主人公君ギヴォトスに立つ
それではどうぞ!
「……お前、絶対に分かってて黙ってただろ」
揚げたてのアジフライを箸で突きながら、俺は隣で静かに浮かぶ巨大な盾を睨んだ。
さくりと薄い衣が割れる。中から現れた白身はまだ湯気を立てており、香ばしい油の匂いが鼻をくすぐった。皿の上にはアジフライのほかに、肉厚なメンチカツ、大ぶりなエビフライ、千切りキャベツが盛りつけられている。その隣には白飯と味噌汁、小さな漬物。
皿の上に並んでいたのは、前世でも何度か食べたことのある、ごく普通のミックスフライ定食だった。異世界での初めての食事が、まさかこれほど馴染みのあるものになるとは思わなかった。
しかも、この定食を作ったのはカウンターの向こうにいるロボットだった。金属製の腕で鍋や包丁を器用に扱い、前世でも見慣れた料理を作っている。その光景は、料理そのものよりよほど異世界らしい。そういえば、先ほど鉱石を買い取ってくれた店にもロボットの職員がいた。街には二足歩行する動物のような住民もいれば、俺と同じ人間の姿をした者もいた。
ただ、拠点を出てから一度も男を見かけていない。すれ違う人間は、やはり全員が少女だった。『ブルーアーカイブ』の人間が女の子ばかりなのは知っていたが、実際に目の当たりにすると違和感がすごい。周りも俺が珍しいのか、道中、何度も振り返られ、小声で何かを話されていた。
男だから目立つのか。それとも、こんな巨大な盾を連れているせいなのか。
まあ、たぶん両方だろう。
ちなみに俺が座っているカウンター席の隣には、ここまで道案内してくださった功労者――アイギスが収まっている。正確には壁へ重量を預けているわけではなく、床すれすれの位置にわずかに浮かびながら、自ら姿勢を維持していた。
俺から一定以上離れられないらしく、店の外で待たせることもできないため、隣の椅子を端へ寄せ、空いた場所に陣取ってもらっている。
巨大な盾と肩を並べて定食を食べる少年。
我ながらかなり妙な光景だと思う。
《質問の意図が不明瞭です》
「とぼけるな。さっきの査定額の話だよ」
《売却価格は事前予測の範囲内でした》
「だから、それを先に言えって言ってるんだ!!」
思わず声が大きくなり、カウンターの向こうにいるロボ店主と店内にいた数人の客から視線が向けられる。俺は箸を持ったまま小さく頭を下げ、声を落とした。
「……あんな金額をいきなり見せられたら、誰だって固まるだろ」
《マスターが驚く可能性は予測していました》
「じゃあ先に言えよ」
《必要性は低いと判断しました》
「コイツ、ほんとにッ……」
怒りをため息で流し、切り分けたアジフライを口へ運ぶ。さくさくした衣の内側から、柔らかい白身の旨味が広がった。油っこさはあるが添えられたソースの酸味がよく合っている。続けて白飯を頬張る。さくりとした衣の香ばしさとソースの濃い味を、熱々の白飯がほどよく受け止め、噛むたびに米の甘みが広がった。
「……うまい」
ギヴォトスへ来てから、初めて口にするまともな食事だった。死んだことも、見知らぬ世界へ来たことも、巨大な盾と一体になったことも、まだ現実とは思えない。それでも温かい食事が腹へ落ちていくこの感覚だけはよく知っていた。前世と変わらない味に、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ気がした。
拠点での訓練を終えた後、俺たちはアイギスが事前に調べていた鉱石の買取業者へ向かった。その道中でこの世界の通貨についても一通り説明を受けている。ギヴォトスで一般的に使われている通貨単位はクレジット。単位こそ違うが、価値の感覚は前世の日本円とほぼ同じらしい。地域や品物によって物価に多少の違いはあるものの、日常的な買い物ではその認識で問題ないと聞かされていた。だからこそ査定結果として表示された数字を見た瞬間、俺は何かの間違いだと思った。
「三百七十万クレジット……」
改めて口にしてみても、現実味がない。
《金額に誤りはありません》
「分かってる。分かってるから困ってるんだよ」
今回売却したのは、拠点の使われていない区画から試しに切り出した壁材の一部だけだ。大きさはスマートフォンほどだが、厚みは文庫本一冊分ほどある。片手で持てる程度の大きさではあるものの、見た目以上にずっしりと重く、俺からすれば少し変わった色をした金属の塊にしか見えなかった。
それを受付の店員に見せた途端、相手の態度が変わった。すぐに責任者が呼ばれ、俺たちは店の奥にある別室へ案内された。
入手経路や保有量についていくつか質問され、俺がうまくごまかせずにいると最終的にはアイギスが代わりに対応してくれた。拠点の場所は伏せたまま、必要な情報だけを伝え、話をまとめてくれた。
その後、素材が分析装置へ入れられると、測定は何度もやり直され、職員たちは慌ただしく動き始めた。
そして、査定の末に提示された金額が三百七十万クレジットだった。
「壁の切れ端一つだぞ?」
《正確には、希少鉱物を主成分とする旧世代複合素材です》
「俺から見たらただの鉄塊なんだよな……」
《外見上の用途と市場価値は一致しません》
「だから、そういう話じゃなくてだな……」
俺は箸を置き、両手で額を押さえた。前世で高校生だった俺にとって、三百七十万円など簡単に扱える金額ではない。アルバイト代を何か月分積み重ねても届かない。欲しいゲームを買うとか、少し高い外食をするとか、そういう話とは桁が違う。
拠点を出る前は、数日分の食費が手に入れば十分だと思っていた。それが今ではしばらく生活に困らないどころか、使い方を真面目に考えなければならない金額を持っている。
「お前、最初からこれくらいの価値があるって分かってたんだよな?」
《概算値は算出していました》
「どうして黙ってた」
《売却先によって査定額が変動するため、確定情報ではありませんでした》
「それでも数百万になる可能性くらい言えるだろ」
《事前に提示した場合、マスターの判断および精神状態へ不要な影響を与える可能性がありました》
「今まとめて影響を受けてるんだけど」
《結果として売却は正常に完了しました》
「終わりよければ全部よしみたいに言うな」
メンチカツを箸で割る。揚げたての衣から溢れ出る肉汁と香りが食欲をそそる。少しだけソースをつけて口へ運び、そのまま白飯をかき込む。
うまい。とにかくうまい。気づけば箸が止まらなくなっていた。
《摂取速度の上昇を確認》
「おっと、ここでも入るのか。おかんチェック」
《急速な摂取は推奨されません》
「今日は驚きの連続で腹減ってるから仕方ないだろ」
《空腹と摂取速度に直接的な相関はありません》
「腹が減ってたら、がっついちゃうだろ」
《適切な咀嚼を推奨します》
「はいはい。ゆっくり食べますよ」
どうやらコイツは戦闘訓練だけでなく、食事の仕方まで管理するつもりらしい。俺は味噌汁を一口飲み、改めて隣の巨大な盾を見上げた。
「それに、あの交渉は何だったんだよ」
《当初の提示額が適正価格を下回っていたため、修正を要請しました》
「要請っていうか、完全に相手を追い詰めてただろ」
実をいうと最初に業者が提示してきた金額は、百五十万クレジットだった。俺にはそれでも十分すぎる大金に見えたため、その場で了承しかけた。だが隣にいたアイギスがすぐに待ったをかけた。
アイギスは、含有されている希少鉱物の割合や過去の取引事例、加工後に見込まれる利益、そこから輸送費や保管費を差し引いた適正価格まで、感情のない声で次々と並べ立てた。業者側が提示額を修正するたびに新たな根拠を突きつけ、適正価格まで引き上げさせたところで、ようやく交渉を終えた。その直後、すっかり疲れ切った店員から代金を受け取ることになった俺の気まずさは、言うまでもない。
「途中から担当者の顔が引きつってたぞ」
《不当な利益を得ようとした結果です》
「怖いことを淡々と言うな」
《市場価格に基づく正当な交渉です》
「盾に値段交渉で負けるとは思ってなかっただろうな……」
箸を進めながら、ああ言えばこう言う盾畜生に文句を垂れていると、カウンターの向こうでロボ店主が小さく笑った。
「兄ちゃん、さっきからその盾と喧嘩してるのか?」
「喧嘩じゃないです。説明不足への抗議です」
《必要な情報は適切に提示しています》
「金額以外はな」
《査定額は売却前の段階では未確定でした》
「またそれかよ」
店主の視線がアイギスへ向かう。
「しかし、ずいぶん大きな盾だな。道中大変だったんじゃないか?」
「コイツ見た目程重くないので、そこは大丈夫でした」
こんなバカデカい盾見ても、嫌な顔一つせず席を空けてくれた店主には、頭が上がらない。
「邪魔になってません?」
俺が尋ねると、ロボ店主は狭くなった通路へ視線を向けた。
「今は空いてるから問題ねえよ。誰か通る時だけ少し寄せてくれ」
《通行幅を確保します》
低い駆動音と共に、アイギスがわずかにこちらへ寄ってくる。巨大な装甲が俺の方にこれでもかと迫ってくる。
「近い近い」
《必要な通行幅を確保しました》
「俺の分の空間が減ってるんだけど」
《生命活動への支障はありません》
「そういう問題じゃない」
ロボ店主がまた笑った。俺は諦めて、皿に残っていたエビフライへ箸を伸ばす。衣を噛み砕くと、小気味よい音が口の中へ響いた。中のエビは弾力があり、添えられたタルタルソースともよく合っている。
飯はうますぎる。手に入れた大金は怖い。そして隣の盾はうるさい。
ずいぶん落ち着かない食事だった。それでも、空腹が満たされていく感覚だけは素直にありがたかった。
「……まぁ、安く買いたたかれずに済んだのは助かったけど」
《謝意を確認》
「確認しなくていい」
《肯定》
「それもいらない」
俺は小さく息を吐き、残っていた白飯を口へ運んだ。スマートフォンほどの壁材の切れ端一つで、三百七十万クレジット。しかも使われていない区画には、同じ壁材が部屋一つ分も残っている。考えれば考えるほど、金額の桁が恐ろしくなる。
「ちなみに、あの素材はあとどれくらい切り出せるんだ?」
《概算を開始します》
「待て。やっぱり聞きたくない」
《概算を中止します》
今は知らない方がいい。少なくとも、今日の食事代に困ることはなくなった。それだけ分かれば十分だ。
俺は皿に残った千切りキャベツへ箸を伸ばした。
《野菜の摂取を確認》
「食べてる最中まで報告するな」
《栄養構成の改善を確認しました》
「黙って見守るって選択肢はないのか?」
《必要性を確認できません》
どうやら、これからの食事は毎回こんな調子になるらしい。巨大な盾に見守られ、食べる速度から栄養まで注意される生活。中学までは、祖父母と一緒に食卓を囲んでいた。祖母からは野菜も食べるように言われ、祖父からは急いで食べるなと注意されたこともある。
高校へ進学し、一人暮らしを始めてからは、食事のほとんどを一人で済ませるようになった。何を食べようと、どれだけ早く食べようと、口を出してくる相手はいなかった。
だからだろうか。こうして食べ方を注意されるのは少し面倒なのに、その声をうるさいと切り捨てる気にはなれなかった。不思議と、嫌ではなかった。
「ごちそうさまでした」
きれいになった皿の前で手を合わせる。気づけば、ほんの少しだけ頬が緩んでいた
会計を済ませ、俺たちは来た道を戻り始めた。
温かい食事で腹も満たされ、張り詰めていた気分もいくらか軽くなっている。このまま何事もなく拠点へ帰れれば、今日はもう十分だった。そんなフラグめいたことを考えながら歩いていると、不意にアイギスが声を発した。
《マスター。警戒を推奨します》
「ん?」
不穏な発言に、思わず足を止めかける。
「何かあったのか?」
《後方から複数名が追従しています》
「追従?」
《一定の距離を維持しながら、当機とマスターの進路に合わせて移動しています。尾行の可能性があります》
反射的に振り返ろうとすると、背後に浮かぶアイギスが、俺の動きを遮るようにわずかに位置を変えた。
「何も見えねえ……」
《後方の直接確認は推奨されません。追跡を認識したことを察知される可能性があります》
尾行されるような身に覚えはない。
……まあ、十中八九、狙いはコイツだろうけど。
それにしても、俺はまったく気づかなかった。コイツ、尾行まで見抜けるんだな。
《マスターには追跡者を発見した経験がありません。認識できなかったのは正常です》
「生まれてこの方、尾行されるようなことなかったからな」
《尾行経験の不足を確認》
「そんな経験、積みたくもないけどな」
背後に浮かぶアイギスを軽く叩き、歩調を変えないよう意識しながら、そのまま進む。だが尾行されていると聞かされたせいで、背後から聞こえる足音の一つ一つが気になって仕方がない。さっきまで何も感じていなかったはずなのに、今では視線まで背中へ突き刺さっているように思えた。
不自然なほど静まり返った大通りを進んでいると、前方から三人の少女が姿を現した。全員が銃を携えており、何より目を引いたのは、その頭を覆う奇妙なヘルメットだった。顔をすっぽりと隠す装甲の上部から、長いうさ耳が伸びている。
ほぼ同時に、背後からも複数の足音が近づいてきた。振り返れば、同じ格好をした二人の少女が、いつの間にか俺たちの退路を塞いでいた。
「そこで止まれ」
先頭の少女が、低い声で言い放つ。ほかの少女たちが黒いフルフェイスヘルメットに黒い制服姿なのに対し、彼女だけは赤いヘルメットと赤い制服を身につけていた。おそらく、この集団のリーダーなのだろう。
俺が足を止めると、少女は肩に担いでいた銃をこちらへ向けた。
「妙な真似はするな。今、自分がどういう状況か分かってるよな?」
「……お前の予想、外れてくれなかったか」
《尾行の可能性は高いと報告しました》
「……その正しかったアピール、今いる?」
《事実確認です》
「はいはい。優秀で助かりますよ」
俺は両手をゆっくりと上げ、できる限りの無害アピールをする。だが目の前の銃口が下がる気配はない。外へ出てから、まだ一時間ほどしか経っていないのに、もう武装した連中に囲まれている。本当に治安が悪いんだな、ギヴォトス。
少女は一歩前へ出た。ヘルメットから伸びたうさ耳が、その動きに合わせて揺れる。
「よく聞け。あたしたちは、ぴょんぴょんヘルメット団だ」
「……可愛い名前だな……あっ」
おい、バカ俺。何を口走ってるんだ。テンパっているからって、時と場所を考えろよ、俺の口。
「……今、可愛いって言ったか?」
「言ってません。命が惜しいので、絶対に言ってません」
「……まあ、その。悪い気はしないけどな」
少女は小さく呟くと、誤魔化すように顔を逸らした。よく見ると、何やら落ち着かなさそうに身体を揺らしている。心なしか、頭のうさ耳までそわそわと揺れているように見えた。
「……隊長、もしかして照れてる?」
「照れてねえ!」
「隊長、よかったね。人生で初めて男の子に褒められたじゃん」
「よくねえ! 今はそういう話してねえだろ!」
「でも、ちょっと嬉しそう」
「ぶっ殺すぞ、お前らッ!」
何だか和やかな雰囲気になってきた。このやり取りだけ見れば、学生同士のじゃれ合いのようで微笑ましい。
銃さえ振り回していなければ、だが。
このまま有耶無耶になって、見逃してくれないだろうか。そんな淡い期待を抱きながら逃げる隙を探していると、隊長と呼ばれた少女が一つ咳払いをした。そして、勢いよく銃口をこちらへ向ける。
「と、とにかくだ! その盾を置いていけ!」
照れ隠しに向けるものとして、銃口はあまりにも物騒すぎる。
しかし、予想はしていたがさすがはギヴォトス。こんな物騒なカツアゲが日常茶飯事なら、ゴッサムシティも真っ青だろう。どうにか穏便に切り抜けたい。金を出せと言われたのなら、いくらか渡して逃げればいい。だが、今要求されているのはアイギスだ。
コイツは俺から離れられない。さて、どう説明したものか……
「それがですね……大変申し上げにくいんですが、ご要望には沿えないといいますか……」
「あ?」
銃口がわずかに持ち上がった。
「違います! 逆らいたいわけじゃなくて、本当に無理というか、俺の意思とは関係ない仕様上の問題でして!」
慌てて両手を振りながら弁解する。いや、これが弁解になっているかすら怪しい。
《当機とマスターの長距離分離は不可能です》
「ほら、本人もこう言ってますし」
「というか、なんでその盾、喋ってるんだ? 中に人でも入ってんのか?」
「入ってません。見た目どおり、ただの喋る盾です」
《訂正。当機はただの盾ではありません》
「今、そこを訂正する必要ある?」
《当機の機能を不当に矮小化する表現です》
「今は黙っててくれない?」
少女たちの怪訝な視線が、俺と巨大な盾を行き来する。
まずい。説明すればするほど、話が悪い方向へ転がっている気がする。
「そんな話、信じると思うか?」
「思わないですよね。俺も逆の立場なら、もう少しましな嘘をつけって思います」
《当機の説明に虚偽は含まれていません》
「分かってる。今は相手の気持ちに寄り添ってるところだから」
《虚偽を前提とした共感に有用性は認められません》
「お前はもう少し俺の気持ちにも寄り添ってくれない?」
《マスターの精神状態は緊張および軽度の混乱にあると推定します》
「分析してほしいんじゃないんだよ!」
「お前ら、さっきから何の話してんだ!」
隊長が苛立ったように銃を握り直した。
「ならお前ごと持っていけばいい! お前の身ぐるみ全部ひん剥いて売りさばいてやる!」
「その発想に行き着きます?」
《両者を同時に拘束する案には合理性があります》
「敵の作戦を評価するな!」
《合理性と推奨は異なります》
「正論で返せばいいと思ってない?」
「うるせえ! とにかく、その盾を寄越せ!」
「だから無理なんですって! 仮に引き剥がせたとしても、俺以外には使えませんよ!」
《訂正。引き剥がすこと自体が困難です》
「今は順番に諦めさせようとしてるの!」
《非効率的です》
「交渉には段階ってものがあるんだよ!」
「うるせえ! 最後だ。その盾を置いていけ!」
隊長が顎を動かすと、仲間たちが一斉に銃を構えた。その瞬間、さっきまで辛うじて残っていた軽い空気が消える。進行方向には、隊長を含む三人。背後には、尾行していた二人。人気のない大通りの中央で、俺たちは完全に挟み込まれていた。前からも後ろからも、いくつもの銃口がこちらへ向けられる。背中に冷や汗が噴き出し、思わず一歩後ずさった。
《敵対意思の上昇を確認》
「それはもう見れば分かる!」
コイツが俺の背後から滑るように前へ回り込み、進行方向にいる三人との間へ巨体を割り込ませた。
「動くな!」
「ああ、待って! 違うんです! コイツは自動で俺を守ろうと――」
パンッ――!
空気を叩き割るような乾いた音が、静まり返った大通りに鋭く響いた。一瞬遅れて、コイツの装甲から火花が弾ける。甲高い金属音とともに、弾かれた弾丸がアスファルトの上を跳ねた。何が起きたのか理解するより先に、身体が反射的に縮こまる。
《実弾の着弾を確認。装甲防御、正常に作動》
「……本当に撃ちやがった」
訓練とは違う。今、目の前の少女は、本気で俺を狙って引き金を引いた。そう理解した瞬間、遅れて心臓が大きく跳ねる。喉がひどく乾き、さっき食べたばかりの料理が胃の中で重く沈んだ。
《敵対行動を確認。防御態勢へ移行します》
次の瞬間、コイツが低い駆動音を響かせ、装甲の側面で俺の身体を強く押した。
「うおっ!?」
踏ん張る間もなく、身体が大通りの脇へ弾き出される。たたらを踏みながら歩道へ上がり、閉ざされた店のシャッターへ背中からぶつかった。鈍い音が響いたが、どうにか転倒だけは免れる。
「いった……何すんだよ!」
顔を上げたところで、ようやくコイツの意図が分かった。シャッターを背にした俺から見て、右手側には隊長を含む三人。左手側には、背後から回り込んできた二人。
その両者の間――大通りの中央へ、コイツは自ら滑り込んでいた。
俺へ向けられていた左右の射線を、あの巨体がまとめて塞いでいる。
《マスターを包囲領域外へ移動。安全位置を確保しました》
「安全って……!」
完全に安全とは言い難い。それでも、俺はすでに包囲の外へ出ている。代わりにコイツが大通りの中央へ残り、五人全員と俺との間に立っていた。
「撃て!」
隊長の号令と同時に、左右から立て続けに銃声が響いた。右手側から飛んできた弾丸が装甲正面へ叩きつけられ、激しい火花が散る。その直後には巨体が鋭く角度を変え、左手側から放たれた弾丸を装甲の側面で弾き返した。
途切れることなく浴びせられる銃撃に合わせ、コイツは細かく旋回を繰り返す。そのすべてが、本来なら俺へ飛んできていた弾丸だ。けれど、一発もこちらには届かない。
《複数方向からの実弾着弾を確認。装甲防御、正常に作動》
「……俺の代わりに、全部受け止めてるのか」
《マスターの防護を最優先します》
いつもと変わらない、感情のない声だった。弾かれた弾丸がアスファルトを跳ね、その一つが俺の足元まで転がってくる。小さく潰れた金属片を見た瞬間、背筋が冷たくなった。あれが一発でもコイツを抜けていたら、そう考えるだけで、身体が竦む。それでも、火花を散らしながら俺の前に立ち続ける巨体を見ているうちに、震えていた膝へ少しずつ力が戻ってきた。
訓練時間はたったの三十分。相手は五人で、全員が銃を持っている。今の俺に、あいつらへ勝てる要素なんて一つもない。
それでも、訓練の時からコイツが頼りになることは分かっていたつもりだった。けれど、こうして実弾を一発も通さず受け止めている姿を見て、ようやく実感した。少なくとも、コイツの後ろにいる限り、いきなり蜂の巣にはならずに済む。なら、少しくらいは足掻けるかもしれない。ここで震えているだけよりは、余程マシだ。
俺は背中をシャッターから離し、ゆっくりと立ち上がった。
「……本当に、戦うしかないのか?」
《相手は武装しており、当機の強奪を目的としています。退路を確保するには、敵対行動の排除が必要です》
「まあ……そうなるよな」
コイツの陰から、左右に分かれて銃を構える少女たちを覗く。その頭上には、全員に光輪――ヘイローが浮かんでいた。この世界の生徒が、前世の人間とは比べものにならないほど頑丈なのは知っている。銃で撃たれても簡単には死なず、爆発に巻き込まれても、怪我や気絶で済む。広告や動画で見かけた程度の、断片的な知識ではある。
けれど、それは画面越しに知っていただけの話だ。実際に目の前に立っているのは、ゲームのキャラクターでも何でもない。仲間同士でじゃれ合い、俺の一言に照れていた、生身の少女たちだ。そんな相手を攻撃しろと言われて、何の迷いもなく動けるほど、俺は肝が据わっていない。
「……あいつら、本当に攻撃しても大丈夫なのか?」
《一般的な生徒の耐久力であれば、当機を用いた攻撃によって致命的損傷が生じる可能性は低いと判断します》
「可能性は低い、か……」
言い切ってくれない辺りが、実にコイツらしい。
《現在使用可能な機能では、生徒の神秘防護を完全に突破することは困難です。ただし、打撲や骨折などの負傷が生じる可能性はあります》
致命傷を負わせる可能性は低いが、無傷で済むわけでもない。それを聞いて安心していいのかは分からなかったが、少なくとも最悪の事態にはなりにくいらしい。
再び銃声が響き、コイツの装甲で火花が弾ける。いつまでも迷っている時間はない。俺にもヘイローはある。もしかすると、彼女たちと同じように銃弾を受けても平気なのかもしれない。だが、その“かもしれない”を確かめるために一発受けてみようとは、さすがに思えなかった。
できることなら傷つけたくない。だからといって、俺が大人しく撃たれてやる理由もない。
「……まあ、向こうから仕掛けてきたんだ。多少痛い目を見るのは、仕方ないか」
誰に言うでもなく呟く。自分を納得させるための言葉だった。
「必要以上にはやるな。武器を落とさせるか、逃げてくれればそれでいい」
《了承。防御および武装解除を優先し、マスターの戦闘を補助します》
構えを覚えたばかりの素人を、いきなり実戦へ放り込むなんて笑えない冗談だ。それでも、俺はコイツの背後へ向かって歩き出した。銃声が響くたびに肩が跳ねる。足はまだ震えているし、今すぐ逃げ出したい気持ちだって消えていない。
それでも、足は止めなかった。火花を散らしながら立ち続ける巨体へ手を伸ばし、背面からせり出したグリップを強く握り締める。そのまま巨体を身体の正面へ引き寄せた。ずしりとした重みが、両腕と肩へ伝わる。何度も繰り返した構えのはずなのに、訓練の時とはまるで違った。
手のひらが汗で滑る。心臓は嫌になるほど速く脈打ち、膝もわずかに震えている。
逃げたい。
戦いたくない。
けれど――こんなところで意味もなく死ぬのは、ごめんだった。
一度だけ深く息を吸い、震える指へ力を込めた。
そして初めて、その名を声に出す。
「……やるぞ、アイギス」
《戦闘補助を開始します》
グリップを通して、補助機構が俺の腕へ接続される。低い駆動音とともに、巨大な盾が俺の動きへ追従するようにわずかに浮き上がった。
「ちッ! お前ら、やっちまえ!」
少女たちが一斉に引き金へ指を掛けると同時に、俺はアイギスを正面に構え、震える足を無理やり前へ踏み出した。
最後まで読んでいただきありがとうございます
感想や誤字報告などいただけると、とても励みになります。