悪役令嬢に転生した大阪のおばちゃん、断罪より先に飴ちゃんを配る ~婚約破棄はもろときますわ。ほんで王子、あんた晩ごはん食べたんか?~   作:月城 友麻

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12. 父と林檎の蜂蜜煮

 父が戻る日の屋敷は、検分前の兵舎や。

 

 廊下は鏡みたいに磨き抜かれ、使用人は口数を減らし、兄は朝から口上の練習をしとる。「此度の工房の件につきましては」まで言うては、胃の辺りを押さえる癖も、そのまんまや。

 

「お兄ちゃん、口上はええから、帳面だけ持っとき。数字は嘘つかへんさかい」

 

「父上は、数字より寡黙なんだ……」

 

 昼過ぎ、北の街道から馬車が入った。降りてきた父レギンハルトは、今世の記憶にあるまんまの人や。軍装の肩に北の風の匂いを付けて、目礼だけで玄関を通り、うちの前で一拍だけ足を止めて、

 

「……息災か」

 

「息災や。お父様も、ご無事で何よりやで」

 

「……うむ」

 

 それきりや。

 

 ……前世でな、こういう親子を何組も見たんや。言葉の在庫はぎょうさんあるのに、店先に並べる棚だけが壊れとる親子や。せやけど棚はな、直せる。なんちゅうても、うちは棚の修理が本業みたいなもんやさかい。

 

 夕刻、書斎に呼ばれた。執務机の父は、書類から目ぇを上げんまま言う。

 

「……話は、すべて聞いている」

 

 破約のことも、王宮の沙汰も、詫び行脚も、飴の工房も。みんな、文と人づてや。ほんで、「聞いている」の先が続かへん。ペン先の走る音だけが、暮れかけの部屋に落ちていく。

 

 ……知っとるよ、この背中。母さまのお葬式の日ぃから、この人はずっと、こっちを見んと喋る人になった。うちの顔が、年々母さまに似てくるからやろ。十七年もんの娘より、八年前で止まった奥さんのほうが、この人の中では、まだ息をしとるんや。

 

 廊下に出たら、兄が壁際で待っとった。

 

「……その、なんだ。傷つかないのか」

 

「うちは大丈夫や」

 

 口が勝手にそう言うた。まあ、昔からの癖みたいなもんや。

 

「それより、お兄ちゃん。晩ごはん、うちが一品出すわ。文句は言わさへんで」

 

「嫌な予感しかしないが!?」

 

 厨房へ行ったら、ギヨムはんが、もう小鍋を出して待っとる。

 

「……蜂蜜の、良いのが入っております。林檎も、酸のきついのが、ちょうど食べ頃で」

 

「あんた、ほんまに察しがええなあ」

 

「火加減は、私が見ます」

 

 林檎の皮を、くるくる剥く。剥きながら、思い出す。母さまは、皮剥きがへたくそな人で、よう指ぃ切りかけては、しいっ、と唇の前で指ぃ立てて笑わはった。内緒よ、テレージア。お父様には内緒。――母娘の内緒は、いっつも蜂蜜の味がした。

 

 八年前で止まっとった台所の記憶に、今日、続きを書いたる。

 

 琥珀の蜜がふつふつ言うて、林檎の角が透きとおって、甘い湯気が立ちのぼる。蜂蜜のまるい匂いに、林檎の酸がひと筋すうっと立つ――ああ、この匂いや。匂いいうんは、ずるい。八年前の台所を、そっくりそのまま今日へ連れてくるんやから。ギヨムはんは約束通り火加減だけ見て、あとは一歩も手ぇを出さんと、黙って横に立っとってくれはった。

 

 晩の食卓。肉の皿が下がったところで、うちは小鉢を三つ、自分の手ぇで運んだ。

 

 湯気が、食卓を渡る。

 

 書類の続きでも考えとるみたいやった父の目ぇが、匂いで、上がる。小鉢を見て、うちを見て――八年ぶりに、まっすぐ、うちを見た。

 

「……母さんの、か」

 

「うちのや。母さま直伝の、うちの」

 

 長い沈黙があった。兄が息を止めとるんが、隣から伝わってくる。

 

 匙が、動く。ひと匙。ふた匙。

 

「…………甘いな」

 

 それだけや。それだけやけど、匙は最後まで止まらんかった。うちはそれで、もう十分や。

 

 その晩、書斎にもういっぺん呼ばれた。今度は、叱られる気配やない。炉の前に椅子が二つ、盃がひとつ。

 

「……あれの皮剥きは、下手だった」

 

「知ってます。よう指ぃ切りかけてはりました」

 

「……見ていたのか」

 

「台所の隅で。内緒や言われてましたけど、もう時効ですやろ」

 

 父の口元が、ほんの少し動いた。笑うた、と思う。八年ぶりに見る、父の笑いの気配や。

 

 それから父は、ぽつり、ぽつりと話した。舞踏会で靴を片方飛ばした母さまの話。北の砦まで、月に九通も文を寄越した話。九通目にはたいがい、林檎の絵ぇが描いてあった話。うちは相槌だけ打って、ようけ聞いた。

 

 ……この人の帳面にはな、八年ぶん、誰にも言えんかった母さまの話が溜まっとったんや。よっしゃ、利子付けて、なんぼでも聞いたる。今夜は、その取り立てや。

 

「工房とやらは……続けるのか」

 

「続けます。うちの性に合うてますのや」

 

「……そうか」

 

 それだけ言うて、父は盃をひとつ干した。反対も無し、賛成も無し。せやけど、この人の「そうか」は、翻訳したら「ならばよい」や。娘、ちゃんと聞き取れますで。

 

 部屋を辞す時、廊下の角で、眼鏡がひとつ、音もなく手帳を閉じるんが見えた。……あんた、おったんかいな。今日も仕事熱心なこっちゃ。

 

       ◇

 

 王室調査記録 第十一報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。本日の調査は、休みとする。以上。

 

       ◇

 

 夜更け。屋敷の通用の戸を、遠慮がちに叩く音がする。

 

 こんな刻限に誰や、と灯り持って出てみたら、上背のある影が、フードを目深(まぶか)にかぶって立っとる。かぶっとるくせに、上等の外套の胸元から、見覚えのある金髪がひと房、はみ出とった。

 

「……夜分に、すまない。しの、忍びで来た。……宿題の、報告に」

 

 ――謹慎明けの、王太子殿下や。

 

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