女装魔法少女を取り巻く矢印はもうぐちゃぐちゃ   作:夏川優希

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8話 ハプニング

 凄まじい光景だった。

 どこからか現れたたくさんの蜘蛛。

 逃げ惑う人間たち。

 画に描いたような楽しい休日のひとときが、あっという間に地獄絵図へと様変わり。

 

 柚子は困惑した。

 この状況に、というだけではない。

 シスターの様子にも。

 

 

「わぁ、本当に賑やかな場所ですね。遊園地って」

 

 

 この状況で、どうしてシスターは平然としているのか。

 

 

「いきましょう柚子くん。あちらに素敵なレストランがありましたよ。人間の男女は食事を通して親交を深めると本で読みました」

 

「なっ……なに言ってるんですか。早く逃げてください」

 

「どうしてですか? せっかく遊園地に来たんだから楽しまないと。ここはそういう場所なのですよね?」

 

 

 シスターはキョトンとして小首をかしげる。

 いつもの柔らかな表情、落ち着いた声。この非常事態における”いつも通り”が、柚子にはいやに不気味に感じられた。

 

 

「とにかく、もう少し静かで人のいない場所で休憩しませんか?」

 

 

 いつも通り。

 しかし柚子の肩に置いたシスターの手に、いつもとは違う熱気がこもっていることに気付いた。

 

 

「あの……えっと……」

 

 

 柚子の背中を冷たい汗が流れる。

 得体のしれない威圧感。

 思わず後退りをする。

 が、それ以上の距離をシスターは詰めた。

 腕を肩に回し、滑らかな白い手で柚子の頬をなでる。

 

 

「ほら、ひとまずそこの暗がりに」

 

 

 別に凶器を突きつけられた訳じゃない。

 乱暴な言葉で脅されたわけでもない。

 それなのに、足がすくんで動けなかった。

 

 彼が高速で動く影に気付かなければ、そのままなにもできなかったかもしれない。

 柚子は空を見上げた。

 眩しそうに目を細める。

 視線の先には、いくら手を伸ばしても届かない憧れの人がいた。

 

 

「アザレア……」

 

 

 柚子はシスターの手を振り払った。

 

 

「ごめんシスター。僕、行かなくちゃ」

 

「え? 柚子くん、待って――」

 

 

 シスターを置き去りに、柚子は地面を蹴った。

 後ろから、声だけが彼を追いかける。

 

 

「もうすぐ世界が終わっちゃうんですよ!」

 

 

 シスターの言葉が引っかかったものの、考えている余裕もない。

 逃げ惑う人々の中に紛れて走る。

 もぬけの殻となったキッチンカーの中に飛び込み、変身ブローチを掲げた。

 

 柚子が地面からいくら手を伸ばしても彼女には届かない。

 しかし同じように飛べば彼女と並ぶことができる。

 シトロンは地面を蹴った。

 

 

「シトロン! 来てくれたのね」

 

 

 彼の姿を見るなり、アザレアは目を輝かせた。

 シトロンもそれに応えようとなんとか笑顔を浮かべるが、胸はチクチクと痛む。

 柚子とシトロンへの対応の違いで、好感度の差が嫌でも分かってしまうから。

 しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。

 

 

「アザレア、みんなを助けないと」

 

「もちろん。シトロンと一緒ならなんでもできるわ」

 

 

 アザレアは赤い拡声器を2つ創り出し、1つをシトロンに手渡す。

 敵は無数の蜘蛛たち。

 一匹一匹潰していくのは時間がかかる。

 まず最優先は遊園地中に散らばっているであろう客の避難と救助。

 任務を果たすべく、2人は拡声器を手にそれぞれ飛び立った。

 しかし2人が別れたのは良い手ではなかったかもしれない。

 蜘蛛たちの狙いは最初からシトロンなのだから。

 

 

「あっ」

 

 

 と、気付いたときにはもう遅かった。

 客たちを襲っていた蜘蛛たちがいっぺんに柚子の方を向き、一斉に糸が吐き出される。

 四方八方から降り注ぐ糸の雨に為す術がなかった。大量の糸がシトロンに巻き付き、ミノムシのように吊される。

 手足を完全に拘束され、自力での脱出は困難。

 

 

「アザレア……!」

 

 

 と、助けを求めて声を上げることしかできない。

 しかし現れたのはアザレアではなかった。

 

 

「ふふ……こうしてきちんとお会いするのは初めてですね」

 

 

 確かに人の言葉を話している。

 しかしそれは決して人間ではない。

 女性の上半身。

 糸を思わせる白い滑らかな髪。

 しかし目の数は8つ。

 なにより異質なのはその蜘蛛のような下半身だろう。

 8本の足を器用に動かし、立体的に張り巡らされた細い糸を渡ってシトロンに迫る。

 

 

「やっとチャンスが巡ってきました。実は、あなたに1つ聞きたいことがあって」

 

 

 シトロンは妙な感覚を覚えていた。

 既視感だ。

 どこかで見たことがあるような気がする。

 こんなビジュアル、一度見たら忘れるはずがないのに。

 しかしじっくりと思い出すことはできなかった。

 なぜなら、目の前の敵が衝撃的な発言をしたからである。

 

 

「あなた、どうして柚子くんと同じ匂いがするんですか?」

 

 

 柚子の顔からサッと血の気が引く。

 心臓が耳に移動したみたいに鼓動の音が大きく聞こえる。

 

 

「ど、どうしてその名前を――」

 

 

 それはあらゆる意味で最悪の状況だった。

 いま敵に柚子とシトロンが同一人物だとバラされたら、もう助かる見込みはない。

 敵の前で“炎上”したらどうなるか。

 カルミアの惨状を目の当たりにしているシトロンはそれが最も避けなくてはいけない状況であることを理解していた。

 どうにかしなくては。

 しかしどうすることもできない

 蜘蛛の糸がシトロンの体をギチギチと締め上げた。

 肺の中の空気が呻きとなって口から漏れる。

 

 

「柚子くんと同じ匂いがする理由……わたくし、本当は薄々分かっているんです」

 

 

 シトロンはめちゃくちゃに藻掻くが、魔法少女である彼女の力をもってしても糸はちぎれない。

 まるで蜘蛛の巣の上でもがく蝶だ。

 そして敵は、無防備なシトロンを見下ろしてこう言い放った。

 

 

「あなた、柚子くんと交尾していますね?」

 

「……へ?」

 

 

 この絶体絶命の状況に似つかわしくない間の抜けた声が漏れる。

 

 シトロンに分かったことは2つ。

 敵はシトロンと柚子が同一人物であるということには気づいていない。

 そのかわりに……というべきか。

 どういうわけか、ヤツはとんでもない勘違いをしている。

 

 なにはともあれ良かった、最悪の状況は免れた――なんてシトロンは考えたが甘いと言わざるを得ない。

 赤い影が流星のように空を駆けた。

 敵の張り巡らせた糸が次々切れる。

 自由を得た体で、シトロンは彼女の名を呼ぶ。

 

 

「アザレア!」

 

 

 アザレアと2人ならばもう怖いものなどない。

 危機は去った、とシトロンは思った。

 しかしその認識は間違っている。

 危機が去ったのではない。新たな危機がやってきたのだ。

 

 

「今の話、どういうこと?」

 

 

 アザレアの顔にいつもの笑顔はない。

 泥の中から這い出てきた時のような酷い顔。

 もちろん、シトロンは慌てて弁解をする。

 

 

「敵の言葉なんか信じないで! だいたい、私たち親戚だもん。匂いが似てるなんて当然でしょ」

 

「似てるなんてものじゃありません。同じです」

 

 

 シトロンの言い訳を、敵は即座に切り捨てた。

 

 

「互いの匂いが混ざり合うくらいの接触を行っているとしか考えられません。同一人物かと思うほどです」

 

 

 敵が喋るほどに凛の顔から色が抜けていく。

 最後には土気色になって、瞳からも光が消えた。

 

 

「シトロン……まさか本当に汚らしい男なんかと……?」

 

「だ、だからデタラメだってば!」

 

「本当ですよ。それも長期間、高頻度で。まぁ若く健康である証拠です。前向きに捉えましょう」

 

「もう黙ってて!」

 

 

 厄介なことになった、とシトロンは思った。

 なにより困るのは敵の言葉が嘘ではないこと。

 だからこそ、シトロンのどんな言い訳も上滑りしていくようだ。

 とはいえまさか同一人物です、なんて言うわけにはいかない。

 

 シトロンにできることは一つ。

 一刻も早く敵を倒し、その口を封じること。

 

 

「シトロン! 大丈夫か」

 

 

 彼らの足下より遙か下――地面を這うようにして竜斗が声を上げていた。

 デートを監視するため竜斗がついてきていたことをシトロンは知っていたが、まさかチケット代を払い園内にまで入っていたとは思わなかった。

 が、これはチャンスでもある。

 

 魔法少女の力の源は人間のときめき。

 しかし今、客たちは安全のため避難している。

 突如始まった戦闘、遊園地という区切られた空間であることも相まって"大友"たちの支援やネット中継にも頼れない。

 そんな中で竜斗のときめきは貴重だ。

 乾いた喉に水が染みこんでいくように、魔力が体に行き渡る。

 

 目に光が灯っていない今のアザレアには頼れない。

 シトロンがやるしかない。

 そしてそのチャンスは今しかないと、彼は思った。

 

 竜斗のときめきを武器へと変える。

 彼が思う、もっとも殺傷力のある武器――それは剣だった。魔法少女らしいとはいえない、無骨な大剣。

 彼が好きなゲームのキャラが持っているものである。

 それを携え、素早く敵へ突っ込んでいく。

 アルカリ性洗剤を塗った大剣は蜘蛛の糸を溶かして進む。

 まるで流星のような速度。

 アザレアとの飛行訓練の賜物だった。

 

 が、敵は老獪だ。

 

 

「ふふ……若いですね」

 

 

 敵の大きな胸の先、ギリギリのところで刃がとまっている。

 蜘蛛の糸を何重にも編んだ手のひらサイズほどの盾が刃先を阻んでいた。

 

 

「あっ」

 

 

 渾身の一撃が防がれたシトロンがするべきことは第二第三の矢を放つか、あるいは逃げることだった。

 しかし焦りと経験不足から、彼は取るべき手段を取れなかった。

 敵と目を合わせたまま、シトロンはどう動けば良いか迷った。

 

 その隙を、敵は見逃さなかった。

 糸を使って剣を叩き落とし、鋭い爪を振り上げて言う。

 

 

「これで彼はわたしくしのもの」

 

 

 敵が微笑んだ。禍々しい姿とはかけ離れた、木漏れ日の中にいるような優しげな笑み。

 その顔をシトロンは――いや、柚子は知っていた。

 

 

「シスター?」

 

 

 敵がかすかに声を漏らした。

 体重を乗せた一撃を、咄嗟に引っ込める。

 おかげで致命傷は免れた。

 しかし代償は大きかった。

 

 

「……あっ」

 

 

 弧を描くように飛んでいくブローチがシトロンの目に映った。

 敵の爪はシトロンの体には当たらなかったものの、胸につけた変身ブローチを弾き飛ばしたのだ。

 慌てて伸ばした手をすり抜けて、それは地面に吸い込まれるように落ちていく。

 

 変身ブローチを外したらどうなるか。

 決まりきったことである。

 輝く魔法少女コスチュームも、長い金髪も、武器も力も、すべては変身ブローチが創り出したもの。

 それを失った彼はただの無力な少年に戻る他ない。

 

 

「そんな……まさか……」

 

 

 唖然とするシスターの顔が、くるりと回る。

 いや、回っているのは柚子の体だ。

 魔力を失った彼がいつまでも宙に浮いていられるはずもなく、彼の体は万有引力に基づき地面へと引き寄せられていく。

 

 柚子は最後の最後まで凛の反応が気になって、彼女を見上げていた。

 しかし逆光でその表情はよく見えない。

 そうこうしているうちに背中に強い衝撃が走り――

 

 柚子の視界は闇に包まれた。

 

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