負けヒロインが多すぎる! IF ―156の負け   作:nelldrip

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焼塩檸檬という少女は、作中でも屈指の「わかりやすい」キャラクターだ。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
駆け引きも遠回しも似合わない、直球しか投げられない女の子。

だからこそ、唯一素直になれない、というのは面白い捻れだ。
自分の脈拍なら正確に数えられるのに、その脈が何を意味しているのかだけは、頑なに気づこうとしない。

デートではない、ただの遊び。
そのはずの一日が、電車に飛び込んだ瞬間から少しずつ輪郭を変えていく。

そんな彼女の「日曜日」の話。


負けヒロインが多すぎる! IF "焼塩檸檬の冴えたやりかた"

 デート、ではない。

 

 断じてない。

 

 だって「今度の日曜、暇?」って聞いたのはあたしだし、「暇だけど」って返ってきただけだし、「じゃ、遊ぼ」って言ったのもあたしだ。

 

 つまり、これは、遊びである。

 

 友達と遊んでるだけ。

 

 うん。

 

 ……三回も確認したんだ。断じて、デートではない。

 

---

 

「焼塩、それ何個目?」

 

「二個目!」

 

「多くない?」

 

 二人でたい焼きを片手に歩く商店街。

 

 こうやって、ただ過ぎていくだけの時間がわたしは好きだ。

 ぬっくんは呆れた顔をしてるけど、別に嫌がっているわけではない。

 

「ぬっくんなにいってんのさ!たい焼きって小さいじゃん。カロリー的には全然だよ?」

 

「カロリーの話はしてないんだけどなぁ」

 

 こういうとき、彼は絶対に「もうやめとけよ」とは言わない。「多いって」で止まる。

 止まるだけで、止めない。

 

 わたしはそういうところが、たぶん、けっこう。

 そう思って、たい焼きにかぶりついた。

 なぜか、その先を考えないように。

 

---

 

 商店街を抜けて、川沿いを歩いて、公園のベンチで座って、また歩く。

 

 特に何もしてない。

 何もしてないから、気がついたら日が傾いてた。

 

「こういうの、部活のあとの帰り道に似てるよね」

 

「そういうものなの?」

 

 すごく、似てるよ。でも。似てるけど、違う。

 何が違うのかは、多分、わたしは知ってる。でも。

 

 ふ、っと顔を横に向けて。

 隣を一緒に歩いてくれる彼を見て。

 それを知りたい自分と、まだ気づかないでいたい自分がいる気がして。

 

「…あ、やば」

 

 そんな事を考えながら、スマホを見て。

 あたしは声を上げた。

 

「電車! 次のやつ逃したら、三十分ないよ!」

 

「え、まじか」

 

「まじ。走るよ!」

 

 考えるより先に、足が出てた。

 

 わたしはそういう人間だ。考えるのは走ったあとでいい。

 駅の階段を三段飛ばしで上がって、改札を抜けて、ホームに滑り込む。

 

 発車ベルが、鳴って。

 

「ぬっくん、急いで!」

 

 振り返ったら、まだ階段の途中にいた。

 

 遅くない?いや、あたしが速いだけだ。

 だから――考えるより先に、手が出てた。

 

 ぬっくんの手首を掴んで、引っ張って。

 

「ちょ、焼塩――」

 

「まだ間に合うよ!」

 

 閉まりかけたドアに、二人で飛び込む。

 同時に、ぷしゅう、と音を立ててドアが閉まった。

 

「……間に合ったね」

 

「……間に、合ったな…」

 

 あっちは肩で息をしてるが、あたしは全然平気である。

 あの程度で息が上がったら、陸上部なんてやってらんない。

 

 平気。

 

 なのに。

 

 心臓が、うるさい。

 

---

 

 あ…手。

 

 繋いだまま、だ。

 手首を掴んだはずだったのに、いつの間にか、指が絡んでた。

 

 いつ?

 分かんない。飛び込んだときか、その前か。

 離さなきゃ、と思った。

 

 思ったのに、手が動かない。

 

「――」

 

 ぬっくんが、何か言いかけた気がして。

 

 言わなかった。

 窓の外を見て。

 こっちを見ない。

 

 ……わたしも、見なかった。

 

 分かってる。

 見られたら、困る。困るけど。

 

 電車が、揺れる。

 揺れて、吊り革を掴んでない方の手を、そのままにしていた。

 

 うるさい。

 

 心臓が、ほんとに、うるさい。

 

 ――少しでも気を紛らわそうと、なんとなく、数えてみた。

 

 一。

 

 二。

 

 三。

 

 深い意味はない。

 ただ、他にやることがなかった。

 窓の外を見る余裕もなければ、ぬっくんの顔を見る余裕なんて、もっとない。

 

 だから、数えて。

 

 十。

 

 二十。

 

 ……速くない? これ。

 

 走ったからだよ、と自分に言い聞かせる。

 言い聞かせて。

 

 あんな程度で、こんなにドキドキしたりしない。

 

 わかってる。

 

 部活で毎日脈を測ってるから、それくらいわかる。

 走ったあとどれくらいで戻るかも。

 自分の体のことは、自分がいちばん知ってる。

 

 走ったせいじゃない、って。

 

 五十。

 

 六十。

 

 「あ…」

 

 一つ目のトンネルに入ったとき。

 ぬっくんと、窓越しに目があった気がした。

 

 少しだけ、気まずそうに。

 

 聞こえるのは、電車の走る音と、心臓の音だけ。

 

 ずっと、続いて。

 

 八十。

 

 九十。

 

 「…ぁ」

 

 トンネルから出ると、さっきまで車内を映していた窓に、外の景色。

 もっと、トンネルが続けばいいのに。

 

 そう、思って。

 

 なんで?

 そう思ったけど、その先は考えなかった。

 

 考えたら、たぶん。なにかが変わる気がしたから。

 

 百。

 

 百十。

 

 窓の外が、青から少しずつ、オレンジに変わっていく。

 

 ぬっくんの指が、ほんの少しだけ動いて。

 

 離す気だ、と思ったから。

 無意識に、ぎゅっと、掴んで。

 離さなかった。

 

 百三十。

 

 百四十。

 

 あと少しで、あたしの駅だ。

 あと、少し。

 もう少しだけ、次の駅が遠ければいいのに。

 

 百五十。

 

 そんなことを考えていると、アナウンスが流れて。

 すこしして、電車が、速度を落としていく。

 

「……あ、あの」

 

 ぬっくんが、少し気不味そうにこっちを見て。

 

「――ご、ごめん、手」

 

 ぱっと、離れた。

 

 百五十六。

 

 そこで数えるのをやめた。

 

---

 

「じゃ、じゃぁ、また明日」

 

「う、うん。またね」

 

 手を振って、ホームに降りる。

 ドアが閉まって、電車が走り出して

 

 誰もいないホームで、わたしは、右手を見た。

 

 まだ、温かい。

 

 それから、左手の指を右の手首に当てた。

 脈を測る。癖だ。

 

 十五秒。

 

 数えて、四倍する。

 

 ……まだ、速いや。

 

 電車を降りてから、もう一分は経ってる。

 

 走ってから、十分時間が経ってるのに。

 なのに、まだ戻ってない。

 

 どうしてだろう。ただ、しゃがみこんで。

 

「……」

 

 誰もいないホームで、あたしは、自分の心臓の音を聞いていた。

 

 百五十六回。

 

 それが、あたしの体が、あたしに嘘をつかせなくした。

 たった、ひとつの――




たった、ひとつの――

なにが続くか、ここまでよんだ読者ならきっと、あのタイトルがそのまま思い浮かぶだろう。

今回、一番書きたかったのは「焼塩檸檬が自分の感情に対して下手くそである」という一点だ。
運動神経も判断力も抜群なのに、自分の鼓動の前にだけ、負ける。
その不器用さが檸檬の可愛さである。

百五十六回、という数字に嘘をつけなかったのは檸檬自身だ。
焼塩から見た「ぬっくんの気配」だけで押し切ることで、温水の内面を推測する余白を感じ取れたはずである。
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