2112年 11月4日――
厚生省 公安局 庁舎
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雨が降っている。
シビュラシステムによる気象演算では本日未明まで降雨が継続すると予測されている。誤差の範囲まで公開されるこの予測が覆った例はないため、しばらくこの雨が止むことはないだろう。
夜空を切り裂くように伸びる黒い高層建築、厚生省 公安局ビルも例外なくその外装を雨に濡らしていた。
厚生省 公安局。
それは【最大多数の幸福】というシビュラシステムが導き出した社会正義を執行するために存在する機関である。
犯罪は時間を選ばず、人のサイコパスもまた刻一刻と移り変わるものである。
よって刑事課は万年人手不足。悲しいことに仕事が終われば次の仕事が待っている。
それら当直任務を維持するため、庁舎内には職員用の居住区が併設されていた。
『居住区 第七区画です』
機械音声と共に扉が開く。
静寂の満ちた部屋の中へ2人分の足音と共に搬入ドローンが入り、新たな主たちを歓迎する。
灯りの無い空間は家具もなく殺風景で、濡れた夜景を映し出していた。それは美しさと残酷さを兼ね備えた高層からの景色である。
「荷解きしよっか」
少女の一人が声を掛け、もう一人がそれに頷く。
荷解き、と言いながらも荷物の量は少ない。2人揃って大きな持ち物はなく、一機の搬入ドローンに収まってしまうほどの手軽さだ。
「
名前を呼ばれたのはくすみのある淡いブラウンの少女。
ミディアムボブを緩く巻き、頭頂部からサイドにかけて細い三つ編みを編み込んでいる。明るく澄んだバイオレットの瞳がもう1人の少女を見つめた。
「ううん、本物の方がいいもの。
「もちろん」
椋羽と呼ばれた少女は葉風の言葉に対し、嬉しそうに返事をする。彼女は、葉風とは違った深みのある赤みを帯びたブラウンの髪を緩くまとめており、明るいターコイズブルーの瞳を輝かせた。
「でも照明とか音楽は気分によって変えようね」
「そうだね。あとお花は中々手に入らないし、枯れるのも悲しいからそこも妥協する」
多くの住居は最低限の実体家具だけを置き、その上にホログラムで内装を重ねる【ホロハウス】が主流になっている。気分や用途に応じて部屋の雰囲気を瞬時に変更できることが一般的だ。
しかし葉風はそうではない。
見えるだけでは物足りない。触れた時にそこに存在すると分かる方が好きだから、とホロはあまり使わないのだ。
大きな荷物はひとまず備え付けの物があるため、各々は細々とした荷物を部屋へと運んでその空間を埋めていく。
葉風の荷物は資料や本が大半を占めている。
公安局のマークが入ったものや今時珍しい紙の本。畳まれたままの私服にひとつの鞄。大きな家具は机・棚・ベッドのみのシンプルな部屋だ。
一方椋羽の部屋は、同様に荷物は少ないながらもクッションやぬいぐるみ、写真立てやアロマなどアンティークな物が目立つ。
現時点の家具は少なくとも、きっとこれから種類を増やしていくのだろう。
そして二人は最後の荷物を取り出した。
「「あ」」
それはお揃いのティーカップと一つのティーポット。
彼女たちにとっては大切な、時間を共有するためのアイテムだ。
施設で育った彼女たちの一番の思い出。
何年も使っているため取っ手にはわずかな擦れがあり、そこには小さな傷も残っている。
それでも欠けることなく今まで大切に使って来た。
「お湯沸かす?」
「お願い」
椋羽はティーポットを大切にキッチンへと持っていく。
こういう時に
しかし味気ないと思うのも事実。よって二人が紅茶を淹れる時は、決まってわざわざお湯を沸かすのだ。
「明日から新しい毎日が始まるね」
「うん」
「葉風ちゃん、わくわくしてる?」
「うん。きっと私が何者なのか知れると思うから」
「そっか。葉風ちゃんが楽しそうだから、私も楽しみ」
紅茶のいい匂いが鼻をくすぐる。
紅茶が注がれたお揃いのティーカップを葉風は持ち上げ、匂いと重さを確認するように目を閉じ、そして息を吐いた。
「やっぱり、これが落ち着く」
ふふ、と椋羽の笑い声が聞こえる。
ここが二人の帰る場所。
雨はまだ止まない。
窓を伝う雫が夜景を滲ませ、その向こうでは都市の灯りが今も絶えることなく灯っている。
あの光のどこかで今日も誰かが正義を果たしている。明日からはそこに自分たちも加わるのだ。
葉風は静かに紅茶を口へと運ぶ。
温かさが喉を通り、胸の中へと落ちていく。
未だ自分が何者なのかは分かっていない。
それでも。この一歩だけは自分の意志で踏み出した。
雨音だけが静かな部屋を満たしている。