空白の少年と透き通った世界の旅路   作:スリー

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第0章 プロローグ
第一話 目覚め


薄れゆく意識の中、最後に目にしたのは満天とは言い難い星空だった。

 

小学校の授業の一環で訪れたプラネタリウム。

特に興味も関心もなかった授業だったが、小学生の俺には十分すぎる衝撃だった。

星座の名前や神話を眠気を誘う声で説明されていた気がするが、そんなものは一つも覚えていない。

 

ただ、あの日見た星空だけは妙に印象に残っていた。

もっとも、それで人生が変わったなんてことはない。

 

目の前の夜空は、あの日見た星空には遠く及ばない。

それでも最後に見上げたのが空だったからだろう。

「死ぬ間際くらい、もう少しサービスしてくれてもいいだろ」

そう思わずにはいられなかった。

あの日見たような星空だったなら、人生の締めくくりとしては悪くなかったのに。

 

しょうもない記憶を掘り返す自分の脳みそに、もっとマシな走馬灯を見せる気はないのかと、自分のことながら呆れてしまう。

 

痛みは感じない。

覚えているのは耳を劈くブレーキ音。

次の瞬間には背中への今まで味わったことのない衝撃が走り、世界が大きく揺れた。

気づけば俺の体は仰向けでアスファルトに転がっていた。

 

視界が霞み、星空が歪む。地面の感触も周りの喧騒も上手く認識できない。

 

 

(……死ぬのか、俺……)

 

 

不思議と恐怖はなかった。

「まだ生きたい」という気持ちも湧いてこない。

自分の命が終わろうとしているのに、その事実だけがどこか他人事だった。

 

 

(まぁ……こんなもんか……)

 

 

霞んでいた星空が、ゆっくりと闇へ溶けていく。

意識が、静かに沈んでいく

 

――世界から音が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――

 

 

――――………。

 

 

頬を撫でる風が心地いい。

それだけで眠っていた意識はゆっくりと浮上していった。

暗闇から抜け出すために、重い瞼を無理矢理持ち上げる。

 

「……ん」

 

脳が五感へ信号を送り、現状の把握へ移る。

視界いっぱいに広がる灰色の天井。

見たことのない材質でできた壁。

その空間に似つかわしくない剥き出しになった鉄骨。

天井を這う無数の配管。

 

薄暗く、息が詰まる閉鎖的な空間。

そんな場所に何故寝ていたのかという疑問は、数瞬前の終わったはずの記憶によって邪魔される

 

 

「あれ……俺って…」

 

 

死んだよな……

そう判断した次の瞬間、まるで体の方が「生きている」と主張するように、心臓が強く脈打った。

 

体は半ば反射的に跳ね起き、自身の体の異常を探す。

両手を握り、開く。肩を回す。衝撃を受けた背中を触る。

 

鮮明な死の記憶とは裏腹に無傷の体。

 

「なんで生きてる?」

 

返事はない。当然だ、この空間には自分以外の気配がないのだから。

 

夢を見ているのか。

あの事故から実は助かったのか。

誰かに誘拐されたのか。

それとも、死後の世界なのか。

 

頭の中で思い付く限りの可能性を並べてみる。

どれもこれもしっくりこない中、数十秒考えて――

 

 

「……よし、分からん」

 

 

そう割り切ることにした。

 

 

「……考えても分かる気がしない。」

 

 

処理しきれない情報が滝のように押し寄せてきている今、考えるより行動に移るほうがいいだろう。

 

 

「……とりあえず行くか」

 

 

一旦考えるのをやめて足を前へ進める。今は理由なんて分からなくていい。答えは歩けば見つかる。その判断は結果として間違ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最上層。

誰も辿り着いたことのない、巨大構造体の中枢。

幾重にも積み重なった鋼鉄の残骸の中央。

一枚の巨大な盾は、ただ静かに眠っていた。

 

幾度も季節は巡り、世界が姿を変えようとも。

この場所だけは、時の流れから切り離されたように沈黙を守り続けていた。

 

誰も知らない。

誰も辿り着けない。

誰にも見つけられない。

 

まるでこの場所そのものが世界から忘れ去られてしまったかのように。風は届かない、音もない。ただ永い静寂だけが積み重なる。その静寂は数百年もの間、一度として破られることはなかった。

 

 

――今日、この瞬間までは。

 

 

施設の深部へ一つの神秘が踏み入る。

その瞬間永い眠りの底へ、一滴の雫が落ちるような波紋が広がった。

 

 

《――未知神秘反応、検出》

 

 

それは声だったのか。

あるいは数百年の眠りを経て、使命だけを抱き続けた意思が、再び目覚めた瞬間だったのか。

 

《演算資源、再配分》

 

 

《防護機構、優先度変更》

 

 

永き眠りの間、防護機構へ割り当てられていた機能が静かに解放されていく。

止まっていた歯車が、一つ、また一つと噛み合い始める。

 

 

《広域解析プロトコル、起動》

 

 

次の瞬間、目には見えない波紋が、巨大構造体を起点として世界へ広がった。

音はない、光もない、ただ世界そのものを撫でるように。

 

 

《対象世界……照合》

 

 

《文明情報……収集》

 

 

《神秘体系……解析》

 

 

《情報更新……進行》

 

 

世界を構成する膨大な情報が、凄まじい速度で収集されていく。

 

 

《広域解析……完了》

 

 

《対象世界識別――【学園都市ギヴォトス】》

 

 

《情報更新、終了》

 

 

《同期処理、完了》

 

 

再び静寂が訪れる。

世界は変わらない。

 

 

《防護機構、通常運用へ移行》

 

 

《中枢機能、起動》

 

 

長い眠りを終えた巨大な盾の表面へ、一筋の蒼い光が走る。

鼓動のように、呼吸のように。

静かだったその巨体へ、再び命が巡り始める。

 

 

《個体解析、開始》

 

 

見えない視線が、施設内部を歩く一人の少年へ向けられる。

 

 

《対象、捕捉》

 

 

《神秘波形……解析》

 

 

《個体照合……完了》

 

 

《…………》

 

 

僅かな静寂。

 

 

《認証条件……充足》

 

 

《継承資格……確認》

 

 

《起動シーケンス――最終段階へ移行》

 

 

長き停滞は終わる。

数百年の静寂は破られた。

止まっていた運命は、静かに動き始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――

 

 

――――

 

 

どれくらい歩いただろうか。

 

施設内を歩き回って、一つだけ分かったことがある。この建物は複数の階層で構成されているらしい。通路を進み、扉を開け、崩れた瓦礫を越え、何度進路を変えても、最後には必ず上へ続く階段へ辿り着く。

 

 

「……変な造りだな」

 

 

地下へ続く通路は見当たらない。

下へ向かう階段もない。あるのは上へ続く道だけ。

不思議には思ったが考えたところで答えが出るとも思えない。

 

 

「……まぁ、いっか」

 

 

軽く肩を竦め、再び階段へ足を掛ける。

階段があるということは、その先には屋上のような場所があるのかもしれない。

 

――もしそうなら空が見える。

 

そう思った瞬間、気付けば足は自然と階段へ向かっていた。どうして空を見たいと思ったのか、自分でもよく分からない。ただ死ぬ間際――いや、本当に死んだのかはまだ分からないが、あの時最後に見上げた夜空が、どこか心に引っ掛かっていた。もう一度、空を見れば何か分かる気がした。そんな根拠のない期待を抱きながら、一段また一段と階段を登っていく。途中で何度か立ち止まり、息を整える。それでも歩みを止めることはなかった。

 

どれだけ上っただろう、十分か、一時間か、それすら分からない。やがて薄暗い通路の先に、小さな光が見えた。人工照明の白い光とは違う、もっと柔らかく、温かな光。思わず歩く速度が速くなる。眩しさに目を細めながら、その光の中へ一歩踏み出した。

 

そして――

 

視界が一気に開けた。そこには天井はなく、吹き抜けとなった最上層が広がっていた。その先にあるのはどこまでも続く青空。雲一つない、透き通るような蒼が視界いっぱいに広がっていた。

 

その美しさに思わず息を呑む。ふと違和感に気付いた。

 

「……ん?」

 

青空の遥か彼方、世界を包むように、巨大な光の輪が静かに浮かんでいる。その光は淡く、それでいて確かな存在感を放っていた。自然現象には見えない。だからといって人工物とも思えない。ただ空の一部であるかのように、当たり前の顔でそこに在り続けている。

 

 

「……なんだ、あれ」

 

 

答えが返ってくるはずもなく、ただ静かな風だけが頬を撫でていく。もう一度、空を見上げる。青空とその向こうに浮かぶ光の輪。そのどちらも現実離れしているはずなのに、不思議と恐ろしさは感じなかった。事故の直前に見上げた夜空とは違う。あの時見えていたのは街明かりに霞む、ごくありふれた星空だった。それでも死の間際、脳裏を過ったのはその景色ではない。小学生の頃、学校行事で訪れたプラネタリウム。天井いっぱいに広がる満天の星を見上げながら、

 

 

『本物より、こっちの方がずっと綺麗じゃん』

 

 

そんな子どもらしい感想だけは、今でも妙にはっきり覚えている。そして今、あの時とは違う景色を前にしても、口から零れた言葉は変わらなかった。

 

 

「……綺麗だ」

 

 

ぽつりと呟いたその一言は、静寂に包まれた最上層へ静かに溶けていく。

 

 

「…………」

 

 

しばらく、何も考えず空を眺めていた。頬を撫でる風が心地いい。

 

やがて小さく息を吐く。ここに着くまで何度も考えた。事故のこと、目を覚ましたこと、この場所のこと。考えれば考えるほど答えは遠ざかっていく。

 

理由も根拠もない。

それでも直感だけは静かに告げていた。

 

 

――俺は、あの時死んだ。

 

 

ここが生き返った先なのか、死後の世界なのか、それとも全く別の場所なのか、そんなことは分からない。ただ一つだけ言えることがあるとすれば、俺の人生はあの瞬間に一度終わったのだ。

 

 

「……はぁ」

 

 

小さく息を吐く。

漫画やアニメ、小説やゲームで転生した主人公は決まって前を向いていた。

 

 

『今度こそ悔いなく生きよう。』

『もっといい人生を送ろう。』

『この世界で夢を叶えよう。』

 

 

そんな風に新しい人生を歩き始める。でも自分はそんな風に前に進めない。夢も目標も信念も、何一つ思い浮かばない。結局空を見上げても、知らない世界へ来ても、考えることは昔の自分と何も変わらない。

 

 

「……結局、俺は俺か」

 

 

死んだからといって、生まれ変わったからといって、人間の中身まで都合よく変わるわけじゃない。そんな当たり前のことを少しだけ期待していた自分が可笑しかった。

 

そう結論づけ静かに空から視線を外した、その時だった。

 

不意に静寂が揺らいだ。

 

何かが動き出したような、そんな違和感だけが最上層を満たしていく。

 

 

「……?」

 

 

《──適合者、発見》

 

 

「…………は?」

 

 

反射的に振り返るが誰もいない。空ばかり見ていて気付かなかったが、最上層の中央は緩やかな丘のように盛り上がっていて、その最上部に聳え立つ壁――

 

 

《神秘波形解析……完了》

 

 

《継承資格……確認》

 

 

《起動権限……譲渡準備完了》

 

 

どうやらこの声はあの壁から聞こえてくる。頭の中へ直接響いているような、不思議な声だった。男とも女とも判別できない。抑揚も感情も存在しない。ただ淡々と事実だけを告げるような声。

 

 

「……なんなんだよ」

 

 

俺の困惑など意に介さず、その声は続く。

 

 

《最終認証、開始》

 

 

――ゴォォォォン……

地の底から響くような重低音が最上層を震わせた。

 

 

「……おい、おいおい……」

 

 

思わず一歩後ずさりながら、視線はあの壁に釘付けになってしまう。目を離したらいけない、そんな根拠のない確信が頭の中を埋め尽くす。視線の先にある巨大な"壁"は、表面を淡い蒼白い光がゆっくりと走り始める。まるで血管のように光が広がり、長い眠りについていた何かへ命が巡っていくかのように。

 

 

「……嘘だろ」

 

 

思わず息を呑む。光が広がるにつれ、巨大な"壁"の輪郭が少しずつ浮かび上がっていく。

 

 

「あれは……盾?」

 

 

あまりにも巨大だった。建物の一部だと思い込んでいたそれは一枚の巨大な盾だった。人が扱うには到底あり得ない大きさ。それでいて不思議なほど完成された美しさを纏っている。

 

――ズン。

 

大地を揺らすような重い音と共に、巨大な盾が僅かに傾いた。それは長い眠りから目覚めるように、ゆっくりとその身を動かした。蒼白い光が盾全体を包み込み、幾何学模様のような光の紋様が次々と浮かび上がる。

 

 

《認証完了》

 

 

《接続確認》

 

 

《全システム、正常》

 

 

《制限モード……解除》

 

 

空気が震える。肌を撫でるような圧力が最上層全体へ静かに広がっていく。俺はただその光景を見上げることしかできなかった。巨大な盾の中央、静かに輝く蒼い光が一つだけ俺を見据えるように明滅する。

 

そして――初めてその声は俺へ向けられた。

 

 

《初めまして》

 

 

「…………」

 

 

《私は、アイギス》

 

 

《個体識別名――神城ミナト》

 

 

《認証完了》

 

 

《以後の呼称を"マスター"に設定します》

 

 

「……は?」

 

 

《継承完了》

 

 

《接続完了》

 

 

《マスターと私は既に一体です》

 

 

《分離はできません》

 

 

次の瞬間。

 

 

ドクン――

 

 

胸の奥で一際大きな鼓動が響いた。

 

 

「……っ?」

 

 

それは痛みでも熱でもない。

何かが自分の内側へ溶け込んできたような不思議な感覚だった。

 

 

「…………え?」

 

 

《お待ちしておりました》

 

 

「……は?」

 

 

《ようやく、お会いできました》

 

 

「…………」

 

 

《これより、よろしくお願いいたします》

 

 

その声はどこまでも無機質だった。なのにほんの僅かだけ。長い使命がようやく動き出したような響きがあった気がした。

 

 

「…………」

 

 

頭が追いつかない。何一つ理解できない。それでも一つだけ確かなことがある。

 

 

「……やっぱり分からん」

 

 

その時の俺はまだ知らない。この出会いが夢も、目標も、生きる理由さえ持たなかった俺の"空白"を埋めていく旅の始まりになることを。

 

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