分と言えば――性別。
「どうして男子が嫌いなの?」
素朴な疑問が柚子の口から飛び出した。
瞬間、凛の目つきが鋭くなる。
「それもシトロンに聞いたの?」
「あっ、いや、その……」
戸惑う柚子の言い訳を待たず、凜は話し出した。
「私はほんの小さいときから魔法少女をやってる。どうしてか分かる?」
柚子はネットで取得できるアザレアの情報はほとんど全てに目を通していると言って良い。
彼女が7歳で魔法少女デビューしたことは知っているし、初戦の映像も見ている。
しかし今の今まで、その理由は知らなかった。
「親に売られたからよ」
凜の素っ気ない言葉に、柚子は思わず息を呑んだ。
魔法少女は敵と戦い平和を守る正義のヒーローである。
それと同時に、幼い子供が大金を得ることのできる危険な職業という面も持つ。
「正確に言えば母親の彼氏だけど。魔法少女としてお金を稼げなければもっと酷いところに売られてしまうから、必死に戦った」
7歳という年齢は、魔法少女としてもかなり若い。
魔法の力が備わっているとはいえ、巨大で恐ろしい敵と戦うのは大人でも難しいことだ。
しかし魔法少女デビュー戦のアザレアは恐怖を微塵も感じさせない大胆な戦闘スタイルで話題となった。
天才魔法少女現る、と一躍有名になり、そのままスターへの道を登っていったわけだ。
しかし彼女は狙ってそれをやったわけではなかった。
ただ目の前の巨大な敵よりも、もっと恐ろしいものがすぐそばで目を光らせていただけ。
「まぁ、そのおかげで自立できたし、今は親とも縁を切ることができた。助けてくれた妖精さんたちには感謝してるわ。でも」
凛は暗い目を虚空へ向けた。
「憎しみはまだ消えてない」
柚子はどう声をかけて良いのか分からなかった。
安易に慰めるのも違う気がした。
大変だったね、と共感できるほど柚子の人生経験は深くなかった。
「別にあなたに恨みはないの。でも、ごめんね。連絡先はシトロンに直接聞くことにするわ」
そう言って、凛はほんの少しだけ笑った。
そして柚子に背を向け歩き出す。
「凛ちゃん、ちょっと待って――」
「あぁ、そうそう」
凛が足を止める。
だが、それは呼び止められたからではない。
振り向いた凛の目は、驚くほど冷たかった。
「私がシトロンに話したことは全部シトロンにだけ言っているの。もう二度と、私たちの会話を横取りしないで」
返す言葉がなかった。
完全な拒絶。
最初で最後のチャンスをものにできなかった。
もうなすすべはない。
柚子は目眩を覚えた。
手足の先が冷たくて、でも頭だけは汗をかくくらい熱い。
今にも膝から崩れ落ちそう。
ふらつく体を、誰かが支えた。
柔らかくて大きなものに包まれる感触。柔らかな声が降ってくる。
「大丈夫? 柚子くん」
目を見開く柚子。どうして彼女がここにいるのか、彼には分からなかった。
だって、都合が合わず遊園地に来れないからチケットを譲ったのではなかったのか。
「シスター?」
柚子の呼びかけに、シスターは笑みを浮かべる。
普段の形だけの笑みではない。本能に直結した笑顔。
園内から愉快な音楽が消え、どこからか悲鳴が上がった。