20 表現
大抵の人間は牛や鳥は殺せても、チンパンジーはそう簡単に行かないだろう。
少し人間に似ているし、何より絵を描くことが出来る。
もしも魚が絵を描いたとしよう。
何を考えているのか分からなくても、絵を描く動物は殺しにくくなる。
『感情があるのではないか』
僕たちは直感的にそう感じるはずだ。
表現する、ということにはそれくらいの価値がある。
近代に入って社会は絶対的な価値観の追求を諦めた。
相対的な、偏差値的な価値観を中心に据えるようになった。
しかしそれは、絶対的な物が不要になったからではなく【酸っぱい葡萄】だとして切り捨てにかかったに過ぎない。
『手に入れにくいから、最初から無かったことにしよう』と。
そこにシビュラシステムが現れた。
システムは文化や芸術にも介入するようになった。
【シビュラ認定芸術家】【シビュラ推奨作品】
ブラックボックス化された独自の判定基準によって、発展に必要な苦悩と対立が減少してしまった。
表現することを侮るようなやり方は、やがて社会に致命的な停滞をもたらす。
人間は自らを表現することで初めて、自分が何者なのかを世界に示すんだ。
絵を描く者もいる。
言葉を紡ぐ者もいる。
生き方そのものを表現する者だっているだろう。
では、君は?
あの時こちらを見つけようとしていた君は。
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今日も王陵 璃華子は微笑みながら、このふざけた見舞いを続けている。
病名はユーストレス欠乏性脳梗塞。
過剰なストレスではない。
むしろその逆。
精神衛生を害する刺激を遠ざけ、穏やかで健全な生活を送り続けた結果、脳は刺激そのものを失っていった。
何も気付かず、何も語らず、何も考えない。
ただの脱け殻のように生きて、やがて雪が溶けるように消えていく。
罪なき人々を死に至らしめる伝染病。
でも、この病原菌が根絶されることはない。
これは安らぎという名の病。
人々が望んだ死の形。
シビュラ社会が望む【健全】の果てで、彼は静かに死へと近付いていた。
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2112年 12月17日 AM11:00――
東京都 渋谷区 代官山 とある公園内
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それは、強烈な迄に禍々しい姿だった。
女性の体を用いた彫刻のようなソレは、どう見たった
脳裏に過ぎるのは
まだ言語化出来ない違和感が、私の中で蔓延っている。
「今回の捜査から外れてもらうぞ、狡噛」
「なんでだ、ギノ」
「余計な先入観に囚われた刑事を初動捜査に加える訳にはいかない」
「そんな! でもまだ、標本事件と一緒ってわけじゃ」
至って冷静にやり取りをしていた
「宿舎で待機だな」
「そうだ」
思ったよりも聞き分けよく踵を返した狡噛さんに私は内心で感心しつつも宜野座さんに問う。
「私も外れた方がいいですか?」
「…何故そう思う」
「狡噛さんと同じものを追い掛けるから、ですかね」
「自覚があるなら程々にしろ。だが今回は局長からも釘を刺されているからな…常守監視官」
「は、はい!」
『局長からも釘を刺されている』という言葉に私は片眉を上げる。
一体何を、と聞いても教えてはくれないだろうが、そういう時は大抵面倒事だろう。
離れていく狡噛さんをチラリと見れば、コツコツとデバイスを突いていた。あれは「捜査進捗を報告しろ」だろうか?
仕方ない。
先輩のためにある程度は流してあげよう。
「狡噛が妙なことをしでかさない様、付きっきりで監視しろ。それが今回の君の仕事だ」
宜野座さんから命じられた常守さんは浮かない顔をしつつも狡噛さんの方へ歩いていく。
「常守さん元気ないね」
「標本事件と一緒となると…ね」
「標本事件?」
こてん、と首を傾げる
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PM17:00――
厚生省 公安局 刑事課 一係
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「整理する」
常守さんと狡噛さんの居ない室内で、ブリーフィングが始まった。
「渋谷区代官山の公園で発見されたバラバラ死体は
「おい、桜霜学園って」
「標本事件の容疑者、
宜野座さんからの共有内容に反応を示した
「遺体は特殊な薬剤に侵食され、タンパク質がプラスチック状に変質。分析の結果、これは3年前の事件で使われた薬品と同一であることが判明しました」
「確かに同一犯の可能性は高い」
「謎の殺人鬼が3年ぶりにカムバックって訳か」
同一犯である可能性が高いのは理解出来るのだが、材料が同じだけだ。
どうにも腑に落ちない。
何かが違うと本能が囁いているのにそれが何かが分からない。
「ギーノさーん、ホントにコウちゃん外してよかったんスか? あの人標本事件の調査って続行してたでしょ。なんか新しい手掛かりとか掴んでたかも」
「奴の報告書には目を通してある。あれは、ただの妄想の羅列だ」
宜野座さんの気持ちも分かる。
誰だって直視したくないことには蓋をするものだ。
3年前の狡噛さんじゃなくちゃ感じられない、あの熾烈な感情の波。
きっと私以外、誰にも分かってあげられない。
「ねぇ葉風ちゃん、標本事件って?」
「あぁ、説明するね」
私はブリーフィングを聞きながら椋羽ちゃんに簡単な概略を教えてあげた。
こうなってしまっては、みんなの共通情報になりつつある3年前のあの事件を教えない訳にもいかない。
出来ることなら知らないでいて欲しかった。
そう思いながら、私は同時に今日のブリーフィング内容をしたためて狡噛さんへ転送した。