負けヒロインが多すぎる! IF ―156の負け 作:nelldrip
う…流石にこの先を書くのは、ちょっと恥ずかしい。
さすがに、名前そのまんま、にはしていない。
していないが、わたしはそのキャラクタに、自分と、いつもおせっかいで、でも、助けてほしいときに助けてくれて、自分を見ていてくれるその男を、完全に写し当ててていた。
というか、そもそもだ。
”そういう経験”なんてしたことがないのだ。書けないものは書けない。
あのバカのせいだ。
「あ、あいつ、の、せい、で…わたしまで、お、おかしく、なる」
少し風にでもあたって落ち着こう。八奈見も焼塩も、白玉も今日は帰っている。
今日のうちは、もうこの部室に誰か来ることはない。
そう思って、少し落ち着いたあと。
大まかなプロットを書いたPCは閉じた。閉じたが。
原稿に書き起こし、部室に置いてあったそれを、仕舞うのを忘れた。
ここ最近、遅くまで残ってなにを、と言われていたが、その実はそんなものだ。
見せられないからこそ、ここでやるしかない。
わたしは書くしか出来ないから。
書くことで、この気持ちに向き合うしかなかったから。
だから、原稿という形で。
書いた。
書いて。よりによって、部室の、見えるところに置いたまま。
仕舞うのを、忘れた。
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「ねえ温水君。これ何?」
放課後の文芸部室。
部室の隅。机の上の原稿用紙の束を、八奈見がつまみ上げていた。ホチキス留め、百五十六枚。表紙にはタイトルだけが印字されている。
俺が「知らない」と答えるより早く、部屋の隅で小鞠が椅子から落ちた。
「や、八奈見!……それ、ちが……!」
「小鞠ちゃんの? へえ~」
八奈見はページをめくると三秒で止まった。
もう一度めくって、顔を上げると、にっこり笑って。
俺は本能で一歩下がった。
「ぬくみずくーん。この主人公、名前伏せてあるけどさあ」
「お、おま!や、八奈見!お前、ここで、読むのか!お、おに!」
「『それを見かねて、俺がお前を支える、と言ってきた彼に。』」
「音読、やめて!ほんと!やめて!」
小鞠はもはや半泣きである。いや、一体こいつは何を書いたのだ。
ばーん、と扉が開く。
「なになに、八奈ちゃん、なんか面白いことやってる?」
「や、焼塩!来るな、来るな!きちゃ、だめ!」
小鞠の絶叫も虚しく、焼塩は八奈見の手元を覗き込み、一秒で目を輝かせた。
「うわっ、これ小鞠ちゃんが書いたやつだ! ヒロインの子、めっちゃちっちゃくて人見知りで文芸部じゃん!…ん?」
「ぐ、偶然……!」
「偶然で百五十六枚は書けませんよ?」
冷静な声が背後からした。白玉だ。いつの間にか原稿を一部抜き取って読んでいる。
「句読点の呼吸、比喩の癖。文体は完全に先輩ですね。それと」
白玉さんはページの端をとん、と指で叩いた。
「日付。三ヶ月前から書き始めてます。よっぽど書きたかったんですね」
「ぐ、偶然!!」
小鞠は机の下に潜り込んだ。もう首から上まで真っ赤である。
八奈見は最終章あたりを開いたまま、しばらく無言だった。それから、ゆっくりと、しみじみと言った。
「……小鞠ちゃん…意外とムッツリだねぇ」
「……」
うん、もはや完全にフリーズである。
机の下から、蚊の鳴くような声がした。
「む、むむ、ムッツリって、な、なんだ。わ、わた、そ、そんな」
「じゃあ聞くけどさ」
八奈見はページをめくる手を止めない。
「小鞠ちゃん。設定をまとめてるところ、このヒロインの子、身長何センチ?」
「……し、知らん」
「百四十八センチって書いてある」
「……」
「小鞠ちゃん、何センチ?」
「……」
「小鞠ちゃん」
「……ひゃ、百四十八!」
焼塩が吹き出した。
「あははは! 小鞠ちゃん、それもう自分じゃん(笑)」
「ち、ちが……モデルは、その、一般的な、小柄な、女子高生を想定した、統計的な……」
「統計に赤髪ワンサイドアップのショートボブは入らないと思いますけどね」
白玉が容赦なく原稿を一枚めくる。
めくって。
「……先輩」
「な、なんだ」
「京都の坂を登って、通りに出たところなんですけど」
「……お、おまっ!そこ!読んじゃ、だめ!」
「ヒロインの子、ここで急に『へんたい』って言ってますね。なんでですか」
「し、知らん! わ、私は、知らん!」
「そのすぐあとに、門柱の、ご休憩と、ご宿泊の料金が見えたって書いてあります」
八奈見が、無言で白玉の手元を覗き込む。
焼塩も覗き込んで、そのまま、動かなくなった。
白玉は、ページから目を離さない。
八奈見が、しみじみと頷いた。
「……やっぱ…むっつりだね、小鞠ちゃん?」
「ち、ちが……!」
そして、焼塩である。
彼女は白玉の手元を覗き込んだまま、なぜかひどく真剣な顔をしていた。
「あ、あのさ、小鞠ちゃん」
「な、なに?!」
「そういうのは……まだ、ちょっと、早いんじゃないかなぁ…って」
机の下から、返事はない。
「小鞠先輩」
「ひっ」
「これ、ルート組んだの、この部長ってことになってますよね」
「そ、そう」
「それ書いたの、先輩ですよね」
白玉はページを一枚戻して、もう一度目を落とした。
「あと、先輩」
「……な、なんだ」
「ヒロインの子、ここで断ってませんよね」
「『まだ』『心の準備が』って書いてあります。それ、断ったって言いませんよね」
「……ぐ、偶然……!」
「偶然でルートは組めません」
白玉が容赦なく原稿を一枚めくる。
「それに、先輩。この主人公、基本、一人称ですよね」
「……そ、それが、なに」
「じゃあ、地の文は全部この人の頭の中ですよね。ヒロインが可愛いのも、健気に見えるのも、放っておけないのも、全部この人にそう思わせてるんですよね」
「…ち、ちが!」
「この人に思ってほしいこと。この人の頭の中に、直接書いたってことになりますけど」
「ん、んなっ!」
机の下から、頭をぶつける音が聞こえた。
「そ、そもそも!」
机の下から、震える声が反撃を試みる。
「じ、自分をモデルにするのは、小説の、き、基本だ! し、私小説という、伝統ある……」
「じゃあ聞くけど」
八奈見はページをめくる手を止めない。
「この主人公の男の子、名前は伏せてあるけどさ。微妙に目つきが悪くて、教室でぼっちで、でも人の話をちゃんと聞いてくれるって書いてあるんだけど」
「……」
「わたし、一人だけ、心当たりある人がいるんだけどなぁ」
「……い、いない」
「いるよね?」
「……そ、そんなやつは、い、いない!」
「ねえ温水君?」
「巻き込まないでください」
一応、ここは全員負けヒロイン、の部室のはずだが。
どうやら今日は、負けヒロインは一人だけのようである。
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