孤独な神々   作:鈴木智史

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火山の異変-2

 リーグの資料室で情報をまとめてくれたスタッフによれば、一連の事故で重傷を負った者はいずれも腕利きのトレーナーばかりで、野生ポケモンに襲撃されても掠り傷ひとつ負うことなく切り抜けられるはずだという。

 白衣姿の男性スタッフは要所に付箋をつけてから、資料のコピーをクリアファイルに入れて寄越した。

 受け取ったリストに目を通すと、たしかにコウキから見ても旅慣れた百戦錬磨の連中で、野生のポケモンに後れを取るとは思えなかった。そもそもハードマウンテン自体、本来は腕利きのトレーナーが己の限界に挑む修行の場である。

 ところが先年、一部の旅行代理店がバトルゾーンを巡るパッケージツアーを販売をしたことで、素人がふらりと山に立ち入り痛い目を見る事案が発生していた。リーグは直ちにツアーの販売停止を求め、事態は収束に向かったものの、この件以降明らかに実力が伴っていないトレーナーの入山が目立ち始めた。『興味本位で立ち入るべからず』というのはローカルルールに過ぎず、具体的な罰則は設けられていない。明確な入山規制が敷かれていないのを良いことに、観光客に加え各地からメディア関係者や動画配信者などが、ヒードランを始めとする稀少なポケモンをカメラに収め視聴回数を稼ごうと、獲物の匂いを嗅ぎ付けたグラエナのように群がったのだ。

 困り果てた地元民やポケモンレンジャーから、ハードマウンテン内における規則の明文化を求められたリーグは有識者を招聘し、下座からは上座にかける人物の顔が霞むほど広い会議室で、連日額を集めて協議していた最中の出来事である。当然今回の事故も、コウキは身の程知らずの愚か者の自業自得と思い込んでいた。

 それが病院に担ぎ込まれたのは、リストを見る限り脆弱な観光客などではない。少なくともシンオウリーグ公認のジムバッジを八つ揃え、他地方のバッジを有する者もいた。万全の装備を整え、強力な手持ちを連れた熟練者が、立て続けに病院送りにされるのは普通ではない。

 王座防衛戦の相手になっても不思議ではない猛者ばかり並ぶリストを見て、胸騒ぎを覚えたコウキは、公務で埋め尽くされたスケジュールに力技で空白を作り出し、関係者を説き伏せ自ら調査に乗り出したのである。

 隣を歩くゴウカザルは涼しい顔をしているが、コウキは洞窟内の蒸し風呂のような気温に苦しめられた。汗で衣服が体にへばりつく不快感に閉口する。トレードマークの帽子とマフラーは、さすがに身につけていない。

 時刻は午前十時を過ぎ、下山にかかる時間を考慮すると、あまり余裕があるとは言えなかった。コウキは玉の汗を散らし、足早に洞窟を突き進む。

 広大な内部空間を真っ直ぐ突っ切ると、ハードマウンテンの噴火口から見て、ほとんど真下に位置する小部屋が見えてくる。中は熱気が立ち込め、息を吸うと肺が焦げたと錯覚するほどである。

 コウキは顔を顰め、腰のモンスターボールを掌で小突いた。控えていたトリトドンが真横に飛び出し、柔軟な体をぶるりと震わせ、冷たい水の粒子を撒き散らす。青と緑の涼し気な色合いの粘膜から放出された水分が、たちまち気化して白い湯気に姿を変え、頭上で再集結し、疑似的な雨雲を形成した。

 ――あまごい。

 洞窟内で不自然な俄雨が降り注ぎ、周囲を急速に冷却していく。まばらに落ちる水滴が肌に快い。ゴウカザルは不快そうに頭上を払う素振りを見せているが、コウキには恵みの雨である。

 ギンガ団の残党を追ってバクと共に突入したときは、ここまで暑くなかった。これも火山の活性化によるものだろう。

 トリトドンは何リットルもの水分を投じて、少しずつ、人が生身で入れる程度まで気温を下げてくれた。どこにこれほど大量の水を蓄えているのか、いつ見ても不思議に思う。

 やっとの思いで最奥部の小部屋に立ち入ると、内部は岩壁の至るところで血のように紅いマグマが滲み、熱風が吹き荒れ、さながら地獄の様相を呈していた。

 中央に目をやると、石で組み上げた無骨な祭壇が佇んでいる。誰が作ったのかも定かではないそれは、ともすれば太古の昔、ポケモンが岩を削り出して作ったのかもしれない。

「やっぱりな……」

 歩み寄って見ると、祭壇の上に安置されているはずの真っ赤なアーティファクト『火山の置石』が跡形もなく消え去っていた。

 コウキは空の祭壇を見下ろし、顔を歪めて舌打ちした。

 置石に触れるとヒードランが目覚め、火山が噴火する。そんな民間伝承が丸っきりの嘘ではなかったと判明したのは、ごく最近のことだった。ギンガ団の残党がヒードランを捕獲しようと置石に触れたとき、ハードマウンテンの地下で、大小の地震が繰り返し観測された。その際はコウキやバクなど腕利きのトレーナーが居合わせた上に、国際警察まで動いたことで事なきを得たが、今回は一歩遅かったようだ。

 ハードマウンテンに住まうポケモン達が異様に狂暴化し、徒党を組んでトレーナーを襲う原因は殆ど明らかになった。ポケモンは、人間よりも遥かに環境の変化に敏感である。何者かによって置石が持ち去られ、ハードマウンテンの火山活動が急速に活性化し、一帯の生命を脅かしていたために、強いストレスに晒されているのだろう。

 一刻も早く置石を祭壇に戻さなければ、ハードマウンテンが爆発し、未曽有の大災害を引き起こしかねない。最悪、バトルゾーンそのものが地図から消滅する可能性すらある。

 この事実を外部に伝えるべく、トランシーバーに手を伸ばしたとき、コウキは頭上で何かが蠢く気配を感じて鋭い眼差しを向けた。

 頑丈な爪で天井の凹凸にしがみ付き、逆さ吊りでこちらを見下ろしている、赤黒い鉄の塊のような生物とまともに視線が絡み合う。

「ヒードラン……!」

 コウキが叫ぶのと彼の落下とは、殆ど同時だった。ヒードランは地響きを立てて着地するなり、金属の顎を激しく咬み鳴らせて威嚇してくる。ゴウカザルが軽やかなステップを刻み、正面からヒードランを睨みつけた。

「聞いてくれ! 僕らは山を荒らしにきたわけじゃないんだ」

 コウキが懸命に呼びかけるが、対話に応じる雰囲気ではない。

 ほとんど問答無用だった。

 ヒードランが甲高い咆哮を上げ、前足を激しく地面に叩き付ける。直後コウキの足元で、何かがせり上がる不気味な地鳴りがし始める。

「くそ!」

 コウキが慌てて飛び退いた直後、渦を巻く極太の火柱が、ジェットエンジンのような轟音もろとも溶岩の床をぶち抜き、洞窟の天井まで噴き上がった。

 ――マグマストーム。

 一秒でも反応が遅れていれば、コウキは骨も残らず焼き尽くされていただろう。直撃を免れてもなお、髪がちりちりと焦げるようだ。トリトドンが身をくねらせ、大量の水をミスト状に噴霧し、灼熱からコウキを庇う。

 ゴウカザルが突進すると近距離は不利と本能的に察したのか、ヒードランは推定体重四百キロを超える巨体からは信じがたい身軽さで飛び下がった。大きく後退したヒードランが四肢の爪を地面に食い込ませると、幾筋もの亀裂がゴウカザルの足元へ走り、罅割れた溶岩の隙間から、鋭利な岩が槍のように突き出した。

 ――ストーンエッジ。

 身の丈を超える巨岩の刃をまともに受ければ、深手を負い、進退の自由を失うだろう。だがコウキは、十二歳の頃より五年以上も連れ添ってきた相棒が、野生ポケモンの粗削りな技を身に受けることはあり得ないと絶対の信頼を寄せている。

 ゴウカザルは滑らかな足運びで半歩横に移動し、股座への突き上げを回避した。亀裂の広がりと、素足に伝わる微細な振動から、岩の出現位置を読み取り紙一重で捌く。何度目かも分からない岩の突き上げを、片足を引き半身になる最小限の動作で躱すと同時に地面を蹴り、瞬く間に距離を詰める。

 ヒードランは再び距離を取ろうと試みたが、尻に岩壁が触れていた。もう逃げ場はない。

 追い詰められた彼は、なりふり構わぬ反撃に出た。鋼鉄の顎を限界まで開き、眼前に迫ったゴウカザルの頭に喰らい付こうとする。鉱物を咀嚼する恐るべき咬合力の持ち主ではあるが、もはや技としての「かみくだく」ですらなく、追い詰められた生物が見せる苦し紛れの最後っ屁など、そうそう当たるものではない。火花を散らして閉じた顎は虚しく空を食み、その横っ面にゴウカザルの拳がめり込んでいた。

 文字通りの鉄面皮が軋み、赤熱の巨体がたたらを踏んだ。

 ヒードランは瞼のない両目から星を散らせながらも、健気に体勢を立て直したが、振り向いた先に外敵の姿はない。

 天井に頭をぶつけたかと思うほど高々と跳躍していたゴウカザルが、空中でくるりと向きを変え、真っ逆さまにヒードランの頭上を襲う。無防備な胴部に落下し、半ば溶けた装甲の隙間に両拳を叩き込む。

 ――インファイト。

 鍛冶師が熱した金物を打つような音が、凄まじい速度で湧き上がった。

 柔軟性に欠けるヒードランの顔は、恐怖や苦痛に歪むことはないが、半開きになった顎から切ない悲鳴を上げ、我が身を襲う猛打の嵐から逃れようと地面を転げまわる。

 火の粉と土煙が濛々と舞う中、鍛え抜かれた拳で滅多打ちにされたヒードランは徐々に両目から光を失い、やがて動きを止めた。地面でぐったりと腹這いになっている。

「そこまでだよ」

 静かに声をかけると、ゴウカザルは拳を下ろしコウキの傍らに控えた。倒れたヒードランが突然息を吹き返しても、瞬時に対応し得る気構えを崩していない。

 コウキは、闘争の余波で割れた岩盤から流出するマグマをトリトドンに冷却させ、足場を確保し、ゆっくりとヒードランに歩み寄った。四肢が脱力し、完全に意識を失っている。いきなり飛びかかってくる懸念はなさそうだ。

「……火山の置石は僕たちが必ず見つけて、元に戻してやるからな」

 超高温の体を人が撫でることはできない。せめてもの慰めの言葉を口にしたとき、コウキは微かな違和感を覚えた。

 ヒードランの全身に、ゴウカザルがつけた打撲痕とは異なる傷が無数に刻まれている。長寿なポケモンの体に古傷があるのは珍しいことではないが、彼のそれは比較的新しい。

 コウキはしゃがみ込み、間近でじっと観察してみる。頭部の罅割れた痕や、胴部の刃物で引き裂いたような裂傷などは、間違いなく今の戦闘で負ったものではない。

 何より奇妙なのは、それらの傷に、人の手で丁寧に治療された形跡があることだった。体に素手で触れることができないポケモンの治療は本職のドクターでも難しいものだが、一見して、自然治癒を促進する見事な応急処置が施されていた。

 何者かがヒードランを叩きのめした後、自らその傷を治療したのだろうか。あるいは、傷ついたヒードランを発見した別人が癒したものか。

 コウキは腕組みをして、じっと傷痕を睨む。

 普段のヒードランは、喧嘩を吹っ掛けられでもしない限り、人を襲うことは滅多にない。バトルタワーが建設される以前から島に住み着いている古老の中には神として拝む者がいるし、一帯の野生ポケモンからも長老のように慕われている節があった。

 ただ、丸きりの平和主義者というわけでもなく山を必要以上に荒らす者や、火山の置石に触れようとする者が現れると激高し排除に動くのである。怒りを露わにしたヒードランが操る火炎の威力は、伝説のポケモンの一角として恥じないもので、人がまともに受ければ即死となる。故に修行に入るトレーナーも、あえて彼を刺激するような真似はしない。

 そんなヒードランを真っ向勝負で余裕をもって制し得る人物など、コウキの知る限り滅多にいなかった。治療の痕跡を見ても相当な実力者であることだけは確かだが、そんなトレーナーが、そこまでして火山の置石を持ち去る目的が分からない。重要なものではあるが、高く売れることもなければ、ポケモンの進化に関わるものでもない。

 これ以上、一人で考えても時間の無駄だろう。取り急ぎ、騒動の原因は明確になった。目的を果たしたからには、ヒードランが目を覚ます前に、さっさとこの蒸し風呂から脱出するのが最優先事項である。

 コウキはリュックから数本の傷薬を取り出し、ヒードランに噴き付け治療を済ませ、腰のトランシーバーに手を伸ばした。

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