悪役令嬢に転生した大阪のおばちゃん、断罪より先に飴ちゃんを配る ~婚約破棄はもろときますわ。ほんで王子、あんた晩ごはん食べたんか?~ 作:月城 友麻
王都の穀物問屋を、朝から三軒回って、はっきりした。
大麦が、ない。……いや、正しゅうは、あるのに、ない。奥の棚に袋は積んであるのに、どの店も「先約済みで」と、同じ顔で同じ言葉を言う。先約の主の名前は、どこも言わへん。言わへんことが、もう答えや。
「買い占めやな。金で殴る商売の、いっとう古典的なやつや」
「……工房は、どうする。麦が切れたら、炊けないぞ」
付いてきた兄の眉間の皺に、うちは笑うて見せたる。
「殴り返すのに、こっちまで金振り回すことはあらへん。吊り上がった相場と殴り合うたら、思うつぼや。――うちらは、足で買う」
その日のうちに、井戸端網が初陣で動いた。
口火は、茶会の常連の刺繍の子ぉや。実家に文をやってくれて、返事は次の日ぃに来た。『蔵に、去年の大麦が眠っております。母が、ぜひ令嬢さまにと』。……蔵の場所まで書き添えたある。仕事が早いんよ、この網は。
寡婦の五人は、里の農家に声をかけてくれた。刈り入れ前の相談ごとまで含めて、麦の当てが三軒。
仕上げは、修道院や。院長さまは、備蓄の麦樽を前に、静かに首を横に振らはった。
「困っている方にお分けするのは、神の家の務めです。お代は、いただけません」
「ほな、これは麦のお代やのうて、寄進ですわ。……礼拝堂の東の屋根、雨漏りしてますやろ。うちの井戸端は、もう知っとりますんや」
「……主は、よく見ておられますね」
「主やのうて、台所の網ですけどな」
買値は、どこも吊り上げ前の平常の相場に、一割乗せで通した。倍に膨れた言い値は、相手にせえへん。人の足元を見るんも見られるんも、うちらの流儀と違う。麦の心配は、これで仕舞いや。
――ほんで、蜂蜜や。
週の半ば、メリス男爵はんが王都へ出てきはった。借金の一件の礼と、蜂蜜の直買いの契約や。席には、殿下も呼んである。詫び状三通の、次の宿題――「まっとうな商いの段取りを、間近で見とき」いうやつや。
席の始まりに、殿下は男爵はんへ、自分から頭を下げた。文で詫びた件の、続きや。詫びはな、生きて、顔出して、続きをやるもん――言うた通りにやる子は、伸びる子や。
約定は一本きり。里の蜂蜜、樽一つ、銀貨八枚。市価十枚の八掛けで、商会の買値の、きっちり四倍や。男爵はんは約定の紙を三回読み直して、四回目で目頭を押さえてはる。
「に、二枚が……八枚に。しかし令嬢様、これでは、御家の損になりませぬか」
「なりません。市価の十枚いうんは、王都の店先で小売りする時の値ぇです。里の蔵出しで直に分けてもらうんやから、八掛けの八枚で、双方きっちり筋が通ります。……二枚で買い叩くんとは、商いの別もんですのや。作り手を痩せさす値ぇは払わん、そのかわり払いすぎもせん。ちょうどが、いちばん強い値ぇです」
ほんで検分や、と蜂蜜の樽の栓を開けた途端――ポレットちゃんが、変わった。
「あっ、この色、西の丘の栗の花の蜜です! 栗は色が濃くて、力のある甘さで……春の菜の花は、もっと軽いんです。雨の年は蜜の詰まりが浅くて、だから採蜜の朝は風の乾いた日を選んで、巣箱の向きは……」
立て板に水や。いっつも語尾の消えていく子ぉが、蜜の話になった途端、目ぇをきらきらさせて早口の別人になる。男爵はんが慌てて袖を引くけど、止まらへん止まらへん。
殿下は、目ぇを丸うしとる。ほんで、笑うでも呆れるでもなく――身ぃを、乗り出した。
「……君の里の味を、私は知らなかった」
「あっ……も、申し訳ありません、長く」
「いや。……もっと」
ポレットちゃんの耳が、ぽっと赤うなる。……ほうほう。ええ絵ぇやんか、これ。仲人の帳面に、そっと一行付けとこ。
その晩、うちは新しい飴を炊く。
麦芽の水飴に、里の蜂蜜をとろりと合わせて、火ぃからおろす寸前に、もうひと匙。艶の出た琥珀をひと粒に丸めて、口に入れて――うちは、動けんようになった。
……母さまの、味や。
泣いた日ぃに一粒、いう、あの蜂蜜飴の味が、うちの鍋から帰ってきよった。手首の銀の飴入れの蓋を開けて、炊きたての一粒を、そっと寝かせる。……母さま。あんたの味、うちの看板にしてええな。
名前は決めてある。――はちみつ飴ちゃん。十粒袋、卸十枚の、売り十二枚。子ぉの駄賃でも届く値ぇや。
搬入の日、蜂蜜の樽を二つ、黒い文官服が軽々と担いどった。
「……それ、調査官の職分と違うやろ」
「非番です」
「あんた、非番の日ぃ、なんぼあるん」
「規定では、週に一日です」
樽を担いだまま、真顔である。
「今週、三度目やで」
「……本官の週は、日数が多い」
週まで規定の外かいな。ええ加減な役所やなあ、と言いかけて、やめた。徹夜で書式を書く非番も、樽を担ぐ非番も、字面は一緒でも、帳面の欄が違う気ぃがしたからや。……どの欄かは、まだ考えんとこ。
◇
王室調査記録 第十三報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。市場より大麦と蜂蜜が消えたが、対象は蔵と農家と修道院を徒歩で回り、必要量を高騰前の相場の一割増で確保している。対象は本日、新しい飴を完成させた。その際、対象は銀の飴入れに向かい、何かを述べていたが、内容は職務の記録に馴染まないため、記さない。なお本官は非番に樽を二つ運んだ。今週三度目の非番である。原因は、調査していない。以上。
◇
月の変わらんうちに、商会は抱え込んだ麦と蜜を持て余して、こっそり値ぇを戻した。買い占めはな、買うた品が売れて初めて拳になるんや。売り先を先に足で押さえられたら、ただの高い持ち腐れやねん。
――報せが来たんは、そんなある日の夕方や。
工房に、おかみ連のひとりが駆け込んできた。息が、切れとる。
「令嬢さん、大変だ! 下町で、子どもが……飴を舐めて、お腹を壊した子が出たんだよ。それで、その……」
「……それが?」
「『てるやの飴』だって――言われてるんだよ」
「なんやて!?」