区切れずめっちゃ長くなってしまいましたが最後まで読んでいただけると幸いです
それではどうぞ!
前世の十六年間を振り返ってみれば、俺は一度も習い事というものをしたことがなかった。
小学生の頃には塾へ通っている奴もいれば、水泳を習っている奴もいた。ピアノやサッカー、野球を続けている奴だっていた。祖父母からも、何かやってみたいことはないかと聞かれた覚えがある。だがその時は特に何も思いつかなかった。勉強は学校の授業で十分だったし、運動も授業以外でやりたいとは思わなかった。放課後や休日は自分の部屋でゲームや漫画を楽しみながら、何となく時間を過ごしていた。
そんなわけで俺は、何かを習うために自分から教えを受けた経験がほとんどない。一つくらい本気になれるものがあれば、何か変わっていたのかもしれないが、それは今さら考えても仕方のないことだ。
ではなぜ今になってそんなことを考えているのか。その理由は今の俺を見ればすぐ分かる。
《前方、敵性反応三》
《左方より二射》
《正面より一射》
《推奨防御角度、右方向へ四・二度》
《重心を下げてください》
「ちょっ……待て、情報が多すぎる! 一度に喋るな!」
現在進行形で、人生初の習い事に取り組んでいるからである。ただし内容は勉強でもスポーツでもない。
再起動したばかりの訓練区画。ひび割れた床には古びた誘導線が残り、壁際には訓練用の自律機械が等間隔に並んでいた。俺はその中央で自分の背丈を軽く超える巨大な盾を必死に構えている。
目の前にあるのは、本来なら分厚い金属板だけのはずだった。だが盾の内側には、向こう側の景色が半透明の映像として映し出されている。
ひび割れた床。
壁際に並ぶ訓練用の自律機械。
こちらへ向けられた複数の銃口。
まるで巨大な盾そのものが、透明になったかのようだった。
そこまではいい。技術的にどうなっているのかはさっぱり分からないが、見えないよりは見える方がいいに決まっている。問題は、その映像に重なるように表示されている情報だった。
赤い予測線と蒼い照準が視界を横切る。敵との距離や着弾時間、防御姿勢、残弾数まで、処理しきれない情報が次々と重なっていく。
「どれを見ればいいんだよ!」
《すべてです》
「無理に決まってるだろ!」
《提示情報量は最低設定です》
「これで最低なの!?」
《射撃開始まで、三秒》
盾の内側に映る三体の機械が一斉に銃口を持ち上げた。同時にこちらへ向かって赤い予測線が伸びる。
一本、二本、三本。
視界の端では推奨される防御姿勢が蒼い人型で表示されていた。だがその姿勢に合わせようとした瞬間には別の警告表示が重なって見えなくなる。
「待て待て待て、まだ整理できてない!」
《二秒》
「だから待てって!」
《一秒》
「話を聞け!」
《射撃開始》
乾いた発砲音が連続して響いた。反射的に目を閉じ、巨大な盾の裏側へ身体を縮める。直後、激しい金属音と共に盾全体が大きく震えた。
「うおっ!?」
両足が床を滑る。膝が伸び、身体が後ろへ持っていかれる。なんとか転倒だけは免れたものの、衝撃を受けた腕がじんじんと痺れていた。
《防御成功》
「どこが!?」
《被弾は確認されていません》
「倒れかけたんだけど!」
《転倒していません》
「成功判定が雑すぎる!」
《事実に基づいた判定です》
「そういうところだぞ!」
こちらが怒鳴ろうと転びかけようと、アイギスの声は見事なくらい変わらず、淡々と事実だけを告げてくる。
《追加射撃まで五秒》
「ちょっと待って! 休憩は!?」
《射撃を一時停止します》
こちらへ向けられていた銃口が僅かに下がった。
《現時点で休息は必要ありません》
「必要かどうかを決めるのは俺だろ!」
《訓練開始から四分十三秒です》
「もう十分やった気がするんだけど!」
《最初の休息予定時刻まで、残り二十五分四十七秒です》
「あと二十五分もあるの!?」
《基礎防御訓練の総予定時間は、休息を含め六時間です》
「長すぎるだろ!」
どうして異世界らしき場所へ来て早々、六時間も銃弾を受け止める訓練をしなければならないのか。
なぜこんなことになったのか。
話はほんの数十分前に遡る。
「……やっぱり分からん」
目の前にそびえ立つ巨大な盾を見上げながら、俺は自分なりの結論を口にした。
死んだはずなのに生きている。
見知らぬ場所で目を覚ました。
建物の一部だと思っていた壁は突然動き出し、自らをアイギスと名乗った。
そのうえ俺をマスターと呼び、既に一体になっているから分離はできないと言う。
分からない。
何一つとして分からない。
《回答します》
「……何を?」
《マスターは現在の状況を理解できていないものと判断しました》
「よく分かったな」
《発言内容から容易に推測可能です》
少なくとも会話は成立するらしい。先ほどまでは認証だの接続だのと一方的に話を進めていたため、こちらの言葉を聞く気がない可能性すら考えていたが、これなら大丈夫そうか。
「じゃあ説明してくれ」
《質問内容の提示を要請します》
「最初から全部」
《範囲が不明瞭です》
「……面倒くさいな、お前」
《面倒という評価の根拠が不足しています》
「今ので増えたよ」
盾の中央で蒼い光が一度だけ明滅した。困惑しているのか、それとも単なる動作なのか。
「まず、お前は何なんだ?」
《私はアイギス》
「それはさっき聞いた。名前以外の情報をくれ」
《質問内容を再認識》
僅かな間を置き、アイギスが答える。
《私はこの世界――》
そこで不自然なほど短い間が空いた。まるで口にしようとした何かを別の言葉へ置き換えるように。
《現在の呼称では【学園都市ギヴォトス】に迫る滅亡事象を排除するために生み出された守護機構です》
【学園都市ギヴォトス】
聞き慣れないはずの言葉なのに、記憶のどこかへ妙に引っ掛かる。
というか、今それ以上に聞き捨てならないことを言っていなかったか?
「今、滅亡って言った?」
《肯定》
「世界が滅びるってこと?」
《肯定》
「原因は?」
《不明です》
「……不明?」
《記録領域の一部に重大な欠損を確認。滅亡事象に関する詳細情報を参照できません》
「世界を守るために作られたのに、何から守るのか分からないのか?」
《肯定》
「駄目じゃん」
《否定》
間髪入れずに否定された。
《滅亡へ繋がる異常を検出した場合、発生地点へ移動。原因を解析した後、排除します》
「原因を事前に知らなくても、その場で調べればいいと」
《肯定》
「それ、行き当たりばったりって言わない?」
《類似性を確認》
「認めるんだ……」
俺は額を押さえた。どうやらとんでもなく壮大な使命を持っているらしい。その割に肝心な情報が抜け落ちているようだが。
「じゃあ、俺がここにいる理由は?」
《不明です》
「また?」
《マスターが施設内部へ出現した経緯は記録されていません》
「何なら分かるんだよ」
《マスターが私の継承資格を有していたこと》
「それ以外」
《神秘およびヘイローの形成を確認しています》
「……ヘイロー?」
聞き覚えのある単語だった。それとほぼ同時にアイギスの前方へ俺の身体情報を示す立体映像が投影された。正面から映し出された俺の頭上には淡い蒼色の光輪が浮かんでいる。
「……何これ」
思わず頭の上へ手を伸ばす。だが指先は何にも触れない。映像の中では確かにそこにあるのに感触はまるでなかった。
《ヘイローです》
「名前を聞いてるんじゃない」
《マスターの神秘を構成する外部表象です》
「説明されても分からん」
《情報理解度の不足を確認》
「俺のせいみたいに言うな」
学園都市ギヴォトス。
ヘイロー。
その二つの単語が繋がった瞬間、埋もれていた記憶が次々と浮かび上がる。
テレビで流れていた広告。
インターネットで見かけたイラスト。
頭上に光輪を浮かべ、銃を担いだ少女たち。
そして、透き通るような青空。
「……ここって、もしかして……ブルーアーカイブの世界か?」
《該当名称を照合》
短い沈黙。
《“ブルーアーカイブ”と呼称される情報は確認できません》
「そりゃそうか……」
どうやらここがあの作品の世界である可能性は高そうだ。ただし俺が持っている知識は広告やSNSのイラスト、MADやネットミームから拾った断片的なものだけだ。登場人物の名前も、世界の成り立ちも、どんな物語だったのかもほとんど知らない。こんなことになるんだったらプレイしとくべきだったな……
「そういえば、継承とか接続とか言ってたけど、どういう意味?」
《私は単独では完全な性能を発揮できません。適合者との接続を前提として設計されています》
「そのための俺ってことか……じゃあ自由に動いたりできないの?」
《限定的には可能です》
「限定的?」
《マスターの生命保護を目的とする場合、自律防御を実行します》
「物騒な話になってきたな……」
《原則として、マスターの承認を必要とします》
つまりこいつはただの喋る盾ではなく、俺が使うことで、初めて本来の力を発揮できるってことか……
「……俺は戦ったことなんてないぞ」
《把握しています》
「分かるのか?」
《接続情報を参照します》
嫌な予感がした。
《戦闘経験――該当記録なし》
「ないな」
《銃器使用経験――なし》
「ない」
《近接戦闘経験――なし》
「ないって」
《危機状況下における判断経験――著しく不足》
「最後だけ悪口じゃない?」
《事実です》
「言い方ってものがあるだろ」
《現状のまま外部へ移動した場合、生存率が基準値を下回ります》
「外ってそんなに危険なのか?」
《肯定》
アイギスの前方へ、武装した生徒たちの銃撃戦や暴走する無人兵器、違法組織による強盗や爆破事件の映像が次々と投影される。眺めているうちに、自然と顔が引きつった。
「……学園都市っていうか、犯罪都市じゃん」
《表現の正確性は限定的です》
「限定的に合ってるんだ……」
《よって、外部移動前に戦闘習熟を推奨します》
「戦わなければいいんじゃない?」
《接触を完全に回避できる保証はありません》
「じゃあ、しばらくここで――」
《戦闘習熟プロトコルを開始します》
「話を最後まで聞け」
低い駆動音と共に、最上層の一角に隠されていた隔壁が開いていく。その向こうには広い通路が延び、さらに奥には別の区画が続いていた。壁面に灯りが順番に点り、長く眠っていた施設が目を覚ますように動き始める。
《継承者育成区画を起動》
「そんなものまであるのか」
《適合者の習熟を想定して設計されています》
断る暇もなく巨大な盾がこちらへ近づいてくる。内側の装甲が開き、左右一対のグリップがせり出した。視界には両手を置くよう促す表示が浮かんでいる。
恐る恐る握り込んだ瞬間、手首から前腕にかけて固定具が閉じた。だが締めつけられるような感覚はない。むしろ腕の動きに巨大な盾の方が合わせてくる。持っているというより、盾そのものが俺の動きを先読みして追従しているようだった。
「……軽い?」
《正確には、マスターの神秘と同期し、荷重を分散しています》
「非力な俺には丁度いいご都合情報だな……」
続いて、盾の内側に外部の景色が映し出された。
「おおッ……」
目の前は分厚い盾に塞がれているはずなのに、その向こう側が見えている。左右の視界まで僅かに広がっていた。
《外部観測映像を表示》
「とんでも技術の連続で頭パンクしそう……」
《マスターの脳機能に異常は確認されていません》
「勝手に頭の中覗かないでくれるかな……」
軽口叩きながら、訓練区画へ足を踏み入れる。前世で見たことない技術の数々に、柄にもなくワクワクしてしまう。
この時の俺は少し甘く考えていた。戦闘経験のない俺が行う訓練なんだから、疲れはすれ、そんなキツくないと。
そんな分かりやすいフラグに気づけなかったのだった。
《基礎防御訓練を終了します》
その言葉を聞いた瞬間、身体から一気に力が抜けた。両腕を固定していた器具が解除され、巨大な盾が離れていく。それとほぼ同時に、俺はその場へ膝をついた。どうにか倒れ込むことだけは避けたものの、立っている余裕など残っていない。
「……終わった……」
肺が空気を求め、肩が大きく上下する。額から流れ落ちた汗が顎を伝い、ひび割れた床へ落ちていった。腕は自分のものではないように重く、指先にはまだ鈍い痺れが残っている。巨大な盾の重量はアイギスによって分散されているため、持ち上げるだけなら問題はない。だが銃撃の衝撃を受け止め続けるとなれば話は別だった。
盾を構えて腰を落とし、両足で踏ん張りながら銃撃の衝撃に耐え、崩れた姿勢をそのたびに立て直す。それを何度も繰り返しただけで、身体中の筋肉が悲鳴を上げていた。おまけに訓練の終盤では、体力が尽きて盾を支えきれなくなり、肩へ一発まともに銃弾を受けてしまった。
思い出した途端、被弾した場所が再び疼いた気がした。恐る恐る肩へ触れてみる。服には弾丸が当たった痕が残っている。だが、その下にある皮膚には傷一つない。血も出ていなければ、骨が折れた様子もなかった。残っているのは、強く殴られた後のような鈍い痛みだけだ。
「……本当に、痛いだけで済んでる」
撃たれた瞬間は死んだと思った。前世の常識で考えれば当然だ。
だが、アイギスに見せられた生徒たちも、まともに撃たれながら致命傷を負っていなかった。彼女たちと今の俺に共通しているのは、頭上に浮かぶヘイローだ。仕組みは分からないが、銃弾に耐えられたのも、おそらくその影響なのだろう。
「本当に助かった……」
痛いものは痛い。もう一度受けたいかと聞かれれば、全力で断る。それでも一発撃たれただけで人生が終わるわけではないと分かっただけで、少しだけ肩の力が抜けた。もっとも銃弾に対する恐怖が消えたわけではない。何発も受ければきっと痛いでは済まなくなる。盾を構える理由がなくなったわけではなく、むしろ絶対に防ぎたい理由が増えただけだった。
「六時間って……こんな短かったけ?」
《訓練経過時間、二十七分四十一秒》
「三十分も経ってないじゃん……」
六時間の予定だったのに、実際に俺が耐えられたのは三十分にも満たなかった。前世では体育の授業以外にまともな運動などしてこなかったから、当然と言えば当然なんだが。高校へ進学してからはアルバイトも始めて、多少動くようになったとはいえ、銃弾を大盾で受け止めるための身体など作っているはずがない。むしろ、二十分以上も続いたことを褒めてほしい。
《訓練中断理由を確認。筋疲労の蓄積、心肺への過剰な負荷、姿勢の乱れ、反応速度および集中力の著しい低下。加えて、防御範囲外への一度の被弾を確認しました》
「多い多いッ!わざわざそんな並べなくても良いじゃない……」
《訓練の継続は、負傷につながる可能性があると判断しました》
「……お気遣いどうも。疲れ切った身体に染み渡るねぇ」
《マスターの生命および身体機能の保全は最優先事項です》
「はいはい、ありがたく受け取っておくよ」
《受領を確認》
「確認はいらないから」
無理をさせることに躊躇はないらしい。厳しいのか優しいのか、いまいち判断に困る。俺はその場へ腰を下ろし、背後の壁へ身体を預けた。冷たい感触が火照った背中に心地いい。
低い駆動音が響き、アイギスの内側にある装甲の一部が静かに開いた。そこから小さな透明のボトルがせり出し、そのまま俺の目の前までゆっくりと差し出された。中には澄んだ水が満たされていた。
《水分補給を推奨します》
「……水まで出せるのか。便利だなお前」
《施設内で精製した飲料水です。飲用に問題はありません》
ボトルを受け取る。ひんやりと冷えた表面が、火照った手のひらの熱を奪っていく。
蓋を開け、一口飲む。冷たい水が喉を通り抜けていく。気づいていなかっただけで、身体はかなり水分を欲しがっていたらしい。勢いのまま半分ほど飲み干すと、ようやく少しだけ生き返った気がした。
《急速な摂取は推奨されません》
「喉が渇いてるんだから、これくらいいいだろ……」
《適切な速度での摂取を推奨しています》
「はいはい。ゆっくり飲みますよ」
厳しいくせに、妙なところで世話焼きである。
「それで、結果は?」
できれば聞きたくなかったが、聞かずに済む雰囲気でもなかった。盾の中央に灯る蒼い光が静かに明滅する。
《基礎防御――最低基準未達》
「さっき何回か成功って言ってただろ」
《単発の防御には成功しました。ですが、連続戦闘を想定した場合、姿勢および体力を維持できません》
「なるほど……」
反論できない……
《防御姿勢、衝撃分散、状況認識のすべてに改善の余地があります。総合評価として、継続訓練を要します》
「不合格ってこと?」
《肯定》
「即答か……」
予想していたとはいえ、少しくらい言葉を選んでほしかった。
《追加項目を設定します》
「まだ増えるの?」
《今後の訓練計画に、基礎体力向上訓練を追加します》
「……基礎体力?」
《筋力、持久力、心肺機能、反応速度および姿勢保持能力の向上が必要です》
「戦い方を覚える前に、身体作りから始めろってことか」
《肯定》
「部活動に入ったばかりの新入生みたいだな……」
しかも顧問は感情の起伏がほとんどない巨大な盾である。休憩の時間も水分補給の仕方も、俺ではなくアイギスが決めるらしい。
「ちなみに、どんな訓練をする予定?」
《走行および筋力訓練、大盾を装備した状態での移動訓練、反復防御訓練、長距離移動を想定した持久訓練を実施します》
聞いているだけで疲れてきた。
「もう少し初心者向けの内容は?」
《提示した内容が初心者向けです》
「嘘だろ……」
《事実です》
アイギスの基準ではこれでも最低段階らしい。俺は壁へ頭を預け、長く息を吐いた。人生で初めて本格的に誰かから何かを教わった結果、三十分も持たずに体力の限界を迎えた。しかも次からは戦闘訓練だけでなく、筋力と持久力まで鍛えられることになった。習い事を避け続けた前世の十六年間。そのツケを別世界へ来てからまとめて支払わされている気分だった。
《休息と並行して、今後の行動方針を説明します》
「……まだ休み始めたばかりなんだけど」
《説明のみであり、身体的負荷は発生しません》
「精神的には発生するんだよなぁ……」
《許容範囲内です》
「俺の許容範囲を勝手に決めるな」
説明を先延ばしにしても仕方がない。俺はボトルを片手に、目の前にそびえるアイギスを見上げた。
「分かったよ。それでこれからどうするんだ?」
《回答します》
盾の中央で、蒼い光が静かに明滅した。
《今後の行動方針を提示します》
アイギスの中央に灯る蒼い光が強まり、その前方へ淡い光が集まっていく。次の瞬間、空中に半透明の映像が投影された。
最初に映し出されたのは、この巨大な施設を上空から捉えた立体図だった。複雑に入り組んだ建造物がひしめく市街地。その外れに、周囲から切り離されるようにして巨大な構造体がそびえ立っている。
今いる場所の全体像なのだろう。施設の周囲には赤い線が引かれ、その外側には建物や道路らしきものが無秩序に広がっていた。
《第一目標。外部環境の調査およびマスターの生活基盤の確保》
「生活基盤?」
《衣食住および現在の社会で活動するために必要な物資と通貨を確保します》
自分の置かれている状況を改めて確認する。着ているのは死ぬ直前と同じ服。ポケットへ手を入れてみたが、入っていたのは家の鍵と財布、それから画面の割れたスマートフォンだけだった。財布を開いてみれば、紙幣と硬貨は入っているが、当然ながら日本円である。この世界で使えるとは思えない。
「つまり今の俺は無一文ってことか」
《肯定》
「即答しないでくれる? 少し傷つくから」
《事実確認への回答です》
スマートフォンも電源が入らない。仮に動いたところでこちらの通信網へ接続できるとは思えなかった。転生という言葉だけを聞けば、もう少し夢のあるものを想像するが、実際は身分証も仕事も金もない状態からのスタートらしい。
「寝る場所は、ここじゃ駄目なのか?」
《一時的な滞在は可能です》
「ならしばらく引きこもって――」
《食料の備蓄はありません》
「……そう都合よくはいかないか」
生きていれば腹は減るし、食べなければ餓死まっしぐらだ。ここが二度目の終着点になるのはごめん被りたい。
「でも金を稼ぐにも仕事が必要だろ。俺、こっちの身分証も経歴もないぞ」
《労働による資金確保は必須ではありません》
「……どういうこと?」
アイギスの前方に投影されていた立体図が切り替わる。映し出されたのは施設内部にある一つの区画だった。何のために使われていたのかは分からないが、広い室内には家具も設備もなく、壁や床、天井までが淡い銀色の光沢を帯びた素材で覆われている。
《当該区画には、現在の市場において希少価値を有する鉱物が建材として使用されています》
「……これ、全部鉱石なのか?」
《正確には、希少鉱物を主成分とする複合素材です》
部屋の壁が端から端まで淡く光っている。見た目だけなら少し変わった金属製の部屋にしか見えない。だが、現代ではかなり価値のある素材らしい。
「これを売るってこと?」
《肯定。施設機能に影響しない範囲で区画を分解し、売却可能な大きさへ加工します》
「部屋を解体して生活費にするのか……」
《現在使用されていない区画です》
「そういう問題なのかな」
《当該区画を維持する必要はありません》
アイギスがそう告げると、立体映像の中で室内の一部が蒼く強調された。直後、施設の奥から大型の設備が目を覚ますような低い駆動音が響き、足元へ微かな振動が伝わった。
「……今、何してるんだ?」
《売却用素材の切り出し準備を開始しました》
「決断が早いな!」
《マスターによる資金確保の必要性を確認しています》
「まだ売るって言ってないんだけど」
《切り出し実行の承認を要請します》
「そのわりにもう準備万端じゃないか……」
立体映像が拡大される。壁面の一部に蒼い線が走り、売却に適した大きさへ区切られていく。切断位置の設定や搬送経路の確保まで、既に準備は済んでいるらしい。
今さら拒否する理由もない。施設の機能に影響しないというのなら、ありがたく使わせてもらおう。
「……分かった。施設に影響がないなら、それを売ろう」
《承認を確認。切り出しを開始します》
施設の奥から再び重い駆動音が響いた。立体映像の中で壁材が蒼い線に沿って切断され、運搬可能な大きさへ加工されていく。切り分けられた素材は蒼い光に包まれ、次々と姿を消していった。それとほぼ同時に、アイギスの内部から何かが作動するような低い音が響いた。
「さっきの壁材、どこにしまったんだ?」
《内部格納領域へ収容しました》
「この中に?」
俺は目の前にそびえる巨大な盾を見上げる。確かに大きいが、切り分けられた壁材を何枚も入れられるほど内部に余裕があるようには見えなかった。
《肯定》
「どうやって入ってるんだよ……」
《格納領域の構造説明を開始します》
「いや、たぶん聞いても分からないからいい」
《説明を中止します》
これで少なくとも食費を得るために危険な仕事へ飛び込む必要はなくなった。住む場所は当面この施設を使える。食料や日用品は切り出した素材を売った金で購入できる。身分証も仕事もないのは変わらないが、無一文だけは早々に卒業できそうだった。
「ちなみに、これってどれくらいの価値があるんだ?」
《売却先および市場状況により変動します》
「だいたいでいいから」
《現時点での正確な査定は不可能です》
「まぁ飯が食える程度になれば十分か」
《必要額を上回る可能性が高いと推測します》
「なら問題ないな」
この時の俺は完全に勘違いしていた。アイギスの言う「必要額を上回る」が、せいぜい数日分の食費を賄える程度だと思っていたのだ。実際の金額を知るのは、もう少し後のことになる。
《第二目標。オーパーツの収集》
「オーパーツ?」
空中に浮かんでいた施設の立体図が消え、代わりに形の異なる複数の物体が投影された。用途の分からない金属片。淡い光を放つ結晶。文字とも模様ともつかないものが刻まれた板。どれも古びているが、ただの廃品ではないことだけは分かる。
「名前は聞いたことあるけど……それを集めてどうするんだ?」
《私の損傷領域の修復および、使用できない機能の再起動に用います》
「お前の修理に必要ってことか」
《概ね正確です》
アイギスの前方へ、その内部構造を示す立体図が投影された。しかし、その大部分が虫食いのように黒く表示されている。現在使える主な機能は、防御と外部観測、それからごく一部の射撃機能だけらしい。いくつかの補助機能は動いているものの、本来備えていた機能の大半は使えない状態だった。
「今使えるのって、どれくらいなんだ?」
《全体機能の一部です》
「一部って?」
《正確な割合は、損傷により算出できません》
「思っていたより壊れてるな、お前」
《否定。主要構造は維持されています》
「でも、ほとんど使えないんだろ?」
《一時的に機能を喪失しているだけです》
それはつまり、壊れているということではないだろうか。
機械のような受け答えをするくせに、妙なところで頑固である。
「集めれば何が使えるようになる?」
《追加武装、移動補助、防御範囲の拡張、観測機能の強化などが推測されます》
「追加武装……」
そこだけは少し気になった。アイギスには射撃用の武器も仕込まれているらしい。オーパーツを集めれば、それ以外の武器まで使えるようになるということだろうか。
滅亡だの使命だのにはまだ実感が湧かないが、新しい機能が増えていくという話なら分かりやすい。
「それはちょっと気になるな」
《収集への意欲向上を確認》
「確認しなくていいから」
《収集効率の向上が期待できます》
こちらの反応がどういう理由によるものなのかは、アイギスには関係ないらしい。世界を救うためではなく、どんな武装が増えるのか見てみたいだけなのだが、それでも目的を達成できるなら問題ないということだろう。
「でも、そんなものをどうやって探すんだ?」
《収集手段の一つを提示します》
空中に浮かんでいたオーパーツの映像が消え、代わりに黒を基調とした半透明の画面が投影された。飾り気のない文字列と、見慣れない記号。画面上部には検索欄らしきものがあり、その下には報酬額や期限、危険度と思われる数字が並んでいる。
「……何これ」
《ブラックマーケット周辺で使用されている依頼仲介サイトです》
画面には物資の運搬や放置された無人兵器の回収、指定区域までの護衛、暴走ロボの排除といった依頼が並んでいた。どれも気軽に応募できそうな内容には見えない。しかも注意事項には、『武装推奨』『交戦の可能性あり』『依頼主は負傷に関知しない』など、見なかったことにしたくなるような文言まで添えられている。
「金は壁材を売れば何とかなるんだろ? わざわざこんな仕事をする必要ある?」
《依頼の報酬や回収対象に、オーパーツが含まれる可能性があります》
「金目的じゃなくて、オーパーツを探すためか」
《肯定。加えて、現地の情報や物資を得られる可能性があります》
正直、命を懸けてまで小銭を稼ぎたいとは思わない。だが、アイギスの修復に必要なものが手に入る可能性があるなら、話は変わってくる。それに、この世界の情報を集めるには、外の人間と関わる必要もあるだろう。
「オーパーツが関係してそうな依頼があったら教えてくれ」
《該当依頼を優先的に抽出します》
「勝手に受けるなよ?」
《マスターの承認なく受諾することはありません》
「そこは本当に頼むぞ」
《肯定》
世界を守るための盾に、生活費の確保から仕事探しまで任せることになるとは思わなかった。けれど、こちらの事情も常識も分からない俺にとって、これ以上ないほど頼りになる存在だった。
《第三目標。滅亡事象につながる異常の探知、調査および排除》
空中に浮かんでいた立体映像が一度消え、周囲の明かりまで僅かに暗く感じられた。続いてギヴォトスの全体図が投影され、その上へ正体不明の黒い影が重なるように広がっていく。
「……やっぱり実感湧かないな」
《私が存在する本来の目的です》
「それは聞いたけど……俺もやるの?」
《肯定》
どうやら本当に世界を救わなければならないらしい。何から救えばいいのかすら分からない俺にはあまりにも荷が重い話だった。
黙ってしまった俺の気持ちを知ってか知らずかアイギスの説明は続く。
《現時点で、滅亡事象の発生は確認されていません》
「じゃあ今すぐ何かと戦う必要はない?」
《肯定。ただし、今後発生する可能性は否定できません》
「起きたら?」
《原因を特定し排除します》
「やっぱり行き当たりばったりじゃん」
《現時点で提示可能な最適方針です》
あまりにも壮大すぎて現実味がなかった。昨日まで俺はどこにでもいる高校生だったはずだ。学校へ行き、アルバイトをして、帰宅してゲームをする。そんな生活を送っていた人間へ、突然この世界を守れと言われても使命感など湧いてこない。
「やらないって言ったら?」
《マスターと私の分離は不可能です》
「そうだったな」
《加えて、滅亡事象を阻止できなかった場合、マスターの生存も困難となります》
「世界が滅びたら俺も死ぬと?」
《肯定》
「選択肢があるようで全然ないな……」
世界を救いたいわけではない。特別な使命に目覚めたわけでもない。正義感に突き動かされたわけでもない。
ただ俺には帰る場所がない。この世界で行きたい場所も頼れる相手もいない。そして目の前の盾とはどうやっても離れられない。ならひとまず一緒に動く以外の選択肢はなかった。
「まとめると、まず壁材を売って飯を食う。それからオーパーツを集める。ついでに世界が滅びそうになったら何とかするって感じか?」
《概ね正確です》
「最後をついでで済ませていいのか?」
《優先順位は状況に応じて変更されます》
「そこは真面目なんだな」
《私は常に真摯に回答しています》
「冗談が通じてないだけだと思う」
《否定する根拠を確認できません》
やはり通じていなかった。残った水を飲み干し、空になったボトルを差し出す。アイギスの装甲が開き、ボトルがその内部へ引き込まれていった。
俺は壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。休んだおかげで呼吸はだいぶ落ち着いていたが、両脚にはまだ疲労が残っている。それでも、いつまでもここに座っているわけにはいかない。
「ちなみに、一番近い食べ物が手に入る場所は?」
《現在地から南東へ約二・三キロメートル。商業区画を確認しています》
「歩くの?」
《肯定》
「一応聞くけど、お前も一緒ってことか?」
《肯定》
「まさかずっと構えて歩けって言わないよな?」
《移動時携行形態へ移行します》
低い駆動音が響き、アイギスが床からゆっくりと浮かび上がった。その巨体が俺の横を通り過ぎ、背後へ回り込んだ。
反射的に振り返ろうとすると、アイギスも俺の動きに合わせて滑るように移動し、常に背後の位置を保った。
「……背負ってるように見えるけど、浮いてるのか?」
《肯定。マスターの神秘との同期を維持し、背後へ追従します》
試しに一歩進んでみる。アイギスも同じ距離を保ったまま音もなく付いてきた。立ち止まれば止まり、身体を傾ければその動きに合わせて僅かに角度を変える。背中に重量は感じない。だが巨大な盾が真後ろに浮かんでいるせいで妙な圧迫感だけはあった。
「持ち運ぶ分には楽だけどさ……」
俺は首を捻り、視界の端に映るアイギスを見上げる。
「これ、めちゃくちゃ目立たない?」
《肯定。極めて高い視認性が予測されます》
「もう少し言い方あるだろ」
《周囲から容易に発見されます》
「言い換えただけで何も改善してないな」
背中に自分の身体よりも大きな盾を浮かべて歩く少年。どう考えても、街へ溶け込める姿ではない。むしろ見てくれと言わんばかりである。
「小さくなったり、人目につかない形に変わったりはできないのか?」
《該当機能は現在使用できません》
「現在ってことは機能自体はある?」
僅かな沈黙のあとアイギスが答えた。
《関連機構の存在を確認しています。ただし必要領域の損傷および出力不足により起動できません》
「それもオーパーツを集めれば直る可能性があると」
《肯定》
早くもオーパーツを集める理由が一つ増えた。追加武装も気になるが、まずはこの目立ちすぎる巨体をどうにかしたい。こんなものを背後に浮かべたまま街中を歩けば、嫌でも注目を集めるだろう。
「……最初に直すなら、このデカさをどうにかする機能かもしれないな」
《優先候補として記録します》
「いや、決定じゃないからな。武装次第ではそっちを優先する」
《優先順位の変更可能性を記録します》
「そういうところだけ処理が早いな……」
だが、ここに残っていても腹は満たされない。壁材を金に換えるにも、外へ出なければ始まらない。
「……分かったよ」
大きく息を吐き、俺は外へ続く通路へ身体を向ける。それに応じるように先で閉ざされていた隔壁が低い駆動音と共に開いていく。隙間から差し込んだ陽光が暗い施設の床を細長く照らした。その向こうに何があるのか、俺はほとんど何も知らない。
危険な街。
銃を持つ生徒たち。
正体の分からない滅亡事象。
そして、オーパーツを集めるたびに新たな機能を取り戻していく巨大な盾。
不安しかないはずなのに、ほんの少しだけ先を見てみたいとも思っていた。前世では行きたい場所なんて特になかった。何かを手に入れるために自分から一歩を踏み出したこともほとんどない。立て続けに起きた非日常のせいで、少し感覚が麻痺しているだけかもしれない。それでも、ここに留まり続けるよりはましだと思えた。
《外部環境への移動を開始しますか?》
アイギスの問いに俺は開かれた隔壁の向こうを見つめた。目的なんて大層なものはまだない。とりあえず壁材を金に換えて、腹を満たす。それから、この世界について少しずつ調べていく。ついでにコイツの武装強化に付き合う。
今はそれで十分だろう。
「……まぁ、とりあえず行くか」
《肯定》
巨大な盾を背後に浮かべたまま、俺は光の差す通路へ足を踏み出そうとした。
ぐぅぅぅぅ……。
静まり返った施設内に随分と間の抜けた音が響き渡り、踏み出しかけた足が止まった。
「…………」
《腹部より、空腹を示す音響を確認》
「確認しなくていい」
せっかく少しは格好よく旅立てそうだったのに、最後の最後で台無しである。俺は空腹を訴える腹を片手で押さえ、改めて通路の先へ目を向けた。
《早急な栄養補給を推奨します》
「はいはい。勇者様の最初の仕事は飯探しです」
《マスターは勇者ではありません》
「そこを訂正する必要はないだろ」
こうして俺は、世界を滅亡から救うため――ではなく。
差し当たって今日の食事を確保するため、巨大な盾と共に外の世界へ足を踏み出した。
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