引きこもりの俺、悪質自立支援施設から抜け出し本当の意味で自立してみせる。 作:ナッパー
ハイエースの後部座席に押し込まれた俺の外出は、数年ぶりに、そして最悪な形で幕を明けた。
両脇には壁のような男たちが座り、逃げ道は完全に塞がれている。車内には芳香剤と微かなタバコの匂いが混ざり合って、久しぶりに嗅ぐ外の世界の匂いって奴がひどく胃を掻き回した。
気分が悪い……吐きそうだ。
「はい、それ預かるね」
そんな体調が悪い俺なんかお構い無しに、助手席から振り返ったリーダー格の男が、俺のポケットから半ば強引にスマホを抜き取った。
「あ、ちょ……!」
「施設では原則、通信機器は持ち込み禁止なんだ。ネットの海から離れて、現実の自分と向き合うためにな」
淡々と告げられ、俺と世界を繋ぐ唯一の命綱は、あっさりと黒いポーチの中へ消えた。
こっそりネットのスレッドに『悲報、ニートワイ、自立支援施設に強制連行されたので誰か助けてクレメンス……』なんて助けを求める事も考えていたが、物理的にスマホを取られてしまってはどうする事もできない。
窓の外の景色が、見慣れた住宅街から徐々に山がちなものへと変わっていく。
俺はただそれを絶望と共に眺めることしかできなかった。
到着した先は、「自立支援研修センター、自然の森」という色褪せた看板が掲げられた、古い元・社員寮みたいな建物だった。
「ようこそ。今日からここが君の新しい居場所だ」
案内されたのは、鉄パイプのベッドと小さな机だけが置かれた四畳半の相部屋だった。
窓に鉄格子こそないものの、ストッパーがかけられ数センチしか開かないようになっている。
同室の、ひどく痩せこけた同年代の男が、俺をチラリと見てすぐに毛布を被った。彼もまた、どこかの部屋から引きずり出されてきたんだろうな。
そして夕方にると、食堂と呼ばれる大広間に集められた。
二十人ほどの寮生たちが、無言でパイプ椅子に座って配膳を待っている。
目は虚ろで、誰も一言も発しない。重苦しい沈黙の中、壁掛けの安い液晶テレビだけが、バラエティ番組の笑い声を垂れ流していた。
『続いては、今大注目のこのグループの登場です!』
ふと、テレビから聞き覚えのあるイントロが流れた。
俺は顔を上げる。
画面の中には、色鮮やかなスポットライトを浴び、完璧な笑顔で歌って踊る妹の姿があった。
昼間、玄関で俺を一瞥して、行ってきますと涼やかに言い放った時と同じ、プロフェッショナルの顔だ。
「あ、この子たち可愛いよな。最近よく見る」
隣に座っていた別の寮生が、ぽつりと呟いた。
彼の濁った目に、テレビの中の光が微かに反射している。
俺は何も答えることができなかった。
数時間前まで、俺たちは同じ家の屋根の下にいた。
だけど今、彼女は数万人の歓声を浴びる光り輝くステージにいて、俺はどんなとこかも分からない山奥の施設で、プラスチックの茶碗によそわれた冷めかけの飯を前にしている。
『お互いの領分には立ち入らない』
妹との暗黙のルールを思い出す。
彼女は俺の人生に干渉しなかった。
だから俺がこんな場所に連れ去られようと、彼女のステージには何の影響も及ぼさない。
俺という存在は、彼女の輝かしい人生において、最初から最後まで完全に無関係なんだ。
「ほら、テレビばっかり見てないで食べなさい。明日は朝六時から農作業の研修だよ」
施設長らしき初老の男が、パンパンと手を叩いて声を張り上げた。
周囲の人間が、機械のように箸を動かし始める。
ブラウン管の中で弾ける妹の笑顔を見つめながら、俺はゆっくりと箸を手に取った。
モニター越しではない、薄暗く冷たい現実の輪郭が、ようやく俺を包み込もうとしていた。