幼い頃から同じ施設で育った
昔からなんでもそつなくこなす人ではあった。
椋羽はあまり初めてのことを上手くできないけれど、彼女は大抵なんでもやってのけた。
でもたまに大きなミスをする。
するとまるで子どものようにわんわん泣いて、悔しさを露わにする。
そんな人間だった。
だから葉風ちゃんのことが心配ではある。
彼女には人よりも輝かしい才能があって、物事を見る目も少し変わっている。
誰もが当たり前だと思っている枠に囚われないその感性は、時として他人の目には聖人のように映る。
だけど。
彼女だってたった一人の女の子だ。
それを椋羽だけが知っている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
PM 20:00――
東京都 港区 六本木 ビジネスホテル
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
エレベーターで上階へ向かう最中、
征陸さん曰く「違法ホログラムの対策には強い酒が一番」らしい。
「
多分葉風ちゃんはお酒に強いだろうが、椋羽はたいして強くない。
なんかきっとそんな気がする。
エレベーターを目的の階で降り、狡噛さんと征陸さんが扉の前に待機。常守さんが預かったマスターキーで扉を解錠する。
赤いランプが緑になり、常守さんは狡噛さんへアイコンタクトを取った。
ほか3人がドミネーターを携帯する中、椋羽だけは無い。
支援官には使用が認められてないからだが、椋羽にはそんなことは分かっている。
ドミネーターは怖い。
瞬時に人の心を犯罪係数という数字の枠に押し込めてしまう。
色相のようなグラデーションでは無く、ただ無機質な数字へと堕とす。
それでも、今この瞬間だけはそれが有効な手段であることを分かっている。
常守さんが扉を開け、執行官2人が突入したのを追って部屋に入る。
自分には武力は無い。せいぜいスタンバトンくらいだから用心しなくては。
「公安局です!
常守さんらがドミネーターを向ける先に人は居ない。だけど、この空間に確実にいる。
その瞬間、室内ホロがおかしな挙動を見せた。
ベッドが分裂し椅子が増え、花瓶が空を舞い方向感覚が狂わされる。
「これって!」
「ホロコスどころか内装ホロまでクラッキングしてやがる!」
部屋の縁が分からない。正面がどっちかも分からない。
目の前で処理しきれない情報量に頭痛を覚えながらも感覚を研ぎ澄ます。
きっと御堂はここから逃げるためにクラッキングを行った。
であれば必ず姿は見せる。椋羽たちがそれを認識できていないだけのはず。
ゆらり、と色が動いた気がした。
「今、御堂が横を抜けました!」
椋羽が声を上げたことで狡噛さんが即座に部屋を出て追いかける。
征陸さんの「コウ!」と呼ぶ声も聞かずにドミネーターを向けた。
しかし内装ホロの侵食が廊下まで広がり満足に狙いが定まらないのだろうか。常守さんの困惑の声も聞こえる。
再度征陸さんが狡噛さんを呼んだその時、頭上でライターが飛んだ。
即座に征陸さんはポケットの酒を口に含みライターの火に向かって吹きかける!
火炎放射器の様に火は真っ直ぐ広がり天井のスプリンクラーを作動させた。
数多の水滴たちがホログラムをすり抜け床へ落ちる。
自分たちはずぶ濡れになってしまうもののひとつ、またひとつと宙を舞うホロが消えていく。
視界の先で、スプリンクラーの水に怯え廊下の端に蹲る人間が2人と、中央に立ち尽くす人間が1人、見えた。
迷わず狡噛さんはドミネーターを向け、そして撃つ。
ドミネーターが変形したから執行モードは致死性のある《
一撃が御堂の左腕に着弾する。
片腕を吹き飛ばされてもなお、彼は止まらない。
彼はそのまま非常階段から血痕を残して下へと逃げてしまった。
「痛覚遮断ドラッグか」
「あの怪我なら逃げきれない。あとは宜野座たちに任せよう」
大丈夫。
人が怪我をするところくらい見たことはある。
ただ、あれを【適正な執行】と呼ぶことにはしばらく慣れそうになかった。
椋羽だけは慣れたらいけないのかもしれない。そんな風にさえ思える。
人を破裂させる銃弾に片腕を吹き飛ばされても止まらない人間。
椋羽からすればどちらも狂ってる。
「椋羽ちゃん、どうして御堂が通ったのが分かったの?」
常守さんが椋羽を気遣ってか、廊下から離れて質問をする。
なんてことは無いのだが、とりあえず説明としては「見えたというよりもそこに人がいる感じがしたから」だ。
ホログラムとはいえ実在する人間の存在が消えるわけではない。ほんの一瞬、そこだけ色が違って見えた。それだけだ。
「大したもんだな。俺にはさっぱりだった」
「私もちゃんと見えた訳じゃないですよ、なんとなくです」
征陸さんの褒めは有難く受け取る。
ふと狡噛さんの方を見れば彼は興味深そうに考えた後「……アンタ、葉風と似たようなことを言うんだな」と続けた。
椋羽からすれば全然違う。
違うのだが、言語化も難しい。
「まぁ、ほら。葉風ちゃんは葉風ちゃんですから」
そんな形になりきれない言葉しか出てこなかった。
=======================
いつものように公安車両を降りて執行官2人と合流したところで、
「監視官さ、ギノっちに配置変更のお願いとか勇気あるじゃんね」
「そうですか? その方が私の知りたいことに近付けそうだっただけですよ」
そんな私の返答に、縢さんは苦笑いを零した。
「監視官……あ、葉風ちゃんでいい?」
「どうぞ」
「葉風ちゃんはさ、コウちゃんみたいになりたいの?」
聞きたい意図は明確だ。
つまりは潜在犯と思考回路が似ていることや【知りたい】の欲求と引き換えにする色相ないしは犯罪係数の悪化について彼は指摘している。
しかし、私にとってそれは杞憂である。
「二の舞になるつもりはありませんし、ならないと思います」
「分かんないよ? シビュラってのはいつも気まぐれだから」
「大丈夫です。そういう点で私は
ぱちくり、と目を瞬かせた彼に、私はにこりと微笑んでから御堂の自宅マンションを見上げた。
ここにきっと御堂ではない誰かに繋がる手がかりがあるはずだ。
その誰かにアクセスするならきっと自宅の方が情報がある。そんな気がする。
「葉風ちゃんって結構不思議だよね。俺はてっきり、コウちゃんと同じ御堂の方に行きたがると思ったのに」
「自宅に残された痕跡に興味があるんです。大抵の人間は自分が一番大切だと思っているものを自宅に隠す」
「
私と縢さんのやり取りを聞いていたのか、珍しく
私としてはクールな彼女が興味を持ってくれただけでも少し嬉しい。
「呼び捨てでもいいですよ」
「……東雲さんは、自分の色相が濁ることが怖くないんですね」
「はい」
「どうして?」
どうして、と改めて聞かれると弱い。
私の色相なんてアテにならないし、例え色相を気にする必要があったとしても、多分それよりも大切なものがあるから気にしない。
それに、この色で私の価値が左右されるとも思っていない。
そういう点で
「椋羽ちゃんがいればそれで良いから、かな」
驚きの表情を見せる2人に、私は心のままに言葉を届ける。
「私の色は私たちだけの物。どんな色になったって自分の心は侵されないし、この引き金の重さは変わらない」
それに本当の自由なんてあって無いような物だから、と続けたところで宜野座さんから声が掛かった。
私は2人に「ま、そういうことですよ」と軽く笑って見せ、宜野座さんの後を追う。
2人がどんな表情をしているかは見ることが出来なかったし、見るつもりもなかった。
御堂宅の鍵は開いていた。
鍵を閉めるだけの余裕も無かったのだろう。
切羽詰まってそれでも縋りたい物がこの部屋にあるという事だから。
それはきっと御堂にとって、己の顔にしたいくらい大切な物だったんだろう。
しかし、もし御堂が永遠の
だってそれはあまりにも
目的のために猟犬を呼び寄せるなんて愚かだ。
よって御堂は見切りを付けられる。
それが奴ら自身によるものか、我々公安局によるものかの違いだけ。
部屋に突入して最初に、錯乱する御堂が目に入った。
左腕は無くなり、ベルトで止血したのが分かる。
『執行モード リーサル・エリミネーター 慎重に照準を定め、対象を排除してください』
犯罪係数は335。
エリミネーターへの変形はシビュラからの死刑宣告。
私はそんな彼を見ながらも、仲間たちが冷静に職務をこなすのをただ見ていた。
どうせ私がやらなくても彼は死ぬ。
エリミネーターの着弾によって身体は膨れ上がり、多量の血を撒き散らして彼は肉片となった。
「クリア」
「誰も……いねぇ、よな?」
「一体誰と話してたんだ」
誰も居ないなんてことはない。確実にここにもうひとり居た。
他の誰にも分からなくたって、私にだけは分かる。
御堂の血で汚れたパソコンに近付き、そっとキーボードを撫でる。
御堂はここで何を見ていた?
何を聞いて、何を求めた?
目を閉じれば、まだそこに彼の痕跡が残っている。
一つずつ拾っていく。
思考をなぞって御堂が見ていたものを想像する。
すると、不意に声が浮かんだ。
「人は誰かの【代理人】……何者にもなりうる君の個性……知りたい」
実際にそう言ったのかは分からない。
ただ、きっとこの人ならそう言う。
そんな確信だけがあった。
私も、知りたい。
画面の向こうのあなたの顔。
誰にも見せていないその顔。
貴方はいったい誰?
その瞬間。
確かに向こうがこちらを見たような、そんな気がした。
=======================
公安局のビルにて、常守と宜野座は2人夜風に当たっていた。
空はすでに白み始めている。夜明けが近い。
「今回、君は十分良くやった」
宜野座から褒めの言葉など非常に珍しい事ではある。
しかし常守は素直に受け取らず、心の内を零す。
「結局、犯人を突き止めたのは狡噛さん…でした。あんな風に犯人の思考を把握し、予想するなんて」
「それが執行官だ。犯罪者と同じ心理傾向を持っているからこそできることだ」
それでも2人は分かっている。
その枠に収まらない人間が幾人かいることを。
特に東雲 葉風という人間があまりにも当てはまっていないことを。
「理論上、犯罪者の心理を把握し予想するには同じ心理傾向を持つ…とされています。でも、狡噛さんや葉風ちゃんが御堂のような殺人鬼と同じ心の持ち主だなんて……思えません」
「監視官は監視官としての役目だけを果たせ。執行官とは一線を引き、何事にも惑わされるな」
「それがこの仕事の鉄則、ですか」
「いや。俺の経験則だ」
「え?」
常守は信じられない物を聞いたかのように驚く。
宜野座が「執行官と一線を引け」と言っていたのは常で、それが仕事の鉄則だと自分にも言い聞かせていたとわかったからだ。
「俺はかつて過ちを犯した相棒を失った。俺には彼を止められなかった。今また似たような動きをする奴が現れ、君も気にしている」
宜野座は手元のデバイスから常守に何かを送信する。
常守が確認するとファイルは2つ。
「君に同じ轍を踏んで欲しくない。それにもし彼女が
両方とも人事課のファイル。
宜野座は目を通したら破棄するように言い含め、その場を立ち去る。
常守はそれを見送ってからひとつ目を開いた。
『
「え?」
『未解決事件 公安局広域重要指定事件
ふたつめは予想通り彼女の事だった。
『東雲 葉風 監視官。女性。19歳』
自分と同じくらいクリアな色相は綺麗な白ベースの紫色。
そんな彼女の続く特記に、私は言葉を失った。
『犯罪心理分析能力、状況判断能力、対人心理理解能力において極めて高い適性を確認。公安局監視官適性評価試験においてA級メンタリスト認定基準を大幅に上回る能力を確認。しかし認定基準に定められた運用安全性を満たさなかったため、資格認定を保留』
思い起こされるのは
「……深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。彼女はその深淵に属しているのさ」
彼女はいったい、何者なのだろうか。