大きな不安やストレスに晒された際、人間は自身を守るために様々な反応を見せる。
これもその一つだろう、とみうみうは思った。
「柚子ぅ、カメさんにでもなっちゃったかみゅ?」
カーテンを閉め切った薄暗い部屋で柚子は布団に潜ったまま顔も見せない。
この状態がもう丸一日続いている。
柚子は遊びにいった遊園地で蜘蛛のバケモノに襲われ軽症を負った。
キズ自体は大したことないものの、そのショックで部屋から出られないでいる――と、周囲にはそういうことになっているが、みうみうはそれが真実でないことを知っている。
「柚子、何度も言ってるけど君の正体は世間にはバレてないみゅ。変身してもカルミアみたいに燃えたりしないみゅ」
「世間なんてどうでも良いよ」
布団の中から声がした。酷くかすれた声だった。
「アザレアにバレちゃったんだ……軽蔑されたに決まってる……」
「アザレアにそう言われたみゅか?」
「いや……そうじゃないけど……」
あの戦いの後、柚子が目覚めたのは病院のベッドの上だった。それ以来アザレアとは会っていない。
確かにアザレアの反応は柚子にとっても気になるところだった。布団からわずかに顔を出し、蚊の鳴くような声で尋ねる。
「……アザレア、僕のことなにか言ってた?」
「気になるなら自分からきちんと話を――」
「やだ」
柚子は素早く布団の中に顔を引っ込める。
まるで二枚貝のように堅牢な守り。みうみうは小さな手で布団をつつく。
「柚子〜……」
「僕に構ってる暇があるなら教会を調べてよ。シスターが蟲だったんだ」
「え? なんだみゅ?」
「だからぁ、蜘蛛だったんだよ」
「ちゃんと説明するみゅ」
みうみうがしつこいので、柚子は仕方なく事の顛末を話した。
人語を話す蜘蛛の敵がいたこと、その正体がおそらく学校の近くの教会にいるシスターであること。
「……なんで今まで言わなかったみゅ」
「なんでって……」
あの優しいシスターが敵だったことは柚子にとって大きな衝撃だったが、アザレアに正体がバレたショックが大きすぎて霞んでしまっていたのかもしれない。
そんなことを考えている最中。
カーテンを開ける音とともに室内に太陽光が射し込んだ。
「ちょっと、勝手に――」
柚子は言いかけた文句を飲み込んだ。
布団の隙間から見るみうみうは、いつもと明らかに様子が違っていた。
全身を覆うふわふわの毛が逆立ち、いつもより一回りも二回りも大きくなっている。
「みうみう……?」
「なにボサッとしてんねん、さっさと起きんかい!」
「えっ……前から思ってたけど、なんで関西弁なの?」
「黙れ」
柚子は黙った。そうせざるを得ない威圧感があった。
みうみうがカーテンを開けた理由はすぐに分かった。
教会の方面から上る、黒い雲。
徐々に空を覆うそれに当てられて鳥がボトボト地面に落ちている。
「い、一体なにが」
「”魔王”や」
キョトンとする柚子にみうみうは語り出した。
「蟲は人間の負の感情を糧に生まれる。例えば戦地や災害のあった土地ではより強い個体が生まれる」
それは柚子も知っていた。
ただしそういった個体は卵から孵るのに時間がかかる。
出現場所も特定しやすく、駆除は容易い。
妖精さんたちの監視により、いまだ孵化に至った例はない。
が、事情は今までと違うようだ。
「数ヶ月前、ある独裁国家の強制収容所でかつてない巨大な卵が確認された。それが今、行方不明になってるんや」
「ど、どうして? 卵は魔法少女の力でないと壊せないのに」
「そんなの決まってるやろ。卵が生まれたってことは非人道的なことが収容所の中で行われてるってことの証拠になる。だからあいつらは卵の存在をもみ消したんや。どこにいったのかは未だに分かっていない。けど、もしかしたら――」
みうみうのつぶらな瞳がにわかに鋭さを帯びる。
彼はスマホを素早く操作しながら横目で柚子を見た。
「全魔法少女出動や。早よ変身せんかい!」
全魔法少女出動。柚子の記憶にある限り、そんなのは初めてだった。
しかし彼にはもう一つ、みうみうに言っていないことがある。
「あの、みうみう……さん。その、変身ブローチなんですけど……」
「ああ?」
「ええと……昨日遊園地でなくしちゃって……」
瞬間、みうみうはふわふわの足で柚子のお尻を蹴り上げた。
「なにをやってんねん。さっさと探してこんかい!」
もう布団にくるまっていられる状況ではない。
柚子は家を飛び出た。
みうみうにどやされたからではない。
全魔法少女に袋叩きにされれば、どんな敵だってひとたまりもないだろう。
それを少しずつ理解し、柚子はようやく事の重大さを知覚した。
柚子にとってシスターはただの敵じゃない。
少し風変わりな人だが、大切な友人だ。
彼女を死なせたくはない。
そして、自分ならば彼女と話し合いができるのではないかと柚子は考えたのだ。
そして、魔法少女としてこれをうまく解決できればアザレアにも一目置かれて、あの件を許してもらえるのでは……とも。
しかし瘴気を発する教会に生身で乗り込むのは自殺行為。
とにかく今は変身ブローチを取り戻さなければ。
その一心で柚子は着の身着のまま駆け出した。
遊園地まではバスを使って30分程度。
とはいえこの状況でバスが動いているのか。
そもそも遊園地に入れるのか。
入れたとして、あの広大な敷地から小さなブローチを見つけ出すことができるのか――不安がチクチクと胸を刺す。
その時だった。
「おい、シトロン!」
柚子は足を止めた。
というより、竦んで動けなくなったと言ったほうが正しい。
彼は思い出していた。
昨日の遊園地で柚子の正体を知った人間が3人いたこと。
アザレア、シスター、そして。
「竜斗……」
柚子は亀のように首を引っ込めた。
凛に対するそれとはまた違った恐怖が湧いてくる。
あの乱暴な竜斗のことだ。
『よくも騙したな!』なんて言いながら柚子をボコボコに殴っても不思議ではないと、そう考えたのだ。
しかし竜斗は決して文句を言いに来たわけではなかった。
「これ、拾っといたから」
そう言って差し出したのは、輝く変身ブローチ。
シスターに弾き飛ばされた後、落ちてきたそれを拾い上げていたのだ。
それだけじゃない。
彼の腕にある酷いアザを見て柚子は思い出した。
魔力を失い、落下した彼を受け止めたのが竜斗だったこと。
それがなければ、柚子の怪我は軽症ではすまなかったろう。
「ごめん竜斗、ありがとう」
「なんで謝るんだ。謝るのはこっちの方だ」
ブローチを受け取った柚子の手を、竜斗は掴んだ。
どういうことかと首をかしげる柚子に頭を下げる。
「ごめん、気付いてあげられなくて……」
と、そこで柚子は気付いた。
竜斗の瞳に光が宿っていないことに。
「君が男装していたなんて!」
大きな不安やストレスに晒された際、人間は自身を守るために様々な反応を見せる。
柚子は部屋に閉じこもって現実から目を逸らした。
竜斗の場合は――自分の頭の中で現実をねじ曲げたのだ。
もちろん、柚子は慌てて否定する。
「いやいやいや、なに言ってるの。逆だよ。僕は男で、訳あって魔法少女に――」
「今まで辛い思いをさせてごめんな、シトロン!」
「ええ……」
柚子は引いた。
そして、もはやなにを言っても無駄だと悟った。
どんな真実を突きつけても、竜斗はそれを自分に都合の良いように解釈するだろう。
柚子は説明を諦めた。
変身ブローチを掲げる。
竜斗の瞳がギラギラと輝く。
「ああ……ああ! シトロン!」
竜斗は膝を折り、シトロンの輝きに感涙した。
シトロンの方はもはや竜斗のことなど眼中になかったが。
「これで教会にいける……きっとアザレアもそこに……」
みうみうが管理している魔法少女すべてに出動命令が出ている。
そこにいけば彼女とも顔を合わせるはず。
心配なのは集まった魔法少女たちが既にシスターを倒してしまっていること。
しかしそれが杞憂であることはすぐに分かった。
教会から上る瘴気がより濃く、より厚くなっているのが遠目からでも分かったからだ。
魔法の力を持ってしても中に入れないのか。
魔法少女たちは教会の周囲にズラリと並び、カラフルな壁を築いている。
その中に、いた。
似たような格好の似たような年頃の女の子がたくさんいても、シトロンの目はすぐに彼女を見つけることができた。
アザレアである。
柚子は息を呑んだ。
アザレアもまた、シトロンの存在にすぐ気付いたからだ。
彼女にどんな反応をされるのか。
怒られるのか、あるいは泣かれるのか。
シトロンの額を冷や汗が流れる。
しかし、アザレアの反応は想定外のものだった。
怒るでも泣くでもなかったのだ。
彼女は手を振り、柚子に駆け寄った。
笑顔さえ浮かべている。
「あのあと大丈夫だった? 心配してたのよっ」
まるで何事もなかったかのような口ぶり。
シトロンは大いに困惑し、しかしホッとしてもいた。
なにはともあれアザレアは笑顔を見せてくれた。
もしかしたら正体を知った上で自分を受け入れてくれたのかもしれない、と。
そう勘違いしてしまうのも仕方がない。
アザレアの動きは完璧だった。
抱きつかれ、押し倒され、馬乗りになられるまで、シトロンはアザレアの異変に気が付かなかった。
彼女は手にハサミを持っていた。
赤いリボンに彩られた、魔法のハサミ。
アザレアの顔から笑みが消えた。
「大丈夫……大丈夫だから。痛いのは一瞬だけだから」
「えっ、なに? なにするの?」
「間違いを正すのよ」
アザレアの手がスカートに伸びる。
シトロンの顔から血の気が引いていく。
本能的に分かった。
ちょん切る気だ、と。
大きな不安やストレスに晒された際、人間は自身を守るために様々な反応を見せる。
柚子は部屋に閉じこもって現実から目を逸らした。
竜斗は自分の頭の中で現実をねじ曲げた。
アザレアの場合は――自分に都合が良いように、事実をねじ曲げようとしている。
シトロンの悲鳴が響き渡る。
周囲は魔法少女だらけだ。
二人の異変に気付き近付いてきた者もいたが、アザレアはドーム型にバリアを展開。
魔法で創り出した小さい密室の中で二人きり。
魔法少女としての技量で、シトロンはアザレアに及ばない。
ハサミを持つアザレアの手をなんとか押さえるが、すごい力だ。
いつまで持ちこたえられるかは分からない。
彼女のファンだからこそ、シトロンには分かる。
この状況で、彼に勝ち目はない。
「怖がらなくて大丈夫だよ」
アザレアの目は竜斗と同じだった。
なにを言っても届かない、そんな予感があった。
しかし言わずにはいられない。
「ごめんアザレア。ごめん!」
「謝らなくていいよ。私がシトロンを完璧にしてあげるから」
「悪気はなくて。どうしてもアザレアに近付きたくて、僕――」
「すぐに終わるから。力を抜いて?」
絶望的に話が噛み合っていない。
互いに自分が言いたいことをただ一方的に喋っている。
柚子はそれが分かった。
でも止められない。
「アザレア、目を覚まして。こんなことしたって無駄だよ。僕は男なんだから」
「違うわ。シトロンが汚らしい男のはずないもの」
「っ……なんで、分かんないんだよ」
ハサミが目前に迫っていることへの物理的な恐怖。
そしていつも冷静なアザレアが自分のせいで酷く取り乱してしまっていることへの焦燥。
それらから逃げたい一心だった。
柚子はこの状況で絶対に言ってはいけないことを言った。
「シトロンなんて、最初からいないんだ!」
アザレアの目が見開かれる。
瞬間、言葉選びの失敗を柚子は悟った。
柚子の手を振り払い、アザレアはハサミを振り上げる。
彼女の口から、言葉にならない叫びが上がる。
やはり説得など無理だ。
分かってはいたが、覚悟ができていたわけじゃない。
柚子は息を呑んで目を瞑った。
刹那襲い来る衝撃。
しかしそれは柚子が想像したものとは違った。
なにが起きているのか分からなかった。
頬を切る風。浮遊感。
飛んでいる……いや、引きずられていると言ったほうが正しい。
アザレアの創り出した密室を壊し、彼を救い出したのは細い細い蜘蛛の糸だった。
聖堂から伸びたそれは教会への招待状。
周辺を瘴気に覆われた聖堂内は薄暗く、しかし祭壇に安置された卵のようなものだけが時々脈打ちながら禍々しい光を放っている。
その前に、シスターは番人のように立っていた。
大きな不安やストレスに晒された際、人は自身を守るために様々な反応を見せる。
柚子、竜斗、そして凛。
柚子とシトロンが同一人物であるとバレたことで彼らは各々防御機制を働かせた。
しかしシスターは違う。
彼女はストレスに晒されてなどいなかったからだ。
柚子がどんな格好をしていようと関係ない。
彼女の目的への障害にはならない。
目的の達成を前に、シスターは両手を広げてうっとり微笑む。
「ようこそ柚子くん。さっそく交尾しましょう!」