オリジナルヒーローが出てきます。正体は後々明かされます。
博多弁よく分かってません。
小6利世と18歳ホークス。
パステルカラーの壁に囲まれた児童相談所の一室。柔らかな色調は不思議と安心感を与えるはずなのに、利世にとっては居心地の悪い空間だった。
テーブルを挟んで向かいに座る職員は、川島と名乗った。三十代半ばほどの、物腰の柔らかい女性だ。
「大変だったわね。急がなくていいから、ゆっくり話してくれて大丈夫よ」
「……さっさと質問してくれる?」
利世は椅子の背もたれに深く身を預けたまま、わざとふてぶてしい態度で川島を見据える。ここで弱さや隙を見せれば、事実を大人の都合の良いように解釈されてしまう、そんな気がしたからだ。
「それじゃあ、あの放課後のことをもう一度、順番に教えてほしいな」
利世は感情を抑え込むように淡々と語り始めた。
何時に校門を出たのか。どの道を通ったのか。
住宅街で背後から乱暴にぶつかってきた、フードを被った人物。
その後を追いかけていったヒーローの姿。
そして施設に着いた時、視界に入った赤い警光灯と、ストレッチャーに乗せられていった閃一の青白い顔。
川島はペンを動かしながら、時折確認するように質問を挟む。
「ぶつかってきた人の顔は見えた?」
「見えんかった。フード被っとったし」
「閃一くんとはここ数日、どんな関係だったかしら」
利世はほんのわずかに視線を逸らした。
「……意地悪、した」
「意地悪?」
「……ドリルば、赤ペンで書き直してやった。字が汚くて……漢字も間違っとったけん」
「利世ちゃんは、良かれと思ってやってあげたのよね?」
「違う。嫌がるの分かっててやった」
その一言で、川島の手が止まった。
静かな沈黙が部屋の中に満ちていく。
その沈黙が自分を「悪」と断定するための間のように思えてならなかった。利世は思わず身を乗り出した。
「あんたも私がやったって最初から決めとるっちゃろ。私は意地悪をする悪い子やけん。でも私はいつも通り学校から歩いて帰ってきただけ。血が出るまで閃一を殴ったりしとらん。監視カメラの映像なんかも知らん。私は本当のことしか言ってない。やってないもんはやってない」
一気にまくし立てた利世に対し、川島は落ち着いた表情でそっとなだめる。利世を責め立てるような様子は一切みられなかった。
「利世ちゃん落ち着いて。私は犯人を探したいんじゃないの。あなたに何が起こったのかを知りたいだけ」
「どうだか」
利世はそっけなく言い捨て、ぷいと顔を背けた。
「……話してくれてありがとう。少しここで待っていてね」
静かに立ち上がり、川島は部屋を出ていく。
一人残された利世はぎゅっと膝を抱え込んだ。
防音の甘いドアの向こうから、川島ともう一人の男性職員の会話がかすかに漏れ聞こえてくる。
『どう思う?』
『……正直厳しいな。目撃情報、閃一くんの証言、そして警察の映像分析。どれも彼女が犯人だと示している』
『でも本人は一貫して否定しているわ。あの子の言ってることが嘘だとは、私には思えないんだけど……』
『主観がどうあれ、客観的情報からはどう考えても"黒"だ。施設での普段の素行も、あまり良くないと聞いているし……』
利世は壁を見つめたまま、膝に顎を乗せる。
(……いくら否定したって、誰も信じん。みんな私が犯人であってほしいんやろ。その方が納得いくもんね)
これまで自分が積み重ねてきた、不遜な態度や可愛げのない言動。その全てが今自分の首を締めている。自業自得なのも分かっている。
自分がいなくなれば、若葉園のみんなはせいせいするだろう。職員の田中も山下も、きっと心のどこかで安堵するに違いない。胸の奥で重たいものが沈みかけたその時、廊下が急に騒がしくなった。
「どうしたの?何かあった?」
川島の問いに、受付の職員が神妙な面持ちで耳打ちする。
「実は……プロヒーローの方がお見えになっていて……」
数分後、川島が再び部屋に戻ってきた。
「利世ちゃん、このヒーローの方があなたにお話があるそうよ」
川島の背後に立っていたのは、二十代後半くらいの男性だった。ヒーローにしてはどこか気弱そうで、穏やかな顔立ち。だが彼が身に纏っている、地味な色合いのコスチュームには見覚えがあった。
昨日、ヴィランを追っていたあの男だ。
彼は利世の向かいにゆっくりと腰を下ろし、優しいまなざしを向けた。
「はじめまして、君が利世ちゃんだね。僕はプロヒーローの『ドッペル』。昨日、君にぶつかったヴィランを追っていた者です」
「そのヒーローが、私に何か用?」
「君の無実を証明しに来ました」
その一言に、利世の目が大きく見開かれる。
「まずは僕の個性の説明から。僕の個性は『鏡』。鏡に映した相手の姿を現実に引きずり出し、操る。あるいは自分自身が、映した相手に"成り代わる"能力。……僕が追っていたヴィランの個性は『強奪』。数分間だけ相手の個性をコピーして使うことができるんだ」
利世は言葉を挟まず、ただ話に耳を傾けていた。
「情けないことに、僕の個性はそのヴィランにコピーされてしまっていてね」
彼の説明によると、こういう事らしい。
ドッペルの個性を奪ったヴィランは逃走中、持っていた手鏡で前を歩いていた利世の姿を捉えた。そしてぶつかったあの瞬間に、"成り代わり"を適用したのだ。数十秒後、曲がり角のすぐ先でヴィランは利世の姿に"成り代わった"。
彼はその姿のまま、いったん追跡から逃れるために、近くにあった青葉園の敷地内に身を潜めてやり過ごそうとした。もちろん彼はその施設が彼女の暮らす場所だということは知らなかった。そこでたまたま閃一と鉢合わせ、焦ったヴィランは反射的に暴行に及んでしまった、ということだった。
ヴィランが利世を選んだのも偶然。
青葉園に身を潜めたのも偶然。
暴行した相手が閃一だったのも偶然。
最悪な偶然がいくつも重なり、今回の事件に繋がったというわけだった。
「つまり閃一が見たのは……」
「そう。閃一くんが見たのも、目撃者が見たのも、監視カメラに映っていたのも、君の姿を借りたヴィランだったんだ」
利世は、無意識に入っていた力が一気に抜けていくのを感じた。
「……どうしてそれが分かったと?」
「ヴィランは既に逮捕済みでね。取り調べの供述から状況はほぼ把握できた。同時に君の存在も知って──それで僕はここへ来たというわけさ」
利世の問いにドッペルは静かに答えた。
「それと、施設の職員の方には"成り代わり"の瞬間から閃一くんが襲われるまでの一部始終を“映像”として確認してもらったんだ。君の無実はすでに証明されているよ」
「映像って……監視カメラに全部映ってたと?」
「いいや、これは僕の個性のもうひとつの能力でね。対象の“過去の状況”を、本人の視点で鏡に映し出すことができるんだ。職員の方たちには犯人視点の映像を見てもらっている。……いわゆる過去視に近いものだよ」
「過去視……」
「昔から、そっちの能力を買われることが多くてね。表立ったヒーロー活動よりも、警察の捜査に協力する方が多かった。身体的にも精神的にも負担が大きいから、正直あまり多用したくはないんだけどね……。あぁ、そんな話は今どうでもいいか」
どこか自嘲気味にドッペルは肩をすくめた。
さらりと説明しているがすごい個性だ。それなのにそれを鼻にかけるでもなく、ひたすら物腰柔らかく、控えめすぎる態度。独特の空気感のある人だと思った。
「あんたはなんでそこまで……」
ドッペルは困ったように頬をかいた。
「ヒーローだからさ。……なんて言えたらかっこいいんだけど、実際は僕の落ち度だ。個性をコピーされた挙句、一般人である君に迷惑をかけてしまったなんて、迂闊にも程がある。その責任を取りたかっただけだよ。すまないね、本当に申し訳ないことをしたよ」
ドッペルは深く、利世に向かって頭を下げた。
謝られることに慣れていない彼女は、返す言葉が見つからず、ただ困惑して視線を泳がせた。どちらかと言えば謝らせられることの方が多かった彼女にとって、大人が自分に頭を下げる光景は何よりも信じがたいものだった。
確かにこのヒーローのせいで、やってもいない罪を背負わされかけた。けれど同時に、その無実を証明してくれたのも彼だった。彼の能力でなければこの真実に辿り着くことはできなかっただろう。
もし彼がいなかったら──そう考えただけで背筋がひやりとした。
川島たちは安堵したように顔をほころばせていたが、利世の心は少しも晴れなかった。これで何かが劇的に変わるわけでもなく、施設に帰っても「またあの問題児が帰ってきた」と思われるだけ。それに無実が証明されたところで、疑いの目というのは消えない。一度貼られたレッテルはなかなか剥がせないものだ。
むしろこれまで以上に冷たい視線の中で日常を送ることになるだろう。本音を言うと、あの場所へはもう戻りたくなかった。
その後は児相の職員が施設まで送ると言っていたが、「僕が責任をもって送ります」とドッペルが申し出てくれた。
建物の外へ出た瞬間、利世の視界にぴゅんと一人の青年が入り込んできた。十代後半くらいだろうか。黄色と黒のコスチュームに、背中に折りたたまれた大きな赤い翼。冬のどんよりとした空の下、その赤だけがやけに鮮やかで、視界のコントラストを狂わせていた。
「誰?」
利世はドッペルに尋ねた。
「最近この辺りに事務所を構えたプロヒーローのホークスさん。僕は今、彼のサイドキックをさせてもらってるんだ」
年上に見えるドッペルが自分より若そうな男に「さん」付けしていることにわずかな違和感を覚える。利世はそのまま、翼の青年をじっと睨んだ。
ホークスと呼ばれた男は、笑顔でひらひらと手を振っている。金色の瞳が、利世をまっすぐに捉えたまま離さない。
「どーも。うちのサイドキックが迷惑かけたらしくてごめんね。事情は聞いたよ」
「あんたがボス?」
「ボスて。君面白いね。俺はしがない新人ヒーロー、ホークス。よろしくね」
軽やかに名乗ったかと思えば、ふっと表情を消し、値踏みするように──あるいは何かを確かめるように、まじまじと利世の顔を覗き込んだ。
「……ふぅん」
「何、近づかないでよ」
次にドッペルへと視線を移し、声を潜めて短く言葉を交わす。時折利世の方へちらりと目を向けながら、何かを確かめるように。やがてそのやり取りが終わると、ホークスはひょいと彼女の方を向いた。
「君、施設に戻りたくないでしょ」
突然心を読まれたような感覚に思わず利世は身構え、息を呑んだ。
「……別に」
「嘘。顔に出てる」
「出てない」
「ふふ、君結構分かりやすいよ」
淡々と言い返され、利世は眉をひそめたまま黙り込んだ。こういう大人が一番苦手だ。勝手に心の中に踏み込んで勝手に分かった気になる。
ホークスは少し考えるようにして翼を揺らした。
「それじゃあさ、俺の家来る?」
「……は?」
「今の施設が嫌なら、別の施設探してあげるよ。それまでの一時避難場所ってことで、どう?」
あまりに唐突な提案に思考が一瞬停止したが、次の瞬間にはこう言い切っていた。
「……それなら、ドッペルって人の方がいい」
彼女にとって他人は大抵、「興味ない」か「嫌い」に振り分けられる。けれどドッペルだけは例外的に「いい人かもしれない」に分類されていたからだ。
しかし当の本人はというと。
「ぼ、僕はちょっと……未成年を預かる勇気は……」
ドッペルは言葉を濁しながら、首を横に振った。その情けないほどの腰の引け方に、利世は小さくため息をついた。ホークスはそのやり取りを笑顔で見つめる。
「俺はあんま家帰んないし、君とは多分生活リズムも合わないと思うから、割と自由に過ごせると思うよ。今度入学する中学校へは施設から通うよりも近い。俺のサイドキックのせいで面倒なことに巻き込まれちゃったわけだし、責任くらい取らせてよ」
「中学って……なんでそんなことまで知ってんの……」
「犯人の取り調べの過程で、君のことを少しだけ調べさせてもらったからね」
ホークスはにこりと笑う。どう見たって満面の笑みなのに、どこか違和感を感じてしまう。それがかえって利世の警戒心を刺激した。
短期間とはいえ素性も人となりも分からない、つい今会ったばかりの若いヒーローと衣食住を共にできるわけがない。しかも心の内が読みにくい男で、どう見たって風貌が怪しすぎる。
利世はちらりとドッペルの顔を見た。しかしドッペルはにっこりと笑いながらゆっくりと頷いた。まるで「彼は大丈夫だよ」とでもいう風に。
「それに俺、公安直属のヒーローでもあるけん」
「……」
ホークスの言葉に利世は黙り込んだ。
「お、これでちょっとは信用してもらえる?」
「ふん。公安の犬ってことね」
「ふはっ、手厳しかねぇ」
ホークスは肩をすくめ、特に気にする様子もなく笑った。
胡散臭いし、何を考えてるのか分からない。それでも、あのドッペルが大丈夫だと思う相手なら、それほど危険人物ではないのかもしれない。
少なくとも、これまで関わってきた大人たちのような、押し付けがましい善意は感じられなかった。
施設に戻るよりかはマシかもしれない──。
ずっと前から、あの退屈な施設から出て、ルールに縛られない自由な暮らしがしたいと思っていた。少しの間だけでもそれが叶うなら──今がその機会だと思った。
「……分かった、あんたに着いてく」
「お」
「正直ドッペルさんの方が信用できるけど。あんたのことはまだ信用しとらんけんね」
「それでいいよ。じゃ、決まりね」
「よかったね、利世ちゃん」
ドッペルはふにゃりとした笑顔で手を振った。
「ドッペルさん、その……ありがとう……ございまし、た……」
言い慣れない言葉が喉の奥で引っかかり、声は細く、そのまま尻すぼみに消えていった。そして軽く会釈をして、ホークスの隣に並んだ。彼は利世より頭一つ分ほど背が高かった。
翼がわずかに広がり、冬の風を受けてはためいている。
「じゃ、行こっか」
ホークスが軽くそう言った、次の瞬間。
「え、ちょ──」
ぐい、と身体が持ち上がる。
気づいた時には、利世の体はホークスの腕の中にあった。
ぐわんと視界が揺れたかと思えば、たちまち地面が遠ざかっていく。
「は!?!?ちょ、ちょっと待っ──」
風が一気に吹き上がった。
「わぁぁぁぁ!?!?」
建物の屋根が、道路が、人が、みるみる小さくなっていく。
「死ぬ!!死ぬ!!落ちるって!!死ぬ!!」
利世は必死にホークスの服を掴む。
「あはは!死なんて!」
ホークスは楽しそうに笑いながら、さらに高度を上げた。
冷たい風が容赦なく顔を叩く。
息がうまくできない。
心臓がうるさいくらいに暴れている。
「飛ぶ時は一言言ってよ!!」
「ごめんごめん。リアクション見たくてさ」
「最悪……!」
利世は涙目になりながら、さらに強くしがみついた。ホークスはそんな様子を見てくすりと笑う。赤い翼が冬の冷たい風を切り、二人を乗せて空を滑っていく。
「……ひとつ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「なんで赤の他人の私にここまですると?あんた、ヒーローになりたてで忙しいんやろ。本当に私に対する責任感だけ?」
ホークスはすぐには答えず、少し間を置いてから含みをもたせるようにふっと口元を緩めた。
「……実はさ、さっき君のことを調べたって言ったけど、本当はずっと前から君のことは知っていてね」
「どういうこと?」
「俺たちの父親同士が兄弟だったんだよ。あ、ちなみに君のパパの方が弟ね」
「……え、じゃあ私たち……
「そーいうこと」
「……何それ。そんなの初耳なんやけど」
「そうだと思うよ。俺の親父は早くに君のパパから絶縁されてたらしいし」
「なんで?」
それまでホークスが浮かべていた軽薄な笑みが、突然すっと消えた。何か思い出したくないことでも思い出したかのように。
「……俺の親父が、どうしようもないクズやったけん」
冷たい空気が更に冷えた気がした。けれど次の瞬間には、何事もなかったかのようにまた軽く笑った。
「絶縁されて当然の父親だよ。だから家族同士での付き合いはゼロ。お互い面識が全く無かったってわけ」
「なんでそんな詳しく知ってんの?」
「公安直属ヒーローって言ったでしょ。身元なんて、ある程度は全部洗われる。その過程で分かったってだけ。だから君のことも、名前だけは前から知ってた」
「……」
「会ったことはなかったけどさ。どっかで普通に暮らしてんだろうなーって、勝手に思ってた」
遠くを見つめながら翼をはためかせる。
しっとりとした声音のその奥には、本音の一端が滲み出ていた。
「だから今回、ドッペルから事件の話を聞いた時はなんだか不思議な縁を感じちゃってね。え、あの子やんって。どんな子なのか、どうしても一度見ておきたかったんだよね」
さらりと語られる事実に、利世はまばたきを繰り返した。自分を信用させるための嘘か?とも一瞬思ったが、嘘をついている感じは不思議としなかった。
これまで自分の人生に存在しなかったはずの血縁が突然目の前に現れた。それは嬉しいでも戸惑いでもない。もっと曖昧で名前のつけられない奇妙な感覚だった。
福岡の冬の空はどんよりと曇っていた。これから雪でも降るのだろうか。冷えきった空気が頬を刺す。
ホークスに抱きかかえられたまま、利世はふと顔を上げた。
彼の口元には軽い笑みが浮かんでいるのに、その奥にあるものが読み取れず、何を考えているのか全く分からない。
その時、ふいに視線が合った。
そんな考えすら見透かされたような気がして、利世はわずかに息を呑んだ。ホークスは一瞬だけ目を細め、にこりと微笑んだ。
「それじゃあ少しの間だけよろしくね、