①予期せぬ訪問者
②ぜろの多い部屋
③優しい命令
●主人公
雄英高校普通科C組
個性:
①予期せぬ訪問者
ピンポーン
無機質な電子音が静まり返ったワンルームに響いた。
退院してまだ数時間。自分のアパートの匂いにすらまだ馴染みきっていない中での、不意の来訪。
「……あ」
不動は思い出したかのようにスマホを取り出し、新規メッセージを開いた。
『今着いた。これからインターホン鳴らす』
送り主の名を確認し、彼女は小さく唇を動かす。
「そうだ、心操だ」
退院日を伝えていたことをすっかり忘れていた。
ガチャリとドアを開けると、そこには汗の匂いを微かに漂わせたジャージ姿の心操が立っていた。
「心操……なんでジャージなの?」
「イレイ……相澤先生との特訓終わってそのまま来た。本当は樫宮と光崎も来る予定だったんだけど、補講が長引いて今日は無理だって」
「そっかお疲れ様。よく私の家分かったね。教えたっけ?」
「いや、止水先生に聞いた。退院祝いにこれ渡したくて」
不動は心操が差し出した箱を受け取る。
「わ、なにこれ。ケーキ?……あ、ごめん。とりあえず中入って」
部屋の中央にある白いローテーブルへと案内し、不動はそのままキッチンへ向かった。
「インスタントのお茶しかない……。どくだみ茶いける?ちょっとクセあるけど」
「うん、多分大丈夫」
不動がお湯を沸かす間、心操は手持ち無沙汰に室内を見渡した。
白や黒を基調とした、清潔感のあるシンプルな家具。ところどころ置かれている観葉植物。意外とそういうのきちんとするタイプなんだな、と思ったところで無理やり視線を外した。
(あんま女子の部屋をジロジロ見るの……よくないよな)
「不動ってひとり暮らしだったんだな。実家遠いんだっけ?」
ケトルがシュン、と音を立てる。不動は戸棚からティーバッグを取り出した。たまたまスーパーで見つけて以来、気に入って飲み続けているどくだみ茶だ。
「私ずっと施設暮らしだったから、実家ってのは無いよ」
「え……」
蚤の市で手に入れた海外製のマグカップにお湯を注ぎながら、不動は事も無げに言った。
不穏な予感が心操の背筋を撫でる。あまり踏み込まないようにしようと、これ以上の詮索をやめた。それなのに不動は自らセンシティブな情報を淡々と開示してくる。
「私は赤ちゃんの時に両親殺されててね。だから物心つく前からずっと施設育ち」
「待て待て……!」
「?」
「なんでそんな事……普通に言うんだよ」
「何が?事実を言っただけなんだけど。私より酷い境遇の人なんて、いくらでもいたけど」
動揺を隠せない心操に対し、あまりに平然とした不動の態度。彼が何をそんなに慌てているのか分からないといった具合に瞬きをしている。その瞳には隠し事をするような後ろめたさや、過去を嘆くような湿っぽさなど微塵も感じられなかった。
「そういう問題じゃなくて。……あんま他人にこの話すんなよ。俺も突然で結構びっくりしちゃってんだから」
「心操にしか言わないけど?」
そうじゃないんだよと後ろ首を掻きながら、心操は深くため息をついた。不動はマグカップを心操の前に置いて、そのまま向かいに腰を下ろした。
「私にとっては親がいないのが普通だったし、寂しさとか全然ないから。でも心操が嫌なんだったら、もう話さない」
「嫌ってわけじゃ……」
ない、と続けようとして言葉を飲み込んだ。
普段あまり自分のことを語ろうとしない不動の内面に触れられる絶好の機会だとは思った。しかしその先にあるものに触れるのがどうしようもなく怖かった。不動利世という存在が、知ろうとすればするほどその輪郭が曖昧になっていく気がして。
どくだみ茶の独特な香りが部屋に広がる。鼻腔にそれを満たしながら、心操は体育祭での飯田戦の記憶を手繰り寄せる。
(あの時確か、不動は「家族がプロヒーロー」って言ってたよな。でも亡くなってたんだな……)
「そんなことより箱、開けていい?」
今の話を"そんなことより"で片付け、のんきにテーブルの上の箱に手を伸ばす。一瞬言葉を失ったが、当の本人が気にしていないなら自分が気にしたって仕方がないと、心操は無言で頷いた。
箱の中身は色とりどりのフルーツが乗ったタルト。
「これ、メゾン・ド・ボンボンの……」
体育祭の打ち上げで、みんなと食べたあの店のものだった。
「不動ってあんま甘いもん得意じゃないのに、あの時やたら美味そうに食べてたから」
「へぇ、よく見てる。ありがとね」
不動は蓋を開けたまま、じっとタルトを見つめる。
「……あ、これ前に食べたのとちょっと違う気がする」
「季節限定だからな。あの時とは乗ってるフルーツが違うんだと思う」
「へぇー美味しそう。心操も一緒に食べよ。フォーク取ってくる」
そう言って立ち上がった瞬間、再びインターホンが鳴り響いた。
「俺が出る」
心操が制するように立ち上がり、玄関へと向かう。ドアスコープに片目を寄せ、外の様子を覗き込んだ。
「……………………え?」
間の抜けた声が漏れ、ドアスコープを覗いたまま固まった。誰か来る予定あったっけ、と不動はスマホの新規メッセージを開き、わずかに眉を寄せた。
「えぇ……なんで来てんの……。家庭訪問はまだ今日じゃ……」
「不動……この人……」
心操がスローモーションのような動きでゆっくりと彼女の方へ顔を向けた。
「……大丈夫、開けていいよ」
「いやそうじゃなくて……何……どういうこと……」
まるで状況が飲み込めないまま、震える手でゆっくりとドアを開けた。
そこに立っていたのは──。
黄土色のジャケット
背に広がる、鮮やかな赤い翼。
現役プロヒーロー、ホークス。
「やっほー利世。五ヶ月ぶり……ってあれ、誰?君」
「なんっ……なんでホークスが……」
思考が追いつかない。
硬直する心操の隣まで不動がぱたぱたと歩み寄る。
「ちょっと啓……ホークス。なんで来たの。家庭訪問の日程はまだ決まってないんだけど」
「利世のことが心配でさ。仕事早めに片付けて飛んで来ちゃった」
軽い調子でそう言うと、ホークスは慣れた様子で不動を抱き寄せた。
「ああそう。まぁ中入りなよ」
あまりにも気負いのない不動の対応。まるで近所の知り合いでも迎えるかのような彼女の態度に、心操の脳内は混乱を極めていた。
(いや……いやいやいや……???)
「あ、ちなみに家庭訪問はしないよ。入寮の件はもう止水先生と話つけてきたから」
「はぁ!?何勝手に……」
「こっちに向かう途中でたまたま会ってさ。どうせ寮には入るんでしょ?先生には神野の件でめちゃくちゃ謝られたけど」
「あんたね……何でもかんでも先に……」
「速すぎる男なんで」
「せっかちすぎる男の間違いなんじゃないの」
呆れたように吐き捨て、不動はホークスの腕をすり抜けて部屋の奥へと案内した。三人はローテーブルを囲んで腰を下ろす。
「……で、そろそろ隣で固まってる彼に俺のこと紹介してあげてくれる?」
ホークスの折りたたまれた羽が心操の肩をかすめる。喉の奥が震えるのが分かった。なぜ自分の隣に、テレビ越しにしか見たことのない"速すぎる男"ホークスがいるのか。
「……心操、紹介する。彼はホークス。私のえーと……いとこで、保護者……みたいなもの」
「いやホークスは知ってるけど……保護者って……?」
心操がその単語を咀嚼しきる前に、不動は説明を重ねる。
「施設から引き取ってもらって、中学の三年間だけ一緒に住んでたの。私が体育祭で飯田くんに『家族がプロヒーロー』って話したのは、ホークスのこと」
まさか目の前にいる『テレビの向こう側の存在』と『いつも近くにいる同級生』が血縁関係にあっただなんて。どう頑張っても結びつかない。有名プロヒーローが急に生活圏に入り込んできたのだ、無理もない。
「ん?……でも飯田には『親』って説明してなかった?年齢的には『親』よりも『兄』の方が近いような気がするけど」
心操の素朴な疑問に、「確かに」とでも言うように不動の目が一瞬見開かれたが、いつものあっさりとした様子で言葉を続ける。
「そうだね。確かに兄でもあるね。でも人生に必要なことを一から教えてくれたし、私の感覚としては親の方が近いのかも」
不動が口にする『親』。
それは実の両親ではなく、自分を引き取り、育て導いてくれたホークスという男を指しているのだと、その落ち着いた声音が物語っていた。
心操はホークスの顔をまじまじと見つめる。
どこか掴みどころのない軽やかな色を宿した瞳。
「そっか……言われてみれば目元とか似てる……かも……?」
無理やり納得しようとひねり出した心操の言葉に、ホークスは「おっ分かる?」と悪戯っぽく笑う。
「で、ホークス。彼が心操人使」
「あぁ!君が噂の心操くんね」
「噂の……?」
「利世から聞いてるよ、『洗脳』使う子でしょ。ヒーロー目指してるんだってね。いつも利世と仲良くしてくれてありがとね」
ホークスが当たり前のように自分のことを把握しているという事実に理解が追いつかない。
「心操、口空いてるよ」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
まるで他人事のような不動の指摘に思わずツッコんでしまった。
「お前さ……そういう大事なことは言えよ。俺の知らないところでホークスに認知されてるとか、嬉しいよりも怖いの方が勝つんだよ」
「え、あんたホークス知ってんの?」
「知ってるもなにも、全国的に有名だろ」
「そうなの?てっきり九州でしか知られてないと思ってた」
「身内に興味なさすぎないか?」
「ああうん、興味ない……」
あまりにも"不動利世"らしくて思わず吹き出しそうになる。彼女にとってホークスは『有名プロヒーロー』ではなく本当にただの『親』なのだ。自分だってが親の職業には興味がない。きっとそれと同じ感覚なのだろう。なるほどな、と納得しかけたが、やはりその相手がホークスとなるとやはり話は別だ。
ホークスはそんな二人のやり取りをニヤニヤと楽しげに眺めていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういや利世、例の『敬語作戦』はどうなったの?」
「……入学早々失敗した。下手だし内容頭に入ってこないからやめろって心操に言われた」
「あはは!ほらーだから俺言ったじゃん!慣れないことはしない方がいいって」
「敬語作戦……?」
聞き慣れない単語に心操が首を傾げると、ホークスは嬉々として暴露を始めた。
「いやね、利世って中学の頃かなりのじゃじゃ馬姫で、雄英入学が決まってからは今までの自分とおさらばするって意気込んでたのね」
「ホークス」
静止を促す不動の声にほんのり怒気が混じる。
だが彼の口は止まらない。
「それで敬語を使えば真面目に見えるかもーなんて言って、使い慣れてない敬語を一生懸命練習してたんだよ。俺は止めたんだけどね、慣れないことやってもすぐ破綻するよって」
「ホークス!!そげん話心操にせんでよか!!」
顔を真っ赤にして怒る不動。
初めて見る年相応の反応だった。
それに加えて、無意識にこぼれた方言。
取り繕っていない"素"の彼女。
──ああ、ちゃんといたんだな。不動にも。
本音をぶつけられて、素をさらけ出せる相手が。
彼女の人間らしい部分を垣間見れて、胸の奥がほっと温かくなるのを感じた。今までよりほんの少しだけ、不動利世という人間が理解できた気がした。
「ホークスも食べませんか?タルト。不動の退院祝いに買ってきたんです」
「え、いいの?心操くん。じゃあお言葉に甘えて」
「じゃあ私あんたの分のお茶とフォーク取ってくる」
不動がキッチンへ向かい、リビングに男二人が残される。
トップヒーローを前に、どう接すればいいのか分からずに思考を巡らせたその時、空気を読み解く天才が先手を打つように口を開いた。
「……さっきの利世の反応見て、正直ホッとしたでしょ」
「ホッとした……とは?」
「"彼女にも人間らしいところあるんだ"って思ったんじゃない?」
心操はピクッと肩を震わせた。
金色の瞳が、心操の心の奥底を見透かすように細められる。
「……図星だね、そんな顔してた」
「俺ってそんなに分かりやすいですか?」
「いや?分かりにくい方だと思うよ。でも俺には分かっちゃうんだな」
軽い調子で全部見抜かれた。
ポーカーフェイスの自負はあるつもりだった。それなのに初対面の相手にここまで正確に思考をなぞられるとは思っていなかった。恐ろしいほどの観察眼。背筋に冷たいものを感じる。
「彼女、あんま自分のこと話さないでしょ。話したとしてもどこか言葉足らずなところがあって。おまけに思考のピントはズレてるし、不器用。打算的かと思いきや自分のことには無頓着でお人好し」
淀みなく並べられた言葉は、どれも心操の知る"不動利世"を正確に射抜いていた。さすがは彼女を三年間育ててきただけはある。素直にそう思った。
「不動は、昔からこんな感じなんですか」
「んー?そうだねぇ……少なくとも昔の方が人間らしかったかな。悪い意味でね。人間関係の構築も下手だった。人と関わるのに不健全な方法ばっか選んじゃうタイプ」
ホークスは少し視線を落とし、どこか遠い過去をなぞるように言葉を続けた。
「あの子はさ。どう振る舞えば"普通"に見えるのか、どう答えれば"人間として正しい"のか。必死に正解を探して、自分に取り込んでる最中なんだよね」
「……正解を探してる?」
「そう。あの子には自分軸ってやつが欠落してる。だから周りを観察して、パーツをかき集めて、必死に"普通の人間"になろうとしている」
このホークスの言葉が何故だかストンと腑に落ちた。
これまで感じていた、あのちぐはぐさ。
どこか危うく、掴みきれない違和感。
その輪郭がようやくはっきりした気がした。
「『自分は普通だ』って思い込むことで波風の立たない平穏な人生を歩もうとしている。俺も最初はそれでいいって思ってたんだけどね」
ふっとホークスの表情から茶目っ気が消えた。
「個性がヴィランに目をつけられた以上、そうも言ってられなくなってきた。何も起こらない平凡で平穏な人生を歩むのは、正直もう無理な段階に来てる」
「……俺はどうしたら不動の力になれますか。彼女を守るために、俺にできることはありますか」
「ないよ」
食い入るように尋ねた心操に、ホークスは即答した。
「君が彼女にしてあげられることは何もない。でもね、あの子はああ見えてちゃんと選べる子だよ。頼りたいと思ったら自分から頼れる」
「……」
「だからそれまで待ってあげて」
「待つ……」
「うん。俺は君みたいな真面目な子が友達になってくれて嬉しいよ」
そう言って笑うホークスの顔は、ヒーローの仮面を脱いだただの『親』の顔をしていたように見えた。
「何、なんの話。また変なエピソード暴露してんの?」
キッチンから戻ってきた不動が、トレイに乗せたお茶とフォークをテーブルに置きながら、じろりと二人を睨む。
「さぁ? 男同士の秘密の会話、だよね」
ホークスは心操にいたずらっぽく目配せし、口元に指を当てる。その軽やかな仕草に、心操は戸惑いながらも小さく頷いた。
それからは、目の前にプロヒーローがいるという非日常を忘れさせるほど穏やかな時間が流れた。
フルーツタルトを囲み、他愛のない話を交わす。
気づけば一時間ほどが過ぎていた。
「……じゃあ俺はそろそろ。あとは親子水入らずで」
空気を読むようにそう言って、心操は席を立った。
玄関先で不動とホークスが並んで見送る。
「いい子だよね、心操くん。今どき珍しいよ、ああいうまっすぐな子」
「そうでしょ」
どこか誇らしげに答える不動。その横顔を見て、ホークスはそっと手を伸ばし、柔らかな髪を撫でた。
「神野の時は駆けつけてやれなくてごめんね。怖かったでしょ。重要任務でどうしても手が離せなかった」
その声にはヒーローとしての責任と保護者としての悔いが滲む。
「別にいいよ、あんたの忙しさは分かってるつもり」
すました顔で、不動はその手を軽く払いのける。
いつもの彼らのやり取りだ。積み重ねてきた時間と信頼が確かにそこにある。不器用なまま、それでも成立してる関係。それがこの二人の距離感なのだ。
「そうだ利世、明日一緒に寮で使う家具でも見に行こっか」
「えぇ……わざわざ新しく買わなくたって、ここにあるやつ持ってけばいいじゃん」
「実はこのアパートは公安職員専用でね。家具付きで貸し出されてる部屋だから、勝手に持ち出しできないんだよ」
「でもあんたと一緒に外にいたら目立つ……」
「利世」
ホークスは不動の両肩を掴み、逃げ場を塞ぐように目線を合わせた。金色の瞳が彼女の目をまっすぐに射抜く。
「今後、他の警察やプロヒーローたちがヴィランからお前を守るために常に目を光らせる。『普通の女の子』が守られながら生きるってのはそういう事だ。悪いけどしばらくは今まで通りの生活はできない」
『個性が狙われた以上、テメェはもう「普通」じゃねぇってこと自覚しろ。前みたいに普通の生活が送れると思うな』
病院で吐かれた爆豪の言葉が脳内でリフレインする。
「……そんなの嫌だ」
「分かってる。でもこれがお前を守るために今打てる最善なの」
不動の唇が微かに震える。ホークスの言葉は、彼女が必死にしがみついていた"平穏"を、容赦なく引き剥がす。
「それに、俺たちが常に傍にいればヴィランに対する牽制にもなる。……それとも、外に出るのはまだやっぱ怖い?」
不動は無言でこくりと頷いた。
誘拐された時はあまりにも一瞬だった。抗う間もなく連れ去られたあの時の恐怖は今もまだ脳裏に焼き付いて離れない。
外に出れば『また連れ去られるのではないか』という予感に未だに足がすくんでしまう。学校近くのコンビニにすら、もう一人では行けなくなっていた。
補講の帰りに四人で買い食いをしていたあの平和な時間は、もう二度と戻って来ないのだ。
そんなの絶対に嫌なのに、自分ではどうすることもできない。
「……分かった。それじゃあ家具は明日、俺がパパッと買って寮に送っといてあげる。俺もしばらくこっちに滞在する予定だし、今日はとりあえずこのまま泊めてね。あ、退院明けで疲れてるでしょ。家事は全部俺がやるから、利世は休んでていいよ」
ホークスは努めて明るい声を出して彼女の肩をポンポンと叩いた。その配慮が今の不動にとって唯一の救いだった。
②ぜろの多い部屋
──三日後。
雄英敷地内。校舎から徒歩五分、築三日の学生寮『ハイツアライアンス』1-A棟前。そこにはA組の生徒が集められており、その視線の先にはいつにも増して険しい表情の相澤が立っていた。
「切島、八百万、轟、緑谷、飯田。この五人はあの晩、あの場所へ、爆豪救出へ赴いた」
一気に重苦しい空気が張り詰める。
「行った五人はもちろん、把握しながら止められなかった十二人も、理由はどうあれ、俺たちの信頼を裏切ったことには変わりない。正規の手続きを踏み、正規の活躍をして、信頼を取り戻してくれるとありがたい」
突き放すようでいて期待を捨てない相澤の言葉が、A組の面々に沈黙を強いた。
「……それと、もうひとつ」
相澤は静かに全員を見渡す。
「爆豪と同様にヴィランに拉致された1年C組の不動利世という生徒についてだ。ヴィランの狙いは彼女の持つ個性だった。首謀者は捕まったが、身を守る術を持たない彼女は、またいつ残党に狙われるか分からない」
生徒たちの間にざわめきが広がる。
「現在は外出時に必ず教員が付き添うという形をとっているが、お前らの仮免取得状況によっては、今後ヒーロー科にも彼女の警護を任せる可能性がある。今度彼女に関する情報を共有するから、気にはかけておいてくれ」
「警護、か……俺たちが……」
切島が拳を握りしめ、複雑な表情で呟く。
爆豪救出に動いた自分たちの"信頼"を問われた直後の言葉だけに、その響きは重かった。
爆豪の脳裏をよぎったのは病室で不動に言い放った「自分の身くらい自分で守れ」という言葉。二度と俺の手を煩わせるなと突き放したはずが、いつの間にか教師どころかクラス全員で守る羽目になっている。
自分の読みの甘さと、結局守られる側になってしまった不動の脆弱さ。そのどちらにも猛烈に苛立ち、チッと派手に舌を鳴らした。
「敵に狙われるなんて私たちでも怖いのに、普通科の子ならもっと怖いよね。デクくん、絶対に私たちが守ってあげようね!」
「うんそうだね。二度と怖い思いはさせない。彼女が安心して過ごせるように、僕たちが絶対に守り抜こう」
笑顔でガッツポーズをした麗日のその言葉に、緑谷の肩から力が抜け、静かな決意が宿った。
不動利世は、特別目立つ存在でもないただの普通科のいち生徒。だがその名は神野の一件をきっかけに全国へと広まり、学校内でも名はまたたく間に知れ渡っていた。
そしてたった今、A組の彼女に対する認識は『神野事件の被害者』から『守るべき対象』へと完全に塗り替えられていた。
一方その頃。
学生寮『ハイツアライアンス』1-C棟内。
寮の部屋に運び込まれた荷物を解きながら、不動はレイアウトに頭を悩ませていた。悩むといってもネガティブな類ではない。何をどこに配置しても、まるであつらえたかのように様になってしまうのだ。
部屋の主役となるのは、白を基調としたシンプルな家具たち。
ベッド、ナイトテーブル、キャビネット。そして一人用のラウンドテーブルにダイニングチェア、ローテーブル、フロアソファ、スタンドライト。
「……全部同じメーカーかな、これ」
テーブル類の天板はすべて透明感のあるガラス製で、脚部は細身の黒いアイアンで統一されている。そのおかげか、これだけの数の家具を並べても視線が抜け、部屋の圧迫感を微塵も感じさせない。それに加え、上質なマットレスやベッドカバー、手触りの良いラグ、さらには洗練された香りのルームフレグランスといったものまで用意されていた。抜かりがない。
不動はふとした好奇心から、スマホを取り出してこれらの家具の値段を調べてみるという野暮な行動に出た。そしてすぐに後悔することとなった。
「……ぜろがおおい」
並んだ「0」の数の多さに思わずスマホを割りそうになった。これをホークスが"パパッと"買ってくれたというのだから笑えない。
「まぁあの人、自分のためにお金使ってるところ見たことないし……。こういう時くらいしか使い道がないんだろうな。自分の家は最低限のものしか置いてないくせに、私のはこれだもん」
そそくさとブラウザを閉じ、スマホをポケットにねじ込んだ。
それにしても家具のサイズ感が完璧すぎる。
部屋の寸法を事前に計算していたのか、どの家具をどう置いても、壁際や角に寸分の狂いもなく収まるように計算されているのだ。
「もうヒーロー辞めて、インテリアコーディネーターにでも転職すればいいのに」
そんな皮肉混じりの冗談を独りごちながら、不動は腕を組んだ。さて、この立派すぎるベッドやキャビネットをどう動かしたものか──。
「心操は今日、相澤先生との特訓があるって言ってたし……樫宮と光崎呼んで手伝ってもらおっかな」
再びスマホをポケットから取り出したその時、コンコンとノック音が聞こえた。ドアを開けると、凄まじい勢いで飛び込んできた何かに体当たりされ、その両腕が不動の体を力いっぱい包み込んだ。頬に触れる栗色の髪からはふわりとシャンプーの香りが漂う。
「え〜〜〜ん利世ぇ〜〜〜!会いたかったぁ〜〜〜!」
影の正体は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった樫宮だった。
「……何、なんであんたが泣いてんの」
「ひっぐ……私……ずっと利世のこと……心配で……!!」
「分かった。分かったから一旦離れて?」
「えーん冷たい!!」
「気持ちは伝わってるから」
「……うん」
促されるままに体を離した樫宮の目元を不動は指先でそっと拭った。ふと彼女の背後に立つ光崎に目を向けると、彼もまた鼻水を垂らしながら大大大号泣していた。
「よかったなぁ……うぐっ……不動……無事で……!!!」
自分を心配してくれて非常にありがたいのだが、あまりに衝撃的なその顔面の崩れっぷりに、不動の口端がはっきりと弧を描いた。
「──っ、ふ、ふふっ」
堪えきれずに小さな笑い声がこぼれる。
「えっ……」
「利世、今……笑った?」
「……笑ってない」
すん、といつもの無表情に戻る。
「嘘すぎ!笑ったじゃん!えー初めて見た!あんたちゃんと笑えんだね!」
ぱっと表情を輝かせた樫宮が、嬉しそうに笑いながら不動の背中をバシバシと叩く。
「……不動の初笑いが俺のぐしゃぐしゃの顔ってどうなんよ」
光崎は鼻をすすりながら、嬉しさ半分、複雑さ半分といった顔でぼやいた。
「……ありがとね二人とも。心配してくれて」
不動は困ったような、それでいて穏やかな微笑みを浮かべながら二人をそっと抱き寄せた。
ほんの少しだけ指先に力を込めて。
「……何これ、どういう状況?」
部屋の入り口からひょこっと顔を出したのは心操だ。
「あれ、心操。特訓は?」
「開始までまだ時間あるし、樫宮たちが不動の手伝い行くって聞いたから、俺も力仕事くらいはと思って」
「助かる。それじゃあ……」
そう言いかけた不動はふと至近距離に立つ心操を見上げた。
(あれ……?)
不動はどこか心操に対して奇妙な違和感を覚えた。
「なんか……あんたゴツくなってない?」
家に来た時はホークスのせいで全く意識が向かなかったが、今改めて見ると明らかに印象が違う。
以前の心操はどちらかと言えば細身でひょろりとしていた。しかし今、彼の半袖から覗く二の腕は以前より少し筋肉質で、夏服のシャツが肩口でパツパツに張っている。
「腹筋とか割れてんの?」
「割れ始めたって感じ、ほらこの辺」
心操は軽いノリでTシャツの裾を無造作に捲り上げて見せた。不動はそれを見て迷うことなくその腹筋をぺたぺたと素手で触り始めた。
「ほんとだすごい。成長してるんだね」
「そりゃあ、イレイザーに直々に指導してもらってるからな」
「短期間でそんななるもん?どんだけ過酷なの」
「そりゃもう言語化できないくらいハードだよ。不動なんか五分ももたないんじゃない」
「あの先生、そんなに厳しいんだ。あんまそういうイメージ無いかも」
「言ってもヒーロー科の先生だ。学校や林間合宿でヴィランに攻め入られた時は、戦って生徒を守り抜いたらしいし」
「そうなんだ」
そんな二人のやり取りを横で眺めていた樫宮が、冗談まじりに両手で顔を覆う。
「あんたらには羞恥心とかないの?」
「何が?」
「いや、気にしてないなら別にいいけど……距離感バグってんなって思って。腹とか普通そんな遠慮なく触らないし、見せないからね?」
「え」
「そう?」
指摘された二人が同時に固まり、お互いの顔を見合わせる。
「そういえばそうか」
今さら気づきましたという顔の心操。
「なんかごめん」
一応謝っとくかくらいのテンションで謝る不動。
あまりに淡白で自然体すぎる二人の空気に、樫宮と光崎は顔を見合わせて呆れたように笑った。
――――――――――
「そういえば、お前が今やってる特訓って基礎トレーニングメインなんだっけか」
家具の配置をあらかた終え、観葉植物の配置を済ませたところで光崎が尋ねた。心操は少し重いキャビネットを微調整しながら応じる。
「最近個性伸ばしを始めた。今やってるのは『洗脳』のかかり方を統一させること」
「かかり方?」
「相手によってかかり方に差があるらしくて。ぼんやりと意識がある場合もあれば、完全に意識が無い場合がある。それを意識的にコントロールできるようにするのが今の課題」
「へぇー、個性の精度訓練ってことか。大変だな」
そんな会話を挟みつつ四人は和やかな空気の中で作業を進めていき、やがて部屋のレイアウトは完成した。
落ち着いたトーンでまとめられた空間に、家具や小物の色味も自然に調和し、統一感が感じられる。自分だけの特別な居場所だ。
――――――――――
──夕方。
窓から差し込む西日が白を基調とした部屋をオレンジ色に染め上げていた。賑やかだった友人たちの声はいつしか消え、室内には静寂が訪れた。不動は吸い寄せられるようにして新しいベッドの上へ寝転んだ。
新しいマットレスは驚くほど柔らかく、体を包み込むように優しく沈み込む。ふかふかのシーツの肌触りと、微かに漂う清潔で落ち着いた香り。
その心地よさに身を任せていると、次第に四肢の力は抜け、視界はぼやぼやと溶けていく。
………………
…………
……
『普通になりたいんだろ?叶えてやるよ、不動利世』
『無価値で空っぽなのは俺じゃねぇ、てめぇの方だろうが』
『こうして血が流れていると、生きてるって感じがするよねぇ』
『君の個性は僕のものだ』
『いいねぇ……ますます欲しい……!』
「っあああぁ!!!」
悲鳴とともに飛び起きる。病院で見たのと全く同じ夢。
「はっ、はぁ、はぁ……っ」
どっと汗が噴き出す。心臓が暴れるように打ち、上手く呼吸ができない。ここは雄英の敷地内で確実に安全なはずなのに、誰かに見られてる気がして、思わず布団を頭まで覆う。気のせいだと自分に言い聞かせれば聞かせるほど、闇から這い寄ってくる恐怖が濃度を増していく。
結局その晩不動は一睡もできず、白々と明けていく空をぼんやりと眺めるしかなかった。
だがそれは始まりに過ぎなかった。
次の日も。
そのまた次の日も。
目を閉じれば、決まってあの夢が不動を襲う。
逃げることも、拒むこともできない。
一週間が経つ頃には、不動は眠ること自体に恐怖を覚えるようになってしまった。
③優しい命令
──深夜二時。
静まり返った共同スペースに、微かな水音だけが響いていた。
眠れなくてふらりと一階へ降りてきた不動は、キッチンの隅に灯る明かりに足を止めた。そこにはシンクの前で水を飲む心操の姿。
「あ……」
誰にも見つかりたくなかった。気配を消して踵を返そうとした瞬間、背後から伸びた手が不動の肩を掴んだ。
「不動」
「ひっ……!」
悲鳴に近い声が漏れ、反射的にその手を強く振り払ってしまった。拒絶の余韻がその場の空気を凍らせる。不動ははっとして、顔を隠すように深く俯いた。
「悪い不動、まさかそんな驚くとは思ってなくて」
「……」
不動は何も答えない。
「不動?こっち見て」
不審に思った心操がそっと顔を覗き込むと、焦点の定まらない不動の視線が宙を彷徨っていた。震えながらキョロキョロと辺りを見回し、何かを警戒するようなその仕草は、病院で見たあのパニックの時よりも明らかに深刻だった。
「いる……!」
「?」
「あいつらが……こっちを見てる……!!」
不動は共同スペースの奥の暗闇を指さし、発狂せんばかりの形相で心操にしがみついた。
「しっかりしろ。お前……どうしたんだよ……!」
心操は言葉を失った。
なぜこいつがこんな目に遭わなきゃいけない。
なぜ俺は友人一人救えない。
腹の底から怒りがせり上がってくる。
彼女の精神をズタズタに引き裂いたヴィランへの憎悪が、心操の拳をきつく握らせた。
「……おい不動、俺のこと分かるか?何か俺にできること、あるか?」
心操は自分の存在を示すかのように、そっと彼女の両手に手を添えた。
あの時ホークスは言った。
自分が不動にしてあげられることは何もないと。
彼女から頼ってくるまで待っていろと。
だが、今目の前で崩壊しかけている彼女を前にして悠長に待っていられるはずもなかった。
すると不動が乾いた唇を震わせ、途切れ途切れに絞り出すような声で言った。
「心操……お願い……」
「私を……洗脳して……」
喉の奥がヒュ、と鳴る。
洗脳してほしい──。
そんな歪な願いを求められたことなどこれまで一度もなかった。自分の個性で誰かを救いたい──そのために泥を啜るような訓練を積んでいたはずなのに、いざ目の前でそれが現実になろうとしている今、躊躇いが足をすくませる。
自我を塗りつぶされる感覚。肉体の主導権を他者に明け渡す、あの抗いようのない不気味な感覚。それを彼女に味わわせてしまってもいいのだろうか。
だが意識を手放すことが唯一の救いになってしまうほどに、今の彼女は心も体も完全に追い詰められていた。
「心操……たすけて……」
掠れたその一言が、心操の迷いを断ち切った。
『あの子はああ見えてちゃんと選べる子だよ。頼りたいと思ったら自分から頼れる』
ホークスの言葉が脳内でリフレインする。
考えている暇などなかった。
不動が初めて発した、明確なSOS。
これに応えずして、何がヒーローか。
不動side
なんで今になって思い出すんだろう。あの事件のことは早く忘れてしまいたいのに、神野の悪夢が私を離してくれない。
夜眠るのが怖い。眠れば必ずあの悪夢を見る。
誰かに狙われてる気がして怖くて外出もできない。
警察とプロヒーローが私を守ってくれる。
でも──。
私は一生守られて生活しなければならない。
自由はどこ?平和はどこ?
普通に生きたいだけなのに、こんな簡単なことが、どうして私だけ許されないの?
望んでいたはずの平穏が、どんどん遠ざかる。
誰もいないはずなのに、いくつもの視線が私を突き刺す。
ヴィラン(あいつら)の声が耳元でずっと追いかけてくる。
彼らが私を狙ってる。
怖い。
怖い
怖い
怖い。
もう何も考えたくない。
ほら
今も
こっちを
見てる
………………
…………
……
「不動!!」
半狂乱で暴れる不動の顔を両手で挟んで強引にこちらを向かせる。
「俺の目見て!!」
彼女は歯を食いしばり、荒い呼吸をその隙間から漏らす。激しく上下する肩。ギョロギョロと泳ぎ続ける瞳が、やがてゆっくりと心操の瞳を捉えた。
心操は低く落ち着いた声でゆっくりと語りかける。
「大丈夫」
大丈夫──?
「ここは安全だから」
安全──?
「ゆっくり息吐いて」
ひと呼吸。
ふた呼吸──。
「不動……俺の声聞こえるか」
「……うん」
返事と同時に、不動の瞳から光が消え、虚ろに揺らぐ。
『目を閉じて、そのまま力を抜いて』
彼女を救うための優しい命令だった。
その瞬間、不動は意識を手放した。糸が切れたように力が抜け落ち、崩れ落ちる華奢な体を心操は強く、その腕の中に抱きとめた。