PM 21:00一一
厚生省 公安局 ビル内 分析室
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しかし
どうやら縢くんが執行官になった時にはもう、狡噛さんは降格させられていたらしい。
ただ、
狡噛さんは迷宮入りしたその事件を追い続けた結果、犯罪係数がオーバーし監視官を降ろされたとか。
「佐々山執行官……あぁそりゃ忘れられる訳ないわ、標本事件は」
「標本事件?」
縢くんでダメなら、と比較的話しやすい
「現場じゃそう呼んでたんだけどね…
プラスティネーションとは生体標本の作成方法の一つである。
死体に樹脂を浸透させて保存可能な標本にする技術だ。
「あれを活用した猟奇殺人だったのよ」と話しながら唐之杜さんはモニターに画像を出してくれた。
しかしあまりの凄惨さに思わず声が出る。
皮膚を剥がされ元が誰だったかなんて分かるはずもないその写真は、ただ人間であると認識するだけで精一杯だった。
「バラバラに切り開いた遺体をプラスティネーションで標本にして、そいつを街のど真ん中に飾り付けてくれたわけよ。盛り場を飾るホログラムイルミネーションの裏側に、ね」
「…酷い」
「何千人という通行人が環境ホロを眺めているつもりで、実はその下に隠れているバラバラ死体とご対面してた〜っていう。バレた時のエリアストレスは4レベルも跳ね上がってね。報道管制まで敷かれたほどよ」
はた、と六合塚さんを見ればカップラーメンを啜っている。
食事中になんて話をと思って謝罪したものの不思議そうな顔で「何が?」と言われてしまった。
唐之杜さんが言うに六合塚さんはもっと、情熱的、なのが好み、だとか。かなり反応に困る。
こういう気にしない部分が彼女らしいというか、そうであるからこそ、なのか。
「今は標本事件の話でしょ? 続きは?」
「まぁ、明らかに専門家の仕業だったからね。捜査の焦点も薬学、化学のエキスパートに絞り込まれていったんだけど…その途中で、佐々山くんがね」
そんな六合塚さんが促し、話し始めた唐之杜さんは佐々山さんの話で悲しそうな顔をして一息ついた。
「結局、全然別件で捜索願いの出ていた高校教師のアパートからプラスティネーションの樹脂が見つかってね」
映し出された
とてもこの優しそうな面持ちの人が、あの残酷な死体を生み出したなんて思えない。
「コイツが失踪した途端に犯行が止まったし、まぁ間違いなく黒だったはずなんだけど。状況証拠だけだしねぇ……実際のところは迷宮入り? それに藤間には化学の素養なんて無かったから問題の樹脂を誰が調合したのか、それさえも謎のまま」
「共犯者がいた……ってことですか?」
「そもそも用途を承知の上で樹脂を作ったのかどうか…それすらも分からないんじゃ共犯と呼んでいいのやら?」
良く考えれば、用途を分かっていたのなら犯罪に加担することになる。
それ即ちサイコパスの悪化。つまりは犯罪係数の上昇だ。
彼の周りでそれらしい犯罪係数の上昇を示した人間はいなかったのだろうが、そんなことくらい当時捜査に当たった人間も分かっていたはずだ。
「入手経路も謎のままだし、今となっては……神のみぞ知るってね」
じゅるり、と六合塚さんの啜る麺の音だけが分析室に響いた。
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2112年 12月10日 PM 12:00一一
東京都 私立桜霜学園 食堂
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私立桜霜学園、都内でも有数の名門女子校。
昔ながらの伝統と純潔を重んじ、いわゆるお嬢様学校の名にふさわしい風格を漂わせている。制服のベージュ色のセーラー服は誰が見てもこの学園の生徒だと分かるほどには有名だ。
「
この学園の生徒の1人である霜月 美佳は、
「教員たちには箝口令が敷かれてる。生徒たちを不安がらせないようにって」
「なんでそんな。余計不安になるじゃない」
目の前に座る加賀美はショートカットの似合う黒髪の少女。一方霜月は少し茶色がかった髪をポニーテールに纏めている。
「この学校ってさ、つまりは多感な思春期の少女を隔離してサイコパスを曇らせない様、温室栽培をするっていうのが売りなのよ。だから臭い物には蓋をする。保護者相手の対面もあるしね」
「やだ、怖いよ」
「怖い噂だけならも~っとあるよ? 昔この学校にいた先生のひとりに…」
そこまで話したところで、辺りが騒めいた。
こういう時に現れるのがあの女。霜月の苦手とするタイプの女だ。
名を
ストレートロングの黒髪を揺らし、いつも取り巻きを連れて歩く学園中から「様」まで付けて呼ばれる憧れの先輩…らしいのだが、霜月にはどうにも怖くて堪らない。あの手の女が一番信用したらいけないと相場が決まっている。
微笑みかけられた生徒は嬉しそうに頬を赤らめ、喜ぶ。
なぜ彼女がそこまで人気なのか、霜月には全く理解が出来なかった。
「美人だし、頭も凄くいい。理由ははっきりしているじゃない」
「私、あの人ちょっと怖いんだよね」
「どうして?」
「目が、ね。時々虚ろなんだ。ここじゃない別次元を見つめるような目をする」
そこまで話して、後ろから霜月たち二人を呼ぶ声があった。
噂をすればなんとやら。もしかしたら霜月たちに用があってはなからこの食堂に来たのかもしれない。
「川原崎さん、霜月さん」
「どうも」
「こっ、こんにちは」
後ろを振り返れば、予想通り王陵 璃華子が声をかけていた。
切り揃えられた前髪と圧倒的な美貌が、彼女の顔の良さを高めている。そんな気さえする。
「食事中にごめんなさい。ふたりとも何のクラブにも所属していないでしょう? ここ桜霜学園のようなクラブ活動をやっている教育機関なんて今ではすごく珍しいの。勿体ないと思って」
「勧誘ですか」
「バレちゃった」
疑うように鋭く見つめる霜月だが、本当にこの女は油断ならない。
何が「バレちゃった」だ。他にも何か思惑があるのかも。
「私、美術部の部長をやっているの。よかったら部室に遊びに来てね。……あと霜月さん。ぼんやり考え事をすることはあるけど、別次元を見ている訳じゃないから。宇宙人じゃあるまいしね」
紫の瞳を伏せ、それだけ言うと彼女はその場を立ち去る。
加賀美に「聞かれてたでしょ、美佳のバカ!」と小声で怒られたので、ペロっと舌を出してごめんと謝った。
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2112年 12月10日 PM 17:00一一
東京都 私立桜霜学園 美術室
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夕日の暖かな光が美術室内を照らし、大きな窓から差し込むオレンジの光が美術室を退廃的な色に染めている。
その中で王陵 璃華子はひとり絵を描いていた。
スケッチブックに鉛筆で描かれたそれは、何とも形容しがたい人体の絵。
中心に女の顔があり、その顔を両腕が支え、顔の上には乳房が、両サイドからは足が、下は腹部までが描かれている。
花も共に描かれているが、これは一体なんの絵であろうか。
「失礼します」
ノックの音と共に美術室の扉が開かれた。
入って来たのは髪をやや高めのツインテールに括る女生徒、
彼女は未だ絵を描き続ける王陵 璃華子を見て頬を赤らめ、美術室の扉を閉める。
「来てくれたのね」
部屋に入って来た彼女に気が付いた王陵 璃華子は作業の手を止め、立ち上がって歓迎した。
彼女が王陵 璃華子の傍まで来る頃には、大きな白いキャンバスの前に先ほどのスケッチブックが置かれているだけだった。
「聞いたわ、貴方のお父様のこと」
「ぇ……」
「お母様の再婚相手」
「…気付いてて、くれたんですか」
「ええ、私はずっと葦歌さんを見ていたから」
「王陵先輩…!」
王陵 璃華子の言葉に涙を流した彼女は、美しく気高い王陵を見てさらに瞼を震わせた。
「あの人はっ、その、私のことを…はっきりと、いっ、い、いやらしい目つきで……家に帰るたびにっ、誰かが私の部屋に入った跡があるんですっ」
話しながらもぼろぼろと涙を零し続ける彼女はもう限界だった。
誰にも頼れないと思って隠し続けていたところで、憧れの先輩が気が付いていてくれた。
そんな心の感情は、もう止められない。堰を切ったようにあふれ出す。
「こんなの耐えらないっ! …でもっ」
「お母様には相談できないのね」
「本当の父が遺した借金は、とても母だけでは返済しきれなくって…あの男に頼らないとっ、でも、先週の定期健診でもサイコパスの色相が凄く曇っててっ、このままじゃ、わたしっ」
王陵 璃華子の紫蘭の瞳が彼女を捉える。
目を腫らして泣き続ける彼女の独白を聞きながら、王陵 璃華子はその身体を見ていた。
やがて小さく息を付くとと、彼女へ近付いていく。
「葦歌さん。貴方はあなたが望む通りの人生を選べない」
優しく、頭を撫でる。
「その辛さは分かるわ」
その手が、頭から髪へと移る。
「今の時代、誰もがシステムによって決められた適性に沿って押し付けられた幸せだけで満足するしかない。自分が本当に望んだ夢を叶えることも出来ずに」
するり、と王陵 璃華子の手から髪がすり抜けた瞬間に、再度彼女はしゃくりを上げて泣き始めた。
「本当に望む姿、本当の自分の価値。それを確かめてみたいと思わない?」
「え?」
「葦歌さんの中に隠れている、本当の美しさを」
その毒は、気を許せばすぐに入り込んでくる。
ゆらりと体が揺らめいて、王陵 璃華子が彼女を包み込んだ。
温かい。いい匂いがする。嬉しい。
そんな感情に支配されたが最後、もう二度と上がってこられなくなる。
「シェイクスピアの話、続きをしましょうか」
深く、深く、感情の底まで落ちて、満たされる。
その先に待っている恐怖も知らないで。