悪役令嬢に転生した大阪のおばちゃん、断罪より先に飴ちゃんを配る ~婚約破棄はもろときますわ。ほんで王子、あんた晩ごはん食べたんか?~ 作:月城 友麻
夜明けを待って、うちは下町の長屋へ走った。
供は、公爵家出入りの医者がひとり。粥の鍋を提げたドルテさんと、なんも言わんと付いてくる眼鏡がひとつ。
腹を壊したんは、六つの男の子ぉやった。長屋の奥の薄い布団で、青い顔して丸まっとる。母親が、うちの顔を見るなり土間に膝ぇついた。
「も、申し訳ありません、うちの子が、その、御家の飴に、けちを付けるような」
「顔上げとくれやす。詫びのやり取りは、あとや。どっちにしても、先は、この子ぉや。……先生、頼んます」
診立ては、ほどのう出た。悪いもんによる腹下し。二、三日、粥で休ませたら戻る、いうことや。母親がへたり込んで、うちも、詰めとった息をようやっと吐く。……よかった。子ぉの体に障るようなら、うちは看板ごと畳むつもりでおったんや。
「坊の舐めた飴、まだ残っとりますか」
出てきた紙包みには、粒が三つ残っとった。つまんで、割って、匂いを検める。舌の先に、ほんのちょっとだけ乗せる。
……じゃり、と鳴った。
「麦と違う。砂糖や。砂糖の屑を固めた、粗悪もんや」
「さ、砂糖……? でも、てるやの飴だと」
「うちの飴は麦の飴で、砂糖はひと粒も入っとりません。――ほんで、な」
うちは粒の欠片を、朝の光に透かす。
「砂糖は専売品や。袋には専売の割り印の票が付いて、量も値ぇも、商会の帳面の外へは出られへん建て付けや。……そんな砂糖の屑が、票も無しに、夕市で投げ売りされとる。これ、うち以外の誰かさんが、砂糖をこっそり横に流しとる、いうことやで」
背中で、手帳の筆の音が、ぴたりと止まった。
「……お母さん、この飴、どこで」
「ゆ、夕市の端で……知らない男の人が、安いよ、って。十粒で銅貨五枚だったんです。てるやの飴だ、と言ってました」
「うちの卸先は、顔も名前も知っとる、おかみさん十二人だけです。……あんたは、騙されただけや。この五枚は、うちが返します。倍にして返したいとこやけど、倍はあかん。勘定は、きっちり五枚や」
医者代と、養生の粥の費えを置いて、長屋を出る。振り向いたら、母親が布団の子ぉを抱えて、深々と頭を下げとった。……坊、早う治りや。治ったら、ほんまもんの飴ちゃん持ってきたるさかい。
昼を回る頃には、噂は市中を走っとった。
てるやの飴で子ぉが腹を壊したらしい。いや、三人やて。五人やて聞いた。医者が匙を投げたらしい――尾ひれの付き方が、そらもう見事なもんや。
……速すぎるんよ。
子ぉが腹を壊したんは、ほんまのことや。せやけど、「てるやの」いう頭書きだけが、妙に揃うて、妙に速い。噂に、配達人が付いとる速さや。
夕方には、袋が三つ、工房に返ってきた。返しに来たお客さんのほうが、よっぽど泣きそうな顔をしとる。『あたしは信じてるんだけどねえ、姑が、どうしても、って』。……ええんよ。疑うんは、銭の要らん用心や。うちかて逆の立場なら、子ぉの口に入れるもんは、いっとう疑うて選ぶ。
その晩、うちはひとりで工房におった。
火ぃの入ってへん竈は、ただの石の箱や。卓の上の売れ残りの袋を、意味ものう並べ直す。並べ直しても、何も変わらへんのやけどな。
「……配ったもんで泣かされるのは、しんどいなあ」
口に出したら、思うたより湿った声が出た。あかんあかん。おばちゃんがしょげたら、看板までしょげてまう。……分かっとんのに、今夜は袋の山が、やけに重たい。
戸口で、灯りが揺れた。
眼鏡や。……この刻限まで、おったんかいな。
「調査は、本官の職分です」
「……なんや、藪から棒に」
「にせの飴の出所。噂の出所。調べるのは対象の仕事ではなく、本官の仕事です。……本官が、やりたい仕事です」
初めてやな。この子が「職務です」の判子やのうて、自分から手ぇを挙げたんは。
「……せやけどあんた、王命は『うちの観察』やろ。にせ飴の探索、どこに入っとるん?」
「…………非番に、行います」
「職分ちゃうんかい」
「職分です。非番に行うだけです」
言い切った顔が、妙にすっきりしとる。屁理屈こねる役人の顔と、ちゃうんよなあ。
「あんた、非番なんぼあっても足らへんで」
「……足りない場合の規定を、調べます」
うちは、ふ、と息だけで笑うてもうた。今日初めての笑いが、こんな夜中の、規定の話やなんてな。
「おおきに、は言わんとくわ。職分なんやろ」
「はい。職分です」
……せやけどな、調査官どの。あんたのその一言で、袋の山がちょっと軽うなったんは、帳面のどの欄に付けたらええんやろな。
◇
王室調査記録 第十四報。対象、グランハルト公爵令嬢テレージア。市中に対象の飴を騙る粗悪品が流通し、児童一名が腹を痛めた。対象は夜明けに見舞いへ走り、医者と養生の費えを持ち、騙し売りの銭五枚を返している。児童は快癒の見込みである。噂の広がりは、自然の速さではない。特記事項。本官は本日、対象が夜半まで笑わない日を、初めて記録した。出所の調べには、本官の非番の全てを充てる。非番は、足りない。以上。
翌朝。工房の門の前に、人だかりがでけとった。
……返品の列やろか。よっしゃ、来るなら来い。全部頭下げて、一袋ずつ受けたる――そう腹ぁくくって戸ぉを開けたら。
おかみ連や。十二人、全員や。空の籠を提げて、朝日ん中で仁王立ちしとる。
「令嬢さん! 袋、あるだけおくれ!」
「……あんたら、噂は」
「聞いてるよ。聞いた上で、だ。あたしらは、自分の売ってるものを知ってる。工房も、麦も、あんたの手つきも、この目で見てるんだ。井戸端はね、噂の出どころの見当くらい、つくんだよ」
いちばん年かさのひとりが進み出て、うちの顔を、下から覗き込む。
「あたしらは、売り続けるよ。だから令嬢さん――ほら、顔をお上げ」
……あかん。
朝日が、まぶしいてあかんわ。
うちは俯く代わりに、精一杯の商売もんの顔をこしらえて、腕まくりをひとつ。
「――おおきに。ほな、今日も炊こか!」