負けヒロインが多すぎる! IF ―156の負け 作:nelldrip
だいたい奢りで終わる、その後始末。
部長会での一件を、なぜか「自分の手柄」と主張する八奈見に、温水は食事を奢る羽目になった。
しゃぶ葉。食べ放題である。
つまり、いくら食べても値段は変わらない。
あの文化祭のあと。
あったかもしれない、しゃぶ葉の怪異。今。幻出!
部長会というのは、要するに各部の代表が集まって、予算と部室と行事の日程を奪い合う会議のことである。
文化祭が終わって二週間。新しく文芸部長になった小鞠知花は、その文芸部の活動について報告する役目を負っていた。
結論から言うと、小鞠は死んだ。
「……よ、ぶ……ぶ、文化祭…文芸部……その……」
三十秒。
言葉が、出てこない。
会議室の空気が、じわじわと粘度を増していく。誰も急かさない。急かさないから、余計にきつい。
そうして、報告がないなら飛ばします、と飛ばされる瞬間。
俺は、黙ってそれを外でみていた。
あいつの、部長会の報告の練習にずっと付き添って、相手して。
だから、口を挟んだ。
「部長会の報告だけだろ、大したことないんだし俺が――」
それが、あいつの責任感を、無力感を、心を貫いた。
部長なんて、やりたくなかった。
そういって、逃げ出していったあいつに、何も言えなかった。
部長会の直前ですら。一言話して、それきりで。
---
「――遅れました。文芸部部長の温水和彦です」
やってしまったな、とは自分でも思う。
小鞠が必死にやり遂げようとしていたものを、途中で奪ったことになる。
それでも。
「な、なにしに、きた」
「わたしが、どんなきもち、で――」
そういって、水をかけられて
それでも、あいつの代わりに。あいつが守りたいと思った、この部活の仕事を成し遂げて。
飛び出していったあいつを、部長会のあとに探した。
「どうせ、いなくなる、くせに」
小鞠の気持ちに、気づいていなかった。
一人が平気なやつだと思っていた。違ったんだ。こいつは、一人になるのを誰より恐れて、誰かに見てほしくて。いて、ほしくて。
まぁ。結局は。
「俺、ずっと一緒にいるから」、というメッセージで、納得して、信頼してくれたようで。
まったく、部員がいるかいないかくらいで大騒ぎなやつである。
そんなことを思い出していると。
うん、なんでこいつと一緒にここにいるんだ?
そう思い、視線を前に向ける。
「あ、お肉おかわりおねがいしま~す♪」
---
「で。**お礼は?**」
「え、お礼?」
「あったりまえでしょ。カリスマコンサル八奈見ちゃんのアドバイスで、上手く収まったんだよ?」
いや、そうは思わないんだが。全く思えないんだが?
というか、お前なにもしてないだろう、といいたいところですらある。
あるが、うん、それをそのまま言ったらもっとややこしくなりそうだ。
「はぁ…わかったよ。じゃぁご飯、ご飯奢るでどう?」
「さっすが!温水くん、気前のいい男はモテるよ!」
うん、ラッコにそう言われてもどこかしら嬉しくない、と思うのは言わないでおいた。
そして。
しゃぶ葉である。
なぜか、しゃぶ葉である。
「なんでしゃぶ葉?!」
「**食べ放題だからね!いまプレミアム和牛ロースもやってるんだよ!**」
あまりにも堂々とした回答に、正直反論の機会を失った。
しかし、冷静に考えれば、これは自分にとって悪くない条件だ。
食べ放題である。つまり、**いくら食べても値段は変わらない**。
高い店に連れて行かれて、和牛の一皿で三千円を要求されるよりは、はるかにマシだ。
安心していた。
この時点では。
---
「温水くん、コース選ばせてあげる」
「え、いいの?」
「**プレミアム和牛ロースコース**」
「選ばせる気ないよね?」
タッチパネルの上を、八奈見の指が迷いなく滑っていく。
その指先には、一切の躊躇がなかった。人生において何度もこの操作を繰り返してきた者の、熟練の動きだった。
いや、しゃぶ葉に来る事が多いのかどうかは知らないが。
うん、すくなくともプレミアム和牛ロースを選ぶ、という一点において、なんの迷いもないのは分かる。
少しはこちらの懐事情を鑑みてほしいものである。
「はい、注文完了。まずは四皿」
「いきなり四皿?」
「**プレミアム和牛ロース、四皿**」
「二人で?」
「**プレミアム和牛ロースだよ?**」
俺は黙った。
黙るしかなかった。
---
運ばれてきた皿を見て、俺は最初の違和感を覚えた。
薄い。
いや、しゃぶしゃぶ用なのだから薄いのは当然なのだが、それにしても薄い。
白い皿の上に扇状に並べられた牛ロースは、皿の白がうっすらと透けて見えるほどの厚みしかなかった。光にかざしたら、向こう側が見えるんじゃないか。
一皿、十枚。
それを、なんとなく数えていた。まぁそういう性分だ。
「いただきまーす」
八奈見が、箸で一枚をつまみ上げ、鍋の湯にくぐらせる。
一秒。
さすがこの薄さ。少し前、その薄さが炎上していた気もするが、これだけ薄いと炎上の熱で火が通りそうだな、と思う。
肉の色が、赤から薄い桜色へと変わる。ほとんど一瞬だ。
ぽん、と口に運ぶ。
「——ん」
八奈見の目が、細くなった。
「んんん」
「ど、どうし――」
「**美味しい!**」
その一言に、余計な修飾は一切なかった。
感想としては小学生並みだが、その表情を見る限り、これ以上無いくらい満足しているのがわかる。
「温水くん、これ。**噛まなくていいよ**」
「いや、ちゃんと噛もうよ」
「違うの、そうじゃなくて。噛む前に消えるの。**溶けるの**」
俺も一枚、湯にくぐらせた。
……確かに、薄い。
噛む、という動作がほとんど発生しない。舌の上で、繊維がほどけるようにして消えていく。咀嚼という工程が、限りなくゼロに近い。
「温水くん、追加ね」
「え、もう?」
「**四皿**」
---
八奈見は、決して早食いではなかった。
これがまた、事態を恐ろしくさせる。
彼女は一枚ずつ、丁寧に湯にくぐらせ、丁寧にタレをつけ、丁寧に口に運んでいた。所作は上品ですらあった。ときどき「んー」と目を閉じて、味わうそぶりすら見せた。
だから、異常に見えないのである。
ただ、**回転数が異様に高い**。
右手で一枚を引き上げると同時に、左手が次の一枚を湯に沈めている。わんこ蕎麦か、わんこ蕎麦なのか?
彼女の手元では、常に一枚が茹で上がり、常に次の一枚が加熱されている。
律速一秒。
俺はふと、鍋の向こうの彼女を見た。
笑顔である。うん、実に幸せそうだ。
その傍らで、皿が、静かに積み上がっていた。
「温水くん、追加」
「……えぇ…何皿目だっけ」
「**知らない**」
「いや知っとこうよ?!」
「**数えたら負けなんだよ?**」
何にだよ。
---
十皿目のあたりで、店員さんの様子が変わった。
最初は普通に「はい、プレミアム和牛ロースですね」と笑顔だった。
五皿目でも、まだ笑顔だった。
十皿目で、一瞬、止まった。
視線が、テーブルの上を走った。二人分のグラス。二人分の取り皿。空になった皿の山。そして、鍋の前で満面の笑みを浮かべている女子高生。
店員さんは、何も言わずに戻っていった。
十二皿目。
厨房のほうから、別の人が出てきた。エプロンの色が違う。たぶん、社員だ。
見なくてもわかる。遠くから俺たちのテーブルを見て。
そして、俺と目が合った。
あわてて、目を逸らす。
俺は今、何も悪いことをしていない。
していないはずなのに、なぜか謝りたい気持ちでいっぱいである。
「温水くん、なんか肩に力入ってない?」
「入ってない」
「食べ放題だよ? **遠慮したら損だよ?**」
「損得の話じゃなく」
「じゃあ何の話?」
**社会的な話だ**、とは言えなかった。
金銭的損失は、ゼロである。
食べ放題なのだから、何皿頼もうと支払う額は変わらない。
なのに、何かが確実に、削られている気がする。
十三皿目。
店員さんは、もう何も言わなかった。
黙って皿を置き、黙って空皿を下げていく。
その手つきに、一切の感情が無い。
いやまぁ、食べ放題だから別にいいと言えばそうなのだが。
---
十五皿目を頼むとき、俺はついに耐えかねて口を開いた。
「あ、あのさ?」
「なあに」
「そろそろ、他のものも食べない?!野菜とか。うどんとか」
「炭水化物はね」
八奈見が、箸を止めた。
「**枠を消費するの**」
「枠」
「胃には枠があるでしょ。有限なの。そこにうどんを入れたら、**その分だけお肉が入らなくなるの**。分かる? **うどんはお肉の敵**なのよ」
「しゃぶしゃぶの締めだろ!?うどんは」
「締めるなんてとんでもない。**まだ開いてるのに**」
俺は理解した。
こいつは、食べているのではない。
**摂取している**のだ。
プレミアム和牛ロースという物質を、彼女の胃という容器に、可能な限りの効率で転送している。うどんも野菜もデザートも、その転送効率を下げるノイズでしかない。
目の前にいるのは女子高生ではない。
**ただ、プレミアム和牛ロースを吸い込むだけの怪異**である。
「温水くん、追加ね」
「……はい」
俺は、もう抵抗をやめた。
---
終わったのは、席について二時間後だった。
正確には、**制限時間が終わった**。
八奈見は、最後の一枚を三秒湯にくぐらせた。
一秒でいいはずだった。
名残惜しかったのだと思う。
丁寧に口に運び、そして、深く、満足げに息を吐いた。
「——ごちそうさま」
両手を合わせる。
その所作だけは、驚くほど綺麗である。
「……ふぅ。**やっぱりプレミアムは違うね!**」
彼女は、湯気の立つ鍋の向こうで、うっとりと目を閉じていた。
その顔は、なんというか、**満ち足りていた**。
悩みも、屈託も、そこに一切ない。
……幸せなやつである。
なんの根拠もないが、そう思った。
ふと、テーブルの隅に置かれたタッチパネルに手を伸ばした。
注文履歴、という項目があって。
押した。
押さなければよかった、と思う。
```
プレミアム和牛ロース ×18
```
十八。
十八皿。
一皿、十枚。
俺は、電卓アプリを開いた。開いてしまった。
18 × 10 = 180
百八十枚。
……いや、待て。
俺も食べた。
食べたのだが。
うん、確か——最初のほうで四枚、それから、途中で二皿。
…二十四枚。
180 − 24 =
指を止めた。
止めたが、答えはもう出ている。
**156**
百五十六枚。
顔を上げた。
目の前で、爪楊枝を使いながらメニュー表を眺めている八奈見を。
「ねえ温水くん。ここ、**次はソフトクリーム食べ放題もついてるコースがある**らしいよ」
「……八奈見さん」
「なあに?」
「今日、**しゃぶしゃぶ百五十六枚**食べてたよ…」
八奈見は、きょとんとした顔で俺を見た。
それから、ゆっくりと首をかしげ、こう言った。
「**枚数で数えるの、ちょっと下品じゃない?**」
俺は、その日、人間というものを少しだけ理解するのをやめた。
---
会計を済ませて店を出ると、夜風が心地良い。
八奈見は、腹をさすりながら、いたく上機嫌である。
「いやー、いい仕事したわ、今日は」
「何もしてないよね?」
「**入ったの!**」
「入っただけだよね?!」
「**入ったのが偉いんだよ?**」
同じやり取りを、今日二回した。
俺は、財布の中身を確認するのをやめて、空を見上げた。
星が、二つか三つ、見えた。
小鞠との仲は、たぶん、明日には元に戻っているだろう。
こいつが何をしたわけでもないのに、なぜか、そうなる気がした。
……いや。
した。
**百五十六枚、食った**。
それは確かに、何かをした、と言っていい気がしてきた。
…言っていいのか?
「温水くん、来週もよろしくね♪」
「え、普通に嫌だよ」
「**カリスマ・コンサルティングだよ?**」
「いやいや、二度と依頼しないからね?!」
しゃぶしゃぶの肉は、一皿だいたい十枚です。
十枚だと思って食べていると、皿の枚数しか記憶に残りませんが、
枚数で数え直すと、急に事故になった気がします。
同じことをしているのに、単位を変えただけで印象が変わる。
これが書きたくて、この話を書きました。
なお、金銭的損失はいくら食べようがかわりません。
食べ放題ですから。さすがしゃぶ葉。
削られたのは、たぶん別のなにかです。