洗脳その後→トラウマ克服に向けて→A組男子とおしゃべり。
不動が少しずつ前に進んでいくお話。
①『洗脳』に救われる
②グラウンディング
③A組男子とおしゃべり
●主人公
雄英高校普通科C組
個性:
①『洗脳』に救われる
またあの夢だ。
真っ白な意識の底からあの男が現れる。
チューブの絡みついたマスク、漆黒のスーツ。
ゆっくりと確実に、逃げ場を塞ぐように距離を詰めてくる。
『君の個性は僕のものだ』
あの時と同じ台詞。
伸びてくる腕。
温度のない指先。
──その瞬間。
『その子に触れないで』
弾けるような音とともに、バチッと火花が散った。
凛とした女性の手が男の腕をがしりと掴む。触れた箇所から白い光が広がり、男の姿がみるみる霧散していく。
『あなたの個性はあなたのものよ……』
その声はどこか懐かしくて。
柔らかな手のひらが不動の頭をそっと撫でる。
(あたたかい……)
その温もりに包まれた瞬間思考はほどけ、ゆるやかに意識は水面へと浮上する。
重い瞼を持ち上げると、そこは見慣れた天井──自分の部屋だった。
ベッドの上で身を起こし、ゆっくりと室内を見渡す。
部屋のデジタル時計にはAM 5:00と表示されている。
窓の外はすでに淡く白み始めていた。
「あれ、洗脳解けちゃった?」
「心操……」
力なく呟く不動。心操が心配そうに顔を覗き込む。
「気分はどう?」
「ありがとう、だいぶましかも」
なにか夢でも見ていた気がするが、内容があまり思い出せない。
不動はしばらく瞬きを繰り返しながら、自分の両手を見つめる。震えは止まっていた。全身を縛り付けていたはずの恐怖も嘘みたいに消えていた。
部屋が明るいせいか。
それとも心操がいるからか。
「ずっとそこにいてくれたの?もしかして……一睡もしてない?」
「うん。俺が寝ちゃうと洗脳解けちゃうし」
「嘘……!ごめん、こんな時間までずっと……。朝練とかあったんじゃないの?」
「お前ほっといて朝練なんて行けるかよ」
心操はすっとテーブルの上の鍵を指さした。
「それより、ポケットから鍵借りた。勝手に部屋入って悪かったな」
「あぁ、それは別にいいけど……」
「さすがに俺の部屋連れてくのはまずいと思ったし。目が覚めた時に自分の部屋にいた方が安心するでしょ」
不動の顔色を窺い、ひとまず問題なさそうだと判断したその時。ふと今の状況に気づいた心操が、突然すっと彼女から距離を取り始めた。
「どうしたの?もっとこっち来なよ。なんでそんな遠いの?」
「いや……女子の部屋もまずいか……」
「は?」
よく分からない返事をして、心操はふっと視線を逸らした。
不動が眠っている間はそばにいることしか考えていなかった心操だが、改めて状況を認識すると、女子の部屋で朝まで二人きりだったことが急に気まずくなったのだ。
「へーあんたもそんなこと考えるんだ」
「茶化すなよ」
「そんなビビんなくていいって。あんたのこと信頼してるし」
そもそも信頼していなければ
それでも彼は不動との間に一定距離を保ち続けている。まるでやましいことなど何ひとつなかったと、言葉以外で主張するかのように。
「……そうか」
心操はそう答えると、「コップ借りるよ」と立ち上がった。水を汲んで手渡してくれたコップを受け取り、不動はゆっくりと口をつける。冷たい水が喉を通るたび、強張っていた心が少しずつほどけていくような気がした。
「助かった。あんたのおかげで余計なこと考えずに済んだ。頭では大丈夫だって分かってるのに、恐怖心ってのはどうにもできないんだね」
不動は空になったコップをそっとテーブルに置いた。
「……よかった、俺の個性が役に立って」
今の心操の『洗脳』では相手を眠らせることはできない。彼がしたのは強制的に意識をシャットダウンさせること。そうすれば恐怖を感じることも、思考を巡らせることもできなくなる。そうして不動をパニックから引き離したのだ。言ってしまえば、荒療治だった。
それでも『洗脳』は確かに不動を救った。「ヴィラン向き」と言われ続けた個性が、初めて誰かの救いとなったのだ。
それは、心操人使が初めてヒーローになれた瞬間だった。
「そういえば」
ずっと考えていたことがある、と心操は続けた。
「今度、リカバリーガールのところに行ってみたら?トラウマのこと、あの人なら何とかしてくれるかもしれない」
「リカバリーガール……ああ、保健室の?」
明日から夏休みが終わるまでの十日間、ヒーロー科は仮免試験に向けた集中演習に入るらしい。その期間なら、リカバリーガールも学校にいるはずだという。
「うん。ひとりで抱え込むよりは、マシだと思う」
その提案は今の不動にとって、暗闇の中に差し込む一筋の光だった。
「確かに。そうだね、明日行ってみる」
恐怖が完全に消えたわけではない。それでも不動は立ち上がる。足元はまだおぼつかない。それでも確かに一歩ずつ、前へ進もうとしていた。
②グラウンディング
次の日。
不動は保健室の扉を静かに開けた。
「おやお前さんは……普通科の不動利世だね。どうしたんだい」
デスクチェアをくるりと回してこちらを向いたのは、雄英の医療を支える大ベテラン、リカバリーガールだった。
「実は、神野の事件の後……」
「待ちな。こっちおいで」
リカバリーガールは不動をベッドへ座らせ、自身も椅子を近づけて正面に向き合った。窓から差し込む柔らかな陽光がシーツを淡く照らしていた。
「それで?どうしたんだい?」
「神野事件のことがずっとトラウマで……。誰もいないのに視線を感じたり、あの時のことを思い出したり。同じ悪夢を何度も見ます。それが怖くて、ここ最近は眠るのが恐ろしくなってしまって」
不動は膝の上で拳を強く握りしめた。
視線は床の一点を捉えたまま動かない。
「もちろん誰もいないし、
掴まれた腕の感触も。
蹴られた衝撃も。
血を舐められた時の生温かさも。
右手の痛みも。
血の臭いも。
「……フラッシュバックだね。あんたの意識はまだ『神野』から戻って来れていない。今もあそこに囚われ続けている」
事実に蓋をせず、まっすぐに告げられたその言葉に不動の肩がピクリと跳ねる。
「あんたの脳は今、過剰な防衛反応を起こしているんだよ。あの恐ろしい体験から心と体を守るためにね」
「防衛反応……」
「そう。常に休むことなく警笛を鳴らし続けている状態さ。まあ人間なら当然の反応だよ」
リカバリーガールは白紙のノートを机に広げてペンを取った。
「これからお前さんの意識を少しずつ『現実』に引き戻していこう。なに、焦らなくていい。ゆっくりでいいさ」
◆◆
「まず、今あんたが感じている視線について聞こうかね。それは具体的にどんな視線だい?」
リカバリーガールの問いに、不動は喉の奥を詰まらせながら絞り出すように答えた。
「
「今はどうだい?」
「今は何も感じません」
「なるほどね。じゃあ一度現実に目を向けてごらん。ここは雄英だ。先生たちがいて、ヒーロー科の生徒たちがいる。日本で一番安全な場所さね。外へ出れば警察やヒーローがあんたを視界に入れて、常に気にかけてくれる」
日本で一番安全な場所──。
そもそも不動がこの学校を志望したのは、危険から最も遠く、厳重に管理された安全な場所で普通の高校生活を送りたかったからだ。それなのに今の自分は皮肉にも、その安全の中で恐怖に怯えている。
「脳が一度恐怖に支配されるとね、全ての情報を『敵』として処理してしまうんだよ。もしまた視線を感じたら、一度深く息を吐いて、心の中で唱えるんだ。『これは私を狙う目じゃない。私を守ってくれるための目だ』とね」
◆◆
「次に、フラッシュバックが起きた時の対処法だよ」
リカバリーガールは、不動の手をそっと取り、自身のシワが刻まれた温かい手で包み込んだ。
「いいかい、私の手の温度を感じてごらん。冷たいかい? それとも温かいかい?」
「……温かい、です」
「そう。それが『今』の感覚だよ。覚えるんだ。……あのアジトに、リカバリーガールはいたかい?」
「……いませんでした」
「私はあんたを傷つけるかい?」
「……先生は、助けてくれる人です」
「その通り。五感を使って、無理やりにでも自分を『今』に引き戻すんだ。シーツの感触、この部屋の消毒液の匂い、私の声。五つの『今あるもの』を順番に確認してごらん。……あいつらも、あんたを傷つけた刃物も、もうここには存在しないんだよ」
不動はリカバリーガールの手の温もりにしがみつくようにして、ゆっくりと呼吸を整えた。肺の奥まで空気が入る感覚が、少しずつ彼女を現実へと繋ぎ止める。
「……私の脳が、勝手に警笛を鳴らしてるだけ。ここは雄英……。私は、ちゃんと守られてる……」
「そうさ。何度も、何度でも書き換えていくんだよ。あんたが自分の心を、あいつらの支配から完全に取り戻すまでね」
◆◆
「あとは不眠についてだが……今教えたことを続けていけば、悪夢は自然と見なくなるはずさ。とりあえず、現時点の睡眠不足をどうにかしなきゃいけないね」
リカバリーガールが心配そうに不動の顔を覗き込む。
彼女の顔には濃い隈が浮かび、ストレスのせいか少しやせ細り、顔色は青白い。気丈に振る舞ってはいるが、心身ともに限界なのだろう。
どうしたものかねぇ、とリカバリーガールが首を捻った瞬間、がらりと勢いよく扉が開け放たれた。
「──話は聞かせてもらったわ!」
魅惑的なポーズで現れたのは、ミッドナイトだった。
「おやミッドナイト、あんた授業はどうしたんだい」
「今、A組が教室からTDLに移動中なの。その間ちょっと抜けてきちゃった」
ミッドナイトは軽やかな足取りで不動の元へ歩み寄ると、膝を折って目線を合わせた。
「初めまして不動さん。神野の件は本当にごめんなさい。私たち教師陣が至らなくて、あなたに怖い思いをさせてしまったわ」
「いえ、そんな……」
戸惑う不動の鼻腔を、ふわりと甘い陶酔を誘うような香りがくすぐる。
「普段はヒーロー科の担当をしてるから、私のことはあまり知らないかしら? ああでも体育祭で見ているわね。私はミッドナイト。個性は『眠り香』。体から放たれる香りで、相手を強制的に眠らせることができるの」
「眠り香……」
「あまり眠れていないのでしょう? いいわ、私が極上の眠りを与えてあげる。さあさあ今すぐここへ横になりなさいな♡」
「わっ……」
ミッドナイトの指先がそっと肩をなぞり、そのまま導くように不動の体を優しくベッドへと横たえさせた。
「いいかしら?私の『眠り香』はかなり強力よ。悪夢なんて見れないほど深い眠りへと沈めちゃうんだから」
「お願いします……」
ミッドナイトの肌から濃密な香りが立ち昇る。
それは熟れた花の蜜に似た、重たい香りだった。甘く湿った霧が鼻腔の奥まで染み込み、思考を静かに溶かしていく。抗うことのできない心地よい重みが、不動の意識を急速に塗りつぶしていく。
あんなに怖かったはずの"眠り"が、今はただ優しく自分を包んでくれる感覚。不動は糸が切れたように、そのまま眠りの海へと落ちていった。
◆◆
それから七時間ほどが過ぎ、ようやく不動は意識を浮上させた。窓から差し込む光はオレンジ色を帯び、時計の針は午後四時を指している。
「おや、お目覚めかい。ぐっすり眠れたかい?」
リカバリーガールの声に、不動はゆっくりと身を起こした。先ほどまで重たかったはずの体が嘘のように軽い。全身にまとわりついていた倦怠感も無くなっている。
夢さえ入り込めないほど深い眠りへと落とされたことで得られた、久しぶりの完全な休息だった。
「はい、おかげさまで。すごく……スッキリしてます」
「ミッドナイトの個性でどれだけ眠っても、夜の睡眠には響かないからね。したがって昼夜逆転もしないからその点は安心しな」
「はい」
「それと、もしまた不安で眠れなくなった時のために、薬を処方しておいたよ。持ってお行き。飲み方は袋に書いてあるからね」
「ありがとうございます」
不動は丁寧にお辞儀をし、薬を受け取ると扉に手をかけた。
「……待ちな」
呼び止められ、振り返る。
リカバリーガールは小さな飴玉をひとつ、不動の手のひらにそっと乗せた。
「今日はよく話してくれたね。一歩前進だよ。また怖くなったらいつでもここにおいで。あんたが『ここは安全だ』と心から思えるようになるまで、何度でも付き合ってあげるからね」
その言葉の温かさに、不動の視界がふわりと滲んだ。
自分一人で戦わなくていい。
寄り添い、共に立ち向かってくれる大人がここにはいる。
その事実が何よりも不動の心を支えていた。
保健室を出ると不動はすぐに飴を口に含んだ。
素朴な甘さが口の中にゆっくりと広がる。
それは確かに彼女にとって"安心"の味だった。
③A組男子とおしゃべり
保健室を出て、玄関へと向かう廊下。
口の中の飴はすっかり小さくなり、軽い甘さが舌の上で転がっている。
すると向こうから五人の生徒が歩いてくるのが見えた。この時期この時間帯に校内にいるということは、おそらくヒーロー科の生徒たちだろう。
独特の雰囲気をまとう集団の中に、見覚えのある顔が三人混じっていた。
上鳴、轟、そして爆豪。
残りの二人は知らない顔だった。
ひとりは背が高く、もうひとりは小柄で、その対比が妙に目を引いた。
すれ違いざまに軽く会釈をして通り過ぎた。
すると背の高い男の子があれ?と足を止める。
「あの子、普通科の……?おーい!」
呼び止められ、振り返った。
「もしかして君、不動さん?」
「あぁ、はい……」
「やっぱり!前から話してみたいと思ってたんだよなー」
屈託のない笑顔のまま距離を詰めてくる。
「俺、A組の瀬呂。で、こっちが峰田」
隣にいた小柄な男子がよろしくな!と片手を挙げた。
体育祭で対戦した上鳴も「利世ちゃんじゃん! 久しぶりー!」と、あの時と変わらないテンションの高さで手を振ってくれた。
「何してたの?」
「俺たち、今演習が終わったところ。これからリカバリーガールのところへ行くんだ」
彼らのコスチュームについた汚れが、演習の激しさを物語っていた。こういう日常を当たり前のようにこなしているのか、と素直に感心する。
「それにしても神野ん時は大変だったな、怖かったろ?爆豪にも色々酷いこと言われなかった?」
「あァ!?」
爆豪は般若のような顔で睨みつけるが瀬呂はそれを慣れた様子で受け流している。
「……」
「あっごめん。もしかして嫌なこと思い出させちゃった……?」
「ううん平気」
申し訳なさそうに謝る瀬呂に、いつもの感情の起伏を抑えた声で返す。
「そっか、ならよかった。困ったことがあればいつでも頼ってくれなー」
ひらひらとしたその仕草はどこか軽やかで押しつけがましさがない。相づちひとつ打つのも苦手な不動ですら、自然と会話に馴染めているように錯覚してしまう。彼はきっと会話上手だ。
「なぁなぁ不動、オイラお前に聞きたいことあんだけどよー」
「なに?」
小柄で丸っこい、どこかコミカルで愛嬌のある男の子だ。
だがその目はやけにギラついていた。
「下着の色……何色……?」
ゴッ
よだれを垂らしながらセクハラ質問をする峰田に、頭を凹ませるほどの制裁チョップをノールックで食らわせる瀬呂。
「お前他科の初対面の女子によくその質問やろうと思ったな!?」
「和ませは必要だろーが!!」
「和ませで下ネタを選ぶな!」
「うるせぇ!!男はいつも心にPlus Ultraだろーが!!」
「……ごめんな不動さん、気にすんな。こいつ女子に対してはいっつもこうなんだよ」
必死に弁明する瀬呂。
「あぁうん……別にいいけど……」
実は不動はこういう話題にそれほど抵抗がない。下着の色くらい、別に隠すほどのことでもないと思っている。彼女は峰田の隣にスッと屈みこみ、小さく耳打ちした。
「赤だよ」
赤だよ……
赤だよ……
赤だよ……
峰田の脳内で不動の言葉が何度も反響する。
「「赤ァーーーーーーーーーーーーーーー!!?!!?!!!!!?!?」」
興奮のあまり目を白黒させながらひっくり返る峰田。
ついでに後ろで聞き耳を立てていた上鳴もひっくり返っていた。
「うん。夏服ってすぐブラとか透けちゃうでしょ。赤って意外と透けないんだよ」
恥ずかしげもなく淡々と説明する不動に、峰田は震える手で親指を立てた。
「ありがとな……不動……今夜はこれだな……へへ……今にも股間がPlus Ultraしそうだぜ……」
「校訓を汚すな!不動さんも真面目に答えなくていいから……!」
瀬呂が呆れたように不動の肩にぽんと手を置いた。
ヒーロー科の彼らとの会話は、『ヒーローがここにいる』という現実を改めて思い知らされる。これもリカバリーガールが言った『今』を認識するためのひとつの手法になり得るだろうか。
ここ数日間張り詰めていた気持ちが、少しだけほぐれたような気がした。
目の前でひっくり返ったままの上鳴に目をやった不動。
ふと何かを思い出す。
「あっそうだ、上鳴くん」
「えっ、なになに!?」
ビクッと跳ね起きた上鳴が、期待と緊張の入り混じった顔で不動を見つめる。
「私、前から言おうと思ってて……」
なに?俺告白でもされんの?と期待を孕んだ面持ちで、ドキドキしながら彼女の言葉を待つ上鳴。
「あの、体育祭の時はごめんね。私の個性で頭おかしくさせちゃったみたいで……」
「え?」
「ほら、私が重力で君の攻撃を抑えた時……。君、明らかに脳に異常をきたしてたでしょ? あの後、大丈夫だったかなってずっと気になってて」
上鳴はずっとポカンとしたまま動かない。
「私、個性の扱いが下手だから、つい力んじゃったの。悪いことしたなぁって、ずっと謝りたかったんだよね」
申し訳なさそうに謝る不動。
それを見た上鳴と瀬呂が顔を見合わせる。
次の瞬間、どっと二人の笑い声が廊下に響き渡った。
「ハハハハ!違う違う、こいつの頭がアホになんのは、こいつの個性の反動」
「え」
「電気がキャパオーバーするとさ、俺、脳がショートするみたいで……だからあれは利世ちゃんのせいじゃないよ」
衝撃の事実に思わず固まってしまう。
「うそ……恥っず……」
片手で顔を覆い、照れを隠す不動に上鳴の『キュンメーター』が限界突破し、再びひっくり返った。
「……何その可愛い勘違い!ずっと自分のせいだって気にしてくれてたわけ!?ってことはさ、謝るまでずっと俺のことを考えてくれたってことじゃん!?えっ!好きになっちゃう!」
「あ、それはやめて」
不動は顔を覆う指の間から冷めた視線を送り、いつもの無表情に戻って冷静に制止した。
上鳴たちの騒ぎの後ろで、ひとりで静かに様子を見ていた轟が不意に口を開いた。
「……手、もういいのか」
彼のことは体育祭でこちらが一方的に知ってるだけで、言葉を交わすのはこれが初めてだ。
神野の救出作戦には、緑谷たちの他に彼や八百万という人も加わっていたと後から聞いた。彼らと合流する前に自分が意識を失ってしまったため、面識がないままだったが、いつかお礼を言わなければと思っていた相手だ。
「痛みはまだ残ってるかな。まだ字とかは書けないけど、だいぶマシにはなってきてると思う」
「そうか」
「君も神野の時、助けに来てくれてたんだってね。ありがとう」
「別に礼を言われるようなことはしてねぇよ」
「謙遜しなくてもいいのに」
轟はふっと視線を動かし、背後の爆豪へと目をやった。
「爆豪、お前も俺と同じだな」
「あァ!?何がだ!話しかけんじゃねぇ舐めプ野郎!!」
「隠さなくてもいい、俺もそうなんだ。俺が関わった人間はみんな手を駄目にしてしまう……ハンドクラッシャー的存在……」
彼が一体何を言ってるのかはさっぱり分からなかったが、手の怪我の話を蒸し返したせいで、背後で般若のような顔をしている金髪が嫌でも目に入ってしまう。轟はそんな空気を一切読まず、無自覚に爆豪の傷口へ塩を塗り込み続けていた。
体育祭で見た彼はもっと孤高で隙のない印象だっただけに、今目の前にいる天然坊やとの落差に不動は戸惑いを覚えた。
「そうだ、爆豪くん。怒ってるところ悪いけど」
制服のポケットから取り出した小袋を不動は彼に差し出した。
「あ?ンだこれ……」
不審げに眉を寄せた爆豪が中を覗き込む。
小袋の中身は折りたたまれた1万円札。
あの夜、止血のために引き裂かれた爆豪のTシャツ。
その弁償のつもりだった。
要らねぇと突き返される気配を察知した不動は、言葉を挟まれる前にそれを無理やり押し付ける。
「ごめんまたね、みんな仮免頑張って」と五人に言い残し、逃げるようにその場を去った。
校舎の玄関を出て数歩も行かないうちに、背後から声が飛んできた。
「待てやコラァ!!」
追いかけてくる足音は、苛立ちを隠そうともせずアスファルトを強く踏み鳴らす。振り返る間もなく手首を捕まれ、小袋は乱暴に不動の手の中に押し返された。
「ちょっと、受け取ってよ」
「人助けるたびに金銭発生してどうする」
「救助代じゃなくて君のTシャツ代なんだけど」
「テメェからむしり取るほど金には困ってねェわ」
「むしり取るって……」
結局爆豪は頑なとしてお金を受け取ってはくれなかった。
あの日不動を負傷させたこと。その事実が彼にとっては消えない"負い目"として残っている。
表に出すことはないが、爆豪はあれ以来ずっと不動の怪我の具合を気にしていた。それは優しさや心配などではなく、自分の不甲斐なさを突きつけられ続けているような感覚に近い。
彼女の右手が元に戻らない限り、このモヤモヤをずっと抱え続けなければならないからだ。
そのお金を受け取ってしまえば、不動利世を守り切れなかった事実を認めたことになってしまう。
だから爆豪は絶対に受け取らない。
それは彼女に対する拒絶もあるが、同時に彼なりの責任の取り方でもあった。
不動は困ったように眉を寄せた。
その様子を意に介さず、爆豪は強引に話を進める。
「で?テメェはどうやって自分の身を守るつもりか、答えは出たんかよ」
病院で言われた、あの話だ。
「それはまだ。……実は今メンタルやられちゃってて正直それどころじゃない。でもいつまでも守られてるだけじゃダメだってことは分かってるのに、どうすればいいのかがまだ見えてこない」
「……テメェは自分の人生、自分で選んだことあんのかよ」
「え?」
心臓がドクンと音を立てる。
「無ぇだろ。面見りゃ分かる。どうせお前、昔からずっと誰かに守られながら生きてきたんだろ。周りに流されて、波風立てないように生きて……そんなのは死んでんのと一緒だ」
その言葉が不動の心を根底から抉っていく。
何も言えなかった。図星だったからだ。
彼には自分のことを話したつもりはない。なのにどうしてここまで的確に"私"を言い当てられてしまったのか。
確かに彼の言うとおり、不動はずっと守られながら生きてきた。誰かの庇護の下に在ることが当たり前になりすぎて、その重さに気づかないまま今日まで来てしまったのかもしれない。
「テメーで考えてテメーで決めろ。問題から目ェ逸らすな」
「……うん分かった。ちゃんと向き合うから。素敵な助言ありがとね」
「喋んな、根暗がうつる」
「喋んなはさすがに理不尽すぎるでしょ」
「うるせぇ根暗女」
「重力女の方が好きかも」
「黙れや」
爆豪は言いたいことだけ言って、そのまま背を向けて振り返ることなく去っていった。
彼は決して優しくない。
寄り添うような言葉も、慰めもくれない。
けれど、守られるだけの平穏がいかに脆いものか。
そこから抜け出すために必要なのが他人の手ではなく、自分の意志であることを。
彼はきっと誰よりもよく知っている。
自分の身を自分で守るために一体何ができるのか。その答えを探すために、まずは自分自身の過去を振り返ってみようと思った。
決して壮大というわけではない
けれども温かくて少しだけ悲しい
私の