バランシェ博士は景色を見ない ラノシア編   作:くろと。

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プロローグ

 

私はアキスケ・グリタニ。

オールド・シャーレアン哲学者議会所属の、しがない事務員だ。

秀でた才能があるわけでもなく、特別な夢や目標があるわけでもない。

平凡なロスガルである。

だからこそ、ある程度の教養さえあれば務まる事務員という職を選んだのも自然な流れだった。

十六歳で事務補助員となり、二十歳で正式な事務員となった。

以来十一年間。

私は平穏な毎日を過ごしてきた。

そう。

二年前にバランシェ研究室付き事務員へ異動となるまでは。

バランシェ研究室へ異動してからというもの、私の平穏は見る影もなく崩れ去った。

だが、今はそんな話はどうでもいい。

思い出したくもない。

私は今、休暇中なのである。

リムサ・ロミンサのレストランビスマルクで潮風に吹かれながら、名物のビスマルク風エッ

グサンドを頬張る。

 

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実に美味い。

実に平和だ。

これこそ私の求めていた人生である。

一年前。

博士が「長期調査に出る」と言い残して姿を消してから、私の日常は徐々に平穏を取り戻していった。

最初の一ヶ月は祝杯を上げた。

二ヶ月目も祝杯を上げた。

三ヶ月目になると少し心配になった。

五ヶ月目には、どうやら私のいない時間帯に研究室へ戻ってきているらしいことがわかっ

た。

だが顔は合わせなかった。

むしろ都合が良かった。

半年も経つ頃には、博士が本当に長期調査を続けているのか、それとも研究室のどこかに潜

んでいるのかすらどうでもよくなっていた。

私の日常は確実に平穏を取り戻していたのである。

その頃だった。

普段はバランシェ博士の研究室にいるのだが、たまに事務局へ所用で訪れるといつも奥まっ

たほうから怒鳴り声が聞こえてきた。

「そんなものは研究ではない!」

「貴様は哲学者議会を愚弄するつもりか!」

なかなか激しい議論らしかった。

研究者というのは大変な仕事である。

私はそう思いながら書類整理を続けた。

私には関係のない話だった。

ある日。

博士の机の上に数枚の書類が置かれているのを見つけた。

片付けようと思って手に取る。

休暇申請書だった。

博士が調査を終えた後、そのまま休暇に入るつもりなのだろう。

数枚ある。

ならば一枚くらい使っても問題ないだろう。

そう考えた。

博士がいないので職務印は押せない。

押せないはずだった。

だが、私は研究室の管理担当である。

つまり、どこに何があるか知っていた。

罪悪感がなかったわけではない。

だが、今までのことを思い起こし、私はその罪悪感に蓋をした。

数日後。

事務局に呼び出された私は、休暇申請の審査結果だろうと思っていた。

多少の不安はあった。

主に職務印の件で。

しかし窓口の女性は満面の笑みで私を迎えた。

「おめでとうございます。申請は審査を通過しました」

「こちらをどうぞ。確認できましたら、こちらに受領のサインをお願いします」

そう言って差し出されたのは、分厚い封筒だった。

中には札束が入っていた。

私はしばらく固まった。

違和感はあった。

だが、私は考えるのをやめた。

休暇のほうが大事だった。

それに、今さら何か問題が見つかったところで休暇が取り消されるわけでもないだろう。

私はそう自分に言い聞かせた。

サインを済ませると、私の頭の中は休暇旅行の計画でいっぱいになった。

インドア派を自認する私だったが、案外旅行というものを楽しみにしている自分に驚いていた。

そうして私は今、リムサ・ロミンサで休暇を満喫している。

旅行というものに対して私は長年懐疑的だった。

移動は面倒だし準備にも金がかかる。

慣れない土地で落ち着いて眠れるとも思えなかった。

だが実際に来てみれば、それらは全て杞憂だった。

そう、旅行というものは平穏だからこそ出来るものなのである。

移動中の景色を楽しみ、旅行先の気候を調べて服や持ち物を選ぶ。

そして宿のベッドは私の部屋のベッドより上質なのである。

「幸せってこういうことなのかな」

そうつぶやいて青空を見上げた。

雲がゆっくりと流れていく。

「やはりここに来たわね」

食べかけのエッグサンドを落とした。

嘘だろう。

ここはリムサ・ロミンサだ。

オールド・シャーレアンから遥か彼方の港町である。

その声の主がここにいるはずがない。

少し幼さが残る凛とした声だ。

声には聞き覚えがある。

何度も聞いた声だ。

しかし、この声の持ち主がここにいるわけがない。

「やあ久しぶりだね、事務員君。いや、助手君」

 

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おそるおそる振り返ると、そこにはバランシェ博士が立っていた。

混乱していて言葉が出ず、口をぱくぱくさせる。

「君に手伝ってもらいたいことがあるんだ」

博士は私の状態などお構いなしに告げる。

「…………」

言葉が出ない。

「まあこれでも飲んで落ち着きたまえ」

そう言って博士は水を差し出した。

言われるまま水を飲み、

「な、なんでここにいるんですか!?」

と、ほとんど叫ぶように聞いた。

「なんでって、君がここに来るだろうと思ってたから来たんだよ」

よくわからない事を言う。私がリムサ・ロミンサに旅行へ来るなど知るはずもないのに。

「それで手伝ってもらいたい内容なんだがね」

「ちょっと待ってください。私は休暇中なので手伝えません」

これだけは譲れなかった。

「休暇中?いや、君は長期調査をしている私について来ている事務員兼助手だよ」

「何を言っているんです?私は休暇申請を出してここにいるんですよ」

本当にこの人は何を言っているんだ。

その時、微かな不安を覚えた。

お金を受け取ったときの違和感が、頭をよぎる。

「ああ、君が出したのは休暇申請ではなく長期調査申請なんだよ」

「そんなわけないでしょう、ちゃんと休暇申請書と書いてありましたよ」

博士はやれやれといった感じで流暢に話し出す。

「君も私もエーテル操作が苦手でまともに魔法は使えないね」

いきなり何の話だ?と思いつつ博士の言葉を待つ。

「だけど世の中にはそんな人達でも魔法が使えるようにと触媒を作り出した人がいてね」

「これが便利なんだ。私でもミラージュプリズムという魔法が使える」

ミラージュプリズム、それは私も知っている。触媒を使用して外見だけ変更する事が出来る魔法だ。

「まだ気付かないようだね、ミラージュプリズムは服の見た目を変えることで知られているけれど、用途はそれだけじゃないんだ」

博士は懐から一枚の紙を取り出した。

見覚えがあった。

というより見覚えしかなかった。

私が提出した申請書である。

「これは君が提出した書類の写しだよ」

私は受け取った。

確かに私の字だった。

私の署名だった。

私の職務印だった。

だが。

題名だけが違った。

休暇申請書。

ではない。

長期野外調査申請書。

そう書かれていた。

私は三回ほど瞬きをした。

もう一度見た。

変わらなかった。

「......偽造です」

「君の字だね」

「......偽造です」

「君の署名だね」

「......偽造です」

「君の職務印だね」

「………」

「......偽造です」

「往生際が悪いなあ」

博士は少し楽しそうだった。

私はまったく楽しくなかった。

「つまりこういうことですか」

私は慎重に確認する。

「私は休暇に来たつもりだった」

「うん」

「ですが実際には」

「うん」

「一年も姿をくらませていた研究者の長期調査に同行する事務員として申請されていた」

「そうだね」

終わった。

私の休暇は死んだ。

 

【挿絵表示】

 

正確には最初から存在しなかった。

「ちなみに君が受け取った調査費だけれど」

私は顔を上げた。

最後の希望だった。

「あれは返還しなくていい」

助かった。

心の底から助かった。

「調査報告書を提出すればね」

助からなかった。

「調査報告書?」

「最低百ページ」

私はテーブルに突っ伏した。

エッグサンドが少ししょっぱく感じた。

涙の味だった。

「では改めて説明しよう」

博士は嬉しそうに鞄を開く。

……嫌な予感しかしない。

「君にはこれから私の調査に同行してもらう」

「断ります」

「却下だ」

食い気味だった。

私は天を仰いだ。

私の休暇は終わった。

いや。

最初から存在しなかったのかもしれない。

後になって思えば、この時逃げ出していれば良かったのだ。

そうすれば私は、

エオルゼア中を駆け回ることも、

崖から落ちることも、

深夜に山へ登ることも、

死霊に追い回されることもなかった。

だが、その時の私はまだ知らなかった。

これから始まる長い調査のことも。

探検手帳という厄介な代物のことも。

そして。

バランシェ博士が、なぜそこまでして探検手帳に執着するのかも。

 

プロローグ 了

 




本作で使用しているゲーム内スクリーンショットは、『ファイナルファンタジーXIV 著作物利用条件』に基づいて掲載しています。
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